39.精霊に託す願い
目覚めると見たことのある場所に居た。辺り一面、青い花で覆われている。
だが、フィオナの中にある景色とは違っていた。
深い森を背にすると見渡す限りの平原で、地面は全て青に染まっていた。
それと脳内に響き渡る歌声。旋律に乗って響く言葉は通じない。まるで別の言語で歌っているようだ。
(まさか、私……)
向こうに人の姿が見える。近づくと威厳ある大人の女性の姿。青いドレスを纏いながらも軽やかに舞っている。
フィオナは思った。あの世へ逝ってしまったのだと。
女性は舞うのをやめ、フィオナに近づいてくる。フィオナはとっさに後ろへ下がるが、その動きは一瞬だった。
女性はフィオナに衝突する。だが女性はフィオナの体をすり抜け去ってゆく。痛みは無いが、何かがおかしい。
フィオナの目に映る世界は加速してゆく。
太陽は目まぐるしく回転し、世界は点滅する。晴れの日、雨の日、雪の日。季節ですら一瞬にして過ぎ去ってゆく。
青き花園は芽生え、茂り栄え、濃い青に染め、枯れてゆく。世界の点滅は途中で止み、景色だけが変わってゆく。しばらくは単調な季節の移り変わりだけが繰り返された。
だが単調な映像は突如、終わりを迎える。見渡す限りの花園に家が湧き上がり、その波はフィオナの方へ向かってくる。いつしか波は高さを増す、純白の波は城へと変わってゆく。形は今まで居たアルフィリア城そのままだ。
まるで街の歴史を見ているようだった。
平和な日々は瞬く間に過ぎてゆく、だが目に映る世界は残酷だった。
世界は急激に失速し、太陽の回転が止まった。
青い光の雨が降りしきる。人々は幻想的な光景に囚われその輝きに手を伸ばす。
「やめて、逃げて」
フィオナは思わず、叫びを上げた。
あの光はさっきと同じ偽りの輝き。やがて光の雨は地上で本性を現し、街を黒で染めてゆく。この花園も例外ではない。花は黒き獣に囚われ、花弁は儚く落ちてゆく。
止まない惨劇の雨の中、フィオナの足元から歌声が響く。
やはり言葉は分からない、けれども次第に暖かくなっていく。体を伝う熱に思わず手を見ると、淡い青の光を放っていた。旋律と共に光は強くなる。そしてフィオナを中心に広がり、目に映る世界は黒を塗りつぶす青に染まった。
……何者かが声を上げている。
「ここが奴の住処だ。見ろよこの花、あいつらと同じ色をしている」
「確かに、ここは被害が少ない」
「自分の根城は傷つけないってか」
ふと内側から響く女性の声が重なる。
「どうか、お止めください。せめてここだけは残して下さい。お願いです。お願いです!」
青の世界が終わってゆく。光が消えたとき、もう辺りは炎の海と化していた。火を放つのは大勢の人々、もう止まることはない。
結局残されたのは、焼け焦げた平原と僅かに残る花たち。
顔を伝う涙の感触。頭の中で少女の泣き声が響き渡った。
再び太陽は回転を速める。城の周囲に高い壁が五重に建てられ。焦土は緑に覆われ、やがて青の花をつける。ここはどこかで見たことのある場所。
その中央に花かごを持った少女が一人現れた。服は破れ、痩せ切った少女は無邪気にも青い花を刈り取り、かごに収めている。
(あれは……私?)
目の前の少女は幼き日のフィオナの姿。
間違いない、これはリリアの記憶。
でも何故そんなものが見える?
疑問がフィオナに湧き上がったとき、太陽の回転は止まった。
今、目の前に青いドレスの少女がいる。
「リリア!」
フィオナはその名を呼びかけると、少女は振り向いた。
「フィオナ!」
二人は駆け寄り体に触れた。幻影などではない。
「今のは何なの?」
フィオナは早速疑問をリリアにぶつける。
「さっきね。私はフィオナの中に居たの。で、一緒になっていたの、頭も体も」
「え?」
そのようなことはあり得るのだろうか。最初に浮かびあがったのは単なる疑いだった。だが、ほんの僅かに考えを巡らせると、ある結論が浮かびあがった。
フィオナは歯を食いしばる。ひどく愚かで情けない間違いを起こしていた。目指すべきは巫女、言葉の意味そのままだった。
四方八方から声が響く。
「「「ようやく気づきましたね。あなたは巫女として精霊の依り代となり、リリアを宿していたのです」」」
聞いたことのある幾重にも重なる声。いったい、誰?
「「「私達はリリアの生み主、願いを託すもの」」」
リリアの生み主、つまり声の主は青い花たち。
「「「禍々しき惨劇をあなたも見たでしょう。今、私達が願うのはあなたと同じ」」」
風がないのに、花が揺らめきはじめる。
「「「僅かな時間を稼ぎましたがもう限界です。精霊の宿る感覚は掴んだでしょう。生み主として願いをあなたに託します……私達より、あなたの、方が……」」」
声は遠のいてゆく。
フィオナは反射的にリリアに手を伸ばす。リリアは近づき手を握る。
体に流れ込む不思議な感覚とともに、青い花園は遠のいていった。
*****
意識が戻るとフィオナは扉の前にいた。リリアが一人でこしらえた青い光は淡く消えつつある。
光に触れた黒い獣は消えてゆくが、いつまで持つか分からない。
リリアの力は分かっている。術に抗い、杖を折る力。
フィオナは記憶の中の光景を思い出す。
(どうか目の前の……違う。今、降り注ぐ全ての獣を消し去って)
フィオナは自らの内に向かって願う。
内より響き渡る歌声、その旋律と言葉は同じ。だが今なら分かる、リリアから遠い彼女らにできる、せめてもの力添えだった。
体の内側から熱を帯びる。青い光が再び大きく濃く広がってゆく。今度は視界が遮られることなく、黒い霧と獣が消え去ってゆく。しかし、消え去る度に響く衝撃にフィオナはうずくまる。
それでも全てを祓うことはできない。広大な花園を持つ当時とは違いリリアは力を失っていた。光の半球は裏庭全体にも及ばない。
光の最高点は過ぎ、徐々に内側へ収束してゆく。このままでは絶望的だ。
「フィオナ、これは精霊使いが使う術よ。多くの奴隷を犠牲にして、喰らうばかり物を生み出し……」
後ろから聞こえる新人防衛官の説明。最初の一文だけで十分だった。
願いをリリアに託す。フィオナの中でリリアは頷いた。
その瞬間、青い光は破れ去った。
フィオナは青ざめる。もう彼女らは守りの光を失ったのだ。
こうなったら、仕方がない。
獣が祓われた扉の方へ走り、城の中へ飛び込んだ。同時にリリアがフィオナから弾かれるように離れた。
「リリア! なんで光を……」
怒りにまかせた言葉は途中で止まった。扉は開けっ放しで外が見える。
フィオナの目には災厄の雨も、黒い霧も、獣も映っていない。
静寂のひと時が流れる。
「すごいよ、フィオナ」
突如、新人が喜びの目でフィオナの手を握った。そしてリリアの手も、彼女も精霊が見えていた。
きっと鏡は割れたはず。もう枠縁も消えただろう。
フィオナも釣られて歓喜に沸いた。その横でリリアは微笑みながら二人を見つめていた。
喜びに沸く少女たちに背後から兵士が近づいてくる。
「賑わっている所、誠に恐縮なのですが……」
兵士の話を聞き、フィオナは少女一人を残して城の奥へと走っていった。




