30.黒龍の願い
黒龍の言葉にフィオナ達も黒龍の前に出る。同時に黒龍もその巨体を揺らしながら前へ来る、黒龍の赤い眼はある一点を見つめていた。
「君は三年前の授与式で鏡を割った精霊さんだね、よーく憶えている」
黒龍は小さなリリアの方に顔を下げ、言った。リリアはのけ反っている。
「僕はアールの鏡を割ってあげたい。どうすればいい? 教えて欲しい、お願い」
黒龍の赤い眼の中で松明の光がゆらゆら揺れている。リリアはうつむいている。
「鏡の割り方は私もよくわからない。あのときは鏡に縛られるのが怖くて怖くて、自由でありたい一心で必死に抵抗したら割れたの」
黒龍はリリアを静かに見つめている。
「龍さんはどうして鏡を割りたいの」
黒龍は光に包まれたアールを見つめながら言う。
「光の中にいる子アール・アステアは今、意識を失って操り人形にされている。操っているのはあの子の父親。権力が欲しくて外国の悪い精霊使いを倒すため、自分の精霊より強いからって僕を欲しがった」
「それでアールさんの意識を奪って、操ることであなたを支配しようとしたの」
フィオナは黒龍に問いかける。
「その通りだよ。生贄を連れてきて、アールの鏡を使って僕に無理矢理炎を吐かせた。父親の目的は悪くはないけど、僕は嫌で嫌でたまらなかった」
「だから、鏡を割りたいの?」
再び、フィオナが黒龍に問う。その片手には市場で買ったナイフが握られている。
「そうだよ。アールの鏡から僕が解放されれば、父親が彼を縛る意味はなくなって、意識を取り戻す。僕も彼も操れないなら生贄をとる意味はなくなる。そうすれば、みんな幸せになれるんだ」
鏡さえなければ悪い連鎖は無くなる。黒龍の言っていることは理想的な結末だった、ただ一点を除いては。
「でも、あなたはアールの父親が悪い精霊使いを倒しているって言っていたよね。それは……」
黒龍はフィオナの方に顔を近づける。巨体の迫力にリリアと同じようにのけ反ってしまう。
「彼らは鏡を使うことしか知らないんだ。言ってくれれば助けてあげられるのに。生贄なんて僕はいらない。何でも思い通りというわけにはいかないけど、手伝いくらいならしてあげられる。鏡が無くても、いや鏡が無い方が幸せにする自信があるよ。祈り子さんはみんなそうしてきたんでしょ」
黒龍の赤い眼は割れた神鏡を見つめている。フィオナもケープに隠した鏡を見つめる。黒龍の言う通り、リリアは代価など要求してこなかった。仲間の一人として契約のときから助けてくれた。魔道士を追い払い、槍の通路を抜け、薬草や花のことも教えてもらい、魔物使いから守ってくれた。世界に届く強大な力や派手な魔法はないけれど、リリアがいなかったら少なくとも今の私はいない。
フィオナは精霊使いの精霊がどういったものなのかは知らない。でも、目の前にいる黒龍の精霊は間違いなく祈り子の精霊だった。たとえアールが鏡を失っても精霊契約者としていられる。侮蔑ではなく尊敬されるべき祈り子の一人として。
「この精霊は魔物じゃない。俺らの隊に採用したいくらいだよ」
後ろの方でラルが言う。カイアスはフィオナ達の会話についていけずキョトンとしている。
フィオナはアールの方に近づく。アールの胸には黒龍を縛る神鏡が置かれている。
「それなら、この神鏡を割るよ」
フィオナがアールのいる光の柱の中に入る。
「あぁーっ」
光の柱に半歩ほど足を踏み入れると、中からバネのようなものに弾かれ、フィオナは背中から地面にたたきつけられた。
「フィオナ!」
リリアが近づいてくる。フィオナは咳き込む。胸当てについている背中側のクッションで衝撃は和らいでも、元の衝撃は大きい。
「アールの周りには結界が張ってあるんだよ。だから僕は鏡が割れなかったんだ。人間も弾くなんて知らなかったよ」
黒龍も倒れているフィオナに鼻を近づけてくる。
そのとき、後ろの方で扉が開いた。
「知らない間に来ていたか。王室の差し金が」
扉の向こうには男が一人いた。




