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Stockholm syndrome  作者: かも
第4章
27/32

Stockholm syndrome 25




「驚いたわ!貴女って私が1ヶ月と14日放ったらかしにしていても連絡一つよこさないし、それに私も1ヶ月と14日貴女に会えなくっても案外どうにか耐えられるものなのね、驚いたわ!」


仕事から帰るとメルシーが家の玄関の前で僕の帰りを待っていて、挙句いきなりこんな台詞を僕に熱く語ってきた。


「…久しぶりだけど相変わらずだね、メルシー」


挨拶もなしに突然それか。

メルシーは相変わらず挨拶よりも自分の都合を優先させ僕に近況報告をしてくる。


ふとメルシーの手元に目をやると、彼女はなにやら細長い紙袋を掲げていた。中身はワインボトルだろうか。


「とりあえず、中に入ろうか」


わざとらしく紙袋の中身の正体を聞くのもどうかと思い、僕はひとまずメルシーと一緒に家の中に上がった。




僕はメルシーをとりあえずソファにでも座らせ珈琲でも飲ませようかと思ったのだが、彼女はキッチンへと向かう僕の後ろに何故かトコトコとついてくる。


気になるので思わず振り返ってしまうと、


「思えば、私とミッシェルが一応親密な関係になってから二ヶ月半ほど経つわけじゃない?だから一人暮らしで倹約に努める貴女にはとても手が出せないであろう極上のシャンパンを持ってきたのよ!」


先ほどの紙袋を僕に差し出しながら驚いた?とふふっとふざけて笑うメルシー。


本当はあの日からもうそんなにも月日が経っていたのか、と内心驚いてはいたのだが、その1ヶ月と14日前の日の醜態を思い出すとなんとも気恥ずかしくなってしまい、僕は笑いかけてくるメルシーから目を逸らした。


「…どうしたのよ?」


「いや、別に。それにしても君って卑怯だよね、僕のところに来るたびにお花とかお酒とか持ってきてくれてさ」


前回の薔薇の花束の時のように僕のためにわざわざ買ってきてくれたのだろうと考えると、自分の元々の性分なんて関係なしに彼女を追い返すことなんて到底出来なくなってしまう。


そんな彼女のやり方が悔しくて、僕はわざとメルシーのことを卑怯呼ばわりしてしまった。


「あら、私は貴女に押し付けているつもりだったのだけれども、そう感じるのは貴女が優しいからなんじゃないの?」


メルシーは僕のことを知り尽くしてもまだ、僕のことをそう言ってくれるのか。


「…あのさメルシー、ちょっと椅子にでも座ってくれないかな?君と、ちゃんと話しておきたいことがあるんだ」


このままズルズルとメルシーに流されてしまうわけにはいかない。そう思った僕は半ば無理やり話を切り出そうとした。


もう僕と"恋人でいる"という関係を続けることは終わりにしようと、僕はメルシーとちゃんと向かい合ってそう告げるつもりでいた。




「流石に優しい貴女でも、私には付き合いきれなくなっちゃった?」


リビングの机に向かい合って座り、僕が話を切り出そうとしたその時にメルシーからぴしゃりと僕の切り出したかった話の内容を言い当てられてしまった。


「…僕が君に付き合いきれなくなったのではなくって、君が僕なんかにはもう付き合いきれなくなるだろうと思ったから」


けれども僕は誤解のないようにと丁寧に言い直した。彼女の為にと言い直した筈だったのだが、メルシーはじろりと僕を睨むように見て、


「私、そんなこと全く思っていないのだけど?」


と不機嫌そうに答えた。



「今はまだそう思えていても今後どうなるのかなんて…」


「"分からない"って、また言い出す気?王子様」


棘のある指摘をされて、もうこれは僕の口癖のようなものながら勘弁してほしいと思った。


このままでは、また前回のように黙り込んでしまいメルシーに迷惑をかけてしまう。


「貴女の想像する私のことじゃなくって貴女自身のことを語ってよ。それとも、自分のことを語り出すとまた泣いちゃうから嫌?」


メルシーは片手で頬杖をつき、もう片方の手で自分の横髪を弄りながら僕に訊ねてくる。


「やめてくれないかな、わざわざそんな事を言うのは…」


いかにも余裕綽々といったメルシーの態度に、僕はまるで彼女に弱味を握られてしまっているかのような気分になった。


「それならちゃんと説明してくれないかしら?どうして私が貴女に愛想が尽きるだなんて思うの?」


「…君は僕のことを何度も優しいと言ってくれるけど、優しさには二種類あるんだ。誰かを救う優しさと、誰かを苦しめるだけの優しさ」


僕は自分なりに上手くまとめて簡潔に説明したつもりでメルシーの顔を見つめたのだが、彼女は髪を弄っていた手を動かすのをピタリとやめ、代わりにぽかんとした表情で僕を見つめ返してきた。


