10.月夜の冒険
魔道士が去った青の花園は黄昏を迎えようとしていた。
「フィオナ、大丈夫?」
「私は平気、痺れは残っているけどもう歩ける」
「ぐすん」
「リリア?」
リリアは涙を流していた。光の粒が顔を伝っている。
「フィオナ、守れなくてごめん」
「え、何を言ってるの? リリアは十分守ってくれた。魔道士を打ち負かしたんだよ」
「でも、いっぱい苦しむことになっちゃった。私が意地を張ったから」
フィオナはリリアの両手を掴み、握った。
「私は言ったでしょ。自分ができる方法でいい。手段は問わないって」
リリアは頷く。
「リリアは完璧に約束を守ってくれたよ。あんな輩の言うことは気にしないで。それにね……、私についてきてくれてありがとう」
「うわぁーん」
リリアはフィオナに泣きながら抱きついた。何かを秘めているものの、弱く幼い不思議な精霊。フィオナはリリアのことをそう感じた。
フィオナもリリアを抱きしめた。
辺りは暗くなり、星も見え始めた。
*****
「そろそろ出よう。市街へ行かなくちゃ」
リリアが泣き止んだのを見計らって、フィオナは歩きはじめる。
司祭の話では身分を示す宝玉は、今日儀式のあった教会で渡されることになっている。そのためには明日朝には市街に居る必要がある。
この花園と奴隷居住区をつなぐ道は知っている。ただ奴隷居住区からは市街に入れない。宝玉を持たないフィオナは城門で行き止まりとなる。
今度はトンネルの石蓋を開ける。ここを降りて柵のある道を通れば市街のどこかにたどり着く。
ただトンネルの中は暗闇。ランプの火はなく、降りる気にはなれない。
手元にあるのは魔道士の折れた杖だけ。杖は人の手では折れないほどの太い木製だった。火があれば六個の欠片を持ってトンネルを通ることができる。
ただフィオナは魔道士ではない。道具なしに火は起こせず、今はその道具もない。
「リリア、火をつける方法ってある」
「ないよ」
即答だった。
ならもう賭けに出るしかない。フィオナは城壁に向かって歩いた。何か抜け道があるかもしれない。
いざというときのために杖の欠片は拝借した。
結果が分からないフィオナの冒険に、リリアは何も言わずついてきた。
トンネルとは違い外は月明かりが照らしてくれる。おまけに今日は雲一つない満月だ。夜に慣れているわけではないが、十分な明かりだった。
城壁までは離れておらず、すぐに着いた。問題はここから。
城壁は敵の侵入から城を守るもの。そう目立つ入口はない。おまけに見張りがいる。
見張りから逃れる意味では満月は不利だ。
フィオナは何事もなかったように歩く。ただ城壁の縁に沿って歩くのは明らかに不自然だ。
しばらく歩くと橋にぶつかる。上は恐らく城門だろう。橋の幅は広く、人五人が横に手を広げた位ある。
たぶん来客用だろう。全員を最外城壁から歩かせ、階段を上らせているわけではないのだ。
橋の上は高く、到底よじ登ることはできない。そんなことをすればすぐに見張りに捕まるのが目に見えている。
フィオナは橋を通過した。
橋を過ぎると、遠くに城壁のくぼみが見える。今まではくぼみなんて無かった。
何かあるかもしれない。フィオナはくぼみに向かって歩く。
城壁のくぼみは、石二個分ほどあった。ここだけ城壁が薄いのかもしれない。
見張りは少ないが、扉などなく、進入路ではなさそうだ。
「ねぇ、フィオナ突いてみて、くぼみの下側から六番目、左から四番目の石」
何の変哲もないただの石。周りと大差はない。
ただ、リリアの言葉に従い、フィオナは拝借した杖の欠片で石を突いた。
何も起きない。
「次に下側から五番目、右から二番目」
言われた場所を突く。何も起きない。
「次は下から九番目、左から八番目だけど……」
フィオナはその石を見る。折れた杖では届きそうにない。こうなれば、やることは決まっている。
