16.ギルド・メメント
ギルド・メメント。『憶えていてね』を冠したギルド名はギルド内の戒めであり、ギルド外への戒めであるという。
ラル署長は「見たらわかる」とあまり多くを話さなかった。ただ、「何かあったら俺に言えよ」と繰り返し言っていた。
今、フィオナは第四城壁の中にいる。宝玉は許可書により三等上がり、青緑の十四等となった。これで城壁内を堂々と歩ける。
だがフィオナにはリリアがずっと抱きついている。その様はまるで行く手を阻むかのようだ。
リリアの視線の先にはラル署長の精霊リトがいた。リトはリリアに向かって威嚇している。リトの見た目はただのウサギなのに、リリアを前にすると凶暴化している。ただリリアのひどい怯えもどうかと、フィオナは思っていた。
この光景を他の精霊使いが見たらどう思うのだろうか。
「ここがギルド・メメントだ」
ラル署長が指さすギルド・メメントは第四城壁内の他の建物に劣る見た目で、奴隷居住区並みのハリボテ感が漂う。
「外はこんなのだが、中はまともだ。なつかしいな」
フィオナは尋ねる。
「ラル署長は……」
「あぁ、俺はここの出だ。今の仕事に就くまでの二年間、ここでお世話になった。案内する」
ラル署長の導きで、フィオナは中に入る。
「ラル兄ちゃん。おかえり」
女の子が出てきた。何か隠してる。
「あぁただいま。お裁縫できるようになった?」
「じゃーん、クマのぬいぐるみ」
「おめめぱっちりでかわいいじゃん」
「ほんと? じゃあいっぱい作る!」
女の子は隠していたクマのぬいぐるみを持って部屋へ戻っていった。
「まずトップの所へ行こうか」
ラル署長は一番奥の扉へ進み、部屋に入った。フィオナもラルに続いて入った。
フィオナを見たことのある人が出迎えてくれた。
「あのときの君か。今年の儀式で神鏡を割った」
フィオナは頷いた。
「元気で良かった。あのときは何も言わなかったけど、生活は厳しかったでしょう」
そう言って、エドラス司祭はフィオナの肩にそっと触れた。
「もし、ここに来て約束を果たしてくれるなら、生活は保障する。建屋を見たら分かるように最低限の水準だが」
「どんな約束ですか」
「さっそく本題か……。フィオナ、祈り子って言葉を知っているか?」
「聞いたことはあります。意味は……」
司祭もラル署長も言っていた。
「祈り子には二つの意味がある。一つは精霊契約をしたが授与式で神鏡を割って、精霊使いになれなかった者を指す。神鏡を失うと精霊に祈り願っても、奇跡も魔法も起こらない。神鏡を割った『無能な者』への侮蔑の言葉だ。」
フィオナは司祭をじっと見つめる。
「もう一つは世の中が良くなるように願って、自らになせることを行い、最後に願いが成就するよう祈りを捧げる者を指している」
司祭は俯いた後、フィオナを目を見て語る。
「本当の意味は後者だった。それがいつしか前者の意味ができて、広まってしまった」
司祭は割れたフィオナの神鏡に触れる。
「ここでは、みんな本当の意味の祈り子を目指して生活している。この割れた神鏡は関係ない。誰でもなれるのに、誰もならない祈り子にね」
フィオナはラルの方に寄る。
「ラル署長……ここは何ていうんだろう、変わった修行とかする場所ですか。教会より異様な感じがします」
「変なのは俺も同感。ただ言っておくが路上よりはずっといい。それにここでやっているのは修行ではない、勉強だよ。自分ができることでどう周りを、世界を良くしていくかという勉強をね」
向こうでエドラス司祭が微笑む。
「まぁ、私は変わり者だからな、訝しく見られても仕方ない。それに一気に色々言ったって分からないのは当然だ。ゆっくり馴染んでゆけばいい。ただ、何点か質問させてくれないか」
「大丈夫です」
「君は花売りをやっていたんだね」
「そうです」
「これからもずっと?」
「食べていけるなら。私ができることはそれくらいですから」
司祭はまた微笑む。
「それだけで十分、できることをやればいい。君が立派な祈り子になるよう私達も精一杯支える、お金はあまり出せないがね」
そして司祭からめいいっぱい続けて構わないとフィオナは言われた。
「もう一点はこの問題を解けるか」
司祭から紙とペンが渡された。紙を見ると計算問題だった。