「…へぇ、優しさって二種類あるのね、初めて知ったわ私。それで?」


自分の優しさはその後者なのだと僕はメルシーに訴えたつもりでいたのだが、まさか続きを促されてしまうとは思わなかった。


「僕の父は、レノラのような貧困者を心から救ってやることなど出来ないくせにただ優しくして、彼女を苦しめた。父の優しさは後者で、そんな父に影響されて育った僕の優しさもきっと誰かを苦しめてばっかりなんだよ」


仕方なく、僕は情けなく自分なりの解説を付け加える。


今度はメルシーの顔なんてもう確認しない。


僕は、メルシーが机の上で組み直した両手をただじっと見つめていた。



人に指摘される僕の優しさとはきっと、誰かを救うものなどではない。


ある時には、母を、レノラを。この性格のせいで苦しめたのだ、自分は。


「…貴女の性格って、他人だけじゃなくって自分自身までも苦しめてばっかり。貴女のような人って、きっと誰かを救った気になんて決してなれないのね」


「そうだよ。自分は、誰のことも救えやしないし、逆にこうして面倒な性格のおかげで人に迷惑をかけてばっかりで…だから、一人で生きていた方が余計な悩みも抱えないで済むから気が楽だよ」


メルシーの言う通り、自分のような人間が誰かを救おうと考えるなんて馬鹿げているのだ。


誰かの為にと必死になればなるほど、それが出来ない自分に嫌気が差し苦しくなるだけだということも僕はもう十分思い知らされていた。




「…貴女、私が貴女にどれだけ救われたのか相変わらず全く気付いていないんでしょ。挙句、自分の優しさは人を苦しめるだけだって、貴女に救われた私のことまで否定するつもり?」



僕はメルシーの言葉に耳を疑った。


僕が、一体いつメルシーを救った?



