6話
翌日、一体どんな悪戯をされているのだろうかと、少し楽しみにしながら目を覚ますと、いつもよりもなぜか視線が低く感じられた。そしてなぜかそこは優香の部屋。
普段よりも身軽に感じる体を動かしながら、異常な違和感に例の小人さんたちは脳内で慌てふためいていて、そのほかに感じるべき疑問点を全てスルーしてしまっている。
「学校、行かなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟いた声にも違和感が一つ生まれた。普段の自分の声に比べてずっと綺麗で、高い音、風邪でも引いたか?
何事もなく部屋の扉を開く、優香の部屋から唯一繋がっている部屋は俺の部屋ただ一つである。したがって、扉の先に広がっていたのは俺の部屋だった。
「うむ」
やはり違和感。
慌てて出て行ったのが分かる荒れ具合で、ベッドの上に脱ぎ捨てられた洋服と、いくつかのプリントが散らばっている。足元にも何かを探そうとしたのだろう、昨日俺が眠りに付いたときよりも明らかに物が散らかっている。
そう、昨日俺は自分のベッドの上で眠りに付いたはずだ。
「ほう」
ねっとりとした嫌な予感が、違和感となって俺の背後をつけて回っている気持ちの悪い感覚をしかと感じながら、俺はその違和感の正体をつかめ切れずにいた。いや、なんとなく分かってはいるのかもしれない。しかし、その正体は、何者かによって意図的に俺の自意識の目に付かない場所へと隠されてしまっている。
自室をでて階段を下りる、それだけの事だというのに俺は三度もこけそうになった。やっぱり、この体は何かが違う。体の動かし方にどうも違和感が付いて回る。特に前かがみになったときなんて重力が全力で俺を殺しにきているとしか思えないくらいに地面に引っ張られる。今までそんな風になったことが無いというのに。具体的に言うと胸の辺りに違和感が……。
違和感の正体を探るため、俺は洗面台へと一直線に進んでいく。なぜ、洗面台に進んでいったかと言えば、完全に勘である。あえて言えば、脳みその中に潜む小人が俺にそうするように指示を出してきたからだ。
洗面台に到着するや否や俺はすぐに鏡を覗き込んだ。嘗め回すように、視線で穴を開けてやるくらいのつもりで、そこに映る顔を注視した。
「ふーん、なるほどね」
優香になっていた。
「――はぁぁぁぁ?!」
分けが分からない。何これ、何なのこれ、どうした何があった夢か? 夢なのか? いやいやいや、おかしいだろ。
俺は混乱する頭で、一旦自分(優香)の顔面に平手打ちを食らわせる。
「いってぇな!」
現実か、なるほど。なるほどなるほど。
俺の脳内では既に次々と犯人の顔がスライドショーとして流れ出している。ニート、芋虫、幻覚、そして優香。
優香、認めてやろう、お前は神様だ。人の嫌がることをして喜ぶ最低な神様だ。なるほど、よく分かった。やっぱり神なんて者は所詮使い物にならないドS野郎だ。
一瞬にして頭に血の上るサプライズを受けてから、すぐに俺は時計を確認した。十時二十五分。今から学校に行ってももうどうしようもない。そして優香が見当たらないということは、アイツは学校にでも行ったのだろうか? だとしたら、明日俺はアイツの分の尻拭いをさせられる。
「今日はいいや、ゆっくりしよう」
一瞬にして熱せられた俺の頭は、すぐさま冷却されてしまう。
一度休んでしまおうと決めてみると、平日の昼間、無人の家というのは自分の家じゃないみないな不思議な静けさと、緊張感に包まれていた。
廊下を歩くときの音でさえしっかりと聞こえ、コップに飲み物を注ぐ、それだけの行為でも嫌に大きな音に聞こえてしまう。
不意に俺は寂しいな、と感じてしまった。
少し前なら家族の誰かが家にはいたし、今だって本当なら優香がいるはずだ。しかし、今だけは俺一人。慣れない体、慣れない静けさ、その二つが相まって寂しさを演出しているのだろうか? まったくもって神というのは迷惑なことばかりしてくれる。
