memento mori
九月に入るとスイッチで切り替わったかのように涼しくなった。
季節だけでなく時間は人に様々な変化をもたらせていたようだ。一昨日、とうてつの籐子さんが、子供ができたと皆に発表してきた。しかも実は哲也さんと結婚していたという驚きの真実も明かされる。
皆一様にその事を喜び驚いていたが、俺も同様の驚きと祝福の気持ちを抱きつつも気にしたのは身重で仕事続けている籐子さん以上に澄さんの事だった。しかし澄さんは明るく表情を弾けさせ籐子さんに抱きつかんばかりに話しかけ喜んでいたことに少しホッとする。その瞳には確かな喜の表情があり、昔のような危うさや虚ろさはなかった。
朝のランニングをしていて、ふと思い立って昌胤寺を訪れる。安住さんの実家でもあるこのお寺、俺は今まで商店街の中で何となく避けていた場所でもある。
俺は入り口でお辞儀して入り、根小山家のお墓へと向かう。一応お墓の入り口にあった墓掃除道具を持って目的のお墓を探す。しかし見つけたそのお墓は綺麗で何もする事ない状態だった。そして恐らく供えられたばかりであろう花と子供が好きそうなお菓子が置かれていた。澄さんが来ていたのだろう。
目の前にあるお墓は、俺の従兄弟で根小山夫妻の息子さんが眠っている。
子供時代、何故澄さんが俺の事を『ユキ』でなく『ユウキ』と呼ぶのか分からなかった。しかしそれを訂正しては駄目だというのは子供心に察する事が出来た。だから俺はしばらくの間、杜さん夫妻の前では『ユウキ』くんだった。
根小山優樹。享年一歳で、乳幼児突然死だったらしい。らしいというのは、俺が産まれる前の話だからだ。そしてその死の一年後俺が産まれた。
根小山夫妻が東明一族から距離置かれているのは、杜さんの職業だけでなく澄さんが俺に行った奇行にもある。赤ん坊だった俺を家コッソリ連れ帰るという誘拐紛いの事をしてしまい、さらに俺を自分の子供だと主張し続けた。俺を息子の生まれ変わりと信じ込んでの行動だったようだ。身内同士での出来事だけに事件とはならなかず内内で収められたものの親戚にはその事実は広まってしまった。その後俺の両親とどういう話し合いが行われたのか分からない。共稼ぎで忙しい俺の両親の育児に杜さん澄さんという要素が加わるようになっていた。親とは異なり思いっきり抱きしめてくれて、甘やかしてくれる二人を俺も大好きになった。『ユウキ』と呼ばれることに違和感があったとしても。
俺が幼稚園に通いだした辺りから、二人は俺を『ユキ』と呼んでくれるようになる。考えたら黒猫をオープンさせたのもそのあたりからだったかもしれない。
それ以後も忙しい両親に代わって幼稚園、小学校のイベント等には来てくれて、夏休みには旅行に連れて行ってくれたりもした。その為、両親とよりも思い出の写真が多いくらいである。そうやって俺は無邪気に根小山夫妻の愛情を受け続けていた。従兄弟の優樹くんの存在を知るまで……。知った時に感じたのはショックというより優樹くんに申し訳ない気持。彼が受ける筈だった「愛」「そしてそれを受ける喜び」それを俺が横取りしてしまっているように感じたからだ。
何故か優樹君の墓参りに根小山夫妻は俺を付きあわせることもなかったので、俺はこのお墓を見て見ぬふりをして過ごしてきたが、今日ついここに来てしまった。しかしここで何をすべきか分からない。
勢いで来てしまった為に手ぶら。お花なりお菓子などのお供え物もってくるべきだったとも後悔する。
「おや、透くん珍しい」
とりあえずお線香を買いお墓に向かって手を合わせお参りしていると後ろから声がかかる。このお寺の住職安住秀平さんだ。俺は挨拶するために立ち上がる。如何にもお坊さんという感じで落ち着いた空気を纏っている。穏やかな柔らかな雰囲気でいながら何処か威厳も感じさせるそんな方である。あのキーボくんの二号さんに入っている安住さんと雰囲気は全く異なるのに、改めて見ると顔立ちは似ている事が不思議で面白い。そしてコレが親子であるというのを実感する。
「おはようございます。ちょっと優樹君のお墓参りに、今まで従兄弟なのに全くここに来ていなかったので」
かなり薄情なことをしてきた事が疚しく感じ目を伏せるが、秀平さんは目を細める。
