醸す愛
閉店前、演奏も終了し学生バンドも談笑しながら舞台で後片付けをしており、店にはCDから奏でられスウィングジャズが流れる。なんともまったりとした時間が流れる黒猫。この時間帯はホッとすると同時に寂しさを感じる。カウンターでグラスを洗いつつ、ついつい考えてしまうのは璃青さんの事。元気にしているのだろうか? 笑ってくれているのだろうか? 俺が心配する事でもないことを考えてしまう。
カララン
軽やかに響く鐘の音にドアを見ると篠宮酒店の醸さんが入ってきた。俺と目が合うとその瞳を優しく細めてくる。
「いらっしゃ……あ、醸さん。こんばんは」
醸さんは、商店街でも仕事的に接する事も多いだけでなく、なんか波長もあうので、仲良くさせてもらっている人だ。穏やかな人なので話していて何処かホッとする。
「こんばんは、ユキくん」
俺の挨拶に醸さんは、真っ直ぐコチラにきて俺の前のカウンターに座るのでおしぼりを出す。
「いつもので」
少しはにかんだような醸さんらしい笑みを浮かべそう注文してくる。カクテルを作る前に、お通しを出すと、醸さんはフワリと笑う。良かった今月はカボチャサラダを猫の形にしていたのだが、それを男性の醸さんにどうかとも思ったものの、楽しんでもらえたようだ。
醸さんのお気に入りのカクテル、クラレットティを作る間、店内をゆっくりと見渡す瞳がいつもより哀しげで寂しそうに見えた。
「醸さん、何かありました?」
醸さんはカクテルグラスに口をつけて、……そのまま一口も飲み込まず口に付けた所で、動きを止めグラスをテーブルに戻す。
あっ、醸さんがカクテルを楽しむのを余計な一言で邪魔してしまったと後悔する。
「えー、と。あー。分かる、かな」
醸さんが困ったような、照れたような笑みを浮かべる。
そして何か話し出しそうとして、周りをキョロキョロと見渡す。
「今日、小野くんは?」
小野くんは今日シフトに入っていない。
「お休みですよ。彼に用ですか?」
「あ、いや……」
醸さんは慌てたように、首を横に振りハハと笑う。醸さんと小野くん何かあったのだろうか?
「あ……あのさ、その、透くんの意見を……いや、違うな。その……話、聞いてもらえるかな」
もし、ウチの小野くんが醸さんに何か迷惑かけているとなると大変である。俺はユックリ頷く。
「醸さん?」
「多分俺、まともに話せないと思うから、その……断片でも、聞いてくれると嬉しいんだけど」
なんか、醸さんはひどく言いにくそうにモゴモゴそんな感じで話し出し、ハッと周りを見渡す。
「あ、でも仕事の邪魔だろうし、今度、今度時間を作ってもらえれば……!」
「大丈夫ですよ、もう落ち着いていますから。
呼ばれたら席を外すかもしれませんが、それでもいいですか? もう皆さんノンビリモードなのでなさそうですが」
そう言うと醸さんは、落ち着きなく視線を動かし、小さく溜息をつき『ゴメン』と俯く。そして、そのまま黙り込んでしまう。
「醸さん?」
そう声かけると、ハッとした顔でコチラを見返してきてからポツリポツリと話しかける。
「その、恥ずかしい話……なんだけど……」
醸さんも、今恋愛に悩んでいる事を知らされる。個人名は言わなかったけど、醸さんが、商店街の幼馴染みの女の子誰かへの愛に最近気が付いたようだ。
「そう、ですか。好きな相手に、もうお付き合いされている方がいるかもしれないんですね」
相手の男性は誰とは言わなかったけど、今日の醸さんの話の感じから相手は小野くんなのだろう。知らなかった小野くんが商店街の人とおつきあいしていたとは……。今は面倒くさいから恋愛する気になれないとか寂しい事言っていただけにその部分は意外だったけど、そう言う相手が出来ていて事は喜ばしいと思った。
「確定に近いんだけどね。その……実は、彼女への気持ちに気付いたのがつい最近過ぎて、気付いてすぐ失恋確定だったわけで……。その、気持ちの持っていきようがないというか」
状況はやや違うものの、好きになった相手に想いを応えてもらえない。そういう意味では俺と同じ。つい気持ちは醸さんに入っていく。
グラスが空になっているのでそっとお代わりのクラレットティを作って差し出す。元気に、なってもらいたくて少しだけブランデーを濃い目にしておいた。
そのカクテルを一口呑んで、哀しそうに微笑む。
「彼女の幸せを願い、俺はこの想いを捨てるべきなんだろうね」
そう言う醸さんに、俺の気持ちが違うと叫ぶ。
「別に、気持ちを消すことはないと思います」
「ユキくん?」
ポカンとした表情で醸くんは俺を見る。
「人の気持ちは、変えようと思って変えられるものではないですから」
「で、も……。情けないだろ?」
人を真剣に想う事が、格好悪い筈がない。
「いいえ」
つい声を大きくなってしまったので、小さく深呼吸して心落ち着ける。
「醸さんがその方の事をとても大切に思っているんだなって、凄く伝わってきましたよ。そんな醸さんだから、感情のままにその方を傷つけるなんてことはありえないと思いますし……。
