Stockholm syndrome 5
僕がクリスとデートをして、そして振られてしまって。
家に戻るとそこには学生時代ぶりのメルシーがいて。
そして今夜はこれから、そのメルシーと自宅でデートだ。
「ミッシェル、少し前に美味しいコーヒーを頂いておきながら何だけど、ワインはこのお宅には置いてはいないのかしら?私、特にシャンパンには目がなくって」
遠慮しがちな物言いとは裏腹に、ごそごそと僕のキッチンを無遠慮に漁りだすメルシー。
「シャンパンなんて高級品、こんな狭苦しい部屋には置いてはいないけれど、ワイングラス片手に一体何に乾杯したいのかな?」
こうなれば僕もヤケだ。今夜はとことん飲んでやる。
幸い、安物のスパークリングワインなら常備してある。
「そうねぇ…。貴女の、優しさに」
ストックしてあったワインを見つけ出したメルシーがニッと笑う。
僕はやはり優しすぎるのだろうか。
不正に知られた僕の住所。
そこに突如押しかけてくるという非常識さ。
その全てを許して、僕はメルシーと優雅に酒盛りをはじめていた。
「貴女、しばらく見ない間にますます綺麗になったのね。きっと、色々な人からモテるのでしょう?」
メルシーはほろ酔い気分でグラスの中の気泡をうっとりと眺めている。
酔いで仄かに色づいた肌、グラスをゆっくりと傾ける仕草。
彼女の佇まいがかもちだす空気は妙に色っぽく、まるでバーで語らい合っているかのように錯覚してしまう。
「そんなことはないよ。今日だって、失恋したばっかりさ」
「…貴女、振られたの?」
そういうことにしておこう、と思った。でないと、僕なんかに恋したクリスが可哀想だ。
「それよりも、僕はこれから君と新たな恋をしていくわけだけど。どんなお付き合いがお望みなのかな?お姫様」
グラスに残ったワインを僕は一気に飲み干して。
酔ってしまえば安物のワインでも極上の気分に浸ることができる。
「お金で紡ぐ愛は一体どんな味なのかしらね?」
そんな気分も一瞬にして粉砕。
酔いも醒めるような、全くもって気になるご意見。
これから僕は、メルシーとどんな愛し合いをしなくてはならないというのか。
味、ということは、低俗な話だがお互いを試食し合うような、そんな関係さえも築いていかないといけないのか。
「保険をかけててよかったわ」
僕が何か言おうとする前に、ぽつりとメルシーが呟く。
保険?と思わず僕が聞き返せば。
「突然押し掛けたりして絶対怒られると思ったから、そのための保険。ちゃんとそのための手紙を読んでくれて、そして期待に応えてくれて本当に嬉しいわ、ミッシェル。これからよろしく頼むわね」
いつ帰るかも分からぬ僕の帰りを待ちながら、メルシーはこうなることをきっと既に知っていたのだ。
僕は、なにぶんこのような性分だから。
そして僕のこのような性分を一番見抜いているメルシーだから。
ふざけるな、という怒りが沸けば沸くほど、僕は彼女からの要求を受け入れるしかなかった。