食べ歩きデート!
(遅いなぁ……)
時刻はお昼の十一時過ぎ。約束の時間はもう過ぎているけれど、一向にタカヒロは姿を見せない。
彼は日曜日にはお昼まで寝てしまうような人だから、多少の遅れは仕方ないとは思っていたけれど……実際に遅れられると、なんだかちょっぴり気落ちしてしまう。三十分も早くについた私がバカみたいに思える。
「はぁ……」
せっかく、おめかししたのにな。お母さんに手伝ってもらって、この季節に似合う可愛い服を選んできたつもりだ。クリーム色のコットを一番上に、何枚かのコットを派手過ぎないように重ね着し、髪にはお気に入りの(安物だけど)小さなヘアピンを留めてある。
靴も磨いてきたばかりだし、髪も念入りに梳いてきた。なぜか歯磨きだって三回もしてしまった。そんな、どうにもふわつく気持ちのまま、やっとの思いでここまで来たんだけど……相手が来ないんじゃあどうしようもない。
もう、約束の時間から十分も過ぎてしまった。
何だかんだで、私は楽しみだったんだけど、タカヒロはそうじゃなかったのかな。そんな、イヤな考えまで頭によぎり始めたところで……ふいに、【コール】の着信音が鳴り出した。
相手を確認すると、案の定タカヒロだった。忘れられてはいなかったとほっとしたけれど、同時に、文句の一つも言いたくなってきた。
そんな、なんだかよく分からない胸のもやもやに突き動かされるように、私はタカヒロからの【コール】を受け取り、少しばかりの小言を言おうとした。
「もしもし? タカヒロ? ちょっと、今、どこに……」
『あっ、カオルか~? どこだ? 家はもう出たか?』
「えっ?」
「家はもう出たか?」って……えっ? 家どころか、もう待ち合わせの場所に来てるのに……。
『ちょっと分かりづらかったか? 「屋台街第三広場」は中央に女の子の銅像があるから、それを目印に……』
……えっ? 「屋台街第三広場」……?
くるりと後ろを振り返る。そこには、台座の上に立つ「男の子」の銅像と、「屋台街第二広場」と刻まれたプレートが……!
ま、間違えたぁ!! そうだ! そうだよ、待ち合わせは「屋台街第三広場」だ! ここに着いた時はまだぼんやりしてたから、よく確認しなかったんだ!
「ご、ごめん! すぐに、すぐに行くからぁ~!」
そのまま、タカヒロからの返事も待たずに、彼が待つ「屋台街第三広場」へと走る私。あっ、あ~! せっかく整えた髪が乱れる! 靴にもほこりがついちゃう! ああ~……なんでこうなるの~……。
「ごめんね、ほんっとごめんね!」
「いや、別にかまわんって。慣れてない奴には分かりにくいよな。すまん」
息を切らせて、少しばかり離れた広場へと駆けつけた私を待っていたのは、逆に申し訳なさそうな顔をしたタカヒロだった。
「ちがうよ、タカヒロは悪くないって! 私がちゃんと確認しなかったから……」
「いや、俺がもっと分かりやすい場所を待ち合わせ場所に決めてたら……」
「ううん、私が……」
「いやいや、俺が……」
お互いに、「自分が悪い、自分が悪い」とペコペコ頭を下げあう私たち。道行く人たちは、そんな私たちを見て、怪訝そうな顔をしている。そのことに気付いたら、何だか恥ずかしくなっちゃって……。
「は、ははっ、何やってんだか、俺たち」
「ふふっ、そうだね。おかしいね」
自然と笑いがこみ上げてきた。うん、あんまり気にしても仕方ない。タカヒロも私も怒ってるわけじゃないんだから、この話はここまでにしよう! 私たちは大きく息を吐き、また軽く笑って話題と気持ちを切り替えた。
「さって、予定通り、屋台の偵察と行きますか。何か食いたいもんあるか?」
うんと大きく伸びをしたタカヒロが、そんなことを私に聞いてくる。でも、食べたいものと言われても困ってしまう。私はこの街にそこまで詳しくないし、屋台街だなんてまともに見て回ったことすらない。
タカヒロを待っている間に広場の周りの出店に目を向けてはいたものの、どんな味をしているのか想像すらできないものが多かった。
ここは、屋台に慣れていそうなタカヒロに任せよう。
「ううん、私は何でもいいよ」
「うん? そうか? なら……」
そう呟いて、口元に手を当てて考え事を始めるタカヒロ。多分、彼が通ったオススメの屋台について候補をまとめているのだろう。ユミィちゃんに聞くところによると、タカヒロの屋台好きはかなりのものだそうだ。これは頼りになりそう!
