表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Stockholm syndrome  作者: かも
第5章
32/32

Stockholm syndrome 30




僕は幼い頃から身なりや性格を意識して父に似せていた。


いつだったか、母は父そっくりの僕の髪型や性格を笑って褒めてくれた。


だから、父の真似事をしていれば憧れの父にも近付けるし、母からも愛してもらえるのだと幼い僕は無意識に思い続けてきたのだろう。


けれどもある時から、きっと母は父のことを好きではないのだと僕は思い込んだ。


だから、父に似ていた僕もまた、母から嫌われているのだろうと思っていた。


そして自分も母のことが苦手になっていたから、別に嫌われていたって構わない、とずっと自分に言い聞かせていた。


弟のエドガーが産まれた時も、母は父とは別の相手を見つけていたのだろうと勝手に考えて、どこか他人事のように思っていた。


産まれて間もないエドガーを、愛おしげに揃って見つめる父と母の姿を見て自分の思い込みが全て捻くれた意地の悪いものだったということが分かった時、僕は何故だかこのままでは本当に母から嫌われても仕方がなくなってしまう、と焦った。


散々、自分は嫌われているんだと信じ込ませていたが、母が本当はずっと、ずっと僕のことを愛し続けていてくれたことを僕は知っていたのだ。


だから、僕は母から嫌われてしまうことを恐れ、逃げ出すように実家を出て一人暮らしを始めたのだった。






「はい!それじゃあこの靴下、折角可愛くクリスマスのラッピングをしてもらったんだからしっかりエドガーくんに渡して頂戴ね?」


メルシーが、テーブルから身を乗り出し並べられた料理の上を跨いでこちらに紙袋のプレゼントを両手で差し出す。



今日は、メルシーがエドガーへのプレゼントを僕の家まで持ってきてくれることになっていたので、僕はせめて夕飯でも彼女に振る舞おうかと考え、彼女を僕の狭い食卓へ招待していた。


メルシーの到着に合わせて、テーブルの上には温かいポトフやサラダといった料理と二人分の食器とを向かい合わせに並ばせ、準備はばっちりに整えていた。


「…うん。ちゃんと渡してくるよ、ありがとう。あ、どうぞ遠慮しないで食べてね。大したご馳走でもないけど…」


僕はプレゼントを受け取り、大切に自分の膝上へそっと置いた。


「ふふっ。元々遠慮なんて言葉、私の辞書にはないのだけれどもどうもありがとう。貴女が私の事を想いながらいそいそとこれだけ用意してくれたのだと思うと、それだけでとびきりのご馳走に思えるわ」


メルシーはにっこりと笑う。


僕のことを想ってわざわざエドガーへのプレゼントを用意してくれたメルシーに比べれば、自分の料理なんて大したことなんてないのにとは思ったが、メルシーに嬉しそうに笑われると、こちらもついへらりと笑い返してしまう。


「けれども、明日からしばらく貴女に会えないなんて寂しくなるわね…。きっとこれからしばらくは食事もろくに喉を通らなさそう…。あ、このポトフとっても美味しい」


メルシーは大袈裟な言い様とは裏腹にポトフをぱくりと頬張ったので、僕は思わずクスリと笑ってしまった。


「今のところ、そう長くは実家に泊まらないつもりだよ?イブと、クリスマスを過ごして、僕の誕生日までにはこっちに帰るつもり」


メルシーが美味しいと言ってくれたので、僕もポトフを一口食べてみた。


正直なところ、このポトフはお嬢様であるメルシーにも気に入ってもらえるようにと僕なりに張り切ってコトコトと煮込んでいたので、それなりに美味しく作れたとは思っていた。それでも、褒めてもらえるとやっぱり嬉しい。


