大晦日の始まり
(おすそわけ……そう、おすそわけに来ただけ……)
今日は十ニ月三十一日。年の瀬も迫ったイースィンド王国の王都・グランフェリアが寒波に見舞われたこともあって、まだ夜の六時だというのに中級区住宅街は人影もまばらだ。それも仕方がないことだと、カオルは思った。
凍えるように寒いという理由も当然あるが、人気が少ないのには他に訳がある。南や東隣の国とは違って、この国には大晦日に何かをするという習慣がないのだ。年越しは家でのんびりと家族と過ごし、友人や恋人と遊びに繰り出すのは新年祭から。これが昔ながらのイースィンド王国の年末年始だ。
だから、この日の夜を共に過ごすのは、家族や、家族同然の親しい者だけと相場は決まっている。
家族同然の親しい者……つまりは将来を誓い合った仲だ。それを意識し、この寒空の下でも茹ったように真っ赤になるカオル。
(違うくて! 違う違う! ただ、貴大にはお世話になったから……お父さんとお母さんが、料理を持って行けって家を追い出すから……)
ジパング料理を食べさせる一風変わった定食屋「まんぷく亭」を営むロックヤード一家は、両親に一人娘のカオルの三人家族。王都に店を開く前は、父方の祖父の家で父の弟夫妻と共に暮らしていたので、たった三人での年越しは新鮮だな、と思っていた矢先の出来事であった。
父アカツキが手製の料理を稲藁で編んだ籠に詰めて持たせ、母ケイトが「お父さんとお母さんはニ人っきりの熱~い夜を過ごすから♪」と、娘を家の外へと閉めだした。予想だにしなかった年越しの夜の始まりに、混乱したカオルは「まんぷく亭」の裏口のドアを叩く。
「なに言ってるの!? 外にいたら、凍死しちゃうよ!!」
その悲痛な娘の叫びに返ってきたのは、「じゃあ、タカヒロちゃんのところに行けばいいんじゃないかしら?」、「おぉ、そいつは名案だ! ガーハッハッハッ!」という、何らかの思惑が透けて見えそうな提案だけだった。
(も~! ニ人とも、私とタカヒロはそんなんじゃないのに……違うのに……)
文句を言いながらも、足は店舗と住居を兼ね備えた「何でも屋・フリーライフ」へと向かう。両親が家に入れてくれないから、仕方が無いんだ。持たされた料理をおすそわけするだけなんだ。そう自分に言い聞かせ、やや早足に貴大の家へと向かう。
(寒いだけ……寒いから急いでいるだけ……)
なぜか逸る気持ちに説明をつけている内に、遂には「フリーライフ」の居住区のドアの前へと辿り着いたカオル。そっと籠を置いて、手編みのセーターにほつれはないか、ニット帽で髪がはねていないかをささっと確認する。
(うん……よし! 大丈夫)
どこにも不満は無かったのか、一つ頷いてから、また籠を拾い上げる。そして、白く染まった息を大きく吐き、ぐっと腹に力を込めて「フリーライフ」のドアをノックした。
「こんばんは~。貴大、ユミィちゃん、いる~?」
居間の様子を人の目から隠すカーテンの隙間から、温かな光が漏れ出ているのは見えている。よほどの事情が無い限りは、灯りを残したままに外出などあり得ない。
(ニ人はいた……良かった、空回りしなくて……お父さんたちの変なサプライズのことだけどね!?)
そう考えていたカオルの目の前で、ドアが開いた。
「うん? 君は誰だい? こんな時間にどうしたね」
家の中からの光を背に立っていたのは、やややせ気味な体に、波打つ黒髪を垂らしているエルフの女性だった。貴大でもなければ、ユミエルでもない。それを皮切りのように、混乱する彼女の前に次々と別の人物が現れていく。
「おぉ、カオルじゃねえか。なんだ、何かネズミに用か」
大手冒険者グループ「スカーレット」の頭目の一人娘、アルティだ。
「わん? わんわん♪」
今度は、大型犬種の獣人、クルミアまで現れた。
「ちょっと、寒いですわ。早く閉めてくださる?」
なぜか裾長の黒いナイトドレスに身を包んだ、金髪ロールの貴族様まで現れた。
「ええええぇぇぇぇぇ………………!?!?」
出るわ出るわ、総勢四名もの美少女と美女たち。家を間違えた。カオルはそう思った。しかし、すぐさま、ここが目的地である「何でも屋・フリーライフ」だということが判明する。
「お~、なんだ、カオルか。こんな時間にどうした?」
居間のドアからひょっこりと顔を出す貴大。なぜかエプロンをかけ、手を粉に染めている。その脇には、何も言わずにユミエルが控えていた。
「タ、タカヒロ!? 今日は大晦日だよね? ねぇ!? なんでこんなに人がいるの!?」
彼に詰め寄り、問いただそうとするカオル。だが、肝心の貴大は、言い難そうにしばし視線を泳がせる。「どう言ったもんか……」とぼやきながら腕を組んで熟考するも、良い言葉が見当たらなかったのか、諦めたような投げやりな口調で説明し始めた。
「いつの間にか人が集まったんだ……そうとしか言いようがない」
疲れたように告げる貴大。カオルは、そんな彼の様子から、自分が心のどこかで思い描いていた大晦日は決して訪れないことを確信した……。