「なぁ、肉と魚、どっちがいい?」
「それなら……えっと……」
肉か、魚か、かぁ。
私が生まれ育ったジパニア村は貧しいところで、お肉といえば山で狩られた獣の、少し癖が強いものばかり。だから、グランフェリアで普通に売られている羊や豚のお肉でも、たまらなくおいしく思えてしまう。
魚介類だってそうだ。当たり外れが大きい川魚とは違って、海の魚はどれも豊かな味と脂が……貝も、コリコリ、むにむにとした面白い食感や、じんわり舌の上に広がる味がたまらない。
あぁ、どっちにしよう……!?
どっちもいいなぁ、迷うなぁ……。
そんな二つだけの選択肢ですらどうにも決めかねている私を見て、タカヒロはふふっと朗らかに微笑んだ。
「そういやあ、カオルも好き嫌いはなかったんだったな。なら、色々つまんでみるか。」
「あ、う、うん、お任せします……」
私、今ので、あれもこれも食べたいと思ってる食いしんぼだなんて思われてないよね? うぅ……なんか恥ずかしい……いや! いけないいけない! これは屋台繁盛のための勉強だ! こんなことを気にして、いちいち尻ごみなんてしてる場合じゃない! ちゃんと、屋台のコツなんかも掴まなきゃ。
そのためには、流行っている屋台に突撃あるのみだ! パッと周りを見て、活気のある屋台を発見し、そこにタカヒロを引っ張っていく。そして、私は店主のおじさんに向かって、声も高らかに注文した。
「おじさん! この店で一番おいしいものちょうだい!」
「あいよ~、じゃあ、「スノー・カウ」の串焼きね。銀貨一枚」
「うん、銀貨一枚ね…………え?」
銀貨一枚……え? 串焼きで銀貨一枚……?
え? 銀貨一枚???
銀貨一枚っていったら、あれだよ? まんぷく亭の定食一つぐらいならどれでも食べれちゃう値段だよ? お、お肉屋さんに持ってったら、それなりに良いお肉が買えちゃうんだよ?
それが、串焼きにしてはちょっと大ぶりだけど、それでもこんな小さなお肉で銀貨一枚……!? 今の私の手持ちの、三分の一ぐらいの値段だよ!?
え? ええ? 下級区の屋台だよね、ここ……!?
想像を跳び抜けた串焼きの価格に硬直する私。そんな私の前に出て、串焼きと銀貨を交換したのはタカヒロだった。
「ほら、行くぞ」
「え、あ、うん……」
そのままズルズルと、元いた所まで引き摺ってこられる私。その隣では、タカヒロが「スノー・カウ」の串焼きを持って苦笑していた。
「ははは……まっさか、「スノー・カウ」の串焼きに手ぇ出すとはな……まぁ、うまそうだもんな、これ」
そう言って、焼きたての串焼きを目の高さに持ち上げてみせるタカヒロ。まだチリチリと脂が弾けるほどに熱いそれは、立ち上る湯気と共にお腹を刺激する良い匂いをまき散らしている。
なるほど、このレベルなら、一番おいしいものとして迷いなく差し出せるだろう。それだけの魅力が、この串焼きにはあった……って!?
「な、なんで買ったの!?」
そうだ、いくらおいしそうとはいえ、串焼き一本に銀貨一枚はありえない。贅沢をしなければ、三食食べられる金額なのに!
「なんでって……店に引っ張っていったのも、注文したのもカオルだろ? お任せするとか言った直後に買いに走るなんて、よっぽどこれが食いたかったんじゃねえの?」
そ、そうだけど……注文したのは私だけど~……。
「で、でも、銀貨一枚は高いでしょ?」
うん、やっぱり銀貨一枚はあり得ないと思う。屋台どころか、中級区の店舗で売ってるものに比べても高過ぎるよ!
