彼女がいる部屋
璃青さんは、付箋だらけの澄さんの手書きのレシピノートの山に目を丸くしてつめている。十一月の半ばの週末、俺は璃青さんを部屋に誘った。本当は杜さんたちみたいに外へデート出来たら良かったのだが、色々やらねばならない事があったのでお家でデートと地味な事になっていた。
「これが澄さんのお気に入りの料理や、覚えた料理の記録。結構面白い料理も多くて黒猫の参考資料として使わせて貰っているんだ」
実はコレを今Excelでデータ化する事を始めている。料理名と材料と簡単な作り方、そしてノートナンバーを入れ、いつ黒猫で使ったかを記録していっている。今まで澄さんの頭の中で漠然としていたものを視覚化してわかり易くしたのだ。お陰でレシピの、検索がかなり楽になった。
「それで、来月はクリスマス月なのでカクテルサラダみたいなモノあれば楽しいかなと思って、マリネとか、このグラスポテトサラダとか良いかなと思って。これ面白いんですよ、ポテトサラダの上に色々トッピングしてあって見た目スィーツっぼい感じなのでケーキみたいに楽しめるかなと」
ふと黙ったまま俺をジッと見ている璃青さんが気になる。もしかしてダラダラ話し続けて呆れている?
「璃青さん?」
声かけると璃青さんはハッとしたような顔をして慌てる。
「あ、ごめんなさい。ちゃんと聞いてたよ。
あのね、こうして裏でも黒猫のお仕事を頑張ってる透くんの姿が見られて嬉しいな、って」
そんなこと言われると照れてしまう。顔が赤くなるのを感じて目を逸らす。
「そんな、普通ですよ。璃青さんだって店開けてない時間もアクセサリー作ったり、業者の人と打ち合わせしたり、道歩きながらデザインのアイデア探したり」
フフフと璃青さんは笑う。
「うん、それはそうなんだけど。
でもね、そのお仕事をしている透くんの世界にわたしもこうして一緒にいられるのが嬉しいのかも。
例えどんなことでもね、こうして新しい透くんを見る度に、わたしの中で透くんが大きくなるの」
璃青さんの言葉に心臓がドクンと大きく動く。この人ってなんでこうも人を幸せにする言葉を俺に投げかけてきてくれるのだろうか?
「確かに色んな世界を璃青さんと共有する事で、そこがより素敵な場所になりますね。この部屋も、商店街も……」
嬉しくて愛しくて抱き寄せキスをしてしまう。すると何故か瑠璃青さんは慌てて離れていく。
「もうっ。仕事しようよ、仕事!
………えーと、まずはどれを作るのかな」
巫山戯ていたわけでもなく真剣な気持ちでその言葉を言ったつもりだし、それに今はデート中なのだと思うのだが……。璃青さん髪の毛をゴムで縛りレシピ帳を手に取り、大真面目な顔で作り方を確認しキッチン部分へと向かってしまった。
俺はリビングのソファーに置いておいたエプロンを持って璃青さんを追いかける。
「お洋服汚れたらいけないので、エプロンをつけてください。澄さんの借りておいたので」
璃青さんは、少し驚いた顔をするが素直にエプロンを受け取りそれを身に着ける。Aラインで胸の少し下の所にリボンのついたサーモンピンクのエプロンは俺が思っていた以上に似合っていた。エプロンって単なる作業着であって、それ以上に価値なんていままで思った事なかったけれど、璃青さんのエプロン姿を見てその認識が変わってしまう。エプロンをつけ髪を結え料理を張り切って作ろうとする璃青さんがまた違った意味で魅力的に見えたからだ。澄さんが料理を作る時にエプロンをつけてその作業に挑むように、エプロンを身に着けることが心の何かのモードをかえる事に役立っているのかもしれない。璃青さんの凛々しさと可愛らしさとパワーが増したように見える。
ボーとしてしまった俺を璃青さんが不思議そうに見上げてくる。
「いえ、エプロン姿の璃青さんも素敵なので。奥さんって感じでなんか……」
そう言うと、璃青さんは目を丸くする。
「え。奥さん……って誰の?」