それからというものごろごろと暇を持て余しながら休みを謳歌した。
一体いつ以来か分からないずる休み。一度休むと立ち直れないようなきがして、そんな恐怖に背中を押され通っていた学校だが、いざこうして休んでみると意外とたいした事はない。所詮ただの休みだ。
それ以外の何物でもない。
少し寂しさはあっても、少しの辛さもない。ずっとずっと楽な休みである。
「ニートも悪くないのかな……」
ニートが本職のこの体の持ち主は、そこら辺のことについてどう考えているのだろうか。帰ってきたら聞いてみるのも悪くない。
俺の怠けた思考に、だらけた想像に、暑い外気と扉の開けられる音が流れ込んできた。
即座に泥棒でも入ってきたのか、と緊張が走る。
ゆっくりと、音を聞きながら俺は玄関へと足を進めていく。本来楽しむような状況じゃあないが、ほんの僅かに心がこの緊張感を楽しんでいる。
「あっ」
そこにいたのは俺、もとい優香だった。今日当たりから下校時刻が早くなったんだろう。だからこそのこの帰宅時間。まだ俺がおきてから三時間しか経っていない。
表情が見えないほどに俯いていて、見るからに意気消沈といった感じである。足取りも重く、今にもぶっ倒れてしまいそうにも見えた。
「大丈夫か?」
大丈夫なわけが無い。そんなことは俺自身よく分かっているつもりだ。しかし、こんなときに他にどんな言葉を掛けてやれば良いのか思い当たらなかった。いつもはこの逆の立場ということなんだろうか。優香は優香で気を使っていたのかもしれない。
ゆっくりと近づいていく。優香の視線から見る俺は一回り程身長が高く、沈み切った表情も相まって少し怖い。
おぼつかない足取りで、一歩俺に近づいてくる。
次の瞬間、優香は崩れ落ちた。
「お、おい」
倒れこんだ優香を受け止め、顔を覗き込みながら声を掛けるが反応は無い。し、死んだ?
「おりゃ!」
一瞬頭を過ぎった最悪の可能性は次の瞬間にはかき消され、気持ち悪く頬を緩ませる俺の顔を持った優香が俺を押し倒した。
「はっ?」
「元に戻れっ!」
野太い声で優香がそう叫ぶと、次の瞬間には俺は優香に馬乗りになっていた。そして優香は涙目で俺を見上げている。
「秋人さんのえっち」
目に浮かべた涙は嘘か、真か。どちらにせよ、今優香の口にした言葉は百パーセント嘘である。
「あ、トイレ行かないと漏れちゃうよ」
にっこりと微笑みながら優香はふざけたことを口にした。
「なんでだよ」
「仕返しに大量の水を飲んでおきました」
優香のその言葉が装置起動の合図だったのか、途端にせり上げてくる尿意が一気に我慢の出来る限界地を越えていく。股間に力を入れながら歩くという非常に歩きにくい状態で、俺はトイレまで全速力で向かっていく。
「くっそ、何の仕返しだよ」
呟きながら俺はトイレに駆け込んだ。もちろん、漏らしてはいない。
それにしても、ふと思ってしまう。元に戻ったこの体の、背中に感じる痛みと、全身に掛かる重力が三倍に感じられるこの体の重さ。
さっきの涙はなにから来るものだったのだろう?
今日もまた、今もまた、俺の脳内ではせっせと小人達が都合の悪いものを隠していく。気付きかけているとしても、強引にそれを横取りして、無理やりにそれを奪い取って、どこかに隠していく。
その日、優香は一度自室に篭ってから出てくることは無かった。
優香の部屋からは物音一つ聞こえないし、なんと声を掛けても返事をくれない。
「これもなにかの仕返しか?」
また明日の朝声を掛けたら、今度は返事くらいくれるだろうか?
そんな不安を胸に抱きながら俺は眠りに付いた。学校のことはまだ、視界の外に放り出されたまま。
というわけで、6話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。
なにか意見等ございましたらコメントお願いします。
本作に反映できるかどうかは、作者の時間しだいですが、次回作を書く際に参考にさせていただきます。