……はっ!? も、もしかして、これが噂に聞くぼったくり……!? 都会は恐ろしいところって本当だったん……。
「おいおい、「スノー・カウ」は高級食材だぞ? 銀貨一枚で食えるなんて、むしろ良心的だと思うぞ」
「はい?」
高級食材だなんて、なんで屋台で売ってるの? えぇ~……? 分からない、今日は分からないことが多過ぎる。頭がこんがらがりそうだ。
「いいから、冷めない内に食ってみろって。ほら」
「あ、うん……」
だから、ぐいと押し付けられた串焼きも素直に受け取り、そのまま口に運んでしまった。直後に我に返り、「あ、返品できない!」と思った瞬間に……口の中で、お肉がとろけた。
(えぇ!? 何これ、何これ……!?)
おかしい。これは「肉」のはず。口の中でとけてしまうなんて、そんなのお肉じゃない。「肉」というのは、おいしいけれども噛みごたえがあって、下手をすると噛みちぎるのにも一苦労するような代物だ。
それなのに、この「スノー・カウ」のお肉ときたら……噛みごたえはある。ぎゅっとお肉を噛みしめたら、溢れんばかりの肉汁が沁み出てくる。ここまでは普通のお肉と同じだ。なのに、その後が全然違う。
ある程度歯が食い込み、心地よい噛みごたえが楽しめた後に……突然、さくっ、とお肉が噛み切れてしまう。すると、お肉は口の中でとろとろにとけてしまい、するりと咽の奥へと滑っていく。きっと、肉のさしが安物のお肉とは全然違うんだ。
でも、脂だけじゃない。肉汁の確かな旨みも口いっぱいに残っている。脂だけ、肉汁だけなら、こんなに豊かな味にはならないだろう。脂と肉汁、それに快い噛みごたえ、それらの絶妙なバランスによって、この串焼きはただの「肉」とは思えないようなモノとなってしまっている。
食べてみれば分かる。これは、確かに銀貨一枚分の価値はある。いや、それでも安いとすら思わせる感動を私に与えてくれた。夢中になって、一口で食べるにはやや大きいお肉を頬張っていく。
四切れあったお肉も、もう一つしか残っていない。あぁ、おいしいものって、なんでこんなに早くなくなっちゃうんだろう。
もう一本だけ、買おうかな……って、何やってるの私はぁぁぁ~~~~!!!?
「ご、ごめん、タカヒロ! こ、こんなに食べちゃって、ごめんなさい……」
たった一切れしか刺さっていない串焼きを、両手で恐る恐る差し出す。これはタカヒロが買ったものだ。私に食べさせてくれたのだって、多分、「一切れぐらいなら味見していいよ」というつもりだったはず。
それなのに、いくらおいしいからって我を忘れて食べすぎちゃうなんて……申し訳なさや情けなさで胸が苦しくなってくる。
けれど、串焼きをひょいと受け取ったタカヒロは、あっけらかんと笑うんだ。
「いいって、いいって。「スノー・カウ」は旨いもんなぁ。俺だって初めて食った時はそんな感じだったよ。俺は何度か食ってるから、これだけでいいわ。むぐ……うん、うまい」
そう言って、ぐいっと串からお肉を引き抜いたタカヒロは、もぐもぐと口を動かしながら、「気にすんな」と笑う。でも、そんなわけにはいかない。銀貨一枚なんて、結構な額だ。ここは「スノー・カウ」の串焼き代を返すべきだろう。
「あの、タカヒロ、これ……」
懐から小袋を取り出し、中から銀貨を一枚抜き出そうとする。でも、それを見たタカヒロは、慌てて止めようとしてくる。
「待て待て! 別に、金なんて払わんでいいって! 元々、カオルと分けようと思って買ったんだから!」
「でも……」
「ホントにいいって! そもそも、今日の屋台巡りは全部俺持ちのつもりで来たんだぞ? これぐらい、軽いもんだ」
「ええっ!?」
全部、タカヒロが払ってくれるって……いくらなんでも、それはない! 私が食べる分は、私が払うのが当たり前でしょ!?
「駄目だって! ほら、お金なら今まで溜めたお小遣いもあるし……ね? 大丈夫だって。私、自分で払うって」
そう言って、押し返そうとしてくる手に銀貨を握らせようとするも、なかなか受け取ってはくれない。も~、タカヒロって、変なところで強情なんだから!
