謎の赤ちゃんの登場
それは誰にも似ていない赤ちゃんだった。
大きなおめめは緑色。短い髪の毛は若草色。着ている服にはピンクの花が描かれていて、顔はぷくぷく、体はふくふくと全体的に丸っこかった。
「あう、まー♪」
機嫌は良さそうだが出自がまるで分からない。あどけなく笑う赤ちゃんは、その実、正体不明の闖入者のようにも思えてしまう。
(マジで誰の子だ?)
似たような容姿を持つ者に、貴大は心当たりがなかったのだが、
「あ、この子もお父さんの子どもだ」
「えっ!?」
「ほら、お父さんと線で繋がってるよ」
「…………!?」
驚く貴大は例の装置をのぞき込んだ。そこには不完全ながらも鑑定結果が表示されていて、謎の赤ちゃんと佐山貴大、ふたりは一本の線によって繋がれていた。
「母親のデータがないとそうなるね」
開発者のエルゥが淡々と語る。
「先ほど調べた者の中にも該当者がいないみたいだ」
コミエルから受け取った装置を彼女は指先で操作をしていた。
「ええっと……それって、つまり?」
「母親はここにいない誰かってことさ。タカヒロ君も案外顔が広いから、そのうちのひとりとこっそり子どもを作ったんじゃないかな?」
「「「タカヒロオオオオオオオオオオ!!!!」」」
とうとう妻たちは爆発してしまった。エルゥに問いかけたカオルを筆頭に、アルティ、ルートゥー、フランソワなどが群れを成すように迫っている。
「あんたって人はー! もー! もー!!」
「ふざけんなよ! お前、もう、ふざけんな!!」
「遺言があるならいまのうちに言っておけ!」
「棺桶や墓標の手配は私がして差し上げますわ!」
ギャンギャンとまくし立てる妻たち。そんな彼女らに圧倒されながら、それでも貴大はやっていないとばかりに両手を振っていた。
「今度こそマジで心当たりがないから! 肝心の相手すら思い浮かばないから!」
「行きずりの相手としたってこと?」
「ポイ捨て感覚で寝たってことか!?」
「先生……いえ、タカヒロさん……」
「どうやら悔い改める時が来たみたいだね……」
「お前ら……!?」
説得は逆効果に終わってしまったようだ。もはや剣呑な空気さえまとい、妻たちは一歩、また一歩と貴大の方へと近づいていく。
(いや、でも、だからって!)
やってもいないことを認めることは難しい。この変わった赤ちゃんと共通点のある女、そんな相手と会っていたなら嫌でも記憶に残ったはずである。しかし彼には覚えがなく、ハスの花の装飾も今回初めて見たものであり、
(……ん? 蓮の花?)
いま、何かを思い出しそうになった。これまで忘れていた遠い記憶、それがあのアップリケによってごく緩やかに引き出されようとしている。
『いいでしょー、これー! ママがつけてくれたんだよ?』
『ハスの花なんだって! わたしの名前と同じなんだー』
思い出は声を伴って鮮明な形となっていく。そこにいたのは隣の家の幼馴染、腐れ縁とも言えるちょっと気の強そうな女の子だ。
『タカヒロにはあーげない♪ 見せてあげるだけー♪』
セピア色の景色の中で少女が躍るようにしてはしゃいでいる。その笑顔と明るい声は、どこか例の赤ちゃんと重なるようにも感じられた。
(あの子は……いや、あいつは!)
(蓮華!?)
