26.森の魔物
「例のものは手配できたか」
「手配致しました。ご主人様が手を施せば明日には着くと思われます」
「そうか。ご苦労だった」
従者の答えに声の主は悦に浸っている。
「これで王室の失態を証明できる。私がいかに正しいか見届けるがいい」
「ご主人様の一大事業に貢献できて光栄に思います」
従者は主にそう伝え、任務に戻る。
主は目の前の亡骸を見つめていた。亡骸は光に包まれ守られている。それは主にとって大切なもの。目的を達成するための僅かな犠牲のはずだった。主がそっと触れる、今は反応すらない。
「もうすぐ全て終わる。終わったら解放しよう。そして最高の地位を与えよう」
主は独り言を呟いて光から離れた。その横に本当の望みが叶わず、嘆く者がいたことを彼はまだ知らない。
*****
一行は森の奥へ奥へと進んでいる。ここは街道から外れる獣道だ。足場は良くない。
ラル曰く森の中には魔物がいる。キャンプは避け、最短時間で越えなければならない。フィオナは外に行くことが多い依頼を受けていたため、歩き回ることには慣れている。ただ、行軍に慣れている二人からすれば、市民に毛が生えた程度だった。
「フィオナちゃん、大丈夫ッスか」
「だい、じょうぶで、す」
フィオナは息が上がっていた。
「たいちょー。ちょっと休憩した方がいいッスよ。もう三刻ほど歩きっぱなしじゃないッスか」
ラルは振り返り際に口元に人差し指を据える。
「カイアス、静かにしてくれ。休憩はとるが、この近辺はヤバいんだ。なるだけ早く抜けたい」
ラルがひそひそ声で話す。
「わかりました、たいちょー」
三人は一旦座り込んだ。精霊は疲れないらしくリリアとリトは動き回っていた。いつものようにリリアはリトに噛みつかれている。
「フィオナ、辛いけども水分と軽い食事を摂ったらすぐここを発つ。この辺りは魔物の数が多いんだ、長居はできない」
「あとどれくらい歩くのですか」
「魔物が多い一帯は一刻半で抜ける。ただ森を抜けるのはこのペースでは無理だ。明日になる」
その言葉にフィオナは愕然とした。
「ごめんなさい。足を引っ張ってしまって」
「いいよ、俺の計画ミスだ。一般人の体力をすっかり忘れていたよ」
ラルがフィオナの火照ったふくらはぎを擦る。横でカイアスがラルの姿を恨めしそうに眺めていた。
ラルがフィオナから手を放したと同時にリトがラルに駆け寄ってきた。リトは耳を大きく立て、前の方を見つめている。
「まずい、何か来る」
ラルの言葉に三人は立ち上がる。
前方には大きな黒い獅子。それも近い、三人は獅子の視界に間違いなく入っている。
「カイアス。見えるか」
「ただの森ッス。何にも見えないッス」
黒い獅子は精霊だった。だからカイアスには見えない。
ラルは剣を抜く。
「カイアスをフィオナを守れ。フィオナは獅子の動きをよく見ておけ、ヤバかったらカイアスに伝えろ」
「リト行くぞ。高速走行だ」
ラルはリトの力を受けて目に見えぬ速さで駆け出し、瞬く間に獅子に剣を突き付けた。ただ相手は精霊、剣の一突きではダメージを与えられない。
獅子が反撃に出る。その大きな口を広げ脚を狙ってとびかかる。ラルは避けてもう一突き加える。獅子はびくともしない。
傷つかない精霊にラルはひたすら刃を向ける。そのたびに精霊の牙がかすってゆく。
「たいちょーは何やってるんスか。ときどき空気ばかり切っているように見えるんスよ。頼む、教えてくれ」
「ラル隊長は精霊と戦っているんです」
「状況はどうだ」
「……」
その質問にフィオナは詰まってしまった。今のラルは精霊に剣を突き付けているが、全くダメージがない。このままではラルが先に力尽きる。そんなこと軽いカイアス相手でも言えなかった。
「おやおや、厄介な人たちが来ましたね」
獅子の後ろから声の主が、胸に神鏡を提げた男がやってきた。
「あんたが親玉か、意外と出てくるのが早かったな」