「だから、いいって言ってんだろ? 俺、知ってんだぞ。日曜に時々食わしてくれる飯、あれってカオルの自腹で材料買うこともあるんだろ?」
「なっ……!? なんで知ってるの!?」
誰にも言った覚えはないはず……ユミィちゃんにだって話したことはないことだ。特に、タカヒロの耳には入れないようにしていたのに……な、なんで?
思わぬ言葉に戸惑う私の隙をつき、タカヒロはつまみ上げた銀貨を小袋に戻してしまった。
そして、特別な秘密でもなんでもないというような口調で、さらっと真相を語る。
「あぁ、この前ケイトさんが教えてくれたんだ。カオルちゃんがお小遣いを何に使ってるか、知りたい~? って、聞いてもいないことを聞かせてくれたよ……はは」
「お、お母さん……!!」
まさか、お母さんに裏切られるとは……! い、いや、でもあの人ならやりかねない。噂話が大好きなお母さんのことだ、面白半分にタカヒロに教えてしまったんだろう。でも、なんだか恥ずかしいから教えないで、って言っておいたのにぃ~……!
秘密がバレた恥ずかしさと、身内の裏切りへの怒りで、顔が火照ってくる。あ~、も~、今、私は顔が真っ赤なんだろうな……も~、恥ずかし~!
でも、幸いなことに、そんな私の様子が気になっているような素振りは見せず、タカヒロは言葉を続ける。
「練習や試作にしても、いっつもタダ飯食わせてもらってるだけでもありがたかったのに、少ない小遣いから材料費を出してたなんて、流石に申し訳なく思ってな。いつか何かお返ししようと考えてたんだわ。だからな、昨日の今日で決めたことだけど、屋台巡りはいい機会だったんだ」
「うん……」
言いたいことは分かる。私だって、ちっちゃい頃からお爺ちゃんに「恩は恩で返しなさい」って教えられて育ってきたんだ。善意には善意で返すのが当然だと思っている。でも、流石に屋台巡りの費用の全額負担には気がひける……。
いきなり高級品の「スノー・カウ」を奢ってもらったからか、どうにも尻ごみしてしまう。そんな私をどう思ったのか、タカヒロはからからと笑いだした。
「はははっ、いつもと違って随分しおらしいな? まぁ、気持ちは分からんでもない。俺もあんまり高いもん奢られるとついつい遠慮しちゃうもんな……じゃあさ、こうしよう」
……? 何だろう、どんな交換条件を出されるんだろう? 案外、タカヒロって頑固だから、奢りは撤回しそうにないし……事務仕事のお手伝いだろうか? け、計算はあんまり得意じゃないけれど、それぐらいだったら手伝える……。
「また、飯作ってくれ。それでいいや」
「えっ? そんなことでいいの?」
「そんなことでいーの。カオルの飯はうまいからな」
「そ、そう……」
調味料作成スキルを教えてもらったお礼とはいえ、材料を自分で買ってまで料理を食べさせているなんて、ちょっと引かれちゃうかな……なんて思ったけれど、タカヒロは全然気にしていないようだ。それどころか、「うまい」って……ちょっとだけ、嬉しい。
「今日は俺の奢り! カオルは俺に好物を作ってくれる! そういうことでいいな?」
「うんっ!」
そういうお返しでいいのなら、むしろ望むところだ。元々、誰に頼まれるわけでもなくやっていたことだしね。だから、別にお返しはこれじゃなくてもいいのに……でも、本人が喜ぶのなら、それが一番だ。お望み通り、今度の休みは腕によりをかけてタカヒロの好物を作ってあげよう。
「じゃあ、いくぞ。次は焼き魚だ!」
「うんっ、行こっ!」
沈んでいた気持ちもどこへやら、どこまでも軽い足でタカヒロの隣に並び、腕を取って歩き出す。さぁ、これから、やっと屋台巡りの始まりだ。高鳴ってくる胸の鼓動に合わせて、私とタカヒロは昼時の屋台街の雑踏へと飛び込んで行った。
……そのちょっと後ぐらいに、絡めた腕は急いで解いた。
勢いのままに腕なんて組んじゃったけど、冷静に考えてみると、ちょっと恥ずかしくなったんだ。
「ふ~、食べた食べた……よ~食ったわ」
「だね~。もう、何にも入らないよ」
あれから、タカヒロの案内に任せ、屋台街の色んなところを巡った。今日は、(例外を除いて)どんな人でも休むように神様が定めた日曜日なのに、とっても多くの人で賑わっていて、歩くだけでも一苦労だった。