その名前を心の中で叫んだ瞬間、リビングには新たなゲストが現れるのだった。
「って、うわああっ!?」
まるで風船が弾けるかのような衝撃だった。黒い球体が空中に生まれ、そこから細身の女が必死の表情で飛び出してくる。その反動で貴大は床にごろごろと転がったが、女はそれに構わず、辺りをきょろきょろとうかがっていた。
「貴様は……」
「たしか、次元の魔女さんだっけ?」
白黒コンビが来訪者に声をかける。何やら妙に慌てている女性、彼女はこれまでも何度か顔を見せたことがあった。
「ええと、転移魔法の使い手、でしたっけ?」
「毎回毎回、なんか急に現れるよな?」
フランソワとアルティが声をひそめて話している。『次元の魔女』とはその程度の認識であり、なんだかよく分からない相手、というのが多くの妻たちの見解だった。
「タカヒロならそこにいますけど……?」
ふたりが腐れ縁であるということだけは知っている。だからこそカオルは貴大の方を指差したのだが、次元の魔女は見向きもせずに一心に何かを探していた。
彼女は何をしているのだろう? 一体何を探しているのだろう? 首を傾げる女たちの前で、魔女はようやく動きを止めると、
「あ、ああっ! はーちゃん!」
少し高い声を上げ、例の赤ちゃんをギュッと優しく抱きしめるのだった。
「「「……はーちゃん?」」」
うずくまる魔女を全員が疑問の目で見つめている。
ひょっとしてこの子は魔女の縁者か何かなのだろうか? 母親にしては似ていないようだし、いまいち関連性が見えてこない仲ではあるが――。
「なあ、蓮華。その子、はーちゃんっていうのか?」
たまりかねた貴大が次元の魔女に声をかけた。腐れ縁とも言える幼馴染、年に数度はちょくちょく会っている相手に質問を投げかける。
「お前の知り合いの子どもなのか? 緑の目ってあっちじゃかなり珍しいけど」
貴大の問いかけに魔女は黙して話さない。彼女は振り返ることもなく、赤ちゃんと共にスッと転移門に消えようとして、
「って、おいおいおいおい!? 無言でいきなりいなくなるな!」
慌てて引き寄せる貴大。黒いドレスの襟をつかまれ、次元の魔女はポン! と転移門の中から抜け出てくる。弾みで飛び出た赤ちゃんはまたもふわふわと浮かぶばかり。貴大にじゃれつく乳児を引き寄せようとして、しかし、謎の力でそれを阻まれた魔女は、小さくため息をつきながら改めて周囲と向かい合った。
「はあ……まあいいわ。隠しておくのも限界っぽかったしね」
「隠しておく? なんかヤバい事情でも抱えてんのか?」
「ヤバいって言ったらヤバいかもね。ちょっと覚悟して聞いて」
「お、おう。なんだ?」
「この子、はーちゃんはね。実はあんたの子どもなの」
「あ、ああ! そう! そうなんだよ! なんかこの装置で調べたら、覚えがないのに俺の子どもって結果が出て!」
「落ち着いて。まだ続きがあるの。ここからがかなり重要なんだけど」
「あ、ああ」
「この子ね、あんたとわたしの子どもなの」
「は?」
「だから、この子、はーちゃんはね?」
あんたとわたしの間に生まれた子どもなの――。
その言葉が飛び出た瞬間、今度こそリビングは収拾不可能な混乱の渦に落ちていくのだった。
「お・ま・え・はーーーーーーーーー!!」
「タカヒロの浮気者! タカヒロの浮気者~!」
「やっぱりこの子、お父さんの子どもだったんだ?」
「末っ子ってことになるのかな?」
「クルールさん、妹も増えてご機嫌そうですわ」
「わうん♪」
天国と地獄の光景が並ぶようにして展開されている。不義密通の容疑で吊るされている父、そして温かな歓迎を受けている娘はあまりに対照的な境遇だった。
「もうちょん切った方がいいんじゃないかな?」
「多少惜しいのですが……」
「やむを得ないかもしれねえな」
「ひえっ!?」
物騒な会話に顔を青くする貴大。彼は拘束魔法で吊られながらも、何とか窮地を脱しようとしていた。
「蓮華! 蓮華!! 頼む! 詳しい話をしてくれ!」
「詳しい話?」
「そう! その子がいつ産まれたのかとか! あ、あと、その特徴的な外見! 俺とお前の子どもなら、黒髪黒目になるはずなんじゃないか!?」
「理由があるのよ。ちょっとした理由が」
「それをいますぐ話してくれーーーーーーーー!!!!」
屠殺寸前の豚のような悲鳴を上げる貴大。そんな彼を少しは哀れに思ったのか、蓮華は少し逡巡してから「赤ちゃんの真実」についてゆっくりと語り出すのだった。
