18.傾く天秤
フィオナが表に出ると、兵士姿の少年が話しかけている。
「またおっきいの作ったね。何日かかった?」
「こんなの一日かからないよ」
少女は答える。少女は大きなクマのぬいぐるみを抱いていた。
「お裁縫で稼げるようになったか」
「ちょっとだけ。見たい?」
「見せてくれるか」
少女の手のひらには中銅貨二枚があった。
「そんなに稼げたのか」
兵士は驚く。
「そのうちラル兄ちゃんなんか抜いてやるー」
「頑張れよ。追っ付けないほど稼いでやる」
少女がこちらへ戻ってくると、フィオナとラル署長の目があった。
「フィオナ。元気か?」
「元気にやってます。というかラル署長、最近よく来てるでしょ。司祭の何倍も」
「ははは……、ちょっと気になって」
ラル署長は兵士装備のくせに防具をポリポリ掻いている。
「いや、用件はある。フィオナ、これを見ろ」
依頼書だった。内容は……。
「え~!」
フィオナは思わず大声を上げてしまった。
「フィオナが用意した薬で少し治まったらしい。定期的に同じ薬を用意してほしいそうだ。依頼金は月に大銅貨二枚。受けるだろ」
「もちろんです」
喜びに満ちた目でフィオナは快諾した。
「良かったな。この依頼書で第四城壁を自由に行き来できるようになる。また遊びに来いよ。暇なら話ができるから」
「こんなに来てくれたらもういいです」
「そっか」
ラル署長は少し寂しそうだった。
「フィオナ、それともう一つ。同じような依頼だ。エレンのところから噂が流れたのだろう」
依頼書を見ると、『エレンの家と同じ薬を下さい』という内容だった。依頼金はエレンさんの所よりも良かった。
「いつから、薬草師になった」
「ラル署長、私はまだまだです」
「謙遜するなって、十分だよ」
フィオナは薬草師になったとはいえない。あのときはただ、リリアの力を借りただけだった。
「それと今日、司祭は来てる?」
「いえ来てないです。教会で王室関係の儀式があって五日は帰れないと聞いています」
「そうか、ありがとう。依頼頑張れよ、応援する!」
ラル署長はギルド・メメントの中へ入っていった。フィオナは依頼書を手に取り、依頼元へ向かった。
*****
青の花園で蒼月花を収穫した後、エレンの家を訪れた。
横のリリアは抜かれた蒼月花を悲しげに見ている。
「あら!来てくれたのね」
エレンの母親の表情は明るくなっていた。
「エレン、フィオナさんが来てくれたよ」
部屋にはベッドの上に座っているエレンの姿があった。まだ猫背でふらふらしている。
「今ね、座る練習してるの。ずっと寝てたから、まだあんまり座ってられない……」
エレンは後ろに倒れ、再び寝てしまった。それでも起き上がろうとする。
「いいよ、私がいるからって気にしないで」
「うんん、早く歩けるようになりたいんだ。お姉ちゃんとの約束守るために」
ありったけのお花畑を見せる約束。それもエレンの支えの一つだった。
「ありがとう。お姉ちゃん」
結局起き上がれず、手を伸ばす。フィオナはその手を握り締めた。そして手を背中に回す。彼女の体はまだ熱を帯びていた。
「もう一回起き上がる?」
エレンはうんと頷いた。
フィオナは背中を支えながら、そっと体を起こす。エレンも全身の力を使って起き上がり、座る姿勢になった。でも、フィオナが手を放すと、再び横になってしまう。
「ケホッ、ケホッ」
背中を打ってしまったようだ。
「今日はやめようか。また、明日頑張ろう」
フィオナはエレンの部屋から出た。そして台所で薬の用意をした。
「やっぱり、薬草って不思議なものね」
フィオナが根をすりつぶす横で、エレンの母親は蒼月花を手に取って見ている。その蒼い花も見逃してはいなかった。
「まさか花が青色だなんて思いもしなかった」
青のイメージの悪さはここでも健在だった。最初に青い花を持っていかなくて正解だった。
フィオナは今日の分の薬を用意すると、残りをエレンの母親に託す。
「ごめんなさい。今日は他にもあるので。また持ってきます」
「レクロさんの所ね。あの人の所は長く困っているから。よろしくね」
母親はフィオナが見えなくなるまで見送ってくれた。その顔は笑みでいっぱいだった。
*****
もう一件の依頼人、レクロさんはおじいさんだった。話を聞く限り優しいおじいさんのはずだった。
「貴様あれを出せ」
扉を開けるなり言われた言葉がこれだった。フィオナは慌てて、蒼月花を差し出す。
