神剣
フォルカ・ラセルナ・ボルトロス・ド・イースィンド。
それが彼の名前だ。
イースィンド王国の現国王、ラセルナ・ボルトロス・クローク・ド・イースィンドが第六子であり、先日15歳の誕生日を迎えたばかりの若き第四王子であった。
多少傲慢さが抜けきらないものの、「あるもの」の恩恵で実技は優秀であり、レベルも123と、中等部の学生にしてはかなり高い。学園迷宮中層部が発見されたのが数ヶ月前であり、そこからレベル上げに励んだと考えても驚くべき上昇速度と言える。
彼が率いる中等部学生ギルドの面々も、それに引っ張られる形で目覚ましい成長を遂げている。最近は、そんな彼らに侮られないようにと、中等部の教師陣も学園迷宮下層部での自己鍛錬に余念がない。
高等部を代表する人物がフランソワなら、中等部ではフォルカがそれに当たる。前者は才能と努力、後者は「あるもの」によって輝かしい業績を残し、人々の視線を一身に集めていた。
貴大も、噂には聞いていた。「中等部には、フランソワ並みにスゴイ王子様がいる」、と。だが、1・Sにかかりきりで、週に一度しか学園に来ない彼は、ここに至るまで終ぞ接点を持たずにいたのだ。
そんな噂の王子様との初邂逅。いったい、どんないちゃもんをつけにきたのかと、貴大は気が気ではなかった。メンタル的に脆弱な彼は、面倒事はできれば避けて通りたい主義である。故に、見るからに厄介そうな王子様の気に障らないように、恐る恐る声をかけた。
「あの~……この度はどのような御用で……?」
すると、フォルカは貴大を見下したまま、「はっ」と短く嗤って答えた。
「そんなことも分からないとは、流石平民だな。1を聞いて10を知る僕ら高貴なものとは出来が違う。まぁ、そこまでを平民ごときに求めるのは酷というものだな。仕方ないが、答えてやろう。感謝したまえよ?」
もう、この時点でお家帰りたい貴大だった。それでも、揉め事は避けたいがために、下げた頭をますます深くして続きを待つ。
「いいかい? 僕は、君に身の程を教えてやろうと思って、わざわざ赴いたんだ。最近は、父上も兄上も、フランソワだって口を開けば君のことばかり……そりゃあ、僕だって君が伝えたとされるスキルを覚えたよ? でも、種が分かってしまえば何のこともない。誰だって覚えられるようなやり方じゃないか。それを君は勿体ぶって披露し、先生がたや学徒諸君を騙して、栄光ある王立学園の講師の座に収まってしまったんだ! 平民の分際で!」
そこで、顔に右手を当て、嘆くように目を閉じて仰け反るフォルカ。泣きたいのはこっちだよ、と、そっと溜息を吐く貴大。王子様の話は、まだまだ続く。
「まぁ、それでも、君が謙虚にスキルだけを教えていれば僕も我慢したんだ。だが君は、更なる名誉を求めて「クライング・ゴースト」を単独討伐したね? これがいけない。身の程を弁えていない行為だよ、君」
「ち、ちがっ……」
倒した覚えもなければ、名誉を欲した覚えもない貴大が、たまらず否定の声を上げかける。しかし、それすら遮って、フォルカの語りは続けられる。
「嘘はいけないね! 特に見え見えの嘘は、聞いていて苦々しく感じるよ。君は人を不快にさせるのが趣味なのかい? そうじゃないのなら、嘘は控えるべきだ」
(……こいつには何を言っても無駄だな。人の話を聞かないタイプの人間だ、こりゃ)
これまでのやり取りからフォルカへの評価を決める貴大。自分が口を開いたところでこの王子様の饒舌さに油を注ぐだけだと、早々に見切りをつけて口を噤んだ。その様子に気を良くしたのか、ますます舌の動きも滑らかに話を続けるフォルカ。
「僕はね、テングになっている君に……分かるかな? テング。君の国の魔物だったよね?それとも、もっと簡単な言葉じゃないと平民には分からないかな? ええとだね……平民はこんな時、どう言うんだい?」
そう言って、「ふっ」と嗤うフォルカ。
(どうしよう、こいつ、殴りたい)
そう思うと、不思議と笑みが漏れる。それを見たのか、必死になって首を振るフランソワの姿が貴大の視界の端に映る。寸でのところで思い留まる平民さん。
