33.鏡が無くとも
子供たちが寝静まった頃、少年に呼ばれフィオナは王国の箱庭に行った。そこには黒龍とリリアがいた。
「どうしたの、こんな遅くに」
フィオナは前日もあまり寝ていない。眠気がひどく残っている。
「あの時はすまなかった、君に怪我をさせてしまって」
少年は短剣で刺した場所を見ていた。
「もういいよ、あんまり深くなかったから平気」
「そ、そうか」
アールは花園の中に座り、昨日より少し大きくなった月を見ている。
「何か、言いたいことでもあるの?」
「いや、久しぶりに外に出たので、綺麗だなと思っただけで……」
嘘だ。フィオナは見逃してはいなかった。さっきから上を見上げながら、胸のあたりを時々見ている。
「鏡のこと?」
フィオナが問いかけると、アールは無言のまま頷いた。割れた鏡を手に取り、枠縁の裏に刻まれた精霊の名を眺めている。
「僕はずっと、鏡が無ければ生きていけないと思っていた。周りは鏡の力で精霊に願いを叶えてもらって、貴族の座を守っている。でも、僕にはもう鏡が無い」
でも彼は知っている、鏡が無くとも精霊契約者であり続けられることを。その証拠に黒龍はアールのそばにいる。
「鏡が無いし、今回の事件で貴族身分は剥奪されると思う。でも君が生きているのを見て、市民や騎士階級なら十分生きていけると思ったのだ。だから教えて欲しい、授与式からの三年間どのような生活だったか、興味がある」
「人に話せるような生活ではないんだけど……」
フィオナは授与式から起きたことを話した。花売りをしていたときのこと、ギルド・メメントでの暮らしのこと、仕事のこと。良い出来事はもちろん、少しばかり悪い出来事も話した。大半を過ごしたギルド・メメントはいわゆる保護施設で底辺の暮らし。アールは熱心に聞いてくれた。だが正直、絶望しないか心配だった。
「やっぱり祈り子は大変だね。でも、君の話を聞いていて思ったよ、君はリリアがいて救われたのではないかって」
フィオナも同感だった。リリアは鏡が割れていても、ずっと影のようについてきて、ずっと二人でいられた。花園に行けばギルメメのメンバーにも言えないことも話ができた。それに、ピンチのときは助けてくれた。ここで黒龍の精霊が鏡と抗っているときも精霊を助けてくれて、今の私たちがいる。
アールは黒龍の鼻を撫でている。彼も一人ではない、精霊がついている。彼の精霊ガルーは話すことができる黒龍だ。秘密だって痛みだって、たぶん分け合える。
「これから生きていく方法、何となく分かったよ。ありがとう。それにしても……君の精霊も不思議だね。いつもあんなに自由奔放なのかい」
リリアは箱庭の花と戯れている。ずっとそばにいて話を聞いている黒龍のガルーと大違いだ。
「う~ん、確かにいつも自由で何となく幼い。アールさんの精霊とは違って普段はゆるゆるしているというか、頼もしくは感じない」
「僕は力があって頼もしいと思うが。そもそも、君の精霊は僕ら貴族の中で憧れだったのだよ」
「憧れ?」
フィオナはアールの不思議な発言にキョトンとする。
「君は知らないの。人型精霊って高位で珍しいことで有名だ。君の鏡が割れていなくて、元々一定以上の身分だったら、今頃赤い宝玉をつけた二等のお嬢様になっていたかもしれないのだよ」
鏡は割れているし、最初は奴隷身分のフィオナにとって関係の無い話だった。黄色の騎士階級の宝玉になったのもごく最近の話だ。
「私には遠い話でさっぱりです」
「それは僕らも一緒だ。高位の精霊と契約しながら、市民階級の底辺で生きている人なんて遠い人だった。でも僕はずっと気になっていた。だから今日、君に声をかけたんだ。君と話ができて良かったよ。僕にとって、今の君は生きる標だ」
フィオナはその言葉を聞いて恥ずかしかった。大した暮らしもしていない、不安を煽るだけの話しかしていなかったのに。
「僕も祈り子として生きていく。君みたいに献身的にはなれないかもしれないけど、せめて鏡なくとも生きてゆけるようにしたい!」
アールの口調は決意に満ちていた。
「今日はありがとう、僕の話に付き合ってくれて、あの刃を受け止めてくれて。君はきっといい巫女になれるよ」
巫女……?
アールは立ち上がり、戸惑うフィオナに手を差し出す。
「じゃあ戻ろう。ラルさんが明日に発つと言っていた。足元に気を付けて」
彼の振る舞いは間違いなく紳士のものだった。紳士など見たことがないけど、ひしひしと感じる。フィオナはアールの手を握る。その手はほのかに暖かい。アールに連れられ、フィオナは洞窟の王城の中へ帰っていった。
*****
翌朝、ラルが言っていた通り、洞窟の王国を出発することになった。王国の中の物は子供たちに分けられ、アルフィリアの市街に持ち帰ることになった。
だが、王国を目指して作られた城や綺麗な箱庭はそのままだ。人手が入らなくなればいずれ朽ちるだろう。内装まで施された洞窟の王城も、美しく彩られた箱庭も消えてなくなるだろう。
「市街に帰ったら、あの王国をもう一度創ろう。何年かかってもいい、どんな形でもいい、ただ誰にも傷つけずにもう一度創ろう」
ここにいる皆に言い聞かせながら、一行は市街へと帰っていった。