奥さん……つまりは妻。そして想像してしまう花嫁姿の璃青さんとその隣に立つ俺。って、何、俺は一人で突っ走っているんだろうか? 俺も慌ててしまう。しかし結婚したら、こういう姿が俺の日常になるというのも素敵な気がする。しかし付き合って一月もしないでそんな事、口にしたら璃青さん絶対呆れてしまうだろう。
「え、あの……
り、料理でも作りますか!!」
俺は赤くなってしまった自分の顔を自覚しながら、流しの方へと移動することにした。
「ふぅん。ジャガイモは蒸すのね」
蒸し器に洗ったジャガイモを並べていると面白そうにそう言ってくる。
「好みの問題だと思いますが、その方がホクホク感が楽しめるからウチはそうしているんですよ」
璃青さんのおっかなびっくりな様子でハチノスを切っている様子が可愛い。
俺はその隣でハムを刻む。
「通常はカリカリに焼いたベーコンと隠し味に粉チーズで風味を加えて黒胡椒で味を引き締めるんだけど、今日はトッピングと喧嘩しないようにハムにしてます」
一度包丁とまな板を洗ってから、俺は野菜を刻み始める。
「ほうほう、そうだったのね。黒猫のポテサラの秘密を知ってしまったわ!うん、今度お家でも試してみよう」
璃青さんはそう言ってニッコリ笑い、鍋にハチノスを入れてローリエ、生姜ニンニク等も加え火をかけた。その後もう一度レシピを見て作業を確認している。几帳面な様子がなんか微笑ましい。
「黒猫に食べに来た方が早いよ」
「あら、自分でも作る事に意味があるのよ。折角手に入れた秘伝のレシピだし、こうして折角作る機会が与えられたんだもの」
威張ったポーズのドヤ顔でそう言うけれど偉そうにも憎らしくもならないのが璃青さん。璃青さんは材料の野菜をまな板の横に並べてから野菜を切り始める。俺の方の下準備は終わったので、野菜のみじん切りを手伝う。
「透くん、包丁使いかなり上手いけど、黒猫手伝っていたから?」
璃青さんの、言葉に俺は首を横に振る。
「両親が共稼ぎで、家事俺が一人やっていたからね」
もう一人家事やるべき筈なのに全く放棄してきて、俺を扱き使っていた存在をふと思い出し頭を横に振り頭から振り払う。
「そうなんだ……。ずっと杜さん達と暮らしていたんだと思ってた」
「就職活動するのにこちらのほうが便利だからお世話になってたんだ。そしてここに就職」
ニコニコ笑いながら璃青そんはハチノスをザルに上げ鍋に戻し、水を入れ再び煮始める。
「そうしてここで、最高の仕事を見つけたのね」
俺の方を見上げそう言い笑う。
「黒猫で仕事している透くん、何ていうか格好いいよ。というか、ハマってるし、天職だと思うわ。透くんがホールに立つとね、紳士的な性格が物腰にも表れていて、動作に品があってとてもスマートなの」
どういう選択が最高だったのかは分からないけど、璃青さんに明るい笑顔でそう言われるとそう素直にそう思えてしまう俺がいた。そして璃青さんがハチノスのトリッパを作っている横で俺はホテトサラダを仕上げる。二人でガラスのカップに入れた上に、ラタトゥユやクリームソース等様々なトッピングをしていった。ポテトサラダベースなのに、トッピングする事で見た目も華やかになりコレは良さそうに思えた。
テーブルに璃青さんが料理を並べている間に俺は牡蠣のアヒージョを作り二人のディナーは完成する。
二人で作った料理は、自分で言うのも変だけど最高に美味しかった。
しかしこれは璃青さんといるからなのか、本当に美味しいのか冷静に判断するのは難しい。それだけ二人でのこの時間は楽しく、幸せに満ちていた。なんでもない会話が楽しく、ただ視線を合わせるだけで心が温まり、その声を聞くだけで気持ちが昂揚する。こんな状況だと、ファストフードの食事でも絶品に思えてしまうかもしれない。
俺は調理器具を返すついでに、下の階にもこれらの料理を持っていき、杜さんと澄さんにも判断を仰ぐ事にした。
二人は都内にコンサート見に行き留守なのでキッチンに下がっている黒板にその旨を書き冷蔵庫に料理を入れて、璃青さんの待つ六階に戻る事にした。