「そうだね……そう、増上慢になっている……少しばかり高貴な言葉なんだが、これなら分かるかな? 増上慢になっている平民に、身の程を思い知らせてやろうと思ったんだよ、僕は」
(うん、それはさっき聞いた……うおぉぁぁ……)
同じことを何度も繰り返し言う。典型的な話が長い人の特徴である。貴大が苦手とする人間だ。身近な例では、ご近所のヴィーヴィル夫人がそれに当たる。
貴大のフラストレーションがかつてないほどにグングンと上昇しているのが、フォルカ以外の誰の目でも分かった。
「そこでだ! 今日、高等部Sクラスはいよいよ学園迷宮中層部のBOSSを倒すという話だったね? そこに僕も同行させてもらうよ」
ざわり、とわずかにざわめく学生たち。すでに中層部のBOSSすら倒せるだけの力量を身につけている彼らだが、「恩師であるタカヒロ先生に、自分たちの成長を見せてあげよう」と彼の帰還を待っていたのだ。
その微笑ましい目論見を台無しにする提案には、相手が王族だからといって良い顔はしなかった。しかし、その批難を含む視線にすら気付かず、王子様は揚々と意図を語りだす。
「僕はね? 自慢じゃないが、この教室の誰よりも強い「力」を持っているんだ。当然、君よりもだ。でも、そう言われたからと言って、無駄に自尊心ばかり高い平民は納得しないだろう?だからだ。君の目の前で、僕が単独で中層部のBOSSを倒してみせよう。その戦いぶりを見れば、君だって自分が如何に「井の中の蛙」かを思い知るはずだ」
そう言って、誇示するかのように腰に佩いた長剣をガチャリと揺らしてみせるフォルカ。
「午後になったら、また来るよ。それまで、天才エルゥ女史とは構造自体が異なる平民おつむに詰め込んだスキルを、枯渇しないように長~く薄~く引き伸ばして教えておくんだね! ははは! では、失礼するよ」
来た時に開けっぱなしにしたままだった扉から去っていくフォルカ。ドアを自分で閉めるという習慣が無さそうなのは、王族らしいというのかな、と呆けた頭で考える貴大。
やがて、事態を飲みこめ始めてから、ようやく口にした一言が、
「臨時講師辞めます……」
だった。
この一言を契機に、騒然となる1・S教室。
「お待ちになって!?」
「わ、我々はあのように思っていません!!」
「先生は我が国にとって必要な御方ですよ!!」
「王子が……そう、王子が少しばかり歪んだ方なだけでして……!」
体育座りで教室の隅に丸まる貴大の周りを囲み、あれやこれやと励ましの声をかける学生たち。それでも貴大は顔を上げず、暗い声で否定の声を呟く。
「嘘~……はい、嘘~……どーせ俺なんてゴミみてえな存在だよ~……はいはい、調子に乗ってスミマセンでしたぁ~……ぐすっ」
自分で自分を否定している内に、なんだか悲しくなってきたのか涙ぐむ貴大。寝不足によるストレスも情緒不安定に一役買っているのかもしれない。それを見て、更に慌てる学生たち。エリートと謳われた1・Sの教室は混迷の度を深め、今まさに学級崩壊の危機に瀕していた。
そんな時、クラスをまとめ上げるのは、いつだって彼女……フランソワ・ド・フェルディナンだ。そっと貴大の肩を抱いたフランソワは、声だけで癒されるようにと優しく囁いた。
「先生……気を落とされないでくださいませ。このクラス……いいえ、この学園で先生を卑下している者など、フォルカ王子以外にはいませんわ」
「ほ、本当か……?」
心身へのポジティブな接触により、幾分かは気を持ち直す貴大。
「あ、でも、クォル先生は、「平民如きを講師に招くなんて……」って今でも言って」
「黙らっしゃい!」
空気を読まないことには定評がある男子生徒、アベルの発言だ。それをベルベットが蹴り飛ばして口を封じる。
「うおぁぁぁ……」
高く持ち上げて、そこから落とす。高等テクニックだ。一気に塞ぎ込む貴大。それでも慌てないのが大公爵令嬢だ。
「先生、言い間違えましたわ。フォルカ王子とクォル先生だけです。先生を貶しているのは。それ以外の者は、みんな先生の味方ですのよ。ねっ? 皆さん?」
