35.戻らない日常
「エレン、いつもの品だよ」
エレンが家の扉を開けて蒼月花の根を手にとる。
「やっぱり、フィオナ姉ちゃんは目利きが違うよ。私がやるとろくなこと無い」
もう、三年以上のお付き合いとなっている。そろそろ「自分でもできる」と言われそうだが、ずっとギルド・メメントへ依頼を出してくれた。
ふとフィオナは気づいた。エレンの視線がフィオナの首元に来ている。
「いや、何でもないよ」
フィオナが察したことに気づいたのか、エレンは慌てて目をそらす。最近はみんな同じように視線が首元に来る。
フィオナの首にはこの区域に不釣り合いな騎士階級の証、黄色の宝玉がついている。表面上では変わらない付き合いを続けているが、目が変わってしまった。
エレンの依頼を終えて、ギルド・メメントに帰ると、レダが表にいた。フィオナを見るなり、駆け寄ってくる。
「ねえちゃん。今日初めて銀貨の依頼をやったよ」
手の平に乗せた銀貨をフィオナに見せ付け、にっこり笑う。
「すごいね、私の稼ぎは大銅貨三枚ほどだから、今日は負けだよ」
レダは得意げにフィオナを見る。
「えへへ、ねえちゃんに勝った。いつか金貨だって稼いでやる」
いつものレダ。今、首元の宝玉をちらっと見た。レダはアステア家の事件からもほとんど変わっていない。そのレダでさえも彼らと同じだった。変わらない会話がまだ幼い彼女の気遣いだと考えたら、胸が痛む。
何かみんなから遠くなってしまった。自分では態度が変わっているつもりは無い。何も変わっていないはずなのに、雲の上の人みたいになっている。遠くなったというよりは壁があるといった方が正しいのだろうか。とにかく違和感がある。
「どうしたの、おねえちゃん」
レダが下から顔を覗かせる。
「ううん、何でもない」
やっぱり、考え過ぎなのだろうか。フィオナは自分の部屋に入り、扉を閉めた。
ここに居る人なら誰しも憧れる高位の宝玉。フィオナも憧れている一人だった。制約なく市街を歩けて、蔑んだ目で見られることがない。ラルが羨ましかった。
でも、騎士の宝玉を手にすると世界が変わってしまった。どこにでも行くことができ、誰にも蔑まれない。でも大事なものを失った気がする。何だろう。宝玉の色が邪魔しているような気がしてしまう。元の身分でいればよかったのだろうか。
一体、ラルはどうしていたのだろう。ラルに聞けば解決するのだろうか。だが彼は遠くにいる。冒険の日々のようにいつも横に居るなんてことはない。また会えないだろうか。
「フィオナは変わってないよ」
フィオナが頭を抱える隙間からリリアが覗きこんできた。
「私から見たら、フィオナはいつものフィオナ、全然変わってない」
「ほんと?」
「ほんとだよ。でも、宝玉の身分が上だからみんな気を使っちゃう。この国で身分は絶対なんだから。でも、みんなは同じように接してくれているでしょ。敬語になったりしてないでしょ」
リリアの言う通り、そこまでは変わっていない。宝玉に視線がいくことが気になるだけ。
「だからフィオナは悪くないの。ただの考え過ぎだって、もっと自信を持って」
「ありがとう」
リリアにそっと触れた。
今日はなんとか眠ることができた。それから宝玉のこと以外は、安穏な日々が続いた。
あれから一月経った日のことだった。花かごを持ってギルドを出たフィオナの前に少女が現れた。
「フィオナねえちゃん、逃げて!」
レダだ。レダが走ってくる。
意味が分からなかったが、反射的にギルド・メメントの中に帰る。
だが、レダの後ろには人影が迫っていた。大柄な人影はまだ小さなレダを軽々しく持ち上げ、取り押さえた。また新たな人影が入ってくる。フィオナは何もできず、ただ部屋に隠れて扉を体で押さえた。リリアも加勢する。
足音が近づいてくる。心臓が高鳴る。
ドンッ、ドンッという衝撃が扉を通じて、背中に響く。
同時に数ヶ所扉へ蹴りが入る。相手は一人ではない。連続する蹴りにボロの木製扉が変形してゆく。フィオナの体も前へ前へと動いていく。鍵のある扉なら良かったのに。
大きな音と共に、扉がフィオナの方へ倒れてくる。扉を支える蝶番が取れてしまったようだ。扉を押さえていた二人は逃げることができず、そのまま扉の下敷きとなった。
扉の隙間に鎧姿の兵士が見える。下敷きになりすぐ動けないフィオナに紙を突き付ける。そこには大きく文字が書かれていた。
『出頭命令書
王城への出頭を命ずる』と。
「さあ立ちなさい」
兵士は外れた扉を、静かに除けてフィオナに手を差し出す。
そのとき、兵士に向かって青い少女が飛びかかった。リリアだ。
「フィオナを連れてかないで」
リリアは兵士の腕をフィオナから引き剥がそうとする。
「邪魔だ」
兵士が乱暴にリリアを投げ飛ばした。
「精霊なら魔法の一つくらい使ってみたらどうかね。能無しだと、相棒も守れませんよ」
再びリリアは飛びかかるが、別の兵士が押さえ込んだ。
フィオナはしぶしぶ立ち上がり兵士についていく。兵士の宝玉を見ると同じ色をしていた。相手は同格、身分うんぬんで逃げることはできない。そもそも王室の出頭命令には逆らえない。リリアも抱きかかえられる。兵士はみな精霊が見えているようだ。彼らの精霊は見えないがおそらく精霊使いに間違いない。
「おねえちゃん」
レダが通路の端から呼んでいる。兵士がレダに向かって睨みを利かせている。その視線のせいか、レダは石になったかのように言葉が止まってしまった。ただ口だけが動いている。行かないで、行かないで……と。
ギルドの外に出ると馬車が控えていた。フィオナは騎士階級であるにもかかわらず、縄で縛られ馬車に入れられた。
「うわっ、いたい」
リリアもフィオナと同じ場所に投げ入れられる。
「言っておくが、当面戻れないことを覚悟するように」
兵士の言葉とともに馬車は走り出す。フィオナは精一杯体を伸ばして、ギルドを見た。窓から見えるギルド・メメントが遠く、小さくなってゆく。フィオナの平穏な日常も遠く、淡く消えていった。