「良い事だね」
その言葉に俺は顔を横にふる。
結局は優樹くんの為でなく自分の為に来たことも見透かされた気がして恥ずかしくなる。そんな俺をみて、秀平さんは穏やかに笑う。
「人は人との関わりの中、自分を見出していくものだ」
俺はどう言葉を返すか悩み、静かに視線を返す。
「相手が生者であれ死者であれ、その相手と向き合うと言うことは、己と今居る場所を改めて見つめ直すということ。
未来へ進む為にも今の自分の場所を時々確認するのは大切なことだよ。何処かに行くのに地図が必要なように、人生にも座標は必要だからね」
その言葉にハッとする。ただ今の俺にはその座標が見えてもそれ同士をどう繋げるべきか分からない。秀平さんはお寺のお仕事があるのだろう、挨拶して去っていった。
俺はその背中を見送ってから、改めて自分と優樹くん、そして根小山夫妻との関係を考える。優樹くんが今も生きていたら、俺は此処に今こうしている事もないだろう。
そしてこんなにも根小山夫妻に甘える事も出来なかったと思う。俺は自分に両親もいながら、根小山夫妻にも甘えるというズルい生き方をしてきたようにも思える。
俺は大きく深呼吸して昌胤寺を後にした。
根小山ビルヂング前に戻ってきたら、澄さんが朝刊を取りに降りてきていた所だった。俺がいつも取って上がっていたのだが、お墓参りしていたこともあり遅かったから、自分で取りに来たのだろう。俺の顔を見て嬉しそうに澄さんは笑う。
「お帰りなさい。透くん」
俺は『ただいま』と言いながら、その言葉に何か切なくなる。
「今日は遅かったわね。
ん? どうかしたの?」
俺は口角を上げ、笑みを作る。
「……昌胤寺に行っていたので」
俺の言葉に目を丸くして驚いた顔をする。しかしすぐにいつもの優しい笑みを浮かべる。
「ありがとう! 優樹も喜ぶわ、透ちゃんが会いに行ってくれたから」
俺はその言葉にどう答えたら良いか分からず曖昧な笑みを浮かべる。澄さんはそんな俺に『汗流してらっしゃい。朝食一緒に食べましょう!』
そう言って俺を促してエレベーターに一緒に乗せる。
自分の部屋に一旦帰りシャワーを浴びて着替えてから四階に行くと、澄さんがキッチンで朝食を作っているところだった。俺はちょうど来たタイミングで沸いたケトルの火を止め、カウンタにセットしてあったドリッパーにお湯を落と珈琲を淹れる。ここに来てもうすぐ二年。会話なくても自然にこういった役割分担ができるようになっている。
「杜さんは?」
俺が聞くと、澄さんはフフフと笑う。
「寝ているわ。仕事していて寝たのも明け方だったみたいだから」
俺は頷き二杯分の分量でお湯を注ぐのを止めた。そして二人での朝食の時間がスタートする。季節の事とか、商店街の事とか他愛ない会話を楽しんでいたけれど、ふとした拍子に二人の会話が止まってしまう。俺はその沈黙に耐え切れず口を開こうとしたら、澄さんが俺の事をジッと見つめているのに気が付き言葉を発するのを止めてしまい、二人で不自然に見つめあってしまう。
「あっ。す」
「ユキちゃん」
同時に声をかけてしまったので、俺は澄さんに譲り再び口を閉じる。
「ずっと、透ちゃんに言いたかった事があるの」
「……え?」
澄さんは手に持っていたマグカップをテーブルに置く。
「貴方の優しさにずっと甘えてしまってゴメンナサイ」
俺は慌てて顔を横に振る。
「そんなこと、俺こそ……」
「私は貴方を身勝手な感情で傷つけ続けていた。でもそんな私を貴方が受け入れ続けてくれたから、私は救われた」
俺はただ『イヤイヤ』と言って否定することしか出来ない。
「私は貴方を優樹として扱い、貴方を否定し続けていた」
その事を理解していたものの、流石に面と向かって言われると傷つく。しかし同時に自分も同じだと思う。二人が俺を息子代わりにしているのを知っていてそれを利用し甘えてきた。そして優樹くんの存在を俺で塗りつぶしてしまった。
「それは、俺も」
澄さんは、困ったように顔を横にふる。
「兄さんは、私達夫婦の事を、貴方にどう話していたの?」
俺はそう言われ困る。父も母も何も言わなかった。ただ普通に俺の叔父さんと叔母さんとして話をしていた。