揃って首を縦に振る1・Sの生徒。どうやら、学園迷宮で鍛え上げた連携は申し分ないようである。
「そ、そうか……」
「そうですわよ」
何とか自力で起き上る貴大。それをフランソワが慈母の目で見守っていた。周りを囲む学生たちも、貴大を肯定する温かい目だ。その後ろでは、アベルが死んだ魚のような目をして転がっているが。
それでも、徹底的に貶された直後に、「さぁ仕事だ!」と気持ちを切り替えられるほどに人間は便利にできていない。
責任感が強い人ならば、感情を仕事に反映させることはないのだが、生憎貴大はそうではなかった。立ちあがってはみたものの、どうにもやる気が沸いてこない。
「あ~、スマン……午前中だけ……午前中だけ休ませてくれ……そしたら元気になるから……」
「そんな……座学はどうされますの?」
貴大の気持ちは分かるが、向上心豊かな学生たちだ。どうにかして授業は受けたい。その思いを察したのか、貴大はこう提案した。
「じゃあ、こうしよう。エルゥを代わりに呼ぶから。それならお前らも満足できるだろ?」
「それはそうですが……エルゥ先生は、今の時間帯は図書館の研究室にいるのでは?」
学園迷宮でレベルを上げるために教師となったエルゥは、実はそんなに熱心に教鞭を振るっているわけではない。自分が担当する座学や、学園迷宮での実習の時間以外は研究室に籠ってスキルの研究に勤しんでいるのだ。それをわざわざ呼び出すというのか。
訝しげな学生たちを前に、貴大はあるスキルを発動する。
「【コピー】。ほら、エルゥ、「@wiki」の内容が載ってるぞ~」
ひらひらと宙を舞う一枚の手帳の紙。
誰もがそれに目を奪われたその時、教室後方のガラス窓を突き破って何者かが飛び込んできた。
「とぅぅぅぅ~~~!!!! 「@wiki」の気配! そこかぁっ!!」
エルフ特有のしなやかさで見事に着地を決めたのは、図書館にいるはずのエルゥだった。そのまま、流れるような足捌きで床を這うように走り抜け、「@wiki」の断片をキャッチし、周囲の目も気にせずに黙々と読み耽りだす。
学生たちはドン引きだ。うわ言のように、「え……ここ三階……」などと呟いている。
やがて、満足したのか顔を上げるエルゥ。ほっこりと表情を緩ませたその顔は、妙に艶々と輝いていた。
「ふ~……やはり「@wiki」は素晴らしい……古文書に度々現れる「垢バン」とは、神による天罰のことだったのか……」
会話可能になったのを見計らって、貴大がエルゥに声をかける。
「なぁ、もっと読みたい?」
「うん!」
いい歳した大人が、子どものように目を輝かせての即答だ。学生たち、更にドン引き。
「じゃあ、午前中の座学、担当変わってもらえるかな?」
「任せてくれたまえ! 私が溜めこんだ知識の深淵で、ここの学生たちを飲みこんでみせよう!!」
エルゥ先生の言ってること、ちょっと分からないです。学生たちは嫌な予感しかしなかった。しかし、ここで止めようものなら、「君の命と「@wiki」、どちらが大事だと思う?」と狂気に染まった目で見つめ返してきそうなので怖くて止められない。
結局、なし崩し的に代役が決まり、貴大はいずこかへと去っていった。
残されたのは、呆然とする学生たちと、異様なやる気を見せるエルゥだけだ。
「さ~て、何を教えるかな? キメラやゴーレムの構造的弱点……いや、それなら人体の脆弱さを如何に補うかを教えるか。おや、こんなところにちょうどいい人体模型が」
「「「先生、それは人間です!?」」」
まだ死んだ魚のような目をして転がっているアベルに向けて、見たこともないような黒くておぞましい魔方陣を展開するエルゥ。
「いや、このスキルを試してみたくて……なに、成功すれば彼は超人だ……悪魔超人だがな」、「先生止めて!」、「アベル逃げてぇ!」と、またも喧騒に包まれるSクラス。
それは隣のAクラスにまで響き渡り、「Sクラスは座学ですらあのように激しいのか……!?」と、Aクラスの学生たちを戦々恐々とさせていたとか。
