42.青い紅(下)
「巫女様、姫巫女様」
手を伸ばし大声で叫ぶ兵士の声。呼び止めようとするが体が動かない。
エレシアは兵士の制止に従うことなく外へと歩いてくる。
しかしその目に輝きはない。何かに憑かれ、その衝動だけを頼りに辛うじて歩いている。六日前、最後に見たエレシアとは全く違う。酷い変わり様にフィオナは目を見開いた。
エレシアのおかげで闇は晴れてゆき、月明かりほどの光から黄昏時の明るさまで戻った。フィオナを纏う光は勢いを取り戻し、徐々に広がる。だが、僅かに戻る光が見せたのは倒れた兵士と壊れた邸宅。降りしきる氷の剣は今も街を壊していく。
力は戻っても、受ける痛みは減るだけでゼロにはならない。フィオナは必死に歯を食いしばり耐えていた。
エレシアは外へ歩き続ける。もう少しで屋根から出てしまう。
痛みに耐え、助けが欲しいフィオナでさえ、見ていて辛かった。
(お願い。もう来ないで。それ以上、それ以上外へ出たら……)
思考は声にならなかった。エレシアは外へと足を踏み入れる。容赦なく落ちる雷光に氷の剣。
エレシアはその一撃を受け倒れた。
フィオナは這いつくばりながら、エレシアの元へと近づいていく。その間にも氷の切っ先が幾度と襲いかかる。彼女が纏う紅の輝きは切っ先を弾き返し、体を切り裂くことはなかった。エレシアに宿る精霊は守ってくれていたのだ。
やっとの思いでエレシアの元に辿り着いた。フィオナが纏う青い光は、二人の全身を覆っている。精霊の魔力により作られた氷の剣は二人に届くことなく、崩れ去っていく。フィオナは痛みに耐えながら、そっとエレシアの手に触れる。
冷たい手。だがエレシアはそっと握り返してくれた。
「ありがとう。フィオナ、リリア」
エレシアは衰弱しきった体を起こし、立ち上がった。脚はフラフラと揺れ安定しない。もはや生きていることが奇跡だった。
彼女は微笑みを浮かべながら、そっとフィオナに両手を差し出した。もう限界なはずなのに、その姿は畏れを感じさせる。
「見てなさい。今から私は巫女の務めを果たします」
エレシアは言葉の後、目を瞑った。青い光の中、自らが纏っていた紅の光を吐き出してゆく。光は最初、玉のようだったが、徐々に人型へと姿を変える。
最後に現れたのは紅の鎧をまとった凛々しい女性の姿。純白の光だけでできた剣を携えている。
精悍な顔はそのままに純白の光が零れ落ちていた。光が止まる様子はない。精霊はただエレシアを真っ直ぐに見つめていた。
「もう私には後が無い、分かるでしょ」
エレシアが精霊に呼びかける。精霊は表情を変えず、ただ光の雫を流している。
「だから私は願う。今、アルフィリアに降り注ぐ災厄が無くなることを。せめて、この子に幸せを」
エレシア両手を広げ、精霊を見つめる。精霊は顔を拭い、エレシアに向き合う。
(嘘でしょ?)
フィオナは目の前で精霊が光の剣をエレシアに向けている。剣の切っ先を前にしてフィオナに微笑みかけた。そして目を瞑る。
「力はその子に与えて。さぁ、私を」
「「やめて。やめてー!」」
フィオナとリリアが叫びを上げる。その中で光の剣はエレシアを貫いた。
辛うじて体を支えていた脚は崩れ落ちる。血は出ていないのに剣は赤に染まっていた。
フィオナは一部始終を見てしまった。
巫女の務めは精霊が、いや精霊使いが生み出した一切の災厄を受け止める生贄。目の前のエレシアは務めを果たした者の結末。
精霊が赤く染まった剣を引き抜くと、エレシアは地面に倒れ込んだ。そして赤い剣は天へと掲げられる。
フィオナを包む不思議な感覚。中からそっと支えてくれる力。痛みはない、立つことだってできる。これらは犠牲がもたらした結果だとは信じたくない。皮肉にも程がある。
フィオナの顔に雫が伝う。手で拭うとそれは光の粒、精霊の涙だった。
教会の中から声がする。
「巫女様が倒れたぞ」
「アルフィリアもおしまいだ」
「奴隷階級の準備はできているだろ。今すぐ精霊に捧げろ。敵を討つぞ」
護衛の兵士達が続々と声を上げる。だが、教会に身を寄せていた国王が制止した。
「君らは精霊に見放されたいのか、アルフィリアは太古に誓いを立てたのだ。精霊を敬い崇め続け、決して兵器にしないと」
その史実は城勤めの者なら、ほぼ全員知っている。
「だから精霊に恵まれた。生贄を取らずとも強大な力を秘めた精霊に。この国は生贄なしに動かない精霊だけになってよいのか。巫女は生まれず、人を殺めるだけの精霊使いばかりになるぞ」
その言葉に皆が沈黙した。国王は目線をそっと外に向ける。
「見よ、新しき巫女の姿を」
そのとき教会周辺には青い光に満ちていた。その中心にはフィオナの姿。
中にいるフィオナは気づいていない。目に映るものがあまりに青すぎて、リリアが放った光がどこまで及んでいるのか分からない。
「フィオナ、リリア」
呼び声がする。周りに人はいない。声は頭の内側から聞こえてくる。
「私は最後の力をあなた達に託しました。これが私があなたにできるせめてもの務め。この力を代わりに放って下さい。この青い光が花開く様子を心に浮かべて」