「精霊の食事時間を無駄にしたくないんでね」
男もそうだった。あの司祭と同じ、精霊に人を喰わせて願いを叶える堕ちた精霊使いだった。
「ん? 護衛の横に巫女がいますね、それに人型精霊。素晴らしい。私の国に連れて帰りたい」
獅子の目線がラルではなくフィオナに移る。
「小娘を取ってきなさい。野郎は最悪放っておいていい」
フィオナは武器を持たない。マズい状況、どうする。
フィオナが思いついたのは一か八かの方策だった。
「カイアスさん、私についてきて」
獅子がとびかかるのと同時に、フィオナは駆け出す。
フィオナは木々の生い茂った所に入り込む、カイアスは動揺しながらもついてきている。
獅子の牙はカイアスを幾度と掠る。牙が当たれば命はない。
カイアスの一兵士だけあって、直感で突き付けた刃は獅子の身に当たっている。ダメージは無いが、獅子の動きは明らかに遅くなっていた。
「わわわわわ、こっちへ来ないで下さい」
魔物使いと成り果てた男が獅子を連れた二人を見て逃げる。
「させるか」
逃げた先には剣を持ったラルが立ちはだかる。魔物使いは身動きが取れない。だが口元は不穏な動きをしている。
獅子は大きく息を吸い込み、灼熱の息を吐き出した。
「熱いのやだ。熱いのやぁだ~」
後ろからリリアの悲鳴が聞こえる。リリアは花の精霊、炎は苦手なようだ。走る速度が急に速くなりフィオナを追い越す。いつしかフィオナがとり残され、獅子がフィオナに迫る。獅子の口が開かれる。
だが獅子の動きは止まった。
向こうでリリアが魔物使いに抱き付いていたのだ。
「邪魔だ。どきなさい」
魔物使いは腕を掴まれ、バタバタとリリアを振り回している。胸元が空いている、今ならいける。
「もらった」
フィオナも魔物使いを掴む。これで炎のブレスは使えない。首からぶら下げていた神鏡の紐を引き千切った。
「やめてくれ~」
魔物使いの反応は遅かった。神鏡は投げ捨てられラルの足元に転がり、神鏡の中心に剣が突き付けられる。
「あんたの絆、試すぞ」
その言葉とともに剣は鏡を破った。
鏡は光となって瞬く間に昇華する。
「嫌だ、『祈り子』なんていやだ。あぁーっ」
魔物使いの言葉が響き渡る。その叫びは空しく、重ねて魔物使いに罰が下る。鏡の枠にいつしか火が付いた。獅子のブレスを上回る高温で枠は焼かれ消え去った。後ろにはもう黒い獅子の姿はない。彼は『祈り子』になることすら許されなかった。
男に背に剣が突き付けられる。
「あんたはどこの所属だ。アルフィリアの者ではないだろう」
「それを知ってどうする」
「答えろ、このまま鏡を壊すように刺すぞ」
ラルは激しい剣幕となる。
「あなたの鎧はアルフィリア王家直属騎士のものですね。ならば私は敵です。殺して下さい」
ラルは剣を押し込む。剣の先端から血が滲む。
「あんたは精霊兵だな。人を殺めてさらに敵国に大災害を招こうとする。それだけで十分だ」
「さすがは神鏡の割れた『祈り子』です。精霊使いの役割を何も分かっていない。あなたのご主人様も同じ、大事なことを忘れているのですよ」
フィオナは男の前に立つ、割れた神鏡を持って。
「あぁ、巫女も『祈り子』だったんですね。人型精霊がついているから立派な精霊使いだと思いました。国に持ち帰れなくて正解でしたよ。私を再起できないようにしたあなた達に感謝しないとね……ウッ」
男は隠し持っていた刃を自らに向けた。
「あなた達の国は甘いです。『祈り子』などこの世に生きる価値などないのです。私のように……」
その一言を残し、男は息絶えた。
「行こう、予想外に時間がかかった」
亡骸はそのままにラルは森の奥へと歩き出す。直属小隊にとって戦闘は日常のことだった。
フィオナは拳を握りしめながら思う。男の言葉は引っかかるものが多い。
フィオナは世界のことをよく知らない。でも間違いなく言えることがある。
アルフィリアに精霊使いの手が迫っている。今、この瞬間も。




