淫魔のお使い
「イヴェッタさん……勘弁してくださいよ……」
ある日、貴大は中級区のアパルトメントにて、出勤前のイヴェッタへ愚痴を垂れていた。
「最近、ユミィの奴がおかしな格好で夜な夜な俺の部屋に来るんすよ……あれ、イヴェッタさんの入れ知恵でしょう?」
彼の知り合いであれほど豊富なバリエーションの衣装を揃えている人物など、彼女しかいなかった。
「あら? 満足できなかったの?」
こてん、と首を横に倒して不思議そうな声を漏らすイヴェッタ。どうやら、悪気は一切ないようだ。余計に性質が悪かった。
「満足……満足なんか出来る訳ないじゃないすか。俺はいつコスプレが好きだと言いました?」
「あら~……ごめんね~……」
自分のコーディネイトを丸ごと否定され、悲しげな響きの声を上げるイヴェッタ。貴大は、「けったいなコスプレショーを嫌っている」ということが彼女に伝わったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
同じことはユミエルにも言ったのだが、「……嫌よ嫌よも好きのうち、と先生が言ってました」といまいち真に受けなかった。
ならばと思い、元から断とうとしたことがうまくいったようだ。イヴェッタは壁に手を当てて俯いている。どうやら、反省しているらしい。
「分かってくれたようで……で、あれはいつ改善するんです?」
「そんな! 改善なんてすぐには無理よ!!」
勢いよく顔をあげ、貴大に向かって否定の声を上げる元凶の女。ユミエルに良からぬことを吹き込んだ本人ならば、改心させるのも容易いのではないか。そう思い、貴大は抗議を続ける。
「いやいや、手を出したんなら、最後まで面倒みてくださいよ。俺が言っても聞いてくれないんですよ……」
疲れ果てたようにガックリと肩を落とし、深々と息を吐く貴大。その様子に、楽天家なイヴェッタも事態の深刻さが分かったようだ。両手を胸の前でギュッと握り、珍しく毅然とした態度で口を開く。
「……分かったわ。これでも私、一国一城の主なんだから! 責任は、最後までとります!」
「おぉ!」
「ただし! 今のユミエルちゃんをもっと改善しようだなんて、私も骨が折れちゃうの……だから、交換条件があります!」
「交換条件?」
ここまで来たならば、もう何でも来いとばかりに身構える貴大。そんな彼へと、イヴェッタは高らかに告げた。
「「媚薬の香水」の材料を集めて来て欲しいの!」
「……はい?」
お水系のお姉さんから提示された交換条件。それは、「人を昂ぶらせる「媚薬の香水」の材料を、市場から探し出してこい」というものだった。
「「アダルト・ゴブリンのまつ毛」に、「痺れトカゲの汗腺」、それから「テンプテーション・フラワーの花弁」は揃った……「淫魔の蜜」はイヴェッタさんが自前で用意できるだろうから、あとは「セクシー・マンドラゴラの根」だけか……なんちゅう材料だよ」
渡されたピンクの買い物籠へ、妖しげな匂いを漂わせる素材を詰め込んで歩く貴大。甘いような、酸っぱいような香りに、頭がクラクラしそうだ。
表通りでは決して並べられない物品を求めるために、看板も出していないような生薬店などを巡ってゆく。
モンスター素材が多くを占める「媚薬の香水」の材料は、安定供給されるものではない。「ここならあるかも」とイヴェッタに教えられた店でさえ、「テンプテーション・フラワーの花弁」しか置いていなかった。
それでも、何でも屋の人脈を伝って、何とか残りの材料も揃えてゆく貴大。だが、どうしても「セクシー・マンドラゴラの根」だけが見つからない。
類似品の「マンドラゴラの根」はいくらでも見つかるのだが、足を組んで股間を隠した人の下半身のような形の、無駄に色っぽい根っこは希少価値が高いようだ。
どこへ行っても、誰に聞いても、「今は在庫が無い」と言われる。ここに至り、なぜわざわざイヴェッタがこのようなお使いを交換条件に出したのかを理解した貴大。
彼女は、「セクシー・マンドラゴラの根」が品薄だと知っていたのだ。だからこその「交換条件」。浅はかにも、「え? そんなことでいいんすか? やります、やります!」と飛びついたことを、彼は今後悔していた。
(う~ん、「薬学師」とか、冒険者の奴らは持ってそうだけど……)
しかし、最近は貴族におもねっているとますます忌み嫌われている貴大だ。どのような条件をふっかけられるか分かったものではない。「渡してもいいが、代わりにお使いに行って来い」なんて雪だるま式な展開になってしまえば、面倒極まりない。
中級区の市場の片隅で、一人頭を悩ませる貴大。そんな彼へ、救いの手を差し伸べる者がいた。
「あれ? タカヒロさん、こんな所で会うなんて奇遇ですね?」
「ん? あぁ、エリックか」
貴大が声の方へ顔を上げると、王立グランフェリア学園の若手教師、エリックがそこに立っていた。同じく、実験器具らしきものを入れた買い物籠を腕に通し、柔和な笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
