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月の引力

 空を見ると夏とは明らかに違う淡いブルーで少し遠くに見える。もう秋になったことを改めて感じさせくれた。

 璃青さんも、秋らしいダークブラウンとベージュがチェックになっている丈の長いシャツブラウス、紺のデニム地のふんわりとしたロングスカート姿で、おそらく彼女お手製のブルーの石を使った素朴な味わいのあるネックレスを胸に垂らしていた。シンプルでいて、然り気無くアクセサリーを使いお洒落を楽しむ。それが璃青さんのスタイル。自らお手製のアクセサリー使って見せることでお客様にアピールしているという意図もあるのだろうが、そのナチュラルな雰囲気は、璃青さんによく似合っていた。いつの間にか日課のように隣を訪れるようになっていた俺は、彼女の向かい側に座り金魚を眺めながら、今受けようとしているワインエキスパート試験について話をしている。本当はソムリエの方を受験したいのだが業務経験日数が規定に満たない為に、二十歳以上であれば受験可能のコチラをチャレンジすることにしたのだ。璃青さんは、そんな俺の言葉を穏やかに笑いながら聞いてくれている。

 璃青さんが人の話を聴くのが上手いのか、いつになく多弁になっている自分を感じた。受けようとしている試験の事、黒猫でやってみたい事。俺は何故こんなに彼女に夢中で話しているのだろうか? 俺は璃青さんの側に居る事に例えようのない居心地のよさを感じながら、他愛なくも平和な毎日を過ごしていた。



『明後日の夜、七時にあの花火の河原で待っています。  澤山 璃青』


 九月も二週目に入ろうと言う時期に、そんなメールが璃青さんか届く。何か考えるよりも前に自分がニヤついているのを感じた。どうしようもなく嬉しい。バレンタインやクリスマスに誘われるよりも、月見に誘われる、ということが特別に感じるのは俺だけだろうか?

 『あの花火の河原』というフレーズも胸が熱くなるような感情を沸き起こす。空に咲く大輪の花、浴衣姿の璃青さんの姿、腕にしがみついてくる柔らかく暖かい感触、香りが蘇り俺をドキドキさせる。


 朝、その河原をランニングしていても、いつも以上にテンションが上がり、空を見上げては当日の天気を気にしていた。

 その想いが通じたのか朝から天気もよく雲もない絶好の月見日和となった。

 約束の時間よりもかなり早く到着してしまったのに、彼女はもう河原に佇んでいた。内心驚きつつも、もしかして璃青さんも楽しみで待ちきれなくて早めに来てくれた? なんて事を考え、それはないかと……と否定する。


 軽い挨拶をして、璃青さんの促す声で、二人で河原をゆっくりと歩く。夏の時と異なり、少し冷たい風が気持ち良い。秋の虫と自生のススキが月見を素敵に演出していた。

「綺麗ね」

「そうですね、………本当に綺麗だ………」

 静かに会話しながら歩いた。前を行く璃青さんの細く少しクセのある、柔らかそうな髪からシャボンを感じさせる爽やかな香りが漂い鼻腔を擽る。冴えわたった空にはポッカリと丸くて大きな月が浮かぶ。

 俺は小さく深呼吸して、この今の空間を五感で楽しんだ。

 気が付くと辺りも暗くなっていて、風景を闇色に染めて周囲の存在を消していく。今の俺が感じるのは、夜空で耀く月と、少し前を歩く璃青さんと、二人を包む風と、控え目に秋を謳う虫の聲だけ。


「ぁっ!」

「璃青さん!」


 暗くて足元が不安定だったのだろう、璃青さんが転びそうになるのを慌てて両手で支える。

 すると胸に引き寄せたような格好になり、思いがけず密着してしまった。すぐにそっと手を離したけれど、動揺と恥ずかしさからか俯いて小さい声で「あ、ありがとう」と呟く璃青さんがなんか可愛い。

「いえ。璃青さんが無事で良かったです」

 年上なのに、何処か可愛くて守ってあげたくなる。そう言ったら気を悪くするだろうし、そんなに守らなきゃならんしような弱く頼りない女性でもない。自分の足でシッカリ立ち歩いている大人の女性。

「手、繋いでもいいですか?心配なので」

 手を既に取ってしまってからこの言葉もないなと、自分に笑ってしまう。けれど、今はこの手を放したくなくて、俺は返事も待たずに歩き出す。璃青さんは、そんな俺に小さく溜め息をつき、何も言わずにそのまま歩いてくれる。何でもない会話をしながら、“璃青さんから見て俺ってどういう存在なのだろう?” と思う。“単なるお隣さん”? “弟みたいな子”? それとも………。

「ねぇ、ユキくん」

「はい」

 突然、名を呼ばれドキリとする。と同時に彼女の方から、繋いでいた手をそっと離された。温もりを失った手が寂しいと思ったその時、俺の手のひらには代わりに何か小さな布の袋がのせられていた。