なんでも、休日を過ごす人や、旅人や行商人向けに、屋台街は休みの日をずらしているんだとか。だからかな、昨日よりも人手は多いように感じられた。それでも、タカヒロの案内には迷いがなく、次々と色んなお店まで連れて行ってくれた。
炭火でじっくり焼いた香ばしい焼き魚に始まり、汁気たっぷりのホタテや牡蠣の網焼き、魚やじゃが芋を揚げたものに、塩や胡椒、ビネガーを振りかけたもの、平べったい丸パンに野菜や卵焼き、ベーコンなんかを挟んだもの……そうそう、とっても大きい腸詰めなんかも食べた。
あれはおいしかったな……ぷつっ、と心地よい音と共に噛み切れば、閉じ込められた肉汁がジュワッと飛び出てくるんだ。それに、鼻に抜ける薫香がいい匂いで……腸詰めにしては結構な大きさだったのに、あっという間に食べてしまった。
もう、これだけでも大満足だったのに、締めにはクレープまでご馳走になった。タカヒロが、「ここのは食わなきゃ損だ」ってやたら薦めるものだから、口にしたけれど……あれは、都会の豊かさを存分に味わわせてくれるものだった。
しっとりと甘いクレープ生地に、木イチゴのジャムを塗って畳んだだけのものなんだけど、それがどうしてあんなにおいしいのか……村で作っていた木イチゴのジャムとは、香りからして全然違う。きっと、栽培から手を加えているのだろう。そうじゃなきゃ、あの甘味と酸味の絶妙なバランス、食べた後も程よく残って、さっと消えるすがすがしい香りは説明できない。
あぁ、まんぷく亭で出しているお父さんの料理もおいしいけれど、屋台街にもこんなに素晴らしい料理があるんだ。屋台というと、肉や魚をただ焼いただけ、ってイメージがあったけれど、そんなのとは全然違う。思わず引き込まれそうな魅力が、屋台街の料理にはあった。
満足だ……私は今、世界で一番幸せだぁ……。
……でも、同時に不安も覚える。
はたして、この屋台街で私たちの料理が通用するのか? という不安……それは、昨日の惨敗という苦い記憶と混ざり合って、ますます自信を失わせていく。
今日味わった料理と比べると、私たちが用意したおにぎりの、なんて貧相なことか……今から考えると、おにぎりなんて家庭料理だ。お金を払ってまで食べるものじゃない。急な話とはいえ、村の伝統料理だからっておにぎりを売ろうと決めたのは、少し安直過ぎたことだと分かる。
「ねえ、タカヒロ……私たち、屋台で成功できるかな……」
だから、こんな弱音も吐いてしまう。おにぎりが駄目なら、何を作ればいいんだろう。
最近は料理のレパートリーも増えてきたけれど、あれはあくまで定食屋としての料理だ。気軽にテイクアウトできて、歩きながらでも食べることができるものは少ない。そして、質も提供のスピードも求めるとなると……どうにも、難しいことのように思える。
「ん? なんだ、自信がないのか?」
「うん……ちょっと、ね」
ジパニア村出稼ぎの会のみんなで知恵を出し合って……いや、みんなは日々の力仕事の疲れを癒すため、休日は寝て過ごしていると聞いた。あんまり負担をかけるのも悪いだろう。
……うん……どうしよう。
今日、色々見て回ったおかげで、今は確信できる。私たちが屋台を出しても失敗するだろうと。思わず買ってしまうような魅力ある料理を作り出せるとは、到底思えない。他の店を真似てみたところで、経験の浅い私たちが敵うものとは思えない。
屋台で儲けようだなんて、やっぱり無理なのかな。
でも、否定的な結論を出してしまった私とは対照的に、タカヒロの笑みは陰りを見せてはいなかった。
「諦めるのはまだはやーい! ふっふっふっ……お前は運がいい。屋台大国、日本……じゃねえわ、ジパングか。そのジパング生まれの貴大さんがついているんだからなぁ!」
「え……? 何か、いい考えでもあるの?」
そうなんだ。ジパングって、屋台大国なんだ……お爺ちゃんからは聞いたことがないけど、タカヒロがそう言うのなら本当なんだろう。
「おぉ、俺に考えがある……が、その前にだ。お前に屋台の大事なポイントを三つ、教えとこう」
「大事なポイント?」
なんだろう、それは。おいしい料理を作ることかな? でも、三つ? 他の二つはなんだろう???
