9.外道の儀式
「ご主人様!」
「何だ?」
「魔道士がしくじりました。少女は見つかったそうですが、契約書換えができなかったとのことです」
従者は淡々と結果を伝える。
「何をぬかす、やり直しを命じろ!」
アールの父の顔は怒りに満ちていた。
「畏れ多くもご主人様、報告によると魔道士の杖は全て折れたそうです。力も尽き果て、当面魔法の行使はできません」
怒りの表情は苦虫を噛み潰したような顔へと変わった。杖が折れた魔道士は少なくとも一か月、力を発揮できない。
「もう時間がありません。すぐにでも儀式の実施を、司祭の手配は済んでいます」
従者はことの進展があまりにも遅いとみて、金貨五十枚の契約を勝手に行っていたのだ。しかし今、この結果が功を奏しようとしている。
アールの父は異様なくらいに人型の精霊に執着していた。契約が成功すれば、今以上の身分が約束されるから。従者も分かっている。今の従者の報告を聞いて、より渇望が強まってしまったのに間違いはない。魔道士三人の杖を一斉に折り飛ばす程の精霊。息子アールにふさわしきこと限りない、素晴らしい精霊。それが手からすり抜けてゆく。悔しいに違いない。
「儀式を執り行う」
アールの父の答えは決まった。
「御意」
従者は儀式の準備の開始を伝えに走る。
「待て」
アールの父は従者を呼び止める。
「準備が終わったら、兵士と魔道士共には相応の処分を行え。あと娘の処遇も、隠密にな」
「御意」
*****
儀式の準備は数分で終わった。従者は契約書換えが失敗したときの対応策として、すでに儀式を用意していた。従者が追加でしたことは待機中の司祭に祭壇へ上がってもらうことだけだった。
全員列席で、司祭は祭壇へ上がる。祭壇へ上がるとアール、そしてアールの父を見る。
「今から行うのは二度目の『契約の儀式』、外道の儀式です。儀式前にもう一度確認します。あなたは儀式のいかなる結果も受け止める覚悟はありますね?」
「もちろんです」
アールの父が答える。
「あなたに聞いているのではありません。アールさん本人の意思です」
司祭は跪くアールに近づく。
「あなたの正直な気持ちを答えてください」
アールの父は拳を握りしめる。儀式を受け止めてくればかりと。
「僕は、結果を受け止めます」
それがアールの答えだった。
「そうですか。では儀式を執り行います」
背後から魔道士の呪文が開始される。魔道士はわずか一名、声は朝の儀式に遠く及ばない。司祭は呪文の一巡を確認すると、詠唱を始めた。
朝の儀式と同じようにアールの目は勝手に閉じ、再び松明の火が消される。
二回目だといえ、契約の儀式に特別の手順など無い。司祭からは同じ詠唱が紡がれる。
アステア家の長男アールにとって、貴族の身分を確約する最後のチャンス。彼には一族のプライドだけなく、評価もかかっている。
外道に頼ってまでも精霊契約に失敗したとなったら、周囲から嘲笑を浴びるだけでは済まない。貴族からの脱落者が出たことで目をつけられる。それに儀式や魔法を構築する技量を失ったとみられ武勲の評価は落ち、何かにつけて外道に堕ちたことが尾を引く。最後は一族総員が身分降格となる。領地も収入も減る。
冷静に跪き祈りの姿勢をとるアールに対し、親の方が落ち着かない様子だった。
「……畏れ多くも契りの証として再びの日の出と共にその御姿を現し給え」
司祭の最後の詠唱とともに、暗幕が剥がされる。教会にはわずかに日の光が射し込む。
ただし、それは黄昏に向かいゆく陽光。
精霊契約には詠唱の最後の文言のように、儀式の終わりに日の光を浴びる必要がある。夜明けという言葉は方便に過ぎない。祭壇で正式な準備をすれば日の出は模すだけでいい。
だが黄昏前の光では十分とはいえない。儀式の結果は良くない可能性が高い。
司祭の言葉とともにアールは目を開いた。目を開いた直後ではまだ結果は分からない。
誰もが固唾を飲んで結果を見守る。自らの身分がかかるアール自身、それに家の格を落とすまいとする一族全員も。
日の光は射さなくなり、松明が祭壇を照らす。祭壇の貸し出し期限はとうに過ぎている。誰も入っていないことは従者がうまく処理したに違いない。
だが時間がないことに変わらない。一刻も早く、契約を完成させる必要がある。
「おおぉーっ、始まった」
アールの父の声、焦る一族の気持ちが叶うときがやってきた。辺りからもどよめきの声が響く。
ここは奴隷や底辺市民の教会とは違い、一族全員が精霊契約をしている。アールの前に漂う精霊の靄を一族が見つめている。
貴族の子息として育てられ、凛とした顔つきのアールも表情がほころんでゆく。
白色の靄は大人以上に大きくなる。徐々に白から灰色、灰色から黒へと染まってゆく。訝しげな顔に変わる一族もいたが、アールは黒になった大きな塊を見つめる。
靄はやがて角が生え、翼が生え、大きな尻尾が生えた。少なくとも人型ではない。
「あれは龍だ。龍型の精霊様だよ」
誰かが言っていた通り、黒い靄は最終的に黒龍へと形を変えた。
黒龍の精霊はアールの元に大きな鼻を近づける。アールは怯えることなく黒龍の鼻を両手で触れた。
「契約成功だ。総員片付け! アールの仲間入りを祝おう」
落ち着かず重苦しい雰囲気を漂わせていた一族は一転、歓迎祝祭ムードへと変わった。
精霊の格として龍型は人型に並ぶは最高位の一角だ。黒龍はその中では格下にはなるが、階級三等か悪くて四等で貴族の身分は十分維持できる。大柄で威厳があり、他の精霊に劣らぬ力を秘めていることだろう。
アールの父は肩を撫で下ろし、息子アールに近づく。
「わっ」
黒龍が鼻を突きだしてきた。顔スレスレで鼻は当たらなかった。
手を出すと黒龍は怒る素振りを見せた。黒龍は契約直後で人に慣れていない。威嚇のつもりだろう。
アールの母がやってきて、父を静止した。
「もう、あの子も十歳よ。親がどうこうする齢ではない。それに今は精霊と意思を通わせることが重要だわ」
父は母の言葉を受け止めた。
「アール、よくやった」
アールの父は語りかけた。アールは黒龍に触れながら父へ微笑み返す。
「ご主人様。教会を出る準備が整いました。馬車の手配も済んでいます。教会からは半刻で出るよう指示を受けております」
「連絡ありがとう」
アールの父の声音と言葉遣いも元に戻る。
「アール。教会を出て家に帰ったら、また精霊と触れ合いなさい。今はひとまず帰りましょう」
アールは精霊を連れて教会を出る。アステア家一同の列の中は喜びで満ちていた。ただ、列の中にはまだ訝しげな表情の者がいたことを大半は知らなかった。




