24.備えの一日
ラルの寮は兵士用の寮だった。ただラルは一般兵ではない、一応小隊長だ。本来なら四人部屋なのだが、幸いにも執務用の机が付いた一人部屋になっていた。フィオナを泊めるのは良くないそうだが、勅命の依頼書でも見せつければ黙るだろう。
部屋の広さは一般兵の部屋と同じだそうだが、ここにはリリアとリトもいる。狭いギルドの部屋に慣れているとはいえ、若干窮屈に感じた。寮に入ってからは時間も遅く、二人はすぐに寝てしまった。
翌朝、フィオナが目を覚ますと部屋の扉がほんの少し開いていた。横ではラルがまだ寝ている。
誰かが開けたのだろうか。扉の向こうには人の顔がこちらを見ていた。
「ギャー」
フィオナはその顔の気味悪さに思わず叫び声をあげてしまった。その声でラルが起きる。
「フィオナ、大丈夫か?」
扉がキューと音を立てて開く。扉の向こうには若い兵士が一人立っていた。
「たいちょー、やっぱり目覚めちゃたんスね。前からロリコンの気があると思ってたッス」
「これ見ろー。俺はロリコンじゃねぇ。こんな依頼書のせいでアステアの犠牲になった女の子を保護しているだけだ」
「たいちょー。嘘は良くないですよ。三年前からのお付き合いじゃないッスか、フィオナちゃんとは。知ってるッスよ」
「あー二人ともやめて。ラルさんはロリコンではないけど、変にごまかすからこうなるの」
「うっ、うん。分かったよ」
ラルはフィオナに謝った。
「というかこの人誰ですか。何回か見たことはあるんですが」
「こいつは……」
「よっくぞ聞いてくれました、フィオナさん! 私はラル小隊長の戦法と流儀を見習い、直属隊員となった第一部下。カイアスッス。よろしくッス」
「この通りウザイ奴だ。もうスッスとでも呼んでおけばいい」
「ロリコンに言われたくないッス。カイアスです。名前だけはちゃんとしてくださいッス」
特徴的なしゃべり方。しつこいウザさ。でも明朗な人だとフィオナは思った。
「フィオナさん。今度の依頼は僕も行くんスよ。この剣でお守りして見せます」
剣を掲げ、話すカイアスはどこか無理している。この人はどうやら『ッス』を入れないと、話せないのではないかと思うくらいだ。
「まぁ、ふざけずやれよ。カイアス」
「分かったッス」
「そのふざけた言葉遣いも正せよ」
「無理ッス」
ため息をつく小隊長の姿。これにずっと耐えてきたラルは素晴らしい。フィオナはそう思った。
「そろそろ、朝食にするか」
ラルが話を切る。そういえば夕べはまともに食べていない。お腹はペコペコだった。
「フィオナ、依頼書を持っていこう。それを見せて事情を話せば、兵士の食堂でおすそ分けしてもらえるはず」
「分かりました」
「いつから、そんな丁寧な紳士っぷりを発揮するようになったんスか。フィオナさん羨ましいッス」
「うるせぇ、前からだ。君と違ってな」
三人は部屋を後にし、食堂に向かった。
食堂に着くと、すでに食事時のピークは過ぎており、三人を除き数人しかいなかった。
ラルが食堂の人に事情を説明し、フィオナもおすそ分けしてもらうことになった。
「フィオナ、好きなものを頼んでいいよ。第四城壁外と比べるとすごい物が並んでいるけど、大した金額にならない」
食堂にはギルメメでは見ることのない品々が並んでいる。
目玉焼きに鳥のあぶり焼き、色とりどりのみずみずしい野菜たち。パンも種類が豊富でスープ付。多すぎて悩んでしまう。
「ピーク前ならもっとあるッスよ。今はだいぶ少ない方ッス」
フィオナは目玉焼きとベーコン、パン三種類を手に取り会計を済ませた。中銅貨二枚。今のフィオナなら払えるが、質素な生活を送っていたフィオナにとってあんまり安くはなかった。
ここの人たちはいったいいくらお給金があるのだろう。フィオナは驚きを隠せなかった。
フィオナが先に席につき待っていると、二人が大量の料理を持って来た。
「やっぱり、女の子ッスね。量がかわいらしい」
「私そんなに食べられないです」
「兵士だと、どうしても量が多くなるんだよ。『腹が減っては戦はできぬ』ってやつだ」
二人は朝から揃って鳥のあぶり焼きを頬張る。香ばしい香りが漂い、滴り落ちるほどの肉汁が出ている。フィオナの目玉焼きもただ焼いただけではなく、香辛料で味付けされていた。こんなもの一市民では手に入らない。
ここは別世界。市民階級より上の騎士達の日常はやはり煌びやかだった。
「後で市場に行こう。この件が終わるまで、俺とカイアスは通常任務から外れることになる。暇だし一日中案内できるよ。それにあの依頼内容だと、今のフィオナの恰好じゃまずい。それなりの装備をしてもらうよ」
「小隊長って何を選ぶのか楽しみッス。ウサギ好きだからバニーガール装備にしちゃうのかも」
「うるせぇ、そんなのに俺は興味ない!」
「ハハハハハ、私は嫌だけど、ラルさんが着たら面白いです」
「だから俺にそんな趣味はない!」
にぎやかで騒がしい二人。二人の前ではほんのちょっぴり辛いことも忘れることができそうだ。
食事が終わると、三人は寮を出た。
市場は第四城壁外とは大違いだった。商人といえる人々が十分住めそうな建物で店を営んでいる。
