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Stockholm syndrome  作者: かも
第3章
23/32

Stockholm syndrome 21





お金が、欲しいんですか?


と、僕は僕の手を引き無言で歩き続けるレノラに尋ねた。


その時自分の声と手が震えていたのは、きっと冬の厳しい寒さのせいだと、自分に必死に言い聞かせながら。


けど、彼女は何にも答えてはくれなかった。



気が付いたら、僕とレノラは駅の中まで来ていた。


大人しくしててね、とレノラは僕に言いつけ、切符を二枚買い一枚を僕に手渡してくれた。


ただでさえ手元にあるお金は少ないのだというのにわざわざ二人分となると、本当に、あっという間になくなってしまいそうだった。


僕は、この時はまだレノラが何をしたいのかよく分からなかったが、きっと僕を人質にして父と母からどうにかお金を得ようとしているのだろうと考えていた。



僕とレノラは汽車に乗ったけれど、次の駅ですぐに降りて、行く当てもなく雪の降る街の中を彷徨っていた。


彼女が何をしたいのか、自分がどうなってしまうのか、何も分からない間は怖かった。僕が何を言ったってどうせレノラは何も答えてはくれないのだと思うと不安で仕方がなかった。


けど、僕が寒そうにしているとレノラは泊まるところを探してくれ、僕は彼女と小さなホテルの一室に入りそこでしばらく暖をとることが出来た。


僕はベッドの上で、レノラは、椅子の上で。それぞれうずくまるようにして僕とレノラはじっと座り込んでいた。

多分、二人してこれからどうしようかと考え込んでいたのだと思う。



泊まる場所を見つけてはそこで一晩過ごし、翌日になればすぐにそこを出てまた街を彷徨って、次に泊まる場所を見つけて。


僕がレノラに連れられている間は、ずっとこんな調子だった。


はじめは無口だと思っていたレノラも、寒くはないかとか、お腹は空いていないかとか、僕に声をかけてくれるようになってきて、僕は、なんとなく彼女が悪い人ではないということが分かってきた。



レノラは僕を連れて歩くために、僕をホテルに残して何処からかお金を手に入れてくることがあった。


彼女の分と、それから僕の分の宿代と食事代をまかなうために、レノラはきっと何か良くないことをしてまでお金を手にしているのだと僕は思った。


僕は、堪らずにどうしてこんなことをするのかと彼女に抗議した。


するとレノラは、気に食わないのなら何処へでも行ってしまえばいいじゃないかと僕を怒鳴るのだった。


けれども僕は、彼女の言う通りにすることも出来ずにただべそをかいた。


事実、レノラは決して嫌がる僕を無理やり引きずっているわけではなかった。僕はいつでも誰かに助けを求めて逃げ出すことだって出来たはずだった。


でも、あまりにも僕が泣いていると、レノラは僕を抱きしめながら謝ってくれたから。


悪い人ではないはずなのに、と僕は彼女の腕の中で泣くしかなかったし、レノラもそんな僕をどうにかあやして、決して手放そうとはしなかった。




べそをかいてばかりだった僕のことをあやしながら、レノラはいくつか僕に優しく尋ねてきた。


「お父さんとお母さんのところに帰りたい?」という問いには、僕は正直に答えていいのか分からなかったから黙っていた。


「お父さんとお母さんのことが好き?」という問いには、僕は黙って頷いた。


するとレノラは、貴女のお父さんは優しいものね、と笑いかけてくれたが、その次には顔を顰めて、「私は貴女のお父さんなんて嫌い。娘がいなくなって今頃自分の優しさを呪っていればいいんだわ」と毒気づいた。


けど、僕がその一言を聞いて言葉を失っていると、レノラは寂しそうに「貴女は私に大人しくついてきてくれて本当にいい子ね。一体、誰に似たの?」と僕に対して微笑むのだった。