「まず一点目だが……カオル、屋台街の匂いなんだが、どう思った?」
「匂い? うん、いい匂いだったけど……」
そう、屋台街は、色んないい匂いが漂っていた。肉や魚が炭火に弾けて立ち上る匂い……焼き菓子に使われるバターの匂いに、トマトのスープが煮える匂い。どれも、思わず胸一杯に吸い込みたくなるような匂いだった。
「そう、匂いだ。最初のポイントは、匂い! 屋台の食べ物は、匂いで客を惹きつけなきゃいけないんだ! 昨日のおにぎりは、まずそれが足りていなかった!」
っ!! そ、その通りだ……! 最後の最後でいくつかおにぎりが売れたのも、焼きおにぎりを一つ焼き始めてからだった。私は、焼き立てを提供しようと思って、お客さんの注文が入るまで一個も焼かなかったから……焼かないおにぎりが、離れていても分かるほどの匂いを出すわけないもんね。
「分かったようだな。おにぎりは確かにおいしい……だが、初見の者には、それは分からない。ましてや、ろくにいい匂いもしないのでは、買うのを躊躇ってしまうだろう。それに、季節が悪かった。冬はやっぱり、温かいものが欲しくなるよな? 焼いてないおにぎりが全然売れないわけだわ」
そうなんだよ……焼きおにぎり用じゃない葉物の漬物で包んだおにぎりですら、「焼いて」って言ってきたお客さんもいたし。やっぱり、温かいものが欲しいよね。
「うん、分かった。じゃあ、次のポイントは? やっぱり味?」
「違います! お金を取る以上、味がいいのは最低条件! 第二のポイントはそれじゃあない。屋台にとって大事なポイント・その二は……ずばり、物珍しさだ!」
……あぁ、確かに! 今日の屋台巡りでは、ついつい目が惹かれてしまうような食べ物もたくさんあった。うん、物珍しさは大事だと思う……う~ん、でも……?
「でも、普通の料理も結構あったよね?」
そう、肉や魚を焼いただけのものなんて、珍しくもなんともない。それこそ、どこにでもありそうなものだ。それでも、繁盛している店はいくつもあった。物珍しさなんてないのに……これは、どう説明するんだろう?
「い~い質問だ。ああいう店はな、ある意味完成している店なんだよ」
「完成している店?」
「そう、一定のニーズがある店……誰もが、ちょくちょく食べたくなるようなものを売っている店だ。それらは、長い歴史の中で見出された、変化しづらい欲求を満たしているんだ。ああいう店は、やり方次第では誰がやってもある程度の繁盛は見込める」
「それ、いいじゃない! 私たちもそうする?」
確かに、焼いただけの魚でも、欲しがる人はたくさんいるもんね。それが、変化しづらいのなら、いいことじゃない。私たちが出す屋台も、そうすれば……。
「でも、問題がある。目新しくないものは、逆に言えば誰にでもできるということなんだ。肉の串焼きの屋台なんて、どこにでもあるだろう? あれだけ数が揃っていたら、人は安い方を買う。それに合わせていると必然的に薄利になってしまい、多売ができなければ、人件費や燃料費、仕入れだけで足が出る。だから、味で勝負できるような抜きん出た腕がない限り、何かしらの目新しさ、特色はどうしても必要になるんだ」
そう、なんだ……そういえば、焼き魚を売る屋台も、味付けや魚の種類がそれぞれ違っていたっけ。色んな焼き魚があるものだと感心していたけど、あれはそういうことだったのか……。
「ふむふむ……匂いと物珍しさね。じゃあ、三つ目は?」
「三つ目は……ずばり、お手頃価格だ!」
お手頃価格? それは当り前のことじゃないかな? どの店も、お手頃な値段だったと思うけれど……。
「ふふふ……不思議そうな顔をしているな? まぁ、お手頃価格だなんて当然のことだからな。だが、お前は知っているはずだ。匂い、物珍しさ、どちらも満点だが、最後のポイントを満たしてはいないものを!」
「ええっ?」
え、えっ? そんなのあったっけ? どの料理もおかしくはなかったはず……高いのは、「スノー・カウ」の串焼きぐらいで、後はみんなお手頃価格……あれ? ポイントを全部満たしていないのって、もしかして……。
「もしかして、最初の串焼きのこと……?」
「そう、あの串焼きのことだ。あれはうまいが、満点じゃあない」
「う~ん……確かに高かったけど、あの味ならあの値段も納得じゃない?」
そう、一度食べてしまえば、銀貨一枚分の価値はあると思えるほどの逸品だった。あれが満点じゃないなんて、どれだけ厳しいんだろう?
