17.祈り子の心得
ギルド・メメントでの生活は宿には及ばないもののフィオナにとって十分過ぎるものだった。
学ぶことがたくさんあり、目まぐるしいけど毎日が新鮮だった。ギルドからの指示で軽い作業をすることはあっても、今は必要なことを学ぶときだからと、花売りに出ることはなかった。
ここへ来て一月が経ったころ、フィオナはエドラス司祭に呼び止められた。
「やぁ、毎日元気にやっているか」
「はい、文字とか薬草の勉強とかしています」
エドラス司祭は毎日ギルド・メメントに居るわけではなかった。ギルド・メメントの設立者だが、普段は契約の儀式が行われた教会にいて、ここを陰で支えている立場の人だった。だから司祭は訪れると、ここで生活している祈り子達全員に今の状況を聞きまわるのだという。
「そうか、ちょっと来なさい」
フィオナは司祭に連れられ、初日に入った司祭の部屋に入った。部屋に入ると椅子を用意され、そこに座った。
「君にも少しずつ仕事をしてもらおうかなと思ってね。今、こういう依頼が来ているんだ」
フィオナは紙を渡された。紙にはこう書かれている。
『娘の最期を飾ってほしい』
「どうやら依頼をくれた人の娘さんは病気で動けないそうだ。ずっと外に出れない位にね。その娘さんは花が大好きだそうで、治療を何もしてやれない代わりに、せめて最期は大好きなものに囲まれて逝かせてあげたいそうだ。君にぴったりの依頼だと思うが」
司祭の言葉をフィオナは緊張した面持ちで聞いていた。
「私にできるか分かりませんが、やってみます」
「できることをしてあげなさい。良いことなら何でもしなさい」
「わかりました」
「依頼主は第四城壁の外だ。門を通るときはこの依頼書を見せなさい。一往復しかできないから、事が済むまでは帰って来れない。それだけは注意するように」
「わかりました」
「では、行きなさい」
フィオナは一旦自分の部屋に戻った。そして、元々持っていたランプと今まで稼いだお金だけを持って出た。
ギルド・メメントは祈り子のギルドであり、『祈り子』のギルドでもある。できる限りのことはやるが、能力は十分でない。
依頼者は恐らく、お金が尽きてしまったのだろう。病気を治す回復魔法には手が届かないとしても、通常なら薬草師に治療を依頼するはずだ。フィオナは薬草については学んでいるが、薬草師としては程遠い。ド素人だ。
第四城壁の外の最底辺市民なら貧しいことに違いない。病気を抱えた娘を看病し続けることすら難しかっただろう。
ギルド・メメントは報酬が低くても仕事を受ける、こぼれにこぼれ落ちた人々の依頼を受ける最後の場所だった。
フィオナは第四城壁を目の前にして悩んでいた。
どんな花を用意しよう。
たまたま門前にあった花屋を見ると、大輪の赤紅華が並んでいる。高貴で万人受けする色。赤いバラに並びプレゼントにはもってこいだろう。
だが今のフィオナに赤紅華を用意することはできない。この近辺では赤紅華はあまり生えていない、店に並んでいるのは栽培したものがほとんどだろう。フィオナには赤紅華を買うことのできるお金は一切与えられていない。
だから自ら採ってくるしかない。でも……本当にそれでいいのだろうか。
*****
結局、フィオナはいつもの場所に来てしまった。
花売りとして、レパートリーの少なさに愕然ともしている。
ここの花の色はみな青。不幸、不吉、あらゆる負の象徴。その意味から青は、宝玉の色にも下賤の象徴として表れている。
青い花は本当はどれも美しいはず。十分なはず。望めど手に入らない珍しい組み合わせだとも聞いている。
だが他の人は違う。ましてや渡しに行くのは病気に苦しんでいる人。これを渡せば『お前は死ね』というメッセージに取られるかもしれない。
「ん?」
考え事をしているときフィオナは見つけた。
「リリア、この花は」
リリアはフィオナが指さす花に触れる。
「蒼月花だよ。夜になると蒼い月のように光るの」
「これって使えるの」
「体が強くなるの。今とまっている蜂さんも大きいでしょ。人間さんに使うと分からないけど、毒じゃないよ」
「リリア、これ採っていい」
リリアは頷いた。
「いいよ」
その言葉を聞いたフィオナは蜂のいない蒼月花を根こそぎ引き抜いた。リリアいわく、使えるのは根らしい。どれだけ使えばいいのか分からないが、見かけよりも大きな根で一本採れば十分だった。
フィオナはその場で根を切り落とす。その残りは空色の可愛らしい花。これはどうしようか。
「もういい?」
リリアは目を手で塞いでいた。仕方ないとはいえ、フィオナの行為はリリアにとっては惨殺に見えるのだろうか。
「もう終わった。行こう、あまりモタモタできないの」
二人はトンネルに入り、最外城壁の中に入っていった。
*****
「エレンさん。ギルド・メメントです」
扉が開き、エレンの母親と思われる女性が出てきた。
「まぁ、綺麗な花ね……。さぁ入って……」
無理をしている。そうフィオナは思った。言葉は優しいけど、実際は棒読み。気が病みきっている。