「…ふぅん、そうなの。あっ、そういえば実家に帰るって連絡した時、貴女のお父様やお母様はどんな反応だった?」


メルシーは次の一口を口に運びながらも、こちらの様子をちらりと伺いながら尋ねてくる。


「…一応父さんにメールで連絡入れたんだけど、"待ってるよ"って…意外とあっさりしていたかな…。あとは、母さんが色々料理作ってくれてるって…」


「へぇ…!お母様の手作りの料理だなんて羨ましいわ…!私の家は自慢じゃないけれど、パパもママも私も料理が全く出来ないからパーティは毎回出来合いのものばっかりなのよ!家庭的なお母様なのね」


「ふふっ…普通はこっちが羨ましがる方だよ。メルシーの家のクリスマスパーティ、きっとすごく豪華なんだろうな」


メルシーがせっかく母の話題を振ってくれたのだからもう少し母のことを話したって良かったはずなのに、僕はそれを避けてあえてメルシーの家庭の話題の方を掬いとってしまった。



正直、僕は明日からしばらく母と一緒に過ごさないといけないのか、ということを思うと気が気でなかった。


もう随分と長い年月、母とは一切連絡を取っていない。


父やエドガーもいるとはいえ、数年ぶりに、一体なにをどう語り合えばいいのだろうか。


「…まぁ、うちは手作りの品はないけれどそれなりに豪華ではあるのでしょうね。けど、お金が掛かっていればいいってわけでもないでしょう?貴女の手作りの料理だってこんなに美味しいし…ほらほら、冷めないうちに貴女も食べなきゃ!」


メルシーがニコニコと笑いながら僕を急かしてくれる。


多分、僕が心中会話どころではなかったことを察してくれたのだろう。



「…うん」


こんな調子で明日から大丈夫なのだろうか、と僕は不安で押しつぶされそうになったが、メルシーはそんな僕をそっと気遣ってくれたので、有難かった。





食事と片付けが済んだ後、僕とメルシーはソファに隣り合って座りしばらく話し込んでいた。


実は今の僕の家には色違いのカフェボウルに加えて、他にも少しずつ自分用とメルシー用の食器とが増えてきているのだが、それを見逃していなかったメルシーに片付け後にニヤニヤしながら指摘されてしまい、なんとも気恥ずかしかった。


