デュラハン
「たっ、助けてくれええ!!」
盗賊は袋小路に追い詰められ、情けない叫び声をあげた。 身体は小動物のように小さく震え、目には今にも溢れそうな大粒の涙が溜まっている。
これが女性ならば絵にもなるが、残念ながらこの盗賊は男。 それもむさ苦しい筋肉を持つ中年の男だ。
「ハッ、馬鹿言ってんじゃねえよ」 盗賊に対峙していた鎧の青年が吐き捨てた。
青年が身体を揺らす度に、大きな体躯に合わて作られた分厚い重鎧が鈍い音を立てて掻き嗤う。 表情は頭を丸ごと覆う兜のせいで分からない。 しかし、隙間から見えた瞳は相手を嘲り笑っているのがよく分かった。
「お前よぉ、今まで命乞いされて見逃した事あるか?」 鎧男の返しに、盗賊は口を詰まらせる。
……ある訳が無い。 この盗賊は略奪だけに留まらず、殺人まで行うような輩だ。 人の命なんて、そこいらに転がる小石程度にしか思っていない。
「ねーだろ? そういう事だから諦め――」 「ま、待て!! お前は警邏の者ではないだろう? な? ここは一つ見逃しちゃあくれねえか!! 金なら払うぞ!!」
金銭の交渉に、鎧男は片眉を吊り上げた。
「――いくらだ、金額によっちゃあ考えてもいいぜ」
「お、おうそうだよな!!」 男は何度も頷いた。 「いやあ兄さんは話が分かる! ……そうだな、金額は」
「――馬鹿を言うな、首無し」 路地裏に、もう一人の男性が現れた。
首無しと呼ばれた鎧男の背後から、魔法使いのローブを着込んだ青年が歩み寄る。 手には小さな革張りのトランクを引きずり、反対の手にはその身に似合わぬ大きなハンマーを担いでいた。 細い体躯のせいか、随分とちぐはぐとした風貌に見える。
「”コシュタバワー”固ぇ事言うなよ」 「その名で呼ぶな、首を刈られたいのか”首無し”」
コシュタバワーと呼ばれた魔法使いに、首無しと呼ばれた鎧男。
随分と凸凹とした組み合わせに、盗賊は首を傾げた。
「へえへえ、わーってますよ……さっさと罪状言っちまえ」
首無しがかったるそうに声を上げると、コシュタバワーは懐から羊皮紙を取り出して読み上げた。
「貴様を器物破損、恐喝、詐欺、強盗致死、窃盗の容疑で連行する」
すると、盗賊は青褪めた表情を浮かべてコシュタバワーに詰め寄った。 先程、首無しに追い詰められた時よりも切羽詰った表情を浮かべている。
「ま、待ってくれ!! てめぇ……いや、あんたもしかして裁判官――」 盗賊はコシュタバワーの裾を掴もうとして腕を伸ばしたが、届く寸前で首無しに脇腹を蹴られ、元居た壁際へと戻される。
「――ッ何処に、何処に連行だ!!」 それでも盗賊は諦めずにコシュタバワーへと言葉を投げた。
「喜べ」 にやりともせず、無表情のままコシュタバワーは続ける。 「――タラニス行きだ」
タラニス――。
それはこの国に住む者ならば知らぬ者は居ない、非常に悪名高い街だ。
数多の魔術師や錬金術師が昼夜研究をしている研究都市――そう言えば聞こえは良いが、内情は悲惨なもので、死に掛けの奴隷や処刑されるはずの人間を安値で買い、街ぐるみで人体実験を行っているろくでもない街だ。
盗賊の顔が徐々に引きつり、声にならない悲鳴を上げる。 逃げようとするが首無しがそれを許さない。 盗賊の襟元をつかむと軽々と片手で釣り上げる。
盗賊は宙に浮いた足をばたつかせ、もがきながら泡唾を飛ばして足掻く。
「いやだ!嫌だ!そこだけは!あんな処、人間の行くところじゃねえ!」
この発言にコシュタバワーは眉を顰め、対して首無しはヒヒヒと悪意の滴る笑い声を漏らした。
「なァに、存外イイ処だぜェ」
「ふざけるな! 玩具みたいに人間を弄りまわすんだろ!?」
「結構便利になるぜェ? その重たそうな体も軽くなるかもなァ。 ちぃっと痛ェだろうけどよぉ――」
ヒヒヒ、と首無しが再び笑い声を漏らす。 「なあ、お前はあん時は痛かったか? 教えてやれよ、相棒」 相棒、と呼ばれたもののコシュタバワーから返答はない。
「嫌だ、やめろ! あんな趣味の悪い変態の巣窟なんか――」
「術式発動」
コシュタバワーの呟きと共にハンマーの前に青く光る魔方陣が浮かび上がる。
「おい馬野郎、そのゴミを抑えとけ」 「オレ殴んなよ?」 「善処する」 「オイ」