フィオナは計算の答えを書いていく。途中までは簡単だったが、途中から桁数が多くなり、しまいには全く分からなくなった。
詰まったところで司祭に紙を取り上げられた。
「君は確か奴隷身分だったよね。小さいころからお釣りの計算とかしてたからか、ここまで加減乗除の問題を素早く解けるのは珍しい。数字は読めているし、すでに中級市民水準の計算力はある。後ろの問題は気にしなくていい。貴族でも君の年なら知らないことだから」
半分以下しか解けず、すっかりだめだと思っていたフィオナは落ち込むどころか、司祭に褒められ目をキラキラさせていた。
「最後の質問だ。一旦外に出よう」
司祭がまず扉を開け、フィオナが後を追う。
「いたーい、痛い痛い」
扉を開けた瞬間に見たのはとんでもない光景だった。
リトがリリアの指を鋭い歯でかんでいる。
「リト、いい加減にしろ!」
ラル署長が叫ぶ、ギルド・メメント前で遊んでいた子供たちがこちらを見る。恐らく彼らにリリアとリトは見えていない。
署長は空を掻くように、リトをリリアから引き離した。リリアはすぐさまフィオナの体に抱きつき、リトを警戒している。
「リトの様子を見ているとリリアはおいしい食べ物に見えているように思うが」
「え?」
フィオナとラル署長が声を上げる。
「フィオナさんは花売りだったね。フィオナの精霊は植物の精霊じゃないかな」
「確かにそうです。リリアが言っていました」
「あぁそれなら、単純にウサギが草を食べるように、本能的にリリアを噛んでいるんだ。とりあえず、距離を置くしかない。多分、リトの方は治らないだろうからね」
「以後、気を付けるよ」
ラル署長はリリアに向かって謝った。
「フィオナ、これを見てごらん」
ちょうどリリアとリトが揉めていた場所に碑が置いてあった。
「ここに書いてあることを読んでみて」
司祭はフィオナに問う。
「私、この文章は分かりません。最初の大きい文字が『憶えていて下さい』ということしか分からないです。あとは……細切れです」
「なるほど、だいぶ良くできる方だよ。言葉には簡単な市民向け表現と、小難しい騎士・貴族向けのものがあってね、この文章はほとんど騎士・貴族側の言葉で書かれている。彼らは低階級の人が教養に欠けるのをいいことにして、自分達が書く文書はわざと難しい表現にするんだよ」
「普通の言葉でも困らないのに」
「市民生活ならね。残念ながら世の中の多くの文書が小難しい側で書かれている。読めないと重大で自分のためになる情報が手に入らないんだ」
フィオナは司祭を見つめる。
「フィオナ、もしここに来るのなら言葉も勉強させてあげる。貴族の学院ほどではないが、今よりはずっといいはずだ。来るか?」
フィオナは花売りで稼いだお金が減る一方だということに焦りを感じていた。銀貨三枚半は聞いている限り、ラル署長が支援してくれたもの。自分で稼げたお金じゃない。今、断ったら……。
「時々、親元へ帰ることはできますか」
「うーん、制度上難しい。君の許可証は就労目的となっている。だから頻繁に第四城壁を越えることはできない。まぁ、一切帰ってはいけないということではないから、希望すれば機会は用意する」
言われて当然だった。ここか、奴隷居住区かの二択。フィオナの答えは決まった。
「ここに居させて下さい。よろしくお願いします」
「そうか、分かった。なるだけのことはする。その手始めにこの碑の意味を教えよう。君がここで、祈り子となるなら必要なことだ」
「お願いします」
エドラス司祭は碑の意味を細かく説明してくれた。
『憶えていなさい
あなたの周りを良くすることは、
誰にでもできて、誰にもできないのです。
それは事が成るように動かないからです。
あなたのできることをしなさい。
良いことなら手段は問いません。
成すべきことを成す力は、
陽光のようにあなたに降り注いでいます』
完全に同じではないけれど、最近どこかで聞いた言葉。
「これを肝に銘じて過ごしなさい。そうすれば君も君の周りもきっとよくなるから」
「はい」
フィオナは頷いた。
ラル署長は知らない間に帰っていた。
フィオナのギルド・メメントでの暮らしが今日から始まった。




