13話
気が付くとそこは家の前だった。
「はっはっはっ、はー」
一度呼吸を整えるために、大きく息を吐き出す。
いくら午前中とはいえ、やはり夏であることには変わりなく、全身が汗で濡れていた。俺は多少息が整ったのを確認してから家へと踏み込む。
なぜか少し決意するような心持で入った家の中で、お出迎えがあるとか、すすり泣く声が聞こえるとか、そういうことは一切無かった。ほっとする反面、少し悲しくもある、そんな中途半端な感情を宙にぶら下げたまま、自室に着替えを取りに走った。
未だ背中に刺さる視線を振り切るために、いつもよりも三割増しの早足で。
着替えを手に取った俺は、ノックも無しに優香の部屋へと侵入する。そして再びためらいも無く、プールへと入っていった。部屋を移動した瞬間に冷たい風が濡れた首元を撫でる。その風に心地よさを感じながら、着替えをプールサイドに投げ捨てプールに飛び込んだ。
水中は、真っ暗で音もほとんどが聞こえない。
背中に感じた冷たい視線も水だと見てみぬフリが出来る。地に足が着いていない感覚もまた良い。
息の続く限り俺はもぐっていた。
「ぷはっ」
俺が息の限界を感じ水面から顔を出すと、丁度視線の先に膝を抱えて顔を膝の間にうずめながら丸まっている人影が目に付いた。
俺はゆっくりと近づいていき、プールに浸かったまま声を掛けた。
「ただいま」
「おかえり」
そっけない返事。決して傷付くことはないが、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「冷たいな」
俺の言葉を最後に、音という音が消滅したと思えるほどの静寂が訪れた。
真っ暗な夜に、色を付けていくようにゆっくりとポツポツと優香は言葉を口にしていく。
「死んじゃうんじゃないかと、思ったよ」
返事をするのは、あまり良くないようなことのように思えて、あえて口に出すことは無く、心の中でのみ返事をする。
勝手に殺さないでくれ。
「わたしは神様なのに、何もしないで逃げちゃった」
俺がそうしろって言ったからな。
「神様失格だよ」
元々、神様失格だったぞ。
「ねぇ、返事してよ」
優香はようやく顔を上げた。目元がやたらと濡れていて、本人は笑っているつもりなのだろうが、それは笑顔にしてはすこし泣き顔が混ざりすぎている。
「したほうが良かったか?」
「一瞬幻覚と話してるのかと思っちゃった」
「それ、少し前の俺も思ってたんだぞ」
「酷いなぁ」
優香は気に食わなそうに頬を膨らませて不満を主張する。俺は水を優香に浴びせた上で、不満を口にした。
「勝手に俺を殺したお前もな」
水を掛けたのが効いたのか、元々不満げだった顔は更に気に食わない、といった感じで膨らんでいる。
「ごめんね、逃げちゃって」
破顔一笑。気まずさを隠すために作られたであろう笑顔だということはすぐに分かったが、しかしわざわざそこに突っ込みを入れるような俺ではない。俺もなるべく気まずさなんてものが漂わないように、厳選した言葉を吐き出す。
「神様、あなたは何もしない神様なんでしょ?」
「そのとーり」
少し自慢げに、少し誇らしげに、少し申し訳なさげに、大いに馬鹿っぽく、分かりやすく優香っぽいその言葉としぐさに鼻の頭辺りがむず痒くなる。
「じゃあ、気にしてないでいるよ」
そもそも俺は神様を信用なんてしていない。無駄な一言を省きながら口にした言葉に、優香は短く答えた。
「ん」
声というよりも鳴き声的にも聞こえる音を漏らして頷き、立ち上がった優香はテッテッテッとプールサイドを駆けていってしまう。
そしてなぜか不自然に立つ襖に手を掛けると、足を止め振り向いた。
「着替え終わるまで開けちゃだめだからね」
「開けねぇよ」
少し怒り成分を含ませて口にした言葉は、優香が閉めてしまった襖に遮られ恐らく襖の向こうがはまでは届いていない。
全身の力を抜き、水面に体を浮かせ空を見上げる。
濃紺の星空に敷き詰められた星達は、やはり今日も輝いていた。人の沈む気持ちなど、人の恐怖心などお構い無しに輝き俺に僅かな希望を抱かせる。目には見えず言葉にも出来ないが、確かに胸のうちで希望が生まれているような気がした。
明日は学校に行かなければならない。もう休むには体が健康体過ぎる。それに、そろそろ今学期も終了を迎える。高校初の夏休み、平穏に過ごせることを祈りたい。
「神は願いを叶えてくれるのかね」
俺はぷかぷかと水面に浮かぶ。
希望もふわふわと宙を舞う。
落ち着きに欠く神は世界になにをもたらすのだろう。
というわけで、13話でした。
至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。
なにか意見等ございましたらコメントお願いします。
本作に反映できるかどうかは、作者の時間しだいですが、次回作を書く際に参考にさせていただきます。




