32.野望の爪痕
「フィオナ、大丈夫か」
ラル達が駆け寄ってくる。
「うん、平気。思ったより刃を防いでくれた」
アールの短剣はフィオナの皮膚に間違いなく到達し、傷を負わせた。だがフィオナの服は力の大半を受け止め、フィオナの傷は浅くて済んだ。もう血は出ていない。ほとんど布地なのに不思議だった。
「さすが、金貨二枚半の装備だ。買っていてよかったな」
「ほんとです」
フィオナは頷いた。
「それで、あの子たちは……」
「あぁ、みんな眠っている。おそらく意識を乗っ取られていた子供全員だろう」
フィオナはギルド・メメントの仲間たちを見る。彼らはラルの言う通り眠っていた。アールいやアドニスの操り糸が切れて、そのまま倒れてしまったのだ。
「息はしているし大丈夫だ。ただ、この陰気くさい場所からは出した方がいいな」
「私もそう思う。せめて玉座の間まで戻った方が、あっちなら明るいし料理が出るなら食糧もあるはず」
「よし、決まった。全員運ぼう。カイアスもよろしく」
「分かったッス」
フィオナ達は隠し部屋から玉座の間まで、子供たちを運ぶ。同い年位の人はラルとカイアスに任せ、フィオナは後輩たちを運ぶ、横でリリアが手伝ってくれた。だが……。
「うわっ、身体が浮いている」
リリアが子供を運んでいるのを見て、カイアスがこちらを指差す。フィオナとラルからは何でもないが、精霊が見えないと、怪奇現象に映ってしまう。
ただ、今はあまり気にしてはいられない。リリアも子供を運び、カイアスも次々と子供を負ぶって運ぶ。
「僕も手伝おうか」
後ろから黒龍が声をかけてくれた。
「それならお願い、手伝って」
フィオナが言葉に甘えてお願いすると、黒龍は動物が自分の子を運ぶように口でくわえて運ぶ。身体が大きく力加減を心配したが、そのくわえ方は優しかった。でももう一つ、心配なところがある。
「んーんっ。通れない」
予想的中。門の大きさは黒龍にとってギリギリだった。精霊の体なら壁をすり抜けられそうだが、黒龍の精霊はどうも無理なようだ。彼は体を屈めて通る。カイアスは平気で通っていったが、フィオナとラルは精霊の体で大半が埋め尽くされた通路を見て、通るのをためらった。
黒龍が玉座の間に着いたとき、フィオナは言った。
「黒龍さんは外をお願い」
結局、黒龍の精霊には外の子供たちの移動をお願いすることになった。
人間三人とリリアと黒龍のおかげで、洞窟中の子供たちを玉座の間に集めた。総勢百名近い。
「よくこれだけ集めてきたもんだ」
「でも、みんな生きてて良かったです」
「よかったッスけど、どうするんスか」
カイアスが疑問を投げかける。目の前には気を失った約百人、このままで良いわけがない。
「たぶん俺がやられたときと同じような術だろう。魔法のことは詳しくないけど、数刻もすれば目が覚める。今は目が覚めた後の準備の時間だ。俺らが通ったときの料理の数を見たか、ここには数日分くらいの食糧を確保しているはずだ」
「飯を作るんスね」
ラルとカイアスは重い鎧を脱ぎ始める。もう戦いは終わっていたのだ。
「飯は俺らで用意する。フィオナはいつものやつを準備してほしい、ここの子は見た目以上に消耗しているはずだ。数日で発つためにはあの薬が必要になると思う。フィオナにしかできないんだ、頼む」
誰にでもできそうなことだけど……。フィオナは胸の内で思う。その表情が不安げに見えたのか、カイアスが言う。
「大丈夫ッスよ。市民階級生まれの俺が、幼少期の残念なセンスを引きずったたいちょーを抑えておくッス」
ラルはカイアスに拳を向ける。だが、それは空振りだった。
「悔しいけど否定できない。カイアス頼むよ」
「分かったッス」
「ラルさんって、料理下手なの」
フィオナはカイアスに近づき、小声で尋ねる。
「本気出すと危険ッス。毒ッス。マジで死ぬッス」
死ぬって……。そこまでひどいのか。
ラルは気づいているのか拳を握りしめる。一方、カイアスは何事もなかったように早々と厨房に向かっていった。ラルは何も言わずカイアスの後をついていく。
フィオナは玉座の間に取り残された。子供たちはまだ目覚める様子はない。フィオナは鞄から薬草を取り出し、厨房ですりつぶした。薬を用意している間、カイアスがずっと腕を振るっていた。ラルはひたすらカイアスの指示に従っているだけだった。
