求める場所と帰る場所
先が見えない悩みから、どの道を選ぶべきかと、今までとは逆の悩みを抱える事になった。俺はいままでの焦りとは違ったムズムズした想いを抱えながらこの商店街で日常生活を過ごす。
内定をもらった三社はどこいっても面白そうな気はする。ホテルで働く、北欧家具に携わり仕事をしていく、珈琲と触れ合い仕事をしていく、そしてこのままこの商店街で働く。どこが俺にあっているのか? 俺のやりたい仕事なのか、それが分からない。
第二ビルヂングの仕事を済ませ、菜の花ベーカリーに寄って黒猫で使うバケットを買い商店街を下っていくと目の端に Books大矢が目に入る。ずっとシャッターが閉まっていたが最近再開した本屋である。今までは本は駅ビルまで行かないと手に入らなかったのだが、こうして商店街の中に出来たのは嬉しかった。こうしたチョットしたついでに立ち寄れる。
入った瞬間にインクと紙の独自の香りが鼻孔をくすぐる。本屋独自のこの空気がなんか落ち着く。店頭では若い女の子三人が本を並べている。その本を見ておや? と思う。幻想怪奇作家『月野 夜』のコーナーを作っているようだ。『この美しき世界に酔え』文字の入った月が描かれたお手製の宣伝ポスターまで書かれていてかなり大々的に売りだそうとしているようだ。新刊が出たわけでもなく、何故? と首を傾げてしまう。
「月野先生の本は、やはり美しく積み上げないと ♪」
黒髪のロングヘアーの女の子が 『黒猫は二度振り返る』を嬉々としてピラミッドのように積んでいる。なるほどそれぞれの本を、高さを変えてピラミッド状の積み上げ、背後の月のポスターで作家の月野夜の幻想的な世界を再現しているようだ。こういうディスプレイって面白いなと思う。お店や売り出したいモノをお客様に対して分かりやすく表現していく事って大切なんだなと思う。
「あ! 透さんこんにちは!」
このお店の娘さんの友理ちゃんがそう挨拶してくる。商店街の一員であることと、先日のキーボくんの万引き犯逮捕劇の件もあって、顔見知りになった。天然パーマの為か毛先がクルンとしたショートヘアーの女の子で会ったらいつも明るく挨拶してくれる。
「こんにちは友理ちゃん。
それにしても、このディスプレイ凄いね! すごく面白い!
……でも、なんで月野夜?」
そう答えると、三人の女の子の目がすわる。
「ユキさんは、月野夜先生、嫌いなんですか?」
その怒りの籠った視線で問いかけてくる言葉に俺は慌てて首を横にふる。
「嫌々大好きだよ! 全作品初版と文庫で持ってるくらい」
その途端に三人から不穏な空気が消える。この三人も月野夜の大ファンだったようだ。
「え! そうだったんですか! 透さんは何が一番好きですか?」
友理ちゃんののキラキラした目での質問に、俺はうーんと少し考える。
「ミッドナイトシリーズもいいけど、やはり夢三部作のほうが雰囲気が好きで、特に『夢色の記憶』いいかな」
「えぇぇ、ミッドナイトシリーズの方が、より耽美で素敵ですよね!」
友理ちゃんはチョット不満そうに声あげる。ここはファンの間でも意見がかなり別れるところである。
「いやいや『ハテノ ハテ』でしょ! あの容赦ないまで冷酷さはもう萌えますよ!」
ロングヘアー女の子が見た目と口調に似あわない感じでそんな事いってきた。
あれ? 月野夜の作品は退廃的で幻想的が魅力 の作家だけどそれと同時にかなり淫靡で陰惨な所がある。それをこんな女の子が読んでも大丈夫なのかな? と思う。
「私も夢三部作の方が」
眼鏡の女の子もぽつり主張してきて、それを聞いた店長が苦笑する。
「それ言ったら話がややこしくなるからねぇー」
こういう会話は、もう決着がつかないものである。
「こんな風に私達が一生懸命売っているのを見たら、夜野先生喜んで頂けるかな~」
ロングヘアーの大人しそうな女の子が、ハアと乙女チックにため息をつく。好きな作家の本だから、こうして愛をもって勝手に宣伝したいたようだ。
「見に来て下さらないかな~月野先生」
「どんな方なんだろ、きっと長い黒髪の色白の美少女!」
「嫌々、真っ赤な唇と黒目がちの瞳の美青年!」
なんか俺なんか関係なく三人は盛り上がってきたので、あえて口をはさまず離れる事にする。普通に考えてもうデビューして二十年以上経つ作家、青年でも少女でもないのは分かると思うのだが。しかも俺の立場は余計な事を言えない。
そして本屋の中をのんびりと歩く。そして気になる本を手にとりパラパラと見ていく。
『客の心を掴むエントランス』『つい入りたくなる店のボード・メニューブック』『ケチではなく倹約の店舗経営』『繁盛店の学ぶべきポイント』……
ふと、自分が手にとっている本のラインアップを振り返りハッとする。今自分の頭の中にある事、気になっている事が分かり易く見えてしまった気がした。就職試験の時は散々企業研究で手にしていたとはいえ、インテリア関係の本でも、旅行関係、ホテルサービスについての本、珈琲関係といった棚に行ってみようという気持ちすら抱いていなかった。すぐ近くに喫茶店経営の本もあったというのに、そちらはまったく手に取っていなかった。そして今考えているのは、黒猫をどうしていくか? という事だけだった。あのお店が、この商店街がどうしようもなく好きだったという事に気が付き、好きな女の子への気落ちを気が付いたときのようにソワソワしてしまう。手にしていた本を慌てて本箱に直し深呼吸する。落ち着いてきたけど、胸がスッキリして、同時にワクワクしてきているのを感じた。時計を見ると思ったよりも本屋に長居してしまっていた事に気が付く。
「こんな時間だ、帰るか!」
結局この時は何も本を買わずにまだ作業している友里ちゃんらに挨拶してお店を後にする。黒猫までの道を歩きながら、いつも以上に『帰る』って言葉が自分の中でシックリしている事にも気がついた。根小山ビルヂングに到着し、階段を降り黒猫に入ると、杜さんと澄さんが作業していたけれど、俺が入ってきたのを見て手を止め笑顔を向けてくる。
「お帰り! ユキちゃん」
澄さんの言葉に、俺も笑顔になる。
「ただいま。戻りました」
いつも以上に無邪気な笑みを返している自分を実感する。
こちらの話を書く際、大矢 章乃さんに助けて頂きました。
ありがとうございました。