「リリア、届く?」
「もうちょっと」
フィオナはリリアをおんぶしていた。ほんの少し高さを稼げるが、リリアは腕が短くギリギリだ。
「棒切れ探してこようか」
折れた杖で格闘するリリアを見て、フィオナは言う。
「もう少し、壁に当たらないように前へ行って」
フィオナは前へ詰める。ちょっと揺れたら壁に当たってアウトだ。
そのときだった。
「届いた」
リリアの声と共に、フィオナの右手にある壁が消え去る。
このくぼみは秘密の入口だった。
進入経路は見つかったが、本題はこれから。割合目立つことをしたのにかかわらず、見張りはこない。
ひとまず、二人は開いた城壁に入る。中にはご丁寧にも松明が灯っていた。罠かもしれない。
二人が入ると入口は閉ざされた。
「行こう」
フィオナが前に出る。
ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。
フィオナを挟み込むように両側から槍が飛び出した。槍の先は天井に突き当たっている。
槍の向こう側へ出ると、背後で槍の先が降りてきた。先は尖り、松明の火に輝いている。当たれば間違いなく串刺しだ。
フィオナは動かず、通路の先をながめる。
通路は二、三歩先で右に折れている。ただ、その右に折れる直前に何かある。
「リリア、床の黒い点を避けて私のところに来て」
リリアは黒い点を避けながら、フィオナの所に近づく。
「やっぱり」
フィオナの口から思わず言葉が漏れた。予想的中、リリアは槍を出すことなくフィオナの所まで来た。
「次の右折れの松明の前も黒い点が五つある。あそこは踏まないように、行こう」
まずフィオナが恐る恐る、曲がり角に向かう。
松明の前に槍の出口と思われる点が五か所。その黒い点を一個一個すり抜け前へ進む。通路は狭いが、配置的に十分人が通れた。
フィオナは黒い点五つを何事もなく通過した。
次はリリアの番。フィオナが通った経路に沿って進む。体が小さいから余裕だ。五つの黒い点をスルスル通り抜け、右折れの場所についた。ただその先は問題が山積みだ。
右折れの先にはまず光が無かった。松明がないわけではない、不自然なほどの闇だった。
それに闇に入るまでに一対、騎士像がある。あの槍のことを考えると怪しい。闇の中にも薄ら一対見えていて、多分もう何対か闇の中にあると思われる。
これならあのトンネルの方がマシだったと、フィオナは内心後悔した。
「ねぇ、フィオナ。暗いの苦手?」
「うーん確かに、得意ではない」
正直な感想だった。
「じゃあ、今度は私に任せて」
フィオナは腰付近に腕を回す。
「私に乗ってということ?」
「うん」
すっかり、体格が逆転した『おんぶ』が完成した。
「リリア、大丈夫」
「う~ん。何とか」
何とか立ってはいるものの若干不安定だ。フィオナは心配そうな顔でリリアを見つめる。
するとリリアが口を開く。
「わが名をもって、フィオナに青き守りを授けたまえ!」
特に変化はない。
「何それ」
「おまじない」
「どんな?」
「守られた気になるおまじない」
実際の効果はなさそうだった。
「じゃあ、行くよ」
リリアがフィオナを背負って歩きはじめる。若干ふらついているが転ぶようなことはなさそうだ。
まず、第一の関門と思われる騎士像。リリアは普通にその前を通った。これは何もなくクリアー。
騎士像を過ぎると、闇の中へ入る。視界は急激に無くなった。間違いなく『作られた』闇。
リリアは歩き続け、第二の騎士像前も恐らくクリアーした。
ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。
さっきと同じ音。串刺しにしようとする槍が上がって天井を突く音。
「リリア、気を……」
フィオナの声が止まった。