そんなたわいもない話をずっとしていた途中、


「…ねぇミッシェル、ポトフって料理が出来ない私にも作ろうと思えば作れる?貴女にレシピを教えてもらって、それをママに教えることも出来る…?」


と、メルシーが僕の膝を人差し指でつんつんとしながら尋ねてきた。


控えめでちょっぴり気弱な振る舞いに、僕は思わず頬が少し緩んでしまった。


もしかして、僕の作ったポトフをそれなりに気に入ってくれたのだろうか。


「具材を切って煮込むだけだから、きっとメルシーにも作れるよ。簡単に紙にレシピを書いて渡す事くらいなら出来るけど…」


「いいの?ありがとうミッシェル、助かるわ!急に思い立ったんだけどね、今年のクリスマスはママと一緒に何か一品くらい手料理を作ってみたいなぁって思って!」


メルシーは顔を輝かせながら、ひしっと僕の両の手を包み込んだ。


「インターネットで調べればもっとちゃんとしたレシピも出てくるとは思うけど、僕のでよければ…」


「貴女の作ったのが美味しかったから貴女のがいいの!」


掴まれた両手をぎゅっと握り締められ、熱の込もった視線までこちらに向けられたら、恥ずかしくもへにゃりと笑って頷くしかなくなってしまう。


「そ、そっか、ありがとう…。メルシーのお母さんや、お父さんにも気に入ってもらえると嬉しいな」


「ふふっ、うん、そうね。きっと貴女のレシピなら大丈夫。…問題は、私とママが果たして貴女のレシピを忠実に再現出来るかどうかね」


メルシーはするりと僕から手を離すと腕を組み、ふぅ、とわざとため息をついてソファにもたれた。


「上手くいったら、教えてね。応援してるよ」


僕がメルシーに声を掛けると、メルシーは顔は前を向いたまま承諾するようにほんの少し微笑んだ。



それから、メルシーはしばらく黙っていたがややあってから俯いて、


「…あのね、前に私が生まれたとき、そのことを週刊誌に悪く書かれてしまったこと、貴女に教えたことあるでしょ?」



顔を隠すように俯いたままではあったが、メルシーの声は落ち着き払っているように聞こえてきた。



「え?うん…」


その事と言えば確か、インターネットソフトウェアメーカー、EXSY(エクシィ)の代表取締役社長であった彼女の父親、エリックが壮年の頃当時若手モデルであったアレットと出会い、そうしてメルシーが生まれた際の事をエリックが当時別の女性とすでに結婚していたことから『エリックがEXSYの技術を駆使して女性を切り替え、新しい生命の開発に成功した』のだと下世話な週刊誌に記事にされてしまった時のことか。


EXSYという会社は、"いつでもあなたの生活にとびきりの切り替えを"というフレーズをキャッチコピーとしてよく添えている。


その出版社は元々冗談交じりのゴシップ記事ばかり書いているような会社ではあったらしいが、それにしたってあまりにも悪意を感じられ度が過ぎている。



「確かロックフォール社とかいう名前だったかしら、あの週刊誌を書いた会社の名前って?まぁ、そんなことは別にどうでもいいんだけど」


その下世話な記事を書いた出版社、ロックフォール社は当時エリックとアレットが訴え裁判を起こし倒産にまで追い込んだらしく、今ではもう姿形はなくなっている。



「…私のパパとママはね、その時のことを一切私には話してくれなかったの。だから、12歳の時にインターネットの記事で事の詳細を知ってしまって、ものすごくショックだったのを今でも覚えているわ」


話しづらいであろう自分の過去の事を先程から淡々と語るメルシー。思えば、以前はメルシーがロックフォール社や訴訟といった単語を書いたメモを僕に手渡してくれ、僕はそれを調べることによって事の経緯を理解したので、彼女の口から直接話を聞くのは初めてのことだった。


こういう時は途中で口を挟んでもいいものなのかどうか分からない僕は、ただ黙って、けれどもほんの少しだけ身体をメルシーに近寄せてから彼女の話に耳を傾けた。


「記事に書かれていた内容も、裁判沙汰になっていたって事もショックだったけど…私は二人がずっと黙っていたことが一番悲しかったわ。勿論、私の事を想ってのことだったんだろうとは思うけど、それなら私の事を想って話してくれたってよかったのにって私、どんどん二人への不満を募らせていって…」


メルシーは、一旦ふぅ、と溜息をついて一息ついたがまたすぐに言葉を続けた。


「それに、高いお金を掛けて裁判を起こしてそれに勝ったからって…それでいいってわけでもないでしょう?事実、金に物をいわせる鼻持ちならない親子だって他所の子に侮辱されたりもしたしね」



僕は今日、食事中に母の話題を避けるためわざと彼女の豪華であろう家庭のことを羨んだが、無神経すぎたなとメルシーに申し訳なく思った。


以前から、お嬢様であるメルシーにはきっと彼女なりの苦労があったのだろうという事は感じていたのだが、僕は自分のことに精一杯で、気を遣われる一方で全く彼女を気遣うことが出来ていなかった。



「社長令嬢のお嬢様が何言ってるんだって思われるかもしれないけど…私、一時期はお金持ちの彼らのことが嫌いだったわ」


続いたメルシーの一言に、僕はメルシーが学生の頃、わざと金目の物を女の子達に振りまき取り巻きを作ったりして嫌味な態度を取ってばかりいた時のことを思い出した。


その時の様子は遠目に見ていてあまり気持ちの良いものではなかったが、両親に反発するような気持ちから、メルシーはあんなことをしていたのかもしれない。



と、その時メルシーがそっと僕の手の平に手を重ねてきたので僕は何事かと思ったが、



「ミッシェル、私もね…私だってね…一応、頑張って前に進んでいるのよ。けどそれも、貴女のお陰なの。貴女のお陰でパパやママに話したいこともたくさん出来たし、一緒にやりたいことだってたくさん出来たし、私はやっぱりとっても恵まれたお嬢様なんだなって、思えたわ。大袈裟にじゃなくって、貴女と出会えて本当に良かった」


