デジャヴ
俺は一人になった。
忘れもしない、あの日あの時あの場所で、俺だけが取り残された。
仲間はもう誰もいない。
「フリーライフ」は、俺だけになってしまった。
そこからは、空虚な日々が続く。
冒険者は辞めた。アイツらがいなきゃ、やる意味がない。
みんなで買った中級区の一軒家で、何をすることもなく過ごす毎日。
腹が減ったら外に出る。飯を作っても、喜んでくれる奴なんていないんだ。屋台で出来合いのものを買って、適当に食べた。
そんな生きる屍のような自分を冷静に見つめている自分がいて、そいつはため息を吐きながら言うんだ。
「それじゃ駄目になるぞ」、「みんなに笑われるぞ」と。
確かに、周囲の視線は確実に変わった。
以前から俺は冒険者の連中に「ネズミ」と言われて馬鹿にされていたのだが、そのあだ名にも、次第に侮蔑の感情が混ざり始めた。
近所の人たちや、既知の人々、屋台のおっさんおばさんでさえ、俺を好ましく思ってはいないようだった。
当然だ。ろくに風呂にも入らず、身なりも整えていない奴が濁った目をしてふらふら歩いていたら、俺だって避けて通る。
中にはイヴェッタさんみたいに気にかけてくれる人もいたが、そんな優しい人たちですら煩わしく思え、誰も入ってこれないようにガチガチに家の防犯を固めた。
誰ともろくに話さず、何もせず、ただ生きているだけの毎日。
そんな日々の中、食べ物の調達に出かけた肌寒いある日の夜、色街に迷い込んだ俺はアイツと出会った。
俺と同じく、生きているのか死んでいるのか分からない目をした、水色の髪の妖精種の少女に。
そいつを見ていると、複雑な感情が胸の中で渦巻いた。
情けない。イライラする。充たされない。寂しい。
だから俺は……。
「ん……」
いつの間に眠っていたのだろう。机に突っ伏していた顔を上げ、大きくあくびを一つ。寝起きでぼやける視界も元に戻り……そこで、俺は自分がどこにいるのかを知った。
「えっ! え、えぇ!?」
椅子と机のセットが、合計で三十組。大きな黒板に、時間割やポスターが画鋲で留められた壁。振り向けば、部屋の後ろにクリーム色の小さな個人用ロッカーも三十。その脇には、掃除用具入れが備え付けられていて……間違いない。ここは、「明志高等学校」の俺の教室だ。
「え、あれ……!?」
慌てて、ステータスウィンドウを開く。うん、ちゃんと機能する……じゃあ、ここは元の世界ではない。次に、腰に下げたナイフで手の甲を軽く切る。その時走った鋭い痛みが、ここが仮想現実でもないことを教えてくれた。
だとすると、ここはどこだ?
視界にMAPを展開して確認すると、現在位置は「明志高等学校・ニ年三組教室」と示されている。同時に、【迷宮探索】と【オートマッピング】の相乗効果により、この建物の見取り図も表示され、新たな事実が判明する。
この教室だけじゃない。建物全体が、「明志高等学校」そのままだ。
ただ、決定的な違いが一つ。建物の分類が、「迷宮」となっている。
迷宮……そうだ、俺は、新たに出土した遺跡の調査に赴くエルゥに引っ張ってこられたんだった。助手に抜擢(押し付けられたとも言う)セリエが、泣いて頼んでくるもんだから忍びなくて、四日ぐらいならとOKしてしまったんだ。
そして、出発日に何故かアルティも護衛役としてやってきて……その四人で、この機能が停止した迷宮に入ったんだ。
……そうだ! ワープトラップが発動したのは、その直後だった! それぞれが光に包まれる姿を、確かに見た。恐らく、バラバラの場所へ飛ばされたんだろう。
マズいな。この建物の分類が「遺跡」ではなく、「迷宮」と表示されているということは、ダンジョンコアは生きているのだろう。それとも、この迷宮を作った奴が新しいダンジョンコアを持ってきたか、はたまた死んでいると偽装したのか……。
まぁ、いい。この迷宮の諸々の謎は、今は置いておこう。問題視すべきは、魔素を供給するダンジョンコアによって、魔物も発生するということだ。しかも、迷宮の魔物は純粋に魔素が凝り固まって誕生するから、最低でもレベル100ぐらいはある。
一般人のセリエはもちろんのこと、アルティやエルゥでさえ、団体が相手ならば対処不可能だろう。つまり、彼女たちは非常に危険な状態にあると言っていい。謎解きなら後でもできる。今は、あいつらを救うことを考えよう。
どれほど眠っていたのか分からない。もしかすると、その間に全滅しているかもしれない。通信阻害機能付きの迷宮なのか、【コール】は繋がらない。そのことがますます不安を煽る。
(頼む、無事でいてくれよ……!)