最低限の日用品だけではなく。香辛料や分厚い書籍、絵画に楽器、何に使うのか分からない不思議な物まで、数多くの品々が店いっぱいに並んでいる。買いに来れるのは騎士階級や貴族階級の人々、あとはほんの一握りの最上級の市民だけだった。
みな恰幅が良く、この市場ではフィオナは明らかに下賤の者だと見える。宝玉の色を除いては。
ラルがある店で立ち止まる。
「こんな店行きたくないんだが」
目線の先は防具屋。店先にあるものは兵士用の防具ばかりだった。
「まいど、おっちゃん」
ラルの言葉に店主が来た。
「あぁ、小手しか能のない剣士オンリー底辺小隊長ラル様じゃないですか。ご冥福をお祈りします」
「俺は死んでねぇぞ。人を幽霊扱いしないでくれ」
ラルは合掌する店主の手をはたく。
「いやいや。危険な直属隊で剣士だけの小隊って、すぐ死ぬイメージしかないんでな。生きてたか、すまんすまん」
店主は頭をポリポリ掻いている。
「で、今日の用件は何ですか」
「この子の装備を整えたい。俺らより軽いやつで」
「まさか新兵ですか。女の子が兵士になるなんて世も末ぞ……」
「おっちゃん早とちりし過ぎ。この子は兵士志願じゃない、護衛対象みたいなものだ。途中で市街から出ないといけないから」
護衛対象みたいなって……。フィオナは勝手に展開されている話に内心右往左往している。
「それなら、軽いものでも大丈夫か。今の服ではこの区域にいるのも辛い」
店主はフィオナの宝玉の色を覗き込む。嫌な予感がする。
「へっ?」
フィオナは思わず声をあげる。
「まぁ、いいか。そこで待ってなさい」
三人は店の隅で待つことになった。
しばらくすると、店主が戻ってくる。手には分厚そうな生地の服と鋼板が見える。ただ一つを除いてはまともだ。
「店主さん、それは何ですか。白い長いやつ」
「ああ、これ? 頭用の防具でございます。この飾りはクッション代わりにもなる、ラル様お好みの代物です」
「おっちゃんまで? いい加減にしてくれ。フィオナをバニーガールにする気はない。誰だ、俺にこんな趣味ないぞ」
背後で肩をヒクヒクさせて笑う人がいる。間違いない。
「カイアス。お前か」
「グフェ」
ラルの拳がカイアスの左頬にヒットする。
「これこれ、部下を簡単に殴るでない」
ペチンとフィオナもビンタをかます。
「あんたもかい。ラル様の教育が悪いのですよ」
「うるせぇ」
「はぁ、ずいぶんと暴力的になりましたこと。お嬢ちゃん、これなら大丈夫だろう」
店主が見せたのは、純白のブラウスと青のスカート、白銀の胸当てに青いケープと羽根付き帽子、ブーツまで入っている。
「おっちゃん。まぁこっちの方がいいけど……戦場には禁忌だな。真っ青で一般市民でも着ない」
ラルのコメントに触れず、店主が尋ねる。
「お嬢ちゃんは青はお嫌いかな」
フィオナは、店主に見えていないであろうリリアを見る。
「私は青は好きな方です。外に行くには向いて無い気はしますが」
「ならいいじゃないですか。これで決まり。うちの他の防具はご存じでしょう」
あたりを見回すといかにも重そうな全身ほぼ金属の防具ばかりが並んでいる。これ以外なら横に除けているウサギ耳しかなさそうだ。ウサギ耳と比べればマシだとフィオナは思った。ラルは不満げだが……。
「子供一人の重い装備よりはマシだ。女の子らしいし」
ラルが言うと、店主は急に真剣な目つきになる。
「残念ながら高価となりますよ。元はある巫女向けに作られたものです。素材以上の力が出るよう、丹精込めて作られた服ですが、色に気を悪くされ残った代物です」
「巫女かぁ、いくら?」
「在庫処分サービス価格で大銀二十五枚。いかがでしょうか」
金貨換算で二枚半、高価だ。ただ手元にあるのは金貨五十枚。恐ろしいことに払えてしまう。
「どうする、フィオナが決めてくれ。俺の直感では悪くはない」
フィオナは服に触れる。見た目以上にしっかりしていて不思議な感触がする。一枚布のはずなのに弾力性があった。胸当てもただの金属ではない、木の板のような軽さだ。帽子も軽くて柔らかいのに外から押さえると板のように固くなった。
「やっぱり。お嬢ちゃん不思議な感触でしょう」
「普通の服ではない気がします」
「そうです。この服は強化を施されております。ただメリットを得るには精霊使いである必要があります。精霊使いなら契約精霊に応じて防御性能が上がりますが、普通の人が着れば胸当て以外ただの服です」
神鏡は隠しているはず、バレちゃったのか。フィオナは胸のあたりを見る。ちゃんと隠れているのに。
「直感です。この服が一番合っていると感じました」
店主はにこやかに答えた。
結局フィオナは金貨を出した。服は店の中で着替えた。
着替え終わると、ラルが言った。
「似合ってるよ、巫女候補生」
横には肩を動かして笑うカイアスがいる。
「たいちょー。男ならおごりましょうよ。俺より金持ってるッスよね」
「今回は別。自分のものは自分で買ってもらう」
「あー冷た。俺ならおごるッスよ」
カイアスがそう言う間にラルはそそくさと外に出る。
「さっさと行くぞ、他にも買う物はたくさんある」
店主が見送る中、市場の渦へと戻って行く。
この後も市場で短剣や食料をかき集め、にぎやかな雰囲気の中、今日一日を終えた。一日で装備や食料が揃う、さすがは最上級の市場だった。
買い物の後、全員で寮に戻る。フィオナの旅立ちの時は迫っていた。




