27.三日月の夜話
「今日はここで休もう。ほどよく見通しがいい」
ラルが入った岩の隙間は十分大きく、所々穴があいていた。
「昔、人が住んでいたのかな」
「あぁ、多分そうだと思う」
二人が岩のドームの内側を眺めている間、カイアスが外でたき火を準備していた。
「たいちょー。できたッス」
「ありがとう、カイアス」
三人はたき火を囲い鞄の中の食糧を頬張る。外では食事が質素になる。それでもパンと保存がきく燻製肉を食べることができた。二人は慣れているかもしれないが、フィオナにとっては肉がある時点で高級料理だった。
たき火で焼けた燻製肉を口に運びながらラルが言う。
「リリアはいつになっても理解できないよ。ピンチの時は前に出るくせに、リトを見ると逃げ出すし、たき火を見ても逃げるんだな」 フィオナは振り返る。リリアは口元で両手を握り締め、縮こまり怯えている。
「リリアって、フィオナちゃんの精霊ッスか。俺は見えないんで、どういう精霊か分からないッス。教えて下さい」
「今日のカイアスなら手を出しかねない奴だな」
「ブフッ」
フィオナは思わず吹いてしまった。
「え、どういうことッスか。なんで笑う。まさか女の子?」
「ハハハハハハッ、ご想像にお任せします」
フィオナはそれだけ言った。さすが兵士の直感はすごい。ただカイアスの想像が合っていたなら恐ろしいが。
「何だよ、ケチ。たいちょーの精霊がウサギなのはすぐ分かったのにな。たいちょーって独り言多いし、普段からしょちょー時代からウサギの絵を密かに飾っているし、さっきもラビットなんちゃら~とかフザけたこと言ってたし」
やっぱりカイアスの勘は鋭い。
「独り言は直さないとな。精霊契約者の定めとはいえ、まだ多いか」
ラルは下を向きながら立ち上がる。
「二人とも先に寝ててくれ。火は俺が片付けて見張りをする。ただし、日付が変わって一刻したら起こす。そしたら交代だ、いいか」
「分かったッス。たいちょー」
「あと申し訳ないが今回はフィオナも見張りをしてくれ。カイアスはこの通り精霊が見えていない。勘だけで生きている人だ。女の子だから夜中まるまる寝かせたいけど、カイアスの目になって欲しい、いいか」
「分かりました」
二人は岩のドームに入り、鞄に詰め込んだ毛布を掛け横になった。不慣れな長時間歩行に戦闘も重なり、早い時間にもかかわらず、すぐ眠りに落ちた。
*****
夜闇の中、何者かが肩を揺さぶる。フィオナの目が覚めた。
「フィオナ、すまない、交代の時間だ。暁まで粘ろうとしたけど無理だった」
ラルの声だった。
「おはよう。フィオナちゃん」
「おはようございます」
カイアスは既に起きていた。
「カイアス、今のところ異状はない。ただ少し東にずれたところに足跡を見かけた。東に注意しろ。で絶対に騒ぐな。いいな」
「分かったッス」
「それじゃあ、俺は寝かせてもらう。おやすみ」
ラルは横になると突然意識が切れたように動かなくなった。
「さすがは武人ッス。寝付くのが早い」
カイアスはそう呟いてドームの外に出た。フィオナも外に出るよう促す。
外は三日月と満天の星空。ただ静かに時間だけが過ぎてゆく。
横にはまたリリアが抱き付いている。フィオナを挟んだ反対側にリトが居た。精霊達は眠らないのだ。
中でもリトは特に敏感だ。彼らが起きていることは心強い。
カイアスがたき火をした場所に立っている。たき火はラルによって跡形もなく片付けられていた。
「たいちょーが選んだ場所はいいッスよ。見事に隠れている」
ここは岩場のくぼみだった。巨石に囲まれ火を焚いても反射する光は近くまで見えない。それに突入口も限られている。元来た道とその続きの道。あとは東に分かれた道だった。
カイアスは東の道から見えないように隠れて、フィオナも来るよう促す。
フィオナはしぶしぶカイアスの隣に座った。
「昨日はその……、俺が悪かった。許してくれ」
フィオナが隣に来て、開口一番の言葉だった。
「今さら何を言ってるの」
「いや俺、いろいろ頭回ってなくてさ、嫌な思いさせてしまったなと思って。危うくフィオナをあの世送りにするところだった、すまない」
フィオナはカイアスを見る。月明かりだけでは分からないけど、恐らく本気の顔だった。その証拠にカイアスの言葉から『ッス』が消えている。
「あぁ、許してくれるわけないよな。俺はラル隊長に比べて、何もかもが未熟なんだな。ノリだけ生きてるからこうなる」
「そんなことないですよ」
「え?」
「私は兵士として良い悪いは分かりません。あのときは嫌でしたが。でもカイアスさんに会ってからすっごく楽しいです。貴族が勝手に押し付けた危険な依頼を受けているのに、今は楽しいんです。カイアスさんのノリのおかげです」
「そういわれると、照れちゃうな。あんまし意識はしてないし」
「意識してるじゃないですか。今が素の話し方なんでしょう」
「あ、違うッス。こっちが素なんッス」
「もう遅いです」
アハハハハハ、ハハッ。二人は声を潜めながらも笑ってしまった。