身体を僕の方に寄せ、頭を僕の肩にこつりと傾けるメルシー。


まさか、そんな風に思われていて、それを今伝えられるとは。


一気に顔と身体は熱くなり、不意打ちのことに僕は身体が硬直してしまった。


「え、うそ…?」


「うそを言ってどうするのよ?ありがとう、ミッシェル」


メルシーは僕の肩に頭を預けたまま優しく呟く。


なんだかその声の優しさに、嬉しさで少しだけ目頭から涙が込み上げてきそうになってしまった。



僕があやうく泣いてしまいそうだったことにメルシーは気付いていないのか、彼女はそのまま言葉を続けた。


「それにね、もう今ではパパとママが私に何も話してくれなかったことを気にしてもいないし、鼻持ちならないお金持ち一家だって周りに思われていても、別にそれで結構って開き直っているのよ?…だって、パパとママはずっと私のことを愛してくれていて、私達は幸せな家族なんだって、私気付けたから」



甘えるように僕に肩を寄せていても、メルシーはとてもしっかりしている。


僕は思わず、見惚れるようにメルシーの横顔をじっと見つめてしまっていた。



と、その時、


「だから、ミッシェルもきっと大丈夫よ」


メルシーがニコリと笑ってぱっと顔を上げたので、僕とメルシーは一気に顔がぐっと近づいてしまった。



突然自分の名前を呼ばれ、挙句思いがけず間近でメルシーと目が合ってしまった僕は、


「え?…え!?」


と間抜けに何故か二回も返事をしてしまった。


メルシーが先程までまじめな話をしてくれていたというのに、全く自分はなんて情けないのだろう。



メルシーも、僕がずっと彼女の方を見つめていたとは思っていなかったのか、目をパチパチとさせ少し驚いている様子であった。


けれども彼女はすぐにクスリと含んだような笑みを見せると、



「…ねぇ、少し話を戻すんだけど…。折角久しぶりに会うんだからそのまま家族とお誕生日パーティーをして帰ってきたっていいものなのに、貴女は今年の誕生日はどう過ごす予定なの?」


と、すっと僕の片頰に手を這わせ、くすぐるような囁き声で尋ねてきた。



「…さぁ?どうしようかな」


瞳だけ逸らして、僕は恥ずかしさをどうにか紛らわす。



「本当は私と一緒にいたいくせに、言わないなんて卑怯よ」


メルシーが、僕の頬をゆっくりとなぞって指先で唇に軽く触れた。



「…分かっているくせに、言わせようとする方が卑怯だよ」


かろうじてそう言い返すことは出来たが、先程からメルシーの言動に心臓が波打って止まらない。



わざと僕を惑わすようなことをしてくる時のメルシーは本当に卑怯だ、と僕がぼんやりと思ったまさにその時、一瞬の隙にメルシーが顔をぐっと近付け、彼女の唇が自分のそれに触れた。



すぐにふっと唇は離れたが、一瞬の出来事に僕は頭が真っ白になって反応することすら叶わなかった。


そうしてる間にメルシーはふふっといたずらに笑って、そのままぎゅっと僕に抱きついてきた。




「お互い、素敵なクリスマスを過ごしましょうね?」



いたずらな行動とは裏腹に、声はやはり優しい。



やっと恥ずかしさがこみ上げてきた僕だったが、それと同時にどうしようもなく愛しい気持ちも溢れてきて、そのまま僕もぎゅっとメルシーを抱きしめ返した。



「うん…」




明日から実家に帰るのが最初はずっと不安だったのに、メルシーといる内にいつの間にか安心していたり、メルシーと離れることが寂しくってやっぱりまだ少し不安だったり。



相変わらず、僕はメルシーに振り回されてばかりいる。


けれどもメルシーも、僕と同じように安心しながらも、やっぱりちょっぴり不安であったりもするのだろうか。



そんなことを考えながら、しばらく会えなくなるからなのか、僕とメルシーは名残惜しむようにしばらくずっと抱きしめあっていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