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10話

「おにぃーちゃーん!」

 その日の目覚ましは大音量だった。

 そして聞き覚えのある声。しかし、この声の持ち主がこんな猫なで声を出すだろうか? 甘ったるいこんな声を。

 普段ならば凛とした声の持ち主で、実に頼りになりそうな先輩だったはず。そんな姿からは想像することなんてとても出来ない。しかし、実際に俺の耳が捕らえたのはそんなありえないはずの声。

 体を起こすのでさえ嫌になるほど体が痛いが、しかしこれが現実かどうかを確かめなければ俺は落ち着いて体を横にしていることは出来そうにない。

 そんな俺の興味に後押しされ、体を少しばかり強引に起こす。

「あっ」

「――へぇ?」

 全体的にピンクを主張しているフリフリの付いたパジャマに身を包み、満面の笑みを浮かべる人物は確かに俺の知っている人だった。

 相手も甘ったるい声で、満面の笑みを浮かべ声を掛けたのが愛すべき兄ではなく、ただの知り合いだと認知すると、表情は固定されたまま、顔の赤色だけがどこかへと去っていく。そしてまさに顔面蒼白。生きているのか怪しいくらいに顔が青ざめている。

 神楽坂綾乃、俺の先輩にして生徒会長である彼女は、その表情のまま、三歩下がって扉を閉めた。

「うがぁぁぁぁぁぁ!」

 半秒後、意味不明の絶叫と共にもう一度扉を開いた。

「なんで! なんでいるの!? どうしておに――兄貴の部屋で寝てるの!? 御影君っ!」

「えーっと、それは俺にもわ」

「って言うかこっち見るなっ!」

 出来るだけ先輩の気持ちを逆なでしないように気を使いながら続く予定だった言葉達は、先輩のヘッドバットによって見事に中断された。

 先輩の大声を聞き、やってきたのであろうお兄様が俺の視界に入った。

「綾乃、よすんだ」

 先輩の肩に手を置き、どこか諭すような雰囲気を内包する言葉を聞き、先輩は静かになる。流石だぜ、お兄様。

「出て行ってくれるか?」

「はい」

 やはりお兄様の言葉には素直に従うようで、一瞬視線で俺を刺した後、無表情に部屋を出て行った。

「朝から騒々しくてすまない」

「気にしないで下さい」

 厳つさとは裏腹に意外と静かで人の良さそうなお兄様である。

 しばしの沈黙が訪れるが、お兄様のほうから口を開く雰囲気はない。つまり、俺が沈黙をどうにかする必要がありそうだ。

「あのー、いつ帰れますか?」

「帰りたければ今からでも帰れるぞ」

「じゃあ帰りたいんですけど」

 お兄様は俺の言葉に頷くと、すぐに部屋を出て行った。

 そして俺だけが取り残される。家にも一人取り残された神様がいるが、今頃餓死してはいないだろうか? 料理のレパートリーを卵掛けご飯とカップ麺と言い切る神である。餓死は言い過ぎにしても、ぶっ倒れてはいそうだ。

「いくぞ」

 開けられた扉から、ぶっきらぼうに言ったのはお兄様だった。

 肩を借り、かなり時間をかけてどうにか玄関を越える。そして既にエンジン音が聞こえる車へと乗り込んだ。

 そこにはいつもの『先輩』がいた。例の神楽坂綾乃ではなく、先輩がいた。普段の笑顔で、普段の調子で。

「やぁ、体は大丈夫かい?」

「先輩のヘッドバットのことでしたら未だに傷んでいますよ」

 ああ、最悪だ。なんと言い訳をしたものだろうか。絶対次はどうして我が家にいたのか、と聞かれることになるだろう。もちろん、体を見れば分かるように理由は怪我をして連れ込まれたからなのだが、怪我をした理由が大問題だ。

「ところでその体中の傷、どうしたんだい?」

「これは、駅の階段で転んだんですよ」

 お兄様が何かを察し、妹に真実を告げないでいてくれることを祈りながら、さらりと嘘を口にする。

「本当に駅にいたの?」

 おにぃちゃんと呼ぶには俺が邪魔で、兄貴と直接呼ぶのは気に食わないものがあったのだろう、お兄様の肩を叩き、そして名前を告げることなくたずねていた。

 恐るべき神楽坂綾乃。

「本当だ」

 そしてありがたきお兄様。おかげで命が一週間くらいは延びました。

 やはり何か納得のいかなそうな表情で俺を見ては眉間に皺を寄せる先輩に、余計な一言をぶつけて思考をずらす。

「先輩、なにをそんなに悩んでいるんですか? おにい」

 ちゃんの言葉に嘘は無いですよ? 信じてあげないんですか?

