普通の少年
前回書いた通り、本編の後日談はすでに終了しています。
では、この章で語られるのは……? お確かめください。
俺は――。
俺の名前は――。
夕焼けが照らす教室の中、俺はひとりでぼんやりと空を見上げていた。
遠くから聞こえるのは野球部やサッカー部の練習の声。そこに吹奏楽部の演奏が加わり、辺りはいかにも放課後の学校らしい音で満ちていた。
隣の棟では進学コースのやつらが模擬試験を行っているのが見える。いわゆる普通の生徒もそこらで駄弁って楽しそうな声を上げている。そんな中、俺はというと、一枚の紙を前にしてずっと物思いに耽っていた。
(進路希望調査、か)
ふー、と大きくため息をつく。この時期になるといつも心が落ち込んでしまう。
「進路希望って言われてもな」
俺には選択肢がないというか、逆にあり過ぎて困るというか――。
とにかく、こんなことに悩まされるのは日本で俺くらいのものだろう。世界的に見ても稀有な適性、それを持っているのが俺という人間だった。
「適当にサイコロでも振って決めてみるか?」
投げやりなことを口にする俺。実際、一時期はそうしてみようと思っていたくらいだ。悩んだところで行きつく先は変わらない。それが分かっているからこそ、俺は大いに悩み、いつまでも進路を決められずにいた。
「くそっ」
小さく舌打ちをして椅子の背もたれに体を預ける。若干の気だるさを覚えながら、俺は情報端末を懐から出し、空中にニュース映像を投影させた。
『……首相は近く国民に向けた発表があるとして』
『……博士、VR技術のこれからについて』
『……適性検査は更に精度を増していき』
『……バーチャルアイドル、ライブインAWO!』
どうでもいいニュースがつらつらと手元で流れていった。考えただけで操作ができるBMI、ブレインマシンインターフェイスは俺の意思を正しく反映してくれたみたいだ。遂には映像がパッと消えて、代わりに聴覚には当たり障りのない音楽が流れてきた。
「は~」
のけぞった姿勢のまま、俺はすることもなしに白い天井を見つめ続けた。
いつしか辺りは薄暗くなっている。運動部の連中もそろそろ片づけを始めたようだ。なのに俺は帰りもせずに、いつまでも教室で無為な時間を過ごしている。
何もかもがどうでもよかった。いまは何もしたくなかった。叶うことならこのまま眠り、一生目覚めなくてもいいと思うほどだ。
(俺は……俺の名前は……)
未記入のままの進路希望票のことを考える。名前を書き、希望を伝え、そこに向けて進んでいくということが俺にはどうしてもできそうにない。
結局、筆箱からペンも出せないまま、俺は静かにまぶたを閉じて――。
「……あれ?」
「何やってんだ? こんなとこで」
不意に教室のドアがスーッと開いた。そちらに目を向けると、腐れ縁の男子がふたり、きょとんとした顔で俺のことを見ていた。
「勉強でもしてたのか?」
そんなわけないと笑いながら眼鏡の男子がたずねてくる。おっとりとした方はにこにことしながらその隣に並んでいる。
「まあ、どうでもいいけどさ」
「早く帰ろうよ。AWOで遊ぶんでしょ?」
ふたりは自分の席でごそごそと荷物を漁り始めた。かと思えば留め金をかけ、鞄を右手に下げてこちらに声をかけてくる。
「ぼやぼやしてるとイベントに間に合わねーぞ?」
「そろそろ見回りの先生も来るだろうし」
さっさと立てということだ。急かすように出て行こうとするふたり、そのうちの片方が明るく笑って俺を呼んだ。
「早く行こうぜ、タカヒロ!」
「…………ああ」
のそりと起き上がって鞄をつかむ。進路希望は白紙のままで机の中に突っ込んだ。
宵の入りの薄闇の中、俺は友人たちを追って教室を出ていく。ふたりとつるんでいる他愛ない時間、それだけが俺に将来のことを忘れさせた。
俺の名前はサヤマタカヒロ。
偉人でもなければ俊才でもない、ただの普通の高校生だ。