リリアが走り始めた。クネクネと向きを変えるだけでなく、さっきより大きく左右に振れる。
ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。……。
二人の横や背後で槍が上がってゆく。
フィオナの額には冷や汗が流れ始める。
「あー!」
フィオナは思わず叫んでしまった。槍の一本が服を掠めた。槍は袖の一部を切り裂き天井を突く。
それでもリリアは走りを止めない。
ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。……。
恐らく黒い点の大半を踏んでいるんじゃないか。フィオナの中に疑いが生まれる。
そのときフィオナの目に、再び松明の光が見え始めた。もうすぐ、闇が晴れる……。
「わわわわわっ」
フィオナの体が大きく揺れる。右側の槍が上がるのに気をとられ、リリアがバランスを崩したのだった。
闇が晴れると、体は徐々に傾いていった。
そして闇の外でフィオナは倒れた。
ガチャン、ガラガラガラ、ガンッ。
倒れた二人の前方で槍が上がった。槍は前に垂れたフィオナの髪を薙ぎ払いながら天井を突いた。
「死ぬかと思った」
フィオナはため息をついた。
後ろでリリアが倒れていたが無事だった。今の所、何とかなっている。
フィオナはリリアに何も言わなかった。
前を見ると、左折れの道がある。城壁の厚みからその先は恐らく出口だ。ただ、左折れの前には騎士像が二人に向かって立っている。
「あれは気をつけた方がいい」
フィオナはそう言って、さっき串刺しにされそうだった槍を避け、騎士像の前に来た。リリアもついて来る。
そのとき、騎士像は声を上げた。
「汝、証を見せよ」
「リリア、なんじ、って何?」
フィオナがきく。
「さぁ、とりあえず証を見せればいいのだろうけど」
「証って」
「たぶん、そんなのないよ」
騎士像は二人の声を聞いてか、立ち上がる。
「ヤバい」
二人は急いで左に曲がる、その後を像が追って来る。
二人が駆け込んだ左折れの先は壁だった。
「こんなときに……。リリアわかる?」
「ちょっと待って」
騎士像が剣を抜いて迫ってくる。二人のいる袋小路は騎士像の体で塞がった。
「下から五番目の左から三番目」
「リリア、自分で突いて」
フィオナは折れた杖の一本をリリアに投げ渡す。
杖を受け取ったリリアは壁を突きはじめた。たぶん、入口と同じ仕掛けだ。嫌な感じがする。
フィオナは騎士像の足元を見た。
像は思いっきり黒い点を踏みつけている。それなのに槍は出ていない。
槍は騎士像には反応しないようになっている。そうでなければ、フィオナよりも大きな騎士像は通路を通るだけで串刺しになってしまう。
それなら……。
「リリア、もらうよ」
フィオナはリリアが持っていた折れた杖を奪う。
そして賭けに出る。奪った杖を騎士像の下の黒い点に向かって投げつけた。
ガチャン、ガラガッガガッ、キュー、ガンッ!
槍はそのまま騎士像を貫き、天井に当たった。
騎士像の胴は壊れ、掲げられた剣が手から離れ落ちてきた。
もう騎士像は動かない。
「やったぁ!」
二人は思わず叫んでしまった。もう、あとの問題は壁だけだ。
フィオナは騎士像が落とした剣を持つ。折れた杖とは違い鋼の剣はとても重たい。
「……次は、下から九番目、右から七番目」
剣は長く、一人で届かなかった石も突けるようになった。
「今度は、下から十番目、左から二番目」
フィオナは背伸びをして、石を突いた。すると壁は消え、外が見えた。
フィオナは護身用に剣を持ち、二人で全力疾走した。
出口の向こうは市街だった。月明かりに照らされた教会の鐘も見える。
「待て」
フィオナが外へ出た瞬間、待ち受けていた手に腕を掴まれた。
振り返ると兵士の姿。出口には見張りがいた。