 その先の言葉まで読みきった、と言わんばかりの表情で先輩は強引に言葉を割り込ませてくる。

「ははは、御影君。私は意外と権力を持っているんだよ」

「なにをそんなに怒ってるんですか」

 握りこぶしを俺に見せつける先輩は、とても素晴らしい笑顔で笑っている。残虐性溢れるとてもとても素敵な笑顔だ。

 例えここで一発殴られようとも、一時的にでも、先輩が納得いっていないことから思考が別も場所へと移っていればそれで構わない。

「あ、次のところ右です」

 お兄様に我が家のナビゲートをして、直線状に我が家が見え出す。あと一分もしないで着くだろう。

 住宅街を進んでいくと、一つの人影が目に付いた。

「すいません、飴とかありませんか?」

「ん、酔ったのか?」

「ええ、酔いやすい体質で」

 先輩が自分のカバンから取り出した飴を口の中に放り込んだ。口の中に広がっていくのは甘いぶどう味、車とはまったく別のところから来る目眩のような症状も飴は効果を発揮してはくれるだろうか。

「先に学校まで行っちゃいましょ。先輩も遅刻するとよくないでしょう?」

「いや、最悪生徒会室で仕事をしていたことにすれば、まあ何とかなるから気にしなくても大丈夫だ。そもそもそんなに危ない時間でもないしな」

「とりあえず先に学校で」

 お兄様は頷いてくださった。助かります、本当に。

 家先に見えた人影が本物であったかどうかは分からない。しかし、高身長な男で家にやってくる奴など一人しか俺は知らない。

 何の用があってわざわざ家に来たんだ? 帰ってくるところを狙い撃ち、もしくは出てくるところを? なんにせよアイツがいなくなるであろう時間、登校時刻を過ぎた後ならば問題ないだろう。表向きはただのイケメンな真面目君だ。こんなことで遅刻はしないだろう。

 最悪、モデルの仕事を盾にすれば休めるかもしれないが、そんなことを考えていては家になど帰れないので、その可能性は即座に切り捨てた。

 実際に俺の予想は正しく、先輩を学校に送り届けた後に我が家に向かってみるとそこにいたはずの人影は消えていた。

 まるで最初からいなかったかのように。すべて俺の見間違え、幻覚を見たのだと言われれば納得できてしまいそうな気がするほどだ。

「ありがとうございました」

 俺は車を降りるとお礼を口にした。お兄様は少し頷いてくれる。

「これからは気をつけろ」

「はい」

 そう言って深くお辞儀をする。ペンが紙の上を走るような音に俺は顔を上げた。

「一応、何かあったら電話してくれ」

「はい」

 受け取った紙には電話番号が書かれている。

 俺はもう一度頭を下げる。今度はなにが起こるでもなく、普通に車が去っていく。残された俺はふと思う。

「家に入るまで肩貸してもらえばよかったな」

 重い体をゆっくりと運んでいき、玄関扉に手を掛ける。カチャリと、軽い音が聞こえ扉は開かれた。鍵を掛けていない無用心ぶりに、思わずため息がこぼれるのと同時に、もしかして朧が入ってきたのでは? と体を強張らせる。

「うぅ、ハラ、ヘッタ」

 片言の日本語で俺に話しかけてくる芋虫が一匹いた。顔面を床に伏せたままで、一切動く気配がない。足で突っついてやろうか。

「懐かしいな」

 そのスタイルもだが、単純に久々にあったような気がして、すこし顔が綻んでいるような気がした。

 ぬっ、という擬音が良く似合う顔の起こし方をして、目を大きく見開いた。俺が妙にボロいことに目を丸くしているのだろう。しばらく優香はフリーズしていた。

「神様、私の体をお直しくださいませんか」

「神様、働かない神様、だから出来ないのですよ」

 ゆっくりと手を付いて起き上がった優香は俺に掛ける言葉が見つからずに、困っている様子で俺に返事をくれた。

 それからまた優香はもじもじと、口を開きかけて閉じるという動作を繰り替えし行なっていた。そして言葉を決めたのか、意を決したように気合の入った表情で言葉を口にする。

「しばらくは卵掛けご飯とカップ麺で我慢してくださいな」

「よろしく頼むよ」

 さっき働かないと宣言したはずの神様は自ら食事係を買って出てくれた。おかげで俺はグータラと体の療養に集中できる。

「ちょっと寝てくる」

「ちゃんと休みなよ」

「なんだ、気遣ってくれるのか」

「もちろん、わたしは神様だからね」

 どこか自慢げに、しかしよそよそしさを感じさせる表情で優香は胸を張っている。

 僅かに寂しさを感じてしまった。元から大して親しい仲ということは無いが、少しばかり距離が離れたような気がしてならない。決して勘違いということではないだろう。

「自分で階段上れる?」

「そこまでしてもらう必要は無い」

 要介護のおじいちゃん、みたいな扱いを受けているような気がして少しむっとする。いや、実際は手を貸してもらえると非常に助かるが、言ってしまった以上後にも引けず、階段をゆっくりと上っていく。

 自室にたどり着く頃にはへとへとだった。

というわけで、10話でした。

至らぬ点が多々あるとは思いますが、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。

なにか意見等ございましたらコメントお願いします。

本作に反映できるかどうかは、作者の時間しだいですが、次回作を書く際に参考にさせていただきます。

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