一方、貴大は上級区からさほど離れていない中級区の自然公園へと来ていた。ぼんやりと辺りを見回し、誰かを探しているようだ。
「【コール】で呼んどいたから、そろそろ来るはず……おっ、来たか」
ドドドドド……と土煙を上げ、身長180cmを超える犬っ娘クルミア(9歳)と、そのお供のゴールデンレトリバー・ゴルディが猛烈な勢いで走り寄ってくる。そして、間近にまで迫ったところで、貴大へと飛びついた。
「わん、わんわんっ♪」
「わふ、わふっ」
それをがっしりと受け止めて、「よ~しよしよし」と撫でくり回す貴大。二匹のわんこたちは彼の手を受け、嬉しそうに尻尾を振りたくる。しばらく、彼らは存分にスキンシップを図り、落ち着いたところで腰を下ろした。
「いや、急に呼びだしてすまんな……顔が見たくなって、さ」
「わんっ」
「く~ん」
貴大の申し訳なさそうな顔を一舐めして、「いいよ」と伝えるわんこたち。その大らかさに、彼はじんわりと涙を浮かべて二匹を抱き寄せる。
「ううっ、お前らはいい子だ……! ほんまええ子やでぇ……!」
「きゃ~♪」
「わふ~」
かいぐりかいぐりされて、わんこたちは喜びの声を上げる。その様子にますます癒されたのか、「いい子、お前らとってもいい子……!」と頭を撫で撫でする手を止めることができなくなる貴大。
動物と触れ合うことで心を癒すアニマルセラピーは、自信や意欲の上昇、他者への信頼感やストレスの回復に一定の効果がある。それを知ってか知らずか、フォルカ王子の言葉による心の傷と、ここ数日の謎の心労を解消するべく、ひたすらにわんこたちと触れ合う貴大。
結局、午後の迷宮実習が始める時間に間に合うギリギリまで、貴大はわんこたちと戯れていた。干し肉(わんこ用)を懸命にはみはみと齧るクルミアとゴルディの姿に、心の傷を埋めてもらえたとか。
「遅かったじゃないか。まぁ、時間には間に合ったようだが、だらしがないと言わざるを得ないね。流石平民、余裕というものを知らないね」
癒してもらった心の傷口が、ドバッと開くのを貴大は感じた。え? この国の王族ってみんなこうなの? とフランソワに目で訴えかける。だが、察しが良い彼女が首を横に振るということは、そうではないのだろう。こんなのが最低でも後五人も来ては、国外逃亡を図っているところだ。
「さて、上層部などポータルで飛ばしてしまうよ。僕が実力を見せるのは中層部だ。」
そう言って、自分一人でさっさとポータルゲートを潜ってしまったフォルカ。ここでみんな帰ったら、あの王子はどんな顔をするのだろうか。試してみたい気もしたが、後に何が起こるか容易に想像ができたので、貴大は余計なおいたをするのは止めることにした。
「ふふん、やっと来たのかい。僕はてっきり、怖くて逃げだしたのかと思ったよ」
学生たちに続いてポータルゲートを潜り抜けた先に待っていたのは、やはり鼻持ちならない王子だった。ポータルゲートが誤作動を起こして、下層部のモンスターハウスの真っ只中に落ちてしまえという暗い祈りは、どうやら聞き届けられなかったようだ。
「はぁ、そうっすか……」
と、力なく答えた貴大を視線から外し、額を手で押さえてやれやれと横に振るフォルカ。
「そう澄ました顔をしていられるのも今の内だよ? さぁ、見るがいい……! 僕の「力」を……!!」
そう言い放ち、腰に佩いた鞘からゆっくりと剣を引き抜いていく。すると、(何をもったいぶってんだか……)とあきれ顔だった貴大の顔が、徐々に驚愕に染まっていく。
(なっ……!? あれは……!)
やがて完全に抜き放たれる刃。それは薄緑色に光り輝き、薄暗い迷宮を照らす。やがて光は収まってゆき、段々と輪郭が確かなものへと変わり始める。そして現れる、豪奢な象牙の彫り物で飾られた白銀の刀身。その神々しい造形の長剣に、貴大は見覚えがあった。
(あれは、「神剣ウェルゼス」!?)
「神剣ウェルゼス」。
それは、この世界において圧倒的とも言えるレベルを持つ貴大ですら怖れを抱く、神々の兵器であった……。