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Stockholm syndrome  作者: かも
第3章
20/32

Stockholm syndrome 18





朝、僕はなかなか起きてくれないエドガーをどうにか起こして駅まで送っていった。


駅についても寝ぼけ半分なエドガーが心配で、僕はエドガーと一緒に列車に乗るべきか暫く悩んでいた。


携帯を取り出し、店長に仕事に遅れることを連絡しようと思った矢先、エドガーが僕のシャツの裾を引っ張る。


「一人で帰れるもん」と、一生懸命目をこすりながら言われても、正直心配でしかない。


これまでは帰りの時にも父がエドガーを迎えに来てくれていたので、一人っきりのエドガーと駅で別れるのは初めてのことだった。



「本当に、大丈夫?」


僕が顔を覗き込みながら尋ねると、うん、とエドガーはこくんと頷く。


「…それじゃあ、父さんと母さんに、僕は元気だからって伝えておいて。気をつけて帰るんだよ、エドガー」


弟に伝言を頼むのではなく、一緒に帰ってやって直接会えばいいじゃないか、と僕は心の中で呟く。


けれどもそうしたら、一人で帰れるのだと僕に懸命に訴えているエドガーが可哀想だ。


僕は無理矢理そう思い込みながら、改札へと歩いていくエドガーの後ろ姿を見送った。






「…僕、君にここの花屋で働いていることを教えていたっけ?」


その日の午後にエドガーは無事家に帰り着いたという連絡が父から入り、僕は肩の荷が下りたようにホッとしていた。そしてそれから一週間ほど経った頃。


昼間に突然、僕の勤める小さな花屋、プティボヌールにメルシーが花を買いにやって来た。



「花屋で働いているっていうことはなんとなく知っていたけど、貴女の家からそう遠くはない花屋を探して渡り歩いていたの。三軒目で早くも見つかったのよ!」


と、はしゃぎ気味にメルシーは笑って答えた。


そんな面倒な手段を取らずに僕に直接聞けばいいじゃないか、と僕は言いかけたが、突然押し掛けるという手段を取る方がいかにもメルシーらしいな、と僕は思い直し言葉を噤んだ。



「ねぇ、今日の夜は空いてる?」


ルンルンと店内を歩き回り花々を眺めながら、メルシーは僕に聞いてきた。


僕が別に空いてるけど、と答えた直後、


「あらあら、素敵なお嬢さんから夜のお誘いがきちゃったわね」


と、店の奥にいた店長がひょっこりとやってきて口を挟む。


店長の茶化すような言い方は毎度のことなので、本来なら特に気に掛ける必要などない筈なのだが、メルシーとの今の関係があながち間違いでもないだけに、僕はどきりとしてしまった。


「あ、彼女は僕の学生時代の友人であって別に…」


「ねぇ店員さん、これを素敵に包んでくださる?」


店長に言い訳をするかのようにたどたどしく説明する僕に、メルシーはいつの間に選んだのか、ふんわりとした白色と淡いピンク色の組み合わせがなんとも可愛らしい可憐な薔薇の花達を僕に差し出してきた。


僕を助けてくれたのか、それともただ単に店長の戯言なんて相手にしていないだけなのか。


とりあえず僕は店長を上手く躱すことができた感謝の気持ちも込め、可憐な薔薇達をピンクのリボンで飾り、ブーケにして包んであげた。


こんな可愛らしい色合いの薔薇、一体誰にあげるの?とメルシーに手渡しながら聞いてみれば、


「貴女によ。今夜、貴女の家まで届けてあげるから、楽しみにしていて」


と、耳元で甘く囁かれてしまい、僕は何がなにやらと暫く硬直してしまう。


そんな僕を見てクスクスとメルシーは笑い、満足そうに帰っていくのだった。





同日の夜、僕の家の中には薔薇の優雅な香りが漂う。



「貴女って…演技が下手よね」


僕のためにわざわざ花を飾る花瓶まで持ってきてくれたメルシーは、テーブルの上で花の配置を細かくいじりながらぼそっと呟く。


「え?あ、あの昼間の店長に茶化された時のこと…?」


僕はこんな可愛い薔薇の花がまさか自分の家に飾られるなんて、とソファからぼんやりとその光景を眺めていたので、メルシーの呟くことの内容を理解するのに多少時間がかかってしまった。


「あぁ、あの人店長だったの。そう、それよ。あれじゃ私と貴女がなにやら怪しい仲だって公表しているようなものじゃない」


全くその通りすぎて、僕は昼間の動揺しきっていた自分の態度を思い出し恥ずかしくなった。


花の配置に納得したのか、メルシーはソファに座っていた僕の隣まで歩み寄ってくると、そのまま僕の隣にストンと腰を下ろした。


「ずばり言い当ててあげましょうか?貴女は普段はそれなりに涼しい顔した王子様でいられるみたいだけど、咄嗟のこととなるとついついボロが出ちゃうみたいね?」


ずいっと顔を僕に近づけてきてふふっと笑うメルシー。


「そう、なのかな…?」


ここで素直にそうだねとも言えない僕は、恥ずかしさで赤くなっていた顔を隠そうとわざとらしくメルシーから顔をぷいと背けてしまった。


全く、これではメルシーの指摘を認めているようなものではないか。


メルシーは近付けた顔を渋々とひっこめてくれたが、



「それに、この間貴女の弟クンがやってきた時も、貴女そうだったもの」


と、ぽつりと独り言のように呟いた。


なぜ、ここで急にエドガーのことが出てくるのだろうか。


「…僕、別にエドガーの前では普通だったと思うけど?」


と僕が聞けば、


「その前の日の、私と映画を観た後の時よ。貴女メールで送られてきたエドガー君の写真を見たでしょ?あの時、貴女ずっと眉間に皺をよせて携帯を睨んでいて、何事かと私が覗き込んだって気が付かないくらいだったわ」


僕はメルシーの言うことをまさか、と思いながら聞いていた。だが、そう思うだけで、何も反応することは出来なかった。


今の僕が、一体どんな顔をしているのかさえ分からない。



先週の、眠たいのをどうにか頑張って我慢しながら帰っていった可愛い弟の姿を思い浮かべた。



そして今、もしまた眉間に皺がよったひどい顔をしてしまっているのだとしたら。



僕は恐ろしい不安に駆られてしまっていた。








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