「それにしてもフィオナちゃんは奴隷身分上がりとは思えないッス。優しいし、器量があって、おしとやかで……。その服着てたら、代々続く由緒正しき巫女の家系の子に見えるッス」
「私はそんなつもりでは……、巫女って何者なのかも知りません」
「フィオナちゃんも知らなかったんスか。祈り子なのに」
「どういうことですか?」
「簡単に言うと巫女っていうのは、村や町や国単位で選ばれた精霊使いの代表を指すッス。昔は本物の祈り子として生きる鏡の割れた精霊使いのことを言っていたそうッス。要はフィオナちゃんも巫女候補者だったんスよ。強いて言うならばたいちょーも……」
カイアスの言葉が途切れた。カイアスの手がフィオナの神鏡に触れる。
「他国では名前だけの役職なんスけどね」
カイアスが下を向き、ハァとため息をつく。フィオナは暗いカイアスを見つめる。
「だから俺らみたいな小隊が要るんです。堕ちた精霊使いは、この鏡を使って精霊に人を殺めさせ、搾り取った命を災厄に転化して敵国に振るう。被害の出た国でも同じことをする。この小隊は『鏡破り』って言って、この連鎖を断ち切るのが仕事なんです」
カイアスは手に持った神鏡をフィオナに返す。
「みんなが巫女のような人だったらどんなに素晴らしいか、フィオナちゃんのようにね」
フィオナは頬を赤らめる。カイアスの口からこんな言葉が出るとは思っていなかった。
「カイアスさん。わ、私の鏡が割れていなかったらどうなんですか。今、ここで鏡を割りますか」
「フィオナちゃんが悪い精霊使いならこの剣で鏡を割る。良い精霊使いならそのまま。たぶん今のフィオナちゃんだったら鏡を割ることはないよ」
「そうですか」
二人の会話を精霊達も見守る。リトの動きを見る限り、何も異状はない。
「ふと疑問に思ったのですが、カイアスさんは精霊が見えないのに精霊使い相手の仕事をしているのですか」
「単純に隊長への憧れッス。隊長は直接人を切り殺したことがないんスよ。いつも小手打ちで武器だけを殺してゆく戦法なんッス。兵士としてあり得ないでしょ」
ラルの剣さばきは二回しか見ていない。ただ司祭と戦っていたとき、ラルは小手打ちばかりで武器を潰すことに集中していた気がする。それにさっきの魔物使いも、背中を少し突きはしたものの鏡を割っただけだった。
「普通の兵士は失笑ッスよ。『幼いころの教えを守って人を殺さないって、甘えてるのかって。死にたいのか』って。俺も横で何度も聞かされた。隊長は『堕ちた精霊使いの真似事はしたくない』と一点張りだったんス。それが俺にとってはカッコ良かった、学びたかった。それだけなんス」
ラルは今でもエドラス司祭の影響を受けている。ラルの戦闘哲学は、間違いなく良い人だったエドラス司祭のものだった。
司祭は憎いが、良いことがなかったとは言えない。これが最たる例だ。
「隊長は司祭の事件から人が変わっちゃったんス。俺が防衛官になってすぐのときは閑職が大好きな人だった。でも、あの事件以降、精霊使い討伐に乗り出すようになって、いつの間にか危険な直属隊に昇進したんス。余りの急変ぶりに俺以外は離れてしまった。フィオナちゃんは知らないと思うんスけど」
「確かにそんなに変わった感じは無かったです。出世するまでは頻繁にギルメメに来て遊んでもらいました」
「隊長は気を使って、メンバーの前では何も言わなかったんスね。優しいというか、無理してるというか」
「きっと無理している。私、怖いもん。誰にも傷をつけずに生きるのはカッコいいけど、いつか爆発したりしないかなって」
「フィオナちゃんも大概だよ、ギルメメに所属する時点でね。祈り子っていうのはそういう人種なのかな。俺は精霊契約者じゃないから、精霊がどういうことをしているのかは話だけしか分からない。ただ、二人とも良い精霊と組んでいるに違いない」
カイアスの伸ばした手は、誤ることなくリリアに触れている。突然触られたリリアは呆然と手を見つめていた。
「俺には精霊は見えない。隊長のような些細な魔法も使えない。けれども『鏡破り』になることはできる。だから守るんだ」
カイアスは剣を抜く。
「この剣で。せめて隊長だけでも」
カイアスの剣は三日月の光を受け、弱々しくも輝いていた。
剣は抜いたものの、これから朝まで何事もなかった。
日の出と共に後ろから足音がする。
「おはよう。フィオナ、カイアス」
「おはようござ……。というか、たいちょーウケるッス。なんスかその頭」
兜をしていないラルの髪は寝癖が立っていた。それもウサギの耳のように二本立っている。位置がリトそっくりだ。
「グフェ」
ラルから拳が突き付けられた。
「暴力反対~!」
「言葉遣いが悪いからだ、兵士ならこれくらい耐えろ」
「ハハハッ、ハハ」
フィオナは思わず笑ってしまった。さっきの彼は別人なのだろうか。それとも今、道化になっているだけなのか。
つられて兵士二人も笑う。精霊はいがみ合うことなくフィオナ達を見ている。平和な朝だった。
「それじゃあ食事にしようか。今からなら昼前には森を抜ける」
岩のドームから食事を持ち寄り、見張りの場所で食事を摂った。
そして日の出から半刻後、再び森の奥へと入った。




