分岐点
この商店街で過ごすようになってもうすぐ一年になる。ここでの生活は俺の考え方をかなり変える事になった。生き生きと自分の仕事に誇りをもって生きている大人と、シッカリ自分の夢を持っている同世代の人達との交流は、俺の価値観を大きく動かすことになった。
去年は省庁といった堅実狙いの職種を選んでいたのだが、今年からは対象を広げるようになった。もう一つ変わった事は面接にて語るべきネタが格段に増えた。逆に言えばそれまでの自分がいかに人に語るべき事のない人生を生きてきたかという事でもあるのだろう。就職浪人二年目で面接にいい加減慣れてきたし、人と話すのが苦手ではなく、寧ろ楽しい事となってきた。たかが一年だけど、この一年は俺にとって大きな意味をもつ一年だったのかもしれない。
俺は根小山第一ビルヂングの入口で、空を見上げどこまでも突き抜けたその青さに俺は目を細める。六月にはいり、梅雨を吹っ飛ばして夏がきたようだ。第二ビルヂングに向かうために大きく深呼吸をして気合を入れる。ふと見たポストの所に手紙が入っているのに気が付いた。そっと覗いてみると、手紙が五通入っている。宛名を見てその内三通が俺宛でドキリとする。送り主は先週最終面接を行った三社。グシャグシャにならないようにその三通をカバンのポケットに入れて杜さん宛の封書は書類サイズで大きかった事もあり後で回収することにしてそのままポストに戻しておいた。ドキドキする気持ちを抑えながら第二ビルヂングの掃除を済ませ、冷静に封卯書を開ける為にも喫茶店『トムトム』に立ち寄る事にする。すっかり馴染みとなったバイトの雄一くんは俺の顔を見て笑顔で迎えてくれて、大きい椅子に案内してくれる。今はキーボ君ではないのだが、あえて指摘せずその椅子に腰掛ける。
オムライスのランチセットを注文してから深呼吸して心落ち着かせてから三通の手紙とカッターナイフをカバンから取り出した。そっと丁寧の封書をカッターナイフで開けて中の紙を取り出す 。
三通ともほぼ同じような文章で結果を伝えていた。
コトン
音のがして見るとアイスコーヒーとビニールに入れられたクッキーが置かれている。
「お疲れ~
このクッキー、澄さんから貰ったレモンジャム使って作ってみたの! 結構出来良いから……」
孝子さんがそこまで言って不思議そうに俺を見つめてくる。
「何か元気ない? ボーとしていて反応悪いよ!」
そうしてチラリと動かしたら視線で手紙の文章が目に入ったのだろう。目を見開らく。
「え! 内定ってことは仕事決まったの?」
俺より先に嬉しそうに笑い、声をあげる。その声でトムトムの皆が一斉にコチラを見てきて少し恥ずかしくなる。
太郎さんや紬さんも近付いてくる
「ユキくん、おめでとう!」
紬さんの言葉に俺は頭を下げお礼を言う。
「どういう会社に内定が決まったの?」
太郎さんが聞いてくる。
「天河リゾートに北欧家具のEn skogと、あとマメゾン」
三人は目を丸くする、こういう同じ表情をすると三人が血縁者だと分かるくらいよくその顔は似ていた。
「結構メジャーで大企業じゃん! どれも。
……でも、ということは、黒猫辞めちゃうの?」
孝子さんの言葉で一瞬場がシンとしてしまう。しかしすぐに紬さんが笑顔を戻す。
「辞めるのではなく、旅立つといいなさいよ! それにここから通えばいいじゃない、交通の便もいいから便利だしね」
孝子さんはその言葉にいつものニコニコした笑顔が戻る。
「天河リゾートといったら高級ホテルチェーンよね! 家族割とかで皆で遊びに行くのも楽しそう♪」
再び店内に明るい空気が戻ってくる。
「En skogの家具を社員割で買いたい」とか皆早くも、俺がどこ行くと自分たちが美味しいかという話題で盛り上がる。
「お祝いに食後ケーキ食べない? サービスするわよ!」
そして皆で珈琲で乾杯となり、目出度いムードのままトムトムを後にした。しかし何故だろうか待ちに待った内定通知なのに俺自身がまったく気分が昂揚していない。戸惑いの方が大きかった。それは社会に出るという戸惑いではなく、三通もいきなり内定通知がきた事にあるのかもしれない。
この三社はどれも魅力的。それだけに贅沢で悩ましい問題について考えながら戻っていると、根小山第一ビルディングの前で落ち着きなくウロウロしている人がいた。
良く見てみると杜さんだった。
「杜さん? どうかされたんですか?」
そう声かけると、杜さんはツカツカツカと俺に近づいてくる。なんか顔が怖い? そして俺は肩をガシッと掴まれる。