「いやだ、いやだ、いやだ、放せッ!放せ!」
ハンマーが振り上げられる。コシュタバワーはどこまでも無表情であり、そこには冷徹さすらなかった。
「やめろ!やめろ!やめてくれええええええ!!!」
「悪ィが俺も仕事でよ――まあなんだ」
「逝ってこいや」
ハンマーは鋭く盗賊の男へ振り下ろされた。
そして跡形も残らない。
「転移完了――術式終了」 ハンマーの魔方陣が消える。 そこには、首無しとコシュタバワーの姿しか無かった。
「あの罪状ならドコかねェ」 首無しが実に楽しそうに言い 「あの程度の罪状なら、第一実験城だろうな」 コシュタバワーが静かに答える。
「ヒュー!あんな奴の内臓、誰がつかうのかねぇ!」 犬も食わないだろと、首無しはニタニタと笑う。
「…時に首無し」
「あん?」
「前にも俺をコシュタバワーと呼ぶな。 そう言った筈だが?」
「さーてどうだったかな。 てめぇの番号なんて毛ほども興味ねえもんでな」
いらだちもあらわにコシュタバワーはため息をつく。
「やはりお前は喋りすぎる。 ……首の無い方がまだ好感が持てる」
彼はやや乱暴にトランクを地面へ落とした。 衝撃でトランクが開く。
トランクの中は、空だ。 黒い天鵞絨の敷かれたそこは、真ん中がまるく、何かを入れるためなのだろう、くぼんでいる。
そしてコシュタバワーは再びハンマーを振り上げる。
「ゲッ、もうかよ」
首無しにはこれから何が起きるか見当がついたらしい。 数歩後ろに下がる。
「当然だ。今回の仕事は終了した」
「冗談! 折角久しぶりに首を得られたんだぜ!? 悪いが今日こそ! 『デュラハン』は、ここで解散だ!」
首無しが脱兎のごとく駆け出す。 しかしコシュタバワーは追わなかった。 代わりに彼の腕がかちかちかち、と奇妙な音を上げる。
「それこそ冗談、だ」
彼は両腕でしっかりとハンマーをつかんでいる――その腕、ローブの袖、スリットの入った部分から、エッジのようなものが飛び出した。
それと共に『首無し』の周りに黒い円が発生する。
「おい首無し、動くなよ。 調整を間違って潰しかねない」 優雅と言える足取りで彼は首無しに近づく。
「ちっくしょう! このクソ憎たらしい重力操作め!」 吐かれる首無しの呪詛は残念な事に届かない。
「このクソ馬鹿野郎! コシュタバワー!! 馬、ウマー!」
「黙れ」
そしてハンマーは振り下ろされた。
首無しの、その頭へと。
首無しの首は、ハンマーによって、軽々と身体から切り離され――そして先程のトランクへと収まった。
首が飛び込んだ衝撃で蓋が閉まり、そして自動で鍵がかかる。
「今回は雑魚で助かった」 コシュタバワーは腕のエッジを収納し、トランクを回収しながらひとり呟く。
彼の後ろで首を失った体が、幼子のように地団太を踏んでいた。
「面倒な悪党だと首をつけた状態で何日もいさせることになるからな。 手間を掛けさせるな”首無し男”」
――『デュラハン』というコンビがいた。
ガタイの良い重鎧の男と、細身の魔道師の男からなる二人組。 そのどちらも、元は死刑囚だった。
犯した罪は数多く、度重なる刑期は人の平均寿命を優に越えている。 国からも、世からも見離された彼らは、囚人から家畜以下の身分に払い下げられ、悪名高いタラニスの街へと送られた。
人権を剥奪され、実験を受け続けた二人はそこで命を終わらせる――筈だったが、幸か不幸か力を得て生き残ってしまった。
首無しは、その名の通り首を刈られて強大な力を封じられ、コシュタバワーは腕を切り落とされ魔力回路の入った腕に付け替えられ―― 「裁判官も楽では無いな、捕まえても捕まえても罪人は減らない」 その力を国の為に生かす。
魔術師達の手により生かされた命、そして国から与えられた仕事。 両者はそうやって生きてきた、生き延びてきた。
「行くぞ首無し。 今度は東だ」
首無しは悔しがりながらも無意味な地団駄をやめ、白杖代わりの剣を背中から取り外して乱暴に地面を叩いた。 準備はいいようだ。
――デュラハンというコンビがいる。
一人は国外への逃亡を企み、もう一人は気の遠くなるような刑期を少しでも短くする為に。 互いの行動に目を光らせながら、今日も無法者が跋扈する街を渡り歩く。