しばらくして戻ると、子供たちの内の一人が起き上がった頃だった。あの子はギルド・メメントでフィオナを師匠として慕っていた少女。アステア家に連れ去られる瞬間を見ていた少女だ。
「レダ」
「フィオナねえちゃん!」
フィオナはふらつくレダを抱きかかえた。レダは涙目でフィオナの体をギュッと掴んでくる。
「ねえちゃんのバカ! 何で行っちゃったの、あいつらギルメメ潰そうと狙っていたんだよ」
「ごめんね、レダ。お姉ちゃん何もできなくて……」
レダの言う通り、彼らはギルド・メメントの全員を消すことで、ギルド・メメントの始末をしようとしていたのかもしれない。でも……。
「おねえちゃん、いいの。今度こそ戻ってくるんでしょ」
レダはフィオナの目を見つめ、問いかける。フィオナの答えは決まっている。
「もちろん戻るよ」
「今度こそ絶対?」
「絶対、約束だよ」
「約束ね。嘘ついたら絶交だよ!」
レダはほっぺたを膨らしながら、涙が残る顔で笑っていた。
「アハハハハッ。泣きべそ残っているよ」
フィオナはその顔を見て笑う。
「すっごく怖かったから、仕方ないでしょ」
レダのほっぺたはさらに膨れ、吹き出しそうなくらいだ。フィオナは彼女の体を抱きしめ、そっと頭を撫でた。
だが、レダとの時間はいい意味で長続きしなかった。他の子が次々と目を覚まし始めた。ラルの予想通り、術のかけられた時間の長い子ほど衰弱は激しかった。フィオナは作った薬を子供たちに飲ませていった。
「苦っ!」
「まず~」
「おぇ~」
子供たちの反応は実績通りの悪評判だった。一回は薬を吹き出す子もいたが、それでも子供たちは我慢して飲んでくれた。フィオナは最初、効果に不安を抱いていたが、横のリリアがずっと微笑み見守ってくれているのを見て安心した。
結局、全員の様子を確認して、薬を飲ませ終わる頃には玉座の間に射す光は暗い橙に変わっていた。
今、子供たちは箱庭の住人のように遊んでいる。人形としてではなく自らの意思で遊んでいる。フィオナは胸をなでおろした。全員生存、後遺症なし、ここに連れてこられたことは不幸だけど、心ある精霊により、生を繋がれた彼らは喜びに満ちていた。
「フィオナ、できたよ」
ラルが走ってきた。
「厨房の横に机があっただろ。あの奥にも部屋があって全員入れるようになってる。食事はそこに並べた」
「みんな、夕飯にしよ~」
フィオナは呼びかける。二人の案内のもと、子供たちは全員自ら歩いて食堂に向かう。
食堂の中には、湯気が立つあぶり鶏やステーキ、サラダ、柔らかいパンが並んでいた。
「こんなにいっぱい、大丈夫なんですか」
「変に置いていても、日持ちしないッスよ。それに、この量を出しても五日はいけるッス。まさに食材の質も含めて、王城並みの備蓄ッス」
子供たちが食事に夢中になっているのを三人で見ていた。リトはサラダを見て後ろ脚を蹴りだし飛びかかろうとしている。それをラルがそっと掴み、呟く。
「お前は食べる必要ないだろ」
「これ、誰が作ったの?」
声を上げたのはギルド・メメントの子供だった。
「は~い。俺、俺」
ラルが手を上げる。
「ラル兄ぃの嘘つき。絶対違うって分かってるよ」
「ラル兄ちゃんの料理はいっつも品数が少なくて、砂糖の量がおかしくて、真っ黒に焦げてて、翌日お腹が痛くなるんだから」
その声を聞いて、ラルはしょんぼりしていた。本当の調理人のカイアスが名乗り出る。
「わぁ、お兄ちゃんが作ったの? フィオナねえちゃんよりおいしいよ」
フィオナもその言葉に項垂れた。カイアスは落ち込んだ二人に目も触れず、子供たちの喝采を浴びていた。
「まぁ、いいんじゃないか。喜んでくれたし」
声をかけてくれたのはラルだ。フィオナの肩を触れる彼の顔は微笑んでいた。
子供たちを見ているととても幸せそうだった。彼らは今、目の覚めた状態で人生初めてというレベルの料理を口にしている。アドニスが償いで作り上げようとした王国はこのような風景だったのだろうか。ならば罪さえ犯さなければ、ここにいる人数以上に幸せにできたのかもしれない。
「子供たちは元気そうだな。準備さえできれば明日にでも発てそうだ」
ラルはそう言って、子供たちに交じり夕食に手をつける。フィオナもラルに続いた。
生贄となった子供たちに交じって、アールも鶏を食べる。縄で縛られたアドニスと従者もラルとカイアスの監視のもと同じ食事をとった。
精霊の思いとアドニスが築いた王国に救われ、全員無事で一日を終えた。野望の爪痕はもう残されていなかった。