「え! 杜さん?」
「内定通知、見てしまったんだって?」
なんか変な文脈な気がしたが俺は頷く。何故か杜さんは慌てているかのようにも見える。不思議で顔を傾げると杜さんはハッとした顔になる。
「…………そ、そうか……お、おめでとう。
突然の事で、焦ってしまって」
ずっと側で見守ってくれていた杜さんだけに、それだけ心配をかけていたという事だろう。俺は申し訳ない気持ちになり頭を下げる。
「杜さんには、本当に色々ご心配おかけしたので、申し訳ありません……」
俺の言葉に、杜さんはいやいやと頭を横に振る。そして何か考え事をしたように黙り込む。
「……ユキくん、チョッと話がある。いいかな?」
そう言って手を引き連れていったのは、黒猫でもなく、自宅でもなく、商店街の何処かでもなく、駅の反対側にある喫茶店だった。そこでコーヒーを二つ注文した杜さんは、灰皿を引き寄せ煙草を吸う。そして大きく煙を吐き俺の方に向き直る。
「何処に行くか決めたのか?」
俺は首を横に振る。
「さっき結果知ったばかりですから」
フーと杜さんはまた息を吐く。そして何故か気まずい沈黙。
「その中に君の人生を賭ける程の会社はあるのか?」
俺は首を傾げ苦笑してしまう。
「君に妥協した人生を歩んで欲しくないんだ」
杜さんらしい言葉に笑ってしまう。
「杜さんのように、夢を実現させるだけの才能を持っていれば、そういう生き方も可能なのでしょうね
でも俺はいずれの会社にいってもそれは妥協ではないと思います。結局同じなんですよそれぞれが持っているモノの中で自分の道を模索してそこに喜びを見出していくという意味では。なんかそう思います」
杜さんはテーブルを睨みつけるように『うーん』とつぶやく。そして顔をあげ俺にキッと視線を向ける。
「だったら、その進路先の一つに、ウチも加えてくれないか?」
思いもよらない言葉にポカンとしてしまう。
「え?」
「別に身内だからとかいうのではないんだ。君に就職活動中に来て貰ったのは、君にウチの会社に来てもらいたかったのもある。
知っての通り税金対策もありウチは法人化している。結果不動産管理に、Bar経営、俺の仕事のマネジメントとかなり多岐に渡る業務を行っているのに、社員は二人だけという状態。かといって関係ない他人を入れるにはいかない悩ましい所があった。そこで試しに君に来て貰ったのだが、君は俺の思っていた以上だった」
俺は特別な事をした覚えはないので首を横にふる。
「商才、経理管理能力が君にはある。俺や澄よりもはるかに高い。君が来てから黒猫での赤字が消え、他の部門の出費が大きく減った事で全体としてかなりプラスの計上となっている
知っていたか? 燗さんとか商店街の皆が、君が商売人としての能力を評価しているだよ」
そんな事言われ、恥ずかしくなってくる。
「ハッキリ言ってしまうと、俺は君が欲しい。俺には君が必要なんだ」
声のトーンを上げていきなりそんな事を杜さんが言ってきたので、周りにいた主婦やサラリーマンがコチラに注目する。杜さんはそんな周囲を気にしていない。
「日本中で一番、君を必要としている企業はウチだし、君にとっても一番自由に君の能力を試せる場所なのではないか?」
いつになく真剣で熱い言葉をかけてくる杜さんに、心がなんとも言えず熱くなる。人からここまで必要とされるという言葉が、今日来た三通の内定通知以上に嬉しかったのは確かである。でも同時に、自分がこのまま杜さんの所にいて、期待にしっかり応えるだけの仕事ができるのだろうか? という不安もある。逆に足を引っ張る可能性もある。個人事業の企業だけに俺一人の行動で大きな迷惑をかける事もありえる。
「君が内定もらったのはいずれも大企業だ。それに比べたらウチなんてショボイだろう。でも今までとは異なり、ちゃんとしたそれなりの給料を支払うし。他の企業と収入面で損はさせない。その代わり今まで以上の責任を負ってもらって、それだけの仕事もしてもらう。
あまり君にとって魅力ない話か?」
熱弁をふるっていた杜さんが、圧倒されて何も反応できなかった俺を見て不安げに見てくる。慌てて首を横に振る。
「いえ、嬉しいです。杜さんにそのように思ってくださった事。ただその期待に自分が応えられるのか」
「そこは、俺が大丈夫だと保障するよ! 君がいれば俺と澄のモチベーションも上がるからな」
速攻そんな事いって、杜さんはニッコリと笑った。こうして俺の内定先がさらにもう一件増える事となった。