「こんにちは、お買い物ですか?」
「うん、まぁ、そんなところかな?」
日常場面では接点の少ない二人だ。エリックは、興味津々とばかりに貴大の買い物籠を覗きこみ、そして、うっと声を上げて仰け反った。
「た、タカヒロさん……! その材料って……!」
「え? な、なんだその反応?」
流石、魔物学を専門とする教師というべきなのか、ピンクの籠から見え隠れするモンスター素材は興奮作用があるものばかりだと理解したのだろう。眼鏡をかけた童顔を赤く染めて、視線を忙しなくあちこちに逸らし始めた。
「わ、分かります。タカヒロさんだって男ですものね。たまにはそんなものも使って遊びたいという気持ちも……」
「あっ! ち、違っ、これは俺が使うんじゃなくて……」
シャイなエリックが、どうやら勘違いをしていると悟った貴大は、慌てて誤解を解こうとする。しかし、頭から湯気すら出しそうなエリックは両手を振り、それすら遮る。
「いいんです、いいんです! 誰にも言いませんから!」
「だから、違うんだって……」
遂には「何も見ていません! 私は何も見ていません!」とペコペコと頭を下げ出すエリック。貴大は、もうどうして良いのかわからず、「ち、違う、違う……」と呟きながらおろおろとするばかりだった。
「ははぁ、水商売の方から「媚薬の香水」の材料を頼まれて……なるほど、何でも屋というのは文字通りの職業なのですね」
しばらくして落ち着いたエリックへとやっとのこと説明を果たした貴大は、ほっと息を吐く。
「でも、「セクシー・マンドラゴラの根」だけが見つからなくてな……どうも品薄らしいんだわ」
すると、探し物は案外身近にあるというのはどこの世でも変わらぬらしく、目の前のエリックが「持っています」と言いだした。
「あ、それなら私が持っています……あっ、け、研究用ですからね!? 淫らな目的では、決して……」
またもや顔を真っ赤にして俯く、金髪眼鏡。周りからあらぬ誤解を受けそうなその姿に慌てた貴大は、肩を掴んで顔を上げさせようとする。
その突然のボディタッチで「あっ……」と声を漏らすエリック。市場の人ごみの所々から上がる黄色い声。それから逃げ出すように、貴大はエリック腕を引っ張って、上級区のエリック宅へと急いだ。
こうして、何とか材料を揃えることができた貴大は、日が暮れる頃にはイヴェッタの元へ依頼達成の報告を届けることができた。体力よりも、精神力を削るような一日であった。
「ふ~……これで安眠できると思うと、苦労した甲斐があったわ」
仕事を終え、家へと帰ることができた貴大。イヴェッタが、ユミエルと少し話をして、衣装を詰めたバッグを持っていったということは、説得はうまくいったのだろう。これで安眠が訪れると、寝る前に用を済ませたトイレから寝室へと、足取りも軽く戻っていく。
「さ~て、明日は休日。ゆっくり寝るか」
精神的な疲れが溜まっていたのか、頭の芯が鈍く感じる。そんな時は、長々と寝こけるに限る。そうでなくとも、彼は寝ることが大好きな人間だ。すぐにでも寝心地最高なベッドで心地よい眠りに落ちるべく、貴大は冬用の分厚い布団を捲った。
するとそこには、薄紫のシースルーネグリジェと、際どい黒ショーツだけを身につけたユミエルが、枕を抱えて横たわっていた。
「………………は?」
まるで現実感のない光景に、頭も体も硬直してしまう貴大。
そんな彼に声一つかけず、ユミエルは胸に抱いた「NO」と書かれた枕を裏返しにした。
そこには、「YES」の赤い文字。
そして、ユミエルはここに至ってようやく口を開く。
「……Oh,yes……come……I'm comin'」
「出 て け !」
無表情に、感情を籠めることなく「カム」だの「オーイエー」だのと口にするユミエルを、自室の外へと蹴り出す貴大。
どうやら、イヴェッタはこれまでの衣装やシュチュエーション程度では貴大は満足できない、と勘違いしたようだ。「改善」された、より直接的なアプローチに、彼の頭はズキズキと痛む。
「世間知らずなユミィにこんなこと吹き込むなって何度言えば……!」
当然、朝を待たずして、貴大は伝えたいことを曲解しているイヴェッタに文句を言いにいった。
しかし、「そんな! あれでも満足できないなんて……! ユミィちゃんの熟し切らない果実では、タカヒロちゃんの燃え盛るような欲望を受け止めきれなかったのね!? いいわ、残りはお姉さんに任せて!!」と、一人で盛り上がる淫魔を見ているとドッと疲れが出てしまい、「もう、いいです……」と彼女のアパルトメントを後にしたとか。
さて、次章は待望(なのかな?)のサイドストーリー2!
希望が多かったアベルもベルベットも出るよ!
描写がすくない学園迷宮内部の攻略を主に書いていこうと思います。
お楽しみに!