「エレン。お客さんがきたよ」
扉の向こうには衰弱しきってやせ細った体の少女がいた。目が虚ろで天井だけを見ている。歩くこともできないだろう。
「エレンさん、初めまして。あなたのために持ってきました」
フィオナは持っていた精一杯の花束をエレンの視界に入るように差し出す。
エレンは震える手を伸ばし掴んでくれた。ただ、その手は熱を帯びている。フィオナが花束から手を放すと、花束は手をすり抜け床に落ちてしまった。
「ごめん。ちゃんと置けば良かったね」
フィオナはあわてて床の花束を拾う。
「真っ赤できれいなお花……。お姉ちゃん、ありがとう。でもね……ケホンケホン」
何かを言おうとしてエレンは咳き込む。
「でもね、見たかったのは、生きてて大きくなって、変わってゆく本物のお花」
「本物のお花?」
「地面に生えて、季節に合わせて、変わってゆくお花。切り花は枯れちゃうだけだもん」
フィオナはうつむいた。
失敗した。考えていなかった。ならどうする。
「すみません。台所を貸してもらえませんか」
エレンの母にお願いした。事情を説明すると台所を貸してもらえた。
リリアに教えてもらい、フィオナはひたすら蒼月花の根をすりつぶした。
効果は分からないとリリアが言っていた。フィオナはもっと分からない。毒ではないから悪くはならないだろう。でも全く意味をなさないかもしれない。
フィオナは頭に思考があふれる中、毒味をする。
「まっず」
予想の斜め下をいく味だった。エレンが我慢できるだろうか。
蒼月花をすりつぶし終わるとエレンの元に戻る。そこでは母親がエレンの熱い額を拭いていた。その顔はやはり疲れ切っている。
「エレン、お姉ちゃんが薬を用意してくれたよ」
フィオナはすりつぶした蒼月花を差し出す。
「苦いかもしれない」
フィオナは予防線を張った。エレンは震える手で蒼月花を口につける。
「おぇっ。げほっ、げほっ」
覚悟していた通りの結果だった。
「エレン、ちゃんと飲みなさい。エレンの体調が良くなるように薬を用意してくれたんだよ」
エレンは再び蒼月花を口につけ、咳き込む。また口につけ、咳き込む。そうやって少しずつ飲んでゆく。
フィオナはそれを不安げにただ見守っていた。
この薬は効果がなく気休めにしかならないかもしれない。依頼のエレンの望みは十分に叶えてはいない。
フィオナは薬草師ではない。ただの『祈り子』だ。エレンの望みを最大限に叶えるため、フィオナができる最善策をとった。それだけに過ぎないものだった。
「悪いね。薬まで用意してもらって。赤字じゃないのかい」
エレンの母親は依頼書にサインし、後金である中銅貨五枚を受け取った。
エレンに聞こえないよう、ささやき声でフィオナは言う。
「いえ、私はまだ薬草師ではないんで。知っていた薬草を採ってきてだけなんです。私も試したので毒ではないのですが、効果は分かりません」
「いいんです。あたしが最初にお金をケチったからこうなったんです。最初に薬草師を頼んでいればここまでならなかったかも……」
母親の顔には涙が伝っている。
「もうお金があまりないんです。もう娘を助けてあげられない。それでギルド・メメントに頼みました。せめて最期にエレンの好きな花でいっぱいにって。お願い聞いてくれるところなんて他にないから……」
フィオナはどうすることもできない。ただ……。
「あきらめないでください。エレンさんはまだ必死に戦ってくれている。良くなろうって必死に。今日出した薬はとってもまずいです。私も飲みました。それでも耐えて耐えて飲みきったんです。あそこまで負けん気があれば希望はあります。だからあきらめないでください!」
母親の膝が折れた。
「やっぱり、あなたは立派な祈り子ね。最大限を尽くして最善を祈る。あたしも見習わないと」
フィオナに涙に輝く瞳を見せて、母親は誓った。
フィオナは最後にエレンの部屋に戻った。
「いつか一緒に本物のお花畑を見に行こう」
「約束だよ?」
エレンがフィオナに問いかける。
「うん、約束だよ」
フィオナはエレンと別れた。
家を出るとき、エレンの母親に呼び止められた。
「最後に名前を聞かせて」
「フィオナです」
「フィオナ、憶えておくね。いつかまたお願いするかもしれない」
フィオナは家を出た。リリアもついてきているが、エレンの家族は誰一人見えていなかった。
家を出てフィオナは悩んだ。効くか分からない薬ですごく期待を抱かせてしまった。でも、ああ言わないと二人とも不安になり、余計に状態を悪くしたかもしれない。
うつむくフィオナに向かってリリアは言う。
「もう悩むことはないよ。やることやったんだもん。結果がどうなるか分からないけど。いいことを祈るだけ」
「リリアの言う通りだね」
二番煎じどころでは済まない台詞だとフィオナは感じた。だが今はいい。
祈り子は誰にでもなれるけど、誰にでもなれるわけではない。祈り子は過酷だから。
この言葉は祈り子として生きてゆくための心得であり、憶えておくべき救いの言葉でもあった。