僕は、その時レノラという女性のことを可哀想で、そして寂しい人だと理解した。


多分、レノラは本当は父のことが嫌いなどではなくむしろ好いていて、彼女が本当に欲しかったのはおそらくお金なんかではなくって父からの愛情だったのだろう。


レノラは父と知り合いのようだったが、一体どんな関係で、いつどこで知り合ったのだろうか。


僕は全く知らなかったくせに、彼女を理解した気になって、すっかり気を許してしまっていた。


父には既に母がいたから、僕がレノラにとっての父の代わりになれるのなら、とまで僕は考え出していた。




そう考え出すようになってから僕はふと、今僕はレノラと何日間ほど一緒にいるのだろうかと思い指を折って数えてみた。


そして僕は驚いた。何故なら、レノラが僕を連れ出してからまだたった三日しか経っていなくて、折しもその日は、すっかり忘れ去っていた自分の誕生日だったから。



そして、僕は急に不安にも駆られてしまった。


レノラと過ごしていた日々を僕はまだたった三日だと感じてしまったが、父と母にとっては、この三日間は一体どれほどの長さのものだったのだろうか。


父と母にとってレノラは僕を攫った誘拐犯のようなもので、今更二人して戻ったって、何事もなかったかのように済ますことなどきっと出来やしない。


僕はそう思って、家に帰りたいだなんて絶対に口にしては駄目だと強く自分に言い聞かせた。けど、折角の誕生日を誰にも祝ってもらえないのも悲しくって。



僕は、その日の眠る前に恐る恐るレノラに、今日が自分の誕生日だったということを打ち明けてみた。


するとレノラは黙って急に立ち上がり、外へ出て行こうとした。


僕は慌ててレノラにしがみついて彼女にどうしたのかと尋ねた。


するとレノラは、「誕生日ケーキとプレゼントは欲しくないの?」と逆に僕に尋ねてきた。


僕は必死だった。レノラが僕と一緒にいてくれさえすればそれで充分だと必死に訴えようとしていた。


ケーキやプレゼントなんてこないだのクリスマスでもう満足したから何も要らないと僕は突っぱね、そんな事のために貴重なお金を使い込まないで欲しいとも縋り付くようにして彼女に頼み込んだ。


そしたらレノラはひどく目を見開いてしばらく呆然と立ち尽くしていたので、僕は、こんなことを言ってしまう子どもはどこかおかしいのだろうかと、言い直した方がいいのだろうかと狼狽してしまった。



狼狽する僕をレノラは強く抱き締め、「お誕生日おめでとう」と呟いてくれた。


けど、その後はただ震えるような声で、何度も何度も謝られた。


どうして、彼女がそんなに謝るのか当時の僕にはよく分からなかったけど、それでも、僕はなんだか不安で、自分はもう捨てられてしまうんじゃないかという気さえして怖かった。


次の日、レノラは僕の手を引いてまた歩き出した。移動して行くうちに、僕の家へと近づいていってるという事が分かった時、僕は昨日感じた予感が当たってしまったのだと、レノラはもう、僕とは一緒にいてくれないのだと分かってひどく悲しかった。




その日の午後、僕はレノラに手を引かれ四日ぶりに自分の家へと帰ってきた。


当然、即座に母の手によって僕はレノラから引き剥がされた。


父は、レノラの方に近寄り何故このようなことをしたのかと彼女に説明を求めた。


けれども僕は安心した。その時の父の目は決して怒ってなどいなく、可哀想なレノラをどこか哀れむような、そんな目をしており同情的だったから。


父はやはり優しい人なのだと僕はほっとしたが、母のレノラに対する態度はそうではなかった。


母は興奮気味にレノラを大声で怒鳴りつけ罵倒し、レノラのことを警察に突き出そうとしていた。


父が落ち着くようにと母に声をかけると、母の罵倒は父にまで及んだ。


なぜ、その女に優しくするのかと。貴方のその性格のせいで全てがめちゃくちゃになってしまったのだと、母は泣きながら父を厳しく責めたて始めたのだ。


僕は思わず、耳を塞いだ。


それに気が付いた母が慌てて僕を抱き締めたけど、僕は内心、離してほしかった。





その後僕は、興奮しきっていた母の代わりに父が作ってくれた温かいスープを飲み干し、父と母から「疲れているだろうから」と促されて子供部屋に寝かしつけられた。


事実、僕は疲れていた。


それでもベッドに潜ってからしばらくは、父を怒鳴った母のことをずっと考え続けていた。


母は、きっと昔から父の優しい性格を好いてはいなかったのだ。


レノラは多分、きっと父のことを好いていたはずなのに。



母は父のことを好いていなかったはずなのに何故か結ばれ、レノラは父のことを好いていたはずなのに何故か結ばれなかった。


僕も、レノラのことをきっと好いていたはずなのに、やっぱり結ばれることはなかった。


どうしてこんなことになってしまったのだろうと、その時の僕は毛布に包まってただ泣くしかなかった。


まだ日は落ちていなかったけれども、僕は寝るに寝れなかった数日分の睡眠時間を取り戻すように朝まで眠り続けた。




朝起きたら、もうレノラはいなくなっていて、父も母も、まるで彼女なんて初めから家には上がり込んでいなかったかのように普段と変わるところがなかった。なんとなく、僕もそのようにしないといけないのか、という気がして、そのまま彼女のことは聞くに聞けなくなっていってしまった。


何がどうなったのかよく分からないまま年が明け、学校も始まりまた普段通りの生活が始まっていったが、以前と変わったことが一つだけあった。



母の顔を、何故か上手く見ることができない。


レノラなんて初めから家には上がり込んでいなかったのだと強く自分に言い聞かせても駄目だったし、あの日の母は僕の身を案じ守ろうとしてあんなにも気を乱し泣いていたのだと必死に思い込んでも、無理だった。



僕は、母のことがいつの間にか嫌いになっていた。



母は子ども思いのとても思いやり深い人で、それはずっと変わりないはずだったのに。



それでも、僕は母のことが嫌いになっていた。





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