「待っててくだ……」
「それじゃない。貴様ら持っとるだろ。首から円盤ぶら下げて。こっちは貴様の噂を聞いているのだ」
フィオナは普段隠している神鏡をシャツの下から出した。割れた方を表にして。
「よっしゃ。来い!」
「え?」
フィオナは戸惑う。
「ほら、来いよ」
おじいさんはフィオナの腕を引き家に入る。強引に引く力は見た目をゆうに超えていた。
家の中にはまだ三十ほどの男がいた。ただ……。
「貴様には何が見える。言ってみろ」
フィオナが見た男の姿、これを言っても信じてもらえるか。
男に近づくと、リリアが腰に抱き付いてきた。
「フィオナ、あれにあんまり触っちゃダメだよ」
「リリア、男の周りのものはいったい何なの?」
「あれは精霊。元は私達と同じ、でも今は変わっちゃった」
「あれが……?」
ささやき声でリリアから情報をもらうと、フィオナは見た光景を伝える。
「レクロさん。黒い煙のようなものが付いていて、中で黒い獣が動いています。何かあったんですか」
こんなこと言っても信じてもらえない。レクロさんには精霊は見えないはずだ。
「そうか、ギルド・メメントは安くて親切。底辺庶民の味方だ」
おじいさんの口調が変わった。
「これはわしの倅だ。見て見ろ、来たときからずっと動いとらんだろ。動くのは腹が減って飯を食う時くらい、そのときもなーんにも話さない。あれは薬で治ったりするのか」
「……」
横でリリアが首を横に振る。
「あれは呪いだよ。病気じゃない」
「リリア、何とかできる?」
リリアは再び首を横に振った。
「レクロさん、あれは病気ではありません。今日持ってきた薬では申し訳ないですが、どうにもなりません」
レクロは椅子に腰かけ落胆している。
「予想はしていた。わしは倅の件で、薬草師を何度も何人も試した。その全員が何もできなかった。それで一度だけ他の息子に支援してもらって、精霊使いを頼んだんだ。あのとき彼にはおそらく何か見えていた。でも結局何も言わず逃げるように帰ったんだ」
「それで、病気ではないと思ったのですか」
「いや、倅が倒れたのは奴隷居住区だったんだが、そこで噂をきいてね。その円盤に似た鏡を持った奴が鏡を掲げ、光を放ったのと同時に倅が倒れたと聞いている」
「原因はその精霊使いだと」
「わしはそう思う」
精霊使いはなぜレクロさんの息子に呪いをかけたのだろうか。
「わしの素人意見だが、噂によると精霊使いの術は強大だが犠牲を伴うらしい。奴がどんな術を使ったのか知らないが、奴は世の中の天秤を自分に傾けるために、わしの倅を犠牲にした」
レクロさんはため息をつく。
「何か知っているか。鏡の枠を持っているなら、わしより詳しいだろ」
「私には分かりません。そんな術使ったことないですし」
フィオナは割れた鏡を見せる。
「出来損ないの『祈り子』ですから」
「『祈り子』の方が信用できる。わしは周りがどう思っているか想像はつく。ただ、わしからすれば精霊使いなんて力に溺れたクズに過ぎない。世の中の悪は精霊使いが作ったと思っている」
フィオナには精霊使いは分からない。ただレクロさんが精霊使い全員を悪と見なしているのは、フィオナにとって悲しかった。
「今日はすまなかったな、持ってきた薬を無駄にして、来た瞬間に怒鳴り散らして。ああ脅さないと対応してくれないと思ったんだ。本当にすまなかった」
レクロさんは依頼書にサインした。フィオナからすれば全く依頼を達成していない。
「今日は原因が分かれば、それでいい。対処法が分かったらまた来てくれ」
フィオナの様子を見て、レクロさんはそう言ってくれた。
フィオナの予想以上にレクロさんは満足げだった。
その姿を見てフィオナはギルド・メメントに戻り、今日を終えた。
*****
夜が更けたある一室に兵士三人が会話をしている。
そんな中、兵士が一人帰ってきた。兵士は普段では考えられないほど落ち込んだ様子だった。
「何かあったんスか?」
若い兵士が聞く。言葉遣いに注意する者はいない。
暗い表情をした兵士はあるものを出した。そして淡々と説明した。
それが彼にとってどんなに大切なものだったか、三人は知っていた。
「潰す。本丸は俺がやる」
「ほ、本気ですか」
「あぁ」
ベテラン兵士が心配そうに見つめる。暗い表情だった兵士は怒りに燃え盛り、拳は強く握り締められていた。