フィオナは言われるままにイメージした。目を閉じて胸元の両手をゆっくりと横へと広げてゆく。青の世界と呼べるほどの濃い光を外へ外へと広げてゆくように。
今、ラル達は光の中心を見ていた。
もはや雷光や氷の剣は視界には無い。青く透き通った世界に両腕を広げる少女が一人いるだけ。彼女は今、降りかかる災厄の一切を受け止めている。
その光の色は青。
昔、他国から生贄を取るために考案された、最も忌むべき精霊使いの術。大勢の奴隷を犠牲に、魂を奪う黒い獣を生みだし、それを隠すように美しい光の粒に閉じ込めた。その色が青だった。術は大いなる災厄の前段階に使われ、いつしか青は不幸や災厄を象徴する色となった。たったそれだけで、全ての青は否定された。
昔のフィオナも同じだった。青い花をかごに持てば指差され、暴行を受けることもあった。花が悪いわけではないのに。
だが今、フィオナが纏う青は災厄とは相対するもの。誰も拒む者はいない。
「青い紅。外面は下賤、だが内実は高貴なこと限りなし」
国王がそっと呟く。
そのとき、青い光は広がってゆき、空に残された闇を切り裂いてゆく。雷鳴を放つ雲は消え去り、氷の剣は形を失った。
少しずつ陽光が地面を照らし、青空が顔を出す。
中心の少女は両手を胸元に戻し、祈るような仕草をしている。
青い光は青い空へと溶けていった。引き換えに少女は祈りの姿勢のまま倒れた。
「フィオナ―!」
兵士が一人叫び、駆け出す。
彼はフィオナの頭上に集結する氷の残骸を見逃さなかった。フィオナを守る青い光はもうない。
フィオナの元に疾風の如く駆けていく。
教会前の広場にキーンと高い音が鳴った。その音はフィオナの意識にも届いた。
フィオナの視界は青一色から色彩を取り戻していた。起き上がって辺りを見回すと氷の剣が五つ落ちていた。その中央に白銀の剣を握ったラルの背中。肩で息をしている。
「はぁ、大丈夫か?」
ラルはフィオナに向かって声を掛ける。
フィオナは笑みを浮かべて頷いた。ラルは安堵の表情でその場に横たわった。
そういえば……。
フィオナはリリアと共にエレシアの元へと駆け寄る。最後の力を使い果たした巫女はまだ息をしていた。横には巫女を貫いた精霊が光の涙で顔を濡らしている。エレシアの手を握ると、相変わらず冷たい。でもしっかりと握り返してくれる。
「さぁ、帰りましょう」
これならまだ助かる。フィオナは教会の方へ向かおうとした。だが、エレシアは掴んだ手を離さない。横からリリアが手を解こうとするが無理だ。
「手を離してください。あなたを助けたいんです」
エレシアは顔を小さく横に振る。
「もう、いいのです。もうあなたに十分助けられました。これ以上助けを受けたら私の罪が増えるばかりです」
「何、言ってるの? 今はそれどころじゃない!」
フィオナは必死に訴えるが、エレシアは一向に手を離さない。
「巫女の座は青い紅。本当はあなたを巫女になどしたくなかった。犠牲は自分が最後であって欲しかった。私は耐えなきゃいけなかった。でも無理だった、音を上げてしまったの。だからあなたは巫女候補として招かれ、缶詰となり修行の日々を送った。結局、私は約束の日付も守れず、ただあなたを犠牲の祭壇に載せた」
フィオナは拳を強く握りしめた。
(理解できない。それなら何で……、何で拒む?)
フィオナの感情は限りなく怒りに近かった。
後ろからラルが駆け付け、強引にエレシアの体を抱きかかえる。エレシアの精霊が後ろで脚を支えてくれた。
「ラル? 七年ぶりかしら」
その言葉に振り向くことはない。ただひたすらに教会に向けて走る。王室の侍医が処置の準備をしているはず。
「でもごめん、ごめんね。ここまでしてくれて。……ありがとう」
エレシアの下半身を支えていた精霊が手を離した。彼女にもうその意思はない。ラルの体の上で揺れながら言葉を呟く。
「さようなら、フィオナ。あなたに、全てを託し、ます」
それが最期の言葉。エレシアはそっと息を引き取った。
ラルは教会までエレシアを抱え、皆の前で降ろした。
最期を見届けた紅の騎士は敬礼した。ラルに、リリアに、フィオナに。そして最後はエレシアに。敬礼姿勢のまま精霊の身は淡く失われてゆく。同時にエレシアの胸から炎が上がる。割れた神鏡は瞬く間に焼き尽くされ、その役目を終えた。
ラルは倒れたエレシアにそっと祈りを捧げた。教会に居た全ての兵士や国王までも、務めを果たした巫女に敬礼し、祈りを捧げた。
フィオナただ一人が、見下ろすようにエレシアを見つめていた。
その様子を見たラルが、後ろで呟く。
「昔はあんな奴じゃなかったんだ。妙に捻くれちまった。辛かったんだろうが……」
祈りを終えたカイアスとアールがフィオナの元へやってくる。
教会に居た人々も後に続いた。
エレシアに献花を捧げた後は、完全な祝賀ムードだった。
今は雲一つない青空が広がっている。四人は全てが終わったと確信していた。




