37.巫女への階段
翌朝、日の出と共に宿題の口頭試問が行われた。
フィオナは詠唱の言葉とともに、今まで見てきた精霊使いを思い浮かべる。エレシア王女がヒントを示してくれていた。彼らの犯した過ちは、精霊使いとなり、言葉通り精霊を使ってしまったのだ。
フィオナの回答を聞く、エレシア王女の顔は満足げだった。そして、結果は……。
「合格よ。さすがはギルド・メメントに所属し、鏡破り小隊と行動を共にしていただけのことはあります。自らでその答えが導き出せていれば、教えることは大分少なくなるでしょう。それでも、まだ多いですが」
「ありがとうございます。王女様」
一応、礼をいう。
「フィオナ、エレシアでよい。これから長いのに堅苦しい」
「分かりました、エレシア先生」
「ならば、次の課題を渡しましょう」
タイミングを見計らったかのように。兵士が本の束を抱えて入ってきた。本はテーブルの上に次々と置かれ、兵士はそそくさと去っていった。
エレシアは本の一冊を取り、ページをめくる。どの時代の本なのか疑いたくなるほどボロボロで、触れるだけで落丁しそうだ。
「読んでみなさい。意味は分かりますか」
しばらく読んでフィオナは答える。
「分かります。大丈夫です」
本の中は小難しい表現が立ち並ぶ。簡易文字しか知らない一般庶民を門前払いするような本だったが、幸いにもフィオナはあの堕ちた司祭から文字を習っていた。
「文字を知っているのなら助かりました。ただ、あなたも学院に行っていない分、精霊使いとして、いや巫女としての教養は不足しているはずです。薄々気づいていると思いますが、我々精霊契約者の世界は実力主義です。力が使えることが全てとなります。ですが巫女として力を行使するには、精霊の世界の理を知らなければなりません。武道とは違い知識の制する部分が多いのです」
エレシアは本の束をフィオナの方へ寄せる。
「ですから、当面は本でその知識を身に着けてもらいます。本の内容をヒントにあなた達に何ができるか考えて下さい」
エレシアは、椅子から立ち上がり部屋から去ろうとする。
「もう終わりですか」
「あら、やる気になったのですね。申し訳ないですが、私があなたに施せるのは補助だけです。ずっと横に居る訳にはいかないので。ただ、朝は毎日この部屋に来ますし、質問も受け付けます。分からないことがあれば纏めておきなさい」
エレシアは扉の近くで再び立ち止まる。
「その本を読み終わるまで、原則この部屋にいてもらいます。これも修行の一環です。ここはどうでしたか」
「辛いです!」
この鍵のかかった部屋で小さな隙間から差し出される食事は桁外れに豪華で、ランプなどの備品は魔法がかかっているようで命令すれば自在に動かせた。ギルド・メメントの暮らしと比べれば圧倒的に上で、ラル達とも比べものにならないだろう。その上、生理的なことで困ることはなかった。
だが、一つの部屋に押し込められるのは苦痛だった。理不尽だ、なぜここまでする?
「ならば真剣に学びなさい、早く終われば、ここを出る日が早まります」
そう言い残して、扉を閉め再び鍵を掛けた。フィオナは俯き、ため息をついた。扉の向こうでエレシアもため息をついていた。だがそれは別の意味だった。
部屋に残されたのは本の山。勉学の日々が始まった。
来る日も来る日も本を読む。貴族の教養としての歴史書、巫女としての精霊にまつわる本、何故か魔術書も入っている。だが、どれも実戦から程遠い気がしてならない。
加えて部屋に缶詰にされるのは苦痛極まりない。絶対、体に悪い。それでもフィオナは集中が続く限り本に向かった。薄い本なら一日で何冊も読み終えたが、質疑応答とは名ばかりの口頭試問を前に何度も読み直しを迫られた。
半月が過ぎた。フィオナよりリリアが先に音を上げた。リリアは青き花の精霊、日々陽光を浴びて生きてきた。そんな精霊が窓一つしかない部屋に閉じ込められるのは耐え難い。リリアもフィオナの十分の一ほどノルマが課せられているが、毎日陽に当たるか、部屋中をウロウロ歩きまわるばかり。
それはフィオナも同じ。それでもただ「早く出たい」。その一心で読み続け、最後の一冊を二人で読み終えた。
最後の口頭試問の日。合格なら解放される。読み直しならもう一日缶詰だ。
その結果は……。
「合格よ」
エレシアは微笑みを浮かべて言った。フィオナとリリアは安堵する。
だが、その期待とは裏腹に、エレシアの手元から何かが出てくる。もう見たくない代物が左手に握られていた。
「あなたへのプレゼントです」
差し出されたのは遺跡で発掘されたかのようなボロ本だった。
「今日も一日、部屋で読むのですか」
エレシアは頭を左右に振る。
「いえ、約束通りこの部屋からは解放します。その本は今、読んでみて下さい。最終課題のヒントです」
本のタイトルは『鏡無き者への福音』。
おそらく祈り子に関して、説教じみたことが書かれていそうだ。それよりこのページ数、指三本ほどの厚みがある。ここで読めといわれても無理がある。
仕方なしにページを繰ると、明らかに他とは違う奇妙な本だった。
本の中身は白紙。どのページも白紙ばかり。だが途中の一ページだけ文字が書かれていた。僅か五文だった。
『鏡無き者、万の力を得ること無く、
ただ鏡持つ者に平伏すのみ。
汝に寄り添う精霊の秘めし力に限りて、敵う者無し。
神徳はただ陽光の如く降り注ぎ、
何時しか鏡持つ者を超越す。
見つけよ、そなたらの礎を。
さもなくば……。』
最後の行は破れ、ほぼ消失していた。
「今まで、学んできたことが身についていれば分かるでしょう。課題は『礎』を見つけ、自らの手に収めること。それだけです」
エレシアは部屋を去ろうとする。だが扉の前で一度立ち止まった。
不意に見せた表情は今までに無いほど、疲れ切っていた。我慢していたのだろうか。涙まで出ている。
「もう私は立ち合えません。誰かの協力が必要でしたら申し出て下さい。もう時間がないのです。どうか七日を目標に見つけて下さい。精霊契約から三年を経たあなた達なら、『礎』の片鱗は見えているはずです。一日でも早く巫女への階段を上り切って下さい。さもなくば……」
エレシアは最後の言葉を言わずに走り去った。ガチャリという音はもう無い。
早速、部屋の外へ出ると通路にはもうエレシアの姿はなかった。
ひとまずフィオナとリリアは課題に取り組むことにした。この後何が起きるか、二人はまだ知らない。