だから、無理に忘れようとしなくてもいいと思います」
というか、想いを消そうなんて悲しい事言わないで欲しかった。それにそんな事出来る訳ない。俺もふられたからって、璃青さんへの想いをなかった事にするなんて出来ない。
俺の気持ちが、通じたのか醸さんはフワリと笑う。いつもの優しい醸さんらしい笑顔。少し哀の色帯びているけれど、店に来た時のような迷いがない。そこに少し安堵する。『ありがとう、またね』そう言って去って行く醸さんに俺は心の中でエールを送りつつ、俺も同じように頑張ろうと思う。
俺が醸さんと話し込んでいたことで、お客様はすっかりいなくなっていた。澄さんもおらず気が付けば杜さんと二人。杜さんがショットグラス二個とブランデーの瓶をもって近づいてくる。
「ユキくんお疲れさん」
俺は注がれたクラスをとり、杜さんと軽く掲げてからそれを呑む。
「相談受けるようになったならば、バーテンダーとしても成長したな」
そんな事言われ俺は頭を横にふる。
「醸さんは、お客様という以前に、友達ですから、そんな話しをしてくれたんだと思います」
杜さんはフフフと笑う。
「まあ、今日のアドバイスは悪くはなかった。
でも、俺の意見は少し違うかな」
杜さんの言葉に俺は顔を上げる。間違えたアドバイスしてしまったのだろうか? 不安になる。空になった俺のグラスにお代わりを注がれる。
「俺なら、そんな諦められるような相手ならば。さっさと忘れろ。
諦められないなら、どんな手を使ってでもモノにしろ!
そう言うかな」
……杜さんらしい。俺はグラスを煽る。
「……でも、他の人といた方が幸せってこともありますよね?」
そう返すと、杜さんはニヤリと笑い、三杯目のお代わりが注ぐ。
「何故、一番愉しい所を他のヤツに譲る?
てめえが一番に幸せにしたら良いだろ! そう思わないか?
他のヤツに笑いかけている顔なんて見続けたくないだろ?
その笑顔も何も全部自分のモノにしてやりたいと思うのが男だろ?」
醸さん向きではないようなアドバイスだったけど、その言葉はお酒とともに俺の心に沁みていき、酔いに似た熱をもっていく。会話というより、杜さんの話を聞いているうちに、二人で一本空けてしまっていた。
「ユキくんは良い子過ぎる。でも、たまには我が儘になれ! 本能のまま行動してみろよ」
少し酔いボワンとしていると、杜さんが近づき耳元でそう囁いてくる。
アレ? 醸さんの相談事の話だったはずだけど、とボンヤリと考えながらも俺は頷く。杜さんはニヤリと笑い俺の肩を叩く。
「じゃあそろそろ帰るか。部屋に戻ろう」
その言葉で、ささやかな飲み会は終わりを告げる。グラスを洗い片付けてから部屋に戻り溜息をつく。
酔いを醒ます為に、ベランダに出ると少し冷たい外気が俺の頬を撫でる。見上げると、ほぼ満月という感じの月が見える。明日が十三夜。璃青さんはどういう答えをしてくるのだろうか? そう思っていたらポケットの携帯電話が震える。
ディスプレイにある名前にドキリとする。璃青さんからメールだ。
『今日、マムという花の花言葉を知りました。透くん分かっていて選んだの? そうだったらいいな、と思っている私がいます。
ここに来て、今までで一番あなたの事を考えています。答えはもう、私の中で出ているのかもしれません。
今日の月、昨日よりまた少し丸いかな
明日は晴れますように、おやすみなさい』
この文章、俺の事を想ってくれているように読めるのは俺だけなのだろうか? 体温が上昇してドキドキしてくる。
『今日の月は、さらに輝きを増して綺麗ですね。
マムの花言葉ですが、お花屋さんで教えてもらったので知っています。
愛する人に贈る為の花を買いに来たことバレバレだったみたいです。
俺は今だけでなくずっと璃青さんの事を考えています。商店街を歩いていても、仕事していても心が璃青さんを探してしまっています。
明日戻ってくるのを待っています。
お休みなさい。良い夢をお楽しみください」
俺はすぐにそう言う言葉を返す。本心を言うと、『待つ』なんて優しい言葉ではなく、璃青さんを求めている。心も体も、璃青さんを欲している。
『その笑顔も何も全部自分のモノにしてやりたいと思うのが男だろ?』
杜さんの言葉が脳裏に蘇る。
フー
俺は大きく息を吐く。そして月を見上げた。
今回の物語は、篠宮楓さん、たかはし葵さんと同時公開です。
醸くんとの会話は篠宮さんと、璃青さんとの会話はたかはしさんと相談して創作しています。
醸くんの様子は『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』にて、
璃青さんの様子は『Blue Mallowへようこそ〜希望が丘駅前商店街』にて楽しむ事が出来ますので、ぜひ一緒に楽しまれてください!
同じ日にそれぞれが何を思っていたか? というのを楽しむ事が出来ます