僕は思わず視線をあげて彼女の顔を見やった。


「否定も何も、僕は君のことなんて…」


僕が言いかけている途中で、メルシーは突然ガタリと椅子から立ち上がった。


「もうそろそろ、いいかしら」


独り言のようにそう言い放ちその場から立ち去ろうとするメルシーを、僕は椅子から立ち上がり彼女の手を掴み引き止めた。



「待ってメルシー。話はまだ終わっていないよ」


自分の話を聞いてもらいたいからというよりかは、彼女の話を聞きたいから彼女を呼び止めたようなものだった。


あんな気になる言葉を投げかけておきながらどこかへ行ってしまうなんて、あまりにも卑怯だ。



僕とメルシーは、机を挟んで手を取り合う形となった。


すると、またもやメルシーはぽかんと僕の顔を見つめてきたのだった。


どうしてまたそんな顔をされなくちゃいけないんだ、と思った僕は思わず「え?」と間抜けな声を出してしまう。


「え?…うん、貴女の話はまだ終わっていないし長くなりそうでしょ?だから、シャンパンでも開けながら聞こうかしらって思って…それでそろそろ冷えたかしらって…」


何やら早とちりをしてしまったらしい僕に、メルシーはぱちぱちと不思議そうに瞬きをしながらも僕に説明をしてくれた。



そういえば席に座り話を始める前に、メルシーは持ってきたシャンパンを冷蔵庫の中に勝手に冷やしていたな、と僕はふと思い出した。


それにしても唐突だし気まぐれにも程があると思ったけれども、それ以上に僕が気になったことは、


「…メルシー、君さ、僕の話をお酒飲みながら聞く気なの…?」


「…だめかしら?」


全く悪びれる様子もないメルシーに、僕は一気に真剣に話していた自分がくだらなく思えてしまい脱力してしまった。


がくりと肩を落としそうになった僕を見て、メルシーは笑った。


「大丈夫よ、素面のうちに貴女の言いたいことは大体分かったつもり。一人になりたいんでしょ?だったらこの手を離してよ」


「あ…」


掴んでしまったままでいたメルシーの手を僕は彼女に言われて慌てて解こうと思ったのだが、メルシーは言葉とは裏腹に僕の手を離してはくれなかった。



「…別に、私は一人で生きていきたいと思っている貴女を止めようとはしないわ。けどね、私は一人じゃ嫌なの」


メルシーは僕の手を離さないどころか指を絡ませてきて、そして駄々ををこねるような、ほんの少し甘えるような、そんな不思議な眼差しをこちらに向けた。


驚く僕のことなんてお構いなしに、メルシーは続ける。


「だから私は貴女を振り回すわ。だって、私なんかに付き合ってくれるのは貴女くらいしかいないんだもの。私はね、貴女の優しさに漬け込んでいるのよ。それは、分かってる?」


僕に絡ませたメルシーの指にほんの少しだけ力が入る。


彼女はわざと僕に分からないとは言わせない気だ、と僕は思った。


けれども正直、突然絡められてきた指の感触と温かみに心臓が跳ね上がり、メルシーの言葉は耳には入ってきたのだが頭にはちっとも入っていないかのような状態だった。


僕のそんなどうしようもない状態を察したのか、メルシーはさっと言葉を付け加える。


「いい?私は貴女の為にではなくって私の為に貴女と一緒にいるのよ、貴女には悪いけれどね」


まるで、迷惑をかけているのは自分なのだと僕を庇うように。



僕は急に、少し前に偶然街で会った同級生のリザのことを思い出した。


昔は僕にべったりだった彼女はすっかり大人びて変わってしまっていて、僕の手から指を解いて去っていってしまった。


なんだか、メルシーも学生だった頃とはすっかり変わってしまったな、と僕はぼんやりと思った。



「あ、そういえばね、私チーズがたっぷりのキッシュが食べたいわ。あと、とびきり美味しいカフェオレも」


メルシーはぱっと指を解きにっこりと僕に微笑みながら言ってきた。


「…え?」


「出来れば…というか、貴女の手作りじゃないと嫌。作って頂戴よ、ミッシェル」


「な、なんでいきなりそんなこと言い出すわけ…?」


僕が思わず問いただすとメルシーはキッチンの方へと歩きだしてしまったので、つい自分もメルシーの後ろにつづいてしまう。


「…いいから、黙って私のために作って。貴女は、私に振り回されながらも優しく付き合ってくれていればいいのよ」


冷蔵庫を開け宣言通りに冷えきったシャンパンを取り出そうとするメルシー。


「前にも言ったかもしれないけれど、この私と渡り合えるなんて貴女相当なんだからね?そのことに関しては、貴女もっと自信を持ってもいいと私は思っているわよ?」


シャンパンを手にするついでのようにぶっきらぼうに彼女は僕に語りかけてくる。


僕もメルシーの動作に合わせて、彼女の話を聞きながらなんとなくワイングラスを二つ手に取っていた。



突拍子もない僕への要求は、ただの我儘なのだろうか?それとも、


「もしかして、それは君なりの優しさ…だったりする?」


つい、訊ねてみてしまうと、


「…ただの我儘に決まっているじゃない!なに言い出すの突然?」


と、どうやらこれは単なる我儘とは違かったらしく、メルシーは分かりやすく狼狽えてくれた。



とはいえ、そんなことを急に言われても僕だって困る。


カフェオレはともかく、キッシュなんて生憎これまで一度も作ったことはない。


作れるかどうかなんて分からない、そう言おうと思ったところで僕は口を噤んだ。


分からないという言葉を出したら、またメルシーに鋭く何か言われてしまいそうだ。



「けど、作り方を覚えないと作れないよ」


言い換えてみたら、僕は当たり前すぎるようなことを理屈こねるように言ってしまっていた。


これではどのみちメルシーから何か言われてしまうと僕は思ったのだが、


「…それじゃあ次会う時までにちゃんと作り方を覚えて、私に振舞ってよね?」


と、メルシーは僕に向かってニヤリといたずらに笑ってみせるのだった。



どうせ、僕はメルシーの要求を突っぱねることなんて出来やしない。


そう呆れて、けど思わず、僕はメルシーに笑い返してしまっていた。






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