Stockholm syndrome 13
無遠慮に、僕は昔彼女に注意をしたことがある。
それは僕たちが女学校に入学してから暫くして、メルシーが父親の会社の優待券を周りに執拗に配り出した時のことだ。
その時の僕は、金目の物を校内で流通させるのは規則として良くないと思ったから彼女に注意したに過ぎなかった。
ところが僕の優等生を気取ったその態度が彼女の顰蹙を買ったのか、メルシーはますます周囲を金目の物を使って注目させ、取り巻きのようなグループを作っていった。
次第に僕は、規則だとかそんなものはどうでもよくなった。
ただメルシーに、そんな馬鹿な行為はやめるようにと強く突っかかり、彼女も彼女でそんな僕を強くはね除け、互いに苦々しく思いあっていくのだった。
「君は昔から、そんなに自分自身に自信がないの?人から自分を遠ざけようといつも必死だね」
昔の彼女との厄介事を思い出しながら、いよいよ僕は苛立つ心を隠せないまま彼女に反撃をする。
少しだけ、長い睫毛を持つ瞼がぴくりと動いた気がしたが、すぐに「じしん?」とまるで今日初めて知った言葉かのように目をぱちくりとさせるメルシー。
もしかしたら、本当に彼女は自信というものを知らないのかもしれない。
生まれた経緯はどうであれ、下世話な出版社に、自分の誕生をまるで商品開発の成功かのように書かれてしまったメルシー。
もし、そのことでメルシーがひどく傷付きずっと気にし続けてきたのだとしたら、それを知っていながら彼女にこんな事を言ってしまう僕は相当の性悪だ。
「貴女の言うことの意味が分からないわ。人から自分を遠ざけるって、どういうこと?」
メルシーはわざとらしく顎に手を当て、怪訝そうに僕に聞き返す。
自覚がないはずはない、と僕はその事に関しては思った。
「君が金目の物を使ったりして人の気を引こうとしていたのは、人と真正面から向き合うのを避けたいが為だったのだろう?」
直接本人に言ってやるのはこれが初めてだが、女学校時代から僕はずっとそう思っていた。
そして、なんて馬鹿げた事をわざわざするのだろうと僕はずっと不快にも思っていたのだった。
正直、高飛車な態度を突き通していたメルシーは皆に嫌われていた。僕も、彼女のことを好きにはなれなかった。
それでも僕が他の子達に混じり彼女の事をとやかく言う気にはなれなかったのは、なんとなく彼女の行う馬鹿げた行為に虚しさを感じ、自分が何故そう感じるかよく分からなかったからだ。
メルシーはしばらくテーブルの上のカップをじっと見つめて何か考えているようだったが、
「まさか、あの優しくって皆から好かれている王子様からこんな手厳しいことを言われてしまうなんてね」
と、自虐とも嫌味とも取れる言い様をするとクスクスと笑いだした。
「ふぅ、全く可笑しくって笑っちゃうわ。けれどもそうね、そうなのかもね。貴女がそう言うのならそういう事なんじゃないの?」
早口に無理やり会話を終わらせるとメルシーは急に席から立ち上がった。
彼女はカフェから出て行く気だ、と瞬間僕は思った。
メルシーは、今日のデートの前に僕に自らの過去の事を明らかにしてくれた。
それは、少しでも僕と真正面から向き合おうとする気があったからではなかっただろうか?
もしそうなら、本当は僕も彼女の姿勢を見習わなければならない。それなのに僕は、彼女の心理を探ろうとしてばかりだった。
気が付けば、僕は思わずメルシーを引きとめようと勢いよく立ち上がり、彼女の腕を掴んでいた。
勢いよく立ち上がった反動で椅子は大きく音を立てて倒れ、周りの客は何事かと僕たちの方に注目する。
ざわざわとした雑音は残しつつも、僕が立てた大きな音のせいで少しだけしんと静まりかえった店内。
「…ねぇ、私の格好ではなくって貴女のせいで変に目立ってしまったけれど、どうする?」
足を止めたメルシーがくるりと僕の方を向き聞いてくる。
僕は恥ずかしさで全身が熱くなり硬直してしまっていた。
そんな僕にお構いなしに、メルシーは更に僕に追い打ちをかける。
「…貴女がここで私にキスでもしてくれれば、金目の物を使って貴女を煩わせる事を考え直してあげてもいいのだけど?」
ギャラリーへのサービスにもなるし、と一言付けたし、彼女は悪戯に笑うのだった。