「じゃあ聞くが、お前、あれを毎日買えるか?」
「毎日!? 無理無理、絶対無理!」
私ん家はそこまで裕福じゃないって! この前出会ったフランソワさん辺りなら犬の餌にでもしてそうだけど、あいにく私は一般庶民だ。そんな贅沢、到底無理に決まっている。
「じゃあ、どれぐらいの頻度なら買える?」
「え、っと……まぁ、誕生日ぐらいなら、なんとか……」
うん、値段も味も、年に一度の誕生日にこそ相応しいと思う。あれは日常的に食べるようなものじゃない。
「だろうな。だからあれは、屋台の食いもんとしては欠陥品なんだ」
「どうして?」
高いお金を払ってまで食べたいと思うのなら、料理としては文句のつけようがないと思うんだけど……。
「だって、考えてもみろよ。原材料が高い、値段も高い、購入する客は年に一度でいいと言う……この下級区で同じような屋台を出して、儲かると思うか?」
「あ……」
そうだ、いくらおいしくったって、お客さんが少なければ儲けが出ない。材料のお肉が高ければ、その分、売れ残りの負担は大きくなる。それじゃあ、下手をすると借金までしてしまいそうだ。
「分かったな? あれはちょっと特殊な屋台でな。今の季節にしか出ないモンスター「スノー・カウ」を狩った奴が、肉屋に卸した余りをお小遣い稼ぎに焼いて売ってるんだ。肉の市場価格が下がらないように、あんな高値でな。季節限定のハレの日の食いもんで、それなりに人気はあるんだが、あんな商売ができるのも、ロスが出ても損をしないからなんだ。わざわざ肉を仕入れて同じようなことをしようとした奴は、たいてい破産してる」
「そうなんだ……」
それじゃあ、長く続けたい屋台としては駄目だよね。うん、そう考えると、タカヒロが言っていたお手頃価格の意味が分かってくる。
「じゃあ、お手頃価格っていうのは、誰でも気軽に買うことができる、っていうこと?」
「そう、誰もが納得できる適正な価格じゃなくて、毎日でも買えるような価格のことだ」
うん、ここまできたら、タカヒロの言いたいことが分かってきた。
思わずふらふら~っと引き寄せられるようないい匂いで、誰も見たことがないような物珍しさがあり、毎日でも買えるような値段の料理……それがあれば、ジパニア村出稼ぎの会は屋台で大成功できるってわけね!
……………………って、
「無理無理無理! ぜ~~~ったい、無理!! そんなの作れるわけないでしょぉ~!?」
そんなのがあったら、誰も苦労なんかしないよ! 今頃、上級区に豪邸建ててるよ! ジパニア村が大都会になっちゃうよ!
「うん? 無理だと思うのか?」
「無理に決まってるでしょ!?」
たま~に、真面目な話をしたと思ったらこれだ。この人は、時々そういう所を見せる。どうにも、現実味がないというか、何というか……。
でも。
この人ならもしかしたら、と思っている私もいる。
めんどくさがりなくせして、本当は面倒見がいいところとか。
人付き合いが苦手な癖に、困っている人には優しいところとか。
お爺ちゃんも知らなかった、ジパングの調理スキルを知っていたりとか。
そんなところが、不思議と私に期待する心を生む。
今も、口では無理だ、不可能だと言いながらも、どこかで期待してしまっている。
だって、ほら、彼は自信満々にこう言うんだもん。
「まぁ、俺に任せとけ」
って。