祈るような気持ちで、俺は【レーダー】を発動させた……。
………………
…………
……
油断していた……いや、自分なりに最大限の注意を払っていたつもりなんだが、東館での連勝で、どこか心の隙が生まれていたんだろう。隠蔽スキルで近づき、【首狩り】。これで、どんな魔物でも倒せる気になっていた。
中央館に入ってから姿を見せた「ハイスクール・コボルト」という魔物は、オレより少し高いとはいえ、「スクール・コボルト」に毛が生えたようなレベルだったからな……早く進まなければという焦りによって、ろくに観察すらせずに、いきなり【首狩り】を仕掛けてしまったんだ。
その結果が、今のザマだ。詰襟付きの白い服を着た犬面野郎は、オレの接近を感知して振り返り、カウンター気味に拳を突き出してきた。思った以上に速く重いその拳は、避けることもできずにどてっ腹に突き刺さる。そしてオレは、小部屋の窓を突き破り、通路の壁に激突するほどの力で殴り飛ばされた。
「けはっ、ご、ごぷっ……」
衝撃で一気に押し出された空気を求めて咽が鳴るが、腹ん中から逆流してきたどす黒い血とゲロで塞がれ、満足に呼吸もできない。目には涙が滲み、体が勝手にくの字に曲がって詰まったもんをゲーゲー吐き出そうとする。
起き上らなくてはいけない。
魔物の追撃から、身を守らなくてはいけない。
だけど、体が言うことを聞かない。脳みそはぐらぐらと揺れ、手先はブルブルと震えて思った通りに動かせない。「ハイ・ポーション」を飲もうにも、未だえずいている状態では、飲み込むこともままならない。
歪む視界の片隅に、強烈な存在感を持って「ハイスクール・コボルト」が現れる。小部屋から出てきたのだ。もう、五メートルも離れていない。あぁ、マズイ。拳を振り上げやがった。アレをもう一度喰らえば、確実に死んでしまう。
避けられない。死ぬ。逃げられない。耐えられない。
死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ!
そして、犬面野郎の拳は、必死の威力を持って振り下ろされ……。
「ホ、【ホーリー・レイ】!」
オレに当たる寸前で、ピタリと止まった。
その毛むくじゃらな拳には、豆粒ほどの焦げ目が付き、そこから一筋の煙が立ち上っている。これが、こいつの拳を止めたのか? いいや、そうじゃない。少し勉強ができるガキなら誰でも使える【ホーリー・レイ】には、そこまでの威力はない。
なら、なぜ拳を止めたのか? 簡単だ。こいつは、ただ、イラついたんだ。おいしいところで邪魔が入れば、誰だって気分を害す。その上、相手が乳臭いガキならばなおのことだ。
それぐらい、お前も分かっているだろう?
なぁ、セリエ……。
「げふっ、が、にげ、逃げろぉ!!」
階段脇の便所に隠れていればいいものを、なんでわざわざ出てきたんだ。ここの魔物の攻撃をまともにくらえば、お前なんてバラバラだと散々脅してやったはずだ。なんで姿を晒すんだ。魔物を前にしてガタガタ震えるぐらいなら、初めから出てくんな。
……逃げろ……逃げろよ! オレに【ヒール】なんてかけようとしなくていいから逃げろ!!
サディスティックな笑みを浮かべる犬面野郎に捕まる前に、逃げ出せよ!!
「ああっ!?」
くそっ……くそっ……今の騒ぎで、オレたちが通ってきた道からも、この階の他の小部屋からも魔物どもが集まってきやがった。もう、退路はない。オレが万全の状態であっても逃げ出せない。貧弱なセリエなんて、言うまでもない。
この事態を防ぐために、なるべく静かに殺して回ろうとしていたんだ。でも、それを悔やむことに、もう意味はない。あと一分もしない内に、オレたちはミンチだ。できることといったら、精々神様の奇跡がありますようにと祈ることぐらいか。
そうこう考えている内に、完全に包囲されたオレとセリエ。かわいそうに、セリエは体を縮め、甲高い悲鳴を上げて泣いている。
こうならないようにするのが、護衛を引き受けた冒険者の仕事のはずだろう。何が、いつまでも「チーム」で満足してはいられない、だ。その慢心が、今の事態を引き起こしたんじゃねえか。
こんなオレが中級者を気取るのは、早すぎたということだ。
すまんな、セリエ。守れなくて。
すまんな、親父。出来の悪い娘で。
……ごめんな、母さん。また泣かせちゃうな。ごめんな……。
魔物どもの大きな手や足が迫る。あれでオレは潰されてしまうんだ。
……ふいに、目の前の魔物と「憤怒の悪鬼」が被って見えた。あの時もこんな気持ちだったな。まさか、人生で二度も味わうとは思わなかったぜ……まぁ、その人生ももうすぐ終わるけどな。
……あれ? あの時、オレはどうして助かったんだったかな……。
確か、アイツが来たんだ。ヒョロヒョロした、黒髪のアイツ……。
ネズミ。
タカヒロ・サヤマが……。
そのことを思い出した瞬間、突然、直線の通路を黒い影が駆け抜けていった。
なんだったんだ、アレは……そう思うと同時に、オレたちを囲む魔物たちが爆散した。
「ァアァァア!?」
セリエが、その光景から逃げ出すように、両腕で顔を覆って後ずさりする。おそらく、魔物の攻撃か何かと思ったんだろう。
だが、オレには分かる。アレは、あの時の光景と同じだ。「憤怒の悪鬼」が、莫大な魔素を撒き散らして果てた時と……!
だって、その先も同じだから。
煙る魔素の粒子の中、額の汗を拭うその姿……腰のナイフシースに、血のように赤い短刀を仕舞う男。タカヒロ・サヤマが、困ったような顔をして立っているのも、「憤怒の悪鬼」の時と同じだった。