38.降り注ぐもの
軟禁部屋を出て五日が経った。色とりどりの花が咲く裏庭で、フィオナとリリアは魔道士の少女と対峙していた。彼女の首元には底辺騎士である九等の宝玉がついている。防衛官になりたての新人だ。
フィオナが訓練の協力者をエレシアに求め、付いた人が目の前の少女だ。双方訓練が必要で最適とのことだった。
彼女は怯え震えている。対人で回復以外の魔法を行使するのに慣れていないようだ。どうして防衛官に志願してしまったのだろうとフィオナは思った。
だが今は、それ以上にフィオナが足を引っ張っている。フィオナは今、新人の拘束魔法により動けずにいる。
「だ、大丈夫ですか?」
魔法は解かれ、やっと体が自由になった。
「続けて、今度、こそは」
フィオナは術の後遺症でまだ痺れる体を立て直す。だが息は荒く、言葉も途切れ途切れだ。立ち上がるも体はガクガク震えている。
「ちょっと、もうやめてよ! こっちが見てられないです」
少女は目を背け、離れてゆく。反対に駆け寄ってきたのはリリアだった。
「フィオナ。あの子が言う通り、休憩した方がいいよ」
「じゃあリリア、私はどうすればいいの? 時間が無いのに」
リリアの両肩を掴み、揺さ振る。だが答えはない。
腕が疲れてきた。フィオナの手は肩から離れ、地面に力なく座り込んだ。
「はぁ~」
思わずため息を付くフィオナにリリアは何もできず、ただ遠くから見ていた。
今日も成果無しで終わるのだろうか。時はもう迫っているのに。
フィオナはふと天を見上げた。太陽の光が眩しい。
『鏡無き者への福音』という本によると、精霊の力は太陽の光が降り注ぐように与えられるらしい。
だが、現実は違っていた。……はずだった。
今、空とは違う青い光が天に煌めいている。光の粒は増殖し、ふわりふわりと落ちてゆく。青く輝く粉雪といったところか。近くまで落ちてくると掴み取りたくなるほど幻想的なものだった。
「フィオナ、逃げて」
光と同じ色のドレスを着た精霊がフィオナを引っ張る。
フィオナは立ち上がり、走り出した。他の言葉なら無視していただろう。
同時に青い光の幻想が終わりつつあった。光は輝きを失い、次第に鈍く黒い粒へと変わった。見るからに禍々しき負のエネルギーに満ちている。捕らえられてはならない、逃げ切らないと。
フィオナは必死に足を動かすが、拘束魔法の後遺症がまだわずかに残っている。足がついていかない。
背後から声が聞こえる。新人防衛官の呪文だ。足が軽やかになってゆく。フィオナだけではない、呪文を唱えた少女も速くなってゆく。ただ一人だけ、リリアだけが失速していった。
「リリア、負ぶってあげる」
リリアはフィオナの背中に飛び乗った。少々バランスが崩れたが、相変わらず空気のような体重だ。背負っても苦痛にならない。
城の扉が見える。もしこの黒い粒が雨のようなものなら、城に逃げ込めば大丈夫なはず。
だが、扉との間には噴水がある。直線距離ならたいしたことはないだが、噴水によって大回りしなければならない。その間にも黒い粒は落ちてくる。
突然、フィオナ達の行く先に緑の物体がバラバラと落ちて目を塞ぐ。目を塞ぐ緑の物体を掴み剥がす。これは葉っぱだ。噴水の近くにある巨木に黒い霧が漂う。行く手を阻むかのように葉が落ちてゆく。リリアは背中の上で目を背ける。
葉が落ちた巨木は次々と黒い霧に包まれ、その中に黒い獣のようなものが巣食っていた。
黒い霧に黒い獣。どこかで見た気がする。
三人は噴水を通り過ぎ、最後の直線に入る。黒い粒はもう地上にまで到達している。地面に落ちた黒は炸裂し、黒い霧を抱いた獣を生み出す。飢えた獣は新鮮な獲物を狙っている。もちろん標的は決まっている。
彼らは扉の前に立ちはだかる。魔道士の少女が火球を放つが、獣は当たっても平然としている。
完全に詰んだ。
フィオナ達は禍々しき獣に周囲を取られていた。もはや逃げ道はない。今も天から黒い粒が降りしきる。
絶望的状況の中、フィオナの脳に声が響いた。
「「「フィオナ」」」
「誰?」
ここにいる誰でもない複数人の声。
「「「それは後。今は唱えて。私達と一緒に」」」
紡がれる不思議な言葉。フィオナはその声に習い、詠唱する。
「……青き薔薇の如き加護で以って、災禍を打ち砕かん」
言葉の終わりと共に、青い光がフィオナ達を照らす。
獣は霧を纏い、一斉に飛びかかる。それより早く光がフィオナの視界を青で満たしてゆく。
全てが青と成り果てた世界の中で、フィオナの意識は薄れていった。