「実はずっと貴方を養子に求めていたの。でもベビーシッターとして私達を利用するだけで応じてくれないその事に不満を感じていたわ。でもある時、逆に兄さんに凄く怒られちゃったわ、私達」
父は静かに人を諭す事はあっても怒るという事はしてこない人である。それに澄さんには優しい。それだけにその言葉に驚く。
「私達が貴方を『親同然で可愛がってくれると思うから預けていたが、透の人格を否定して、優樹である事を押し付けるようならば、もう任せられない』と。『そうしてこれかもそうして接するつもりならば二度と貴方を預けない』とも言われたわ。それで自分がどれだけ酷い事を貴方にしていたのか気が付かされたの」
父と根小山夫妻の間でそんな会話がされていたなんて知らなかった。
「それで、目が覚めたの。貴方は優樹ではなく、透なんだって」
澄さんは俺に向かって微笑む。
「どちらも私達にとってかけがえもない愛しい存在なのに。それなのに私達自身がその二人を否定してしまっていたんだと」
俺は違うと顔を横にふる。
「お二人にとって、俺なんかが優樹くんの代わりが務まるなんて思っていません。優樹くんはそれ程、澄さん達にとって特別な存在だから。そして俺こそ澄さん達に優しさにずっと甘えてしまってきていた」
澄さんは顔を傾け、少しだけ哀しそうに笑う。
「優樹は確かに私が唯一この世で生む事が出来た子供。それだけに愛しいし大切な子供。でも貴方は私を生き返らせてくれた子供。貴方が私達を受け入れ愛してくれたから救われた」
澄さんは立ち上がり、テーブルを回りこみ俺に近づいてくる。そして俺を抱きしめる。
「だから、ずっと言いたかったの、アリガトウって。そして優樹の代わりなんかじゃなく、貴方を、透ちゃんを愛しているってちゃんと伝えたかったの」
俺はその言葉にホッとするのと同時に喜びを感じる。
「俺も澄さんの事、杜さんの事を愛してますよ。俺の成長を親と共に見守ってきてくれたお二人を」
澄さんは俺がそう言うとフフフフフと笑い『それは、知ってる』と悪戯っぽく応える。
「でも、透ちゃんには、私達の気持ち通じてなかった気がしたから。
ダメね大切な事って口にちゃんとしなければ。透くんだから好きなの。貴方だから可愛いの!」
二人で顔を見合わせて笑う。そして澄さんは再び俺を優しく抱きしめてくる。
「だからさ、もう私達に遠慮なんてしないで、思う存分甘えて! 我儘言って。私達の可愛い子供でもあるのだから」
我儘を言いたいかというと、首を傾げてしまうけど、俺は『はい』と答え澄さんを抱きしめ返した。俺も二人が甘やかしてくれるから好きなのではなくて、二人だから大好きなんだ。
二人で抱き合っていると、階段を降りてくる音がする。
「おはよう、って。二人で何してるんだ?」
寝不足らしい赤い目で杜さんが挨拶してくる。澄さんは俺から離れ嬉しそうに杜さんに近づいていく。
「おはよう♪ 透ちゃんと愛を確かめ合い、より親睦を深めていたの♪」
澄さんがえらく適当な説明をする。杜さんは澄さんのキスを受けながら、ムッとした顔を返す。
「澄、ズルいぞ、そんな面白そうな事するのに俺を呼ばないなんて」
澄さんはフフフフフと笑う。
「お寝坊さんしているのが悪いのでしょ? 早起きは三文の得っていうじゃない」
杜さんは納得いかないという感じで俺をチラリと見てくる。このまま拗ねるとかなり面倒くさくなるので近付くと、澄さんと共にガシッと抱きしめられる。
それで満足したのか、『腹減った』と澄さんに甘えた声を出し、俺をチラリと見てニヤリと笑う。
「珈琲飲みたいな、濃いやつ」
俺は頷いて杜さんの為にも、珈琲を煎れることにした。
この朝から具体的に根小山夫妻との付き合い方が変わったか? というとそうでもない。相変わらずこういった、他人から見れば馬鹿に見えるやり取りを楽しみ、笑いあっている。でも違いは、俺が自信を持って二人を大好きだと言えて、二人の俺への言葉を素直に受け取れるようになった事だけ。しかし俺にとって大きな意味のある朝だった。
コチラの物語を書く際、鏡野悠宇さん、饕餮さんにご協力していただきました。
内容だけでなくサブタイトルについても相談に乗っていただきありがとうございました。