「この間言ってたお礼。はい、これどうぞ」

 軽く握ると中に石のような硬いモノが入っている感触がする。

「これは?」

「天然石で、お守りを作ってみたの。でも、こんなの貰っても重いよね。ごめんね。あの、お気に召さなかったら処分してくれてもいいの」

 俺の為に? その言葉に胸が熱くなる。一体どんな気持ちでこれを作ってくれたのか……。

「そんなことしませんよ!………どうししようもなく嬉しいです!ありがとうございます。大事にしますね!」

 もっとスマートにお礼を言いたかったのに、少し支離滅裂で情けない。

「うん、どういたしまして」

 そんな俺に璃青さんは目を細めて笑う。

「忙しいのに出てきてくれてありがとう。遅くならないうちに帰りましょう?」

 貰った御守りを握り締めその手触りを楽しんでいると、璃青さんはこの時間の終わりを静かに宣言してくる。

「もう少し、月、見ていきませんか?」

 まだ終わらせたくなくて首を横に振り、そう返してしまう。

「…………え」

「折角の中秋の名月ですよ。こんなに綺麗なんだからもっと見ていたい。

 …………璃青さんと」

 戸惑っている感じの璃青さんに俺はさらにそう言葉を続ける。若干駄々をこねた感じになったのが恥ずかしいのもあり月に視線を戻す。

「月って神秘的な力を持っているんですよね。ただ空にあるだけで、海を持ち上げ、地球にいる生物に影響を与える」

 二人の間に降りた沈黙で生まれた間を埋める為にそんな話題を始める。

「そうね。満月の夜は、子供が産まれやすいって言うものね」

 そう受けてくれた事で、彼女が帰ることを思い留まってくれたことを感じた。でもヤレヤレと諦め仕方ないという顔しているのかもしれない。でも怖くて月から視線を動かせず確認出来なかった。

「実はね、俺も満月に呼ばれて、予定より早めに産まれてしまった子なんです。そのせいで色々スケジュールが狂って大変だった、って母から未だに文句を言われる事がありますよ」

 間が怖いので、俺は何故どうでも良い会話を続ける。

「そうなんだ。じゃあ、ユキくんは月の子なのね」

 その言葉に思わず彼女を見つめていた。真っ直ぐ俺を見ているその視線に息を呑む。その白い頬に手を伸ばし、風に煽られて揺れていた髪を指先で梳いてしまったのは本当に無意識だった 。璃青さんがビクリと固まり、我に返る。

「すいません、少し乱れていたので」

 俯いて頬を染め、小さく『ありがとう』という璃青さんに若干の疚しさを感じる。同時に胸の鼓動が激しく動き出す。

「人間、いや、地球にいる生物全てが月の子なのでしょうね。月にこうして力を貰って生きている。満月を見ていると、何故か元気になりませんか?」

 一見真面目に聞こえるけど、意味のないどうでも良い話題を続けた。これ以上不用意に触れてしまわないように、そして心の乱れを誤魔化すように。

「…………そうだね」

 璃青さんは頷き、明るくニッコリと笑顔を俺に返す。先程の俺の行動をまるで気にしていないかのようなその表情にホッとする反面、寂しいとも思う。彼女の中では男とすら意識されてない自分を実感してしまったから。そこまで考え自分の想いに気が付く。俺が璃青さんを気にしていたのは、お隣さんだから、とか、か弱い女性だからではない。璃青さんだから。俺は左手で握ったままの御守りをギュウと握りしめる。優しく俺に笑いかけている璃青さんに、俺もニッコリ笑顔を返し、再び視線を月に戻した。そのまま二人で黙ったまま、ただ月を見つめ続ける。

 クシュン

 璃青さんのくしゃみの音がその沈黙を破った。

「流石に冷えて来ましたね。戻りましょうか?」

 今度は断りなく璃青さんの手をとると、その手は柔らかいけれど、夜の冷気ですっかり冷たくなっていた。

「すいません、寒かったのでは? こんなに冷えて」

「やだ、気にしないで。誘ったのはわたしなのよ? まだ九月だしそんなに寒くないと思ってたけど、夜は湿度も下がるのかな。もう、ちゃんと秋なのね」

 そう言いながらまた離れようとするその手を包み込むように握り直すと、璃青さんは『 ぁ……』と、一瞬戸惑いを見せた。俺は気付かない振りをしてそのまま歩き出す。璃青さんがその手を引っ込める事も、離してと言う事もないのを良いことに……。そして冷たかった璃青さんの手が、俺の体温を移して少しずつ温まっていく事に幽かな喜びを感じていた。



コチラの作品も たかはし葵さまと二人で話し合いあって作った物語です。『Blue Mallowへようこそ〜希望が丘駅前商店街』にて既に同じエピソードを描かれています。同じエピソードですが視点変えると意味が若干異なって見える様子を楽しんで頂けたら嬉しいです。

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