「あー、ううん。えっと、どこから話せばいいんだろ」
「最初っから!!」
「最初から? だったら、その……ちょっと前の事件の話になるけど」
「ちょっと前の事件?」
「それは私たちも知っていることなのかな?」
「いや、知らないと思う。詳しくは言えないけど、ちょっと厄介な相手が知り合いの世界を襲っててさ」
「はあ」
「初めはひとりで戦ってたんだけど、途中からこいつの力も借りることになってね」
「ふむふむ」
「ほら、覚えてる? 力を合わせて世界樹の花を咲かせたでしょ?」
「あ、あー。なんかそんなこともあったな」
「あんたとわたしが花のつぼみに力を注いで、満開になった花のオーラでメチャ・ヒドインダーを残らず浄化して」
「うんうん」
「で、残った花が実になって、そこからはーちゃんが生まれたってわけ」
「うん!?」
どこかで話の飛躍があったような気がする。汗を浮かべる貴大に対し、蓮華は説明は終わりだとばかりに口を閉ざしている。
「いや、その……花から赤ちゃんは生まれないぞ?」
「っさいわね! んなこと言われなくても分かってんの!」
「いや、でも! さっきはそれっぽいこと言ってただろ!?」
「それがあの世界の法則だったの! 男女が力を合わせて花を咲かせたら、そこから赤ちゃんが生まれるのがあの世界の常識だったんだから!!」
「えええええええ……!?」
いい歳をした大人が何やらメルヘンなことを言っている。周囲の者たちは残らず絶句していたが、蓮華にとってはそれが事実、曲げようのない現実そのものだった。
「わたしだって子どもができるとか思ってなかったけど……でも、あなたの子どもですーなんて言われたら面倒を見るしかなくて……」
頬を染めてぼそぼそとつぶやいている蓮華。意外と面倒見のいい幼馴染に対し、貴大はふっと苦笑気味に微笑んでいた。
「なんだかよく分からないけど分かった」
「あっそ」
「まさか、お前との間に子どもができるとは思わなかったけどな」
「………………」
「子育ての方は順調か? なんなら俺が面倒を見ようか?」
「余計なお世話! この子はうちの子として育てるんだから!」
「そ、そうか」
どうやら蓮華の意思は硬いようだ。赤ちゃんを抱きしめて離さない彼女を見て、貴大は伸ばしかけた手をすごすごと下げるのだった。
「じゃあ、そういうことだから。わたしはもう帰るね?」
「早くないか? もうちょいゆっくりしていっても……」
「こっちはこっちで生活があるの。あとで買い物に行く予定もあるしね」
てきぱきと赤ちゃんにおんぶ紐を通していく蓮華。それをよいしょと一息に背負い、彼女は壁に立てかけていた杖を手に取った。
「じゃあね、タカヒロ。なにかあったらまた来るから」
「おう。その時はその子も連れて来いよ?」
「都合が合えばね。それじゃ」
それだけ言い残し、蓮華は手を振ってゲートの向こう側へと消えていった。フリーライフのリビングには静寂が訪れて、同時に嵐の後のような空気さえ漂い始めて――。
『あーう♪』
「「「…………!?」」」
魔女が去ったはずの空間に赤ちゃんの声が響き渡った。同時にポン! と蓮のつぼみが現れて、それが開くと同時に蓮華と赤ちゃんがリビングの中央に飛び出してくる。
「え!? え!?」
一番慌てているのは転移に詳しいはずの魔女だった。蓮華はきょろきょろと周りをうかがっては、自分がどこから来たのかも分からないような表情を見せている。
「あれ!? え? ロッドが壊れた?」
手にした杖に視線を向けるも、特にこれといった異常は見つからず――。
代わりに「体が宙に浮く」という異常が現れ、それはリビングにいる全員へと次々に伝播してくのだった。
「え!? え!? えーーー!?」
「お父さん、わたし、なんか浮かんでるー!?」
そう言われた貴大の方もふわりふわりと浮かんでいる。浮遊魔法の【レビテーション】に似ているが、それとは違う柔らかな感触にエルゥやフランソワ、ルートゥーでさえも驚きの表情を隠せずにいた。
「うっうー♪」
ざわめくリビングに赤ちゃんの声が陽気に響いている。いつしか彼女はおんぶ紐の中から抜け出して、この場の支配者のように天井近くまで浮かび上がっている。
「もしかして、あの子がこれをやってるのか!?」
「多分そう! 蓮実……はーちゃんは力が強いから!」
「力が強い? な、なんで!?」
「だってあの子、守護神みたいなものだからー!」
「ああ……!」
考えてみれば至極当然の話ではあった。あらゆる世界を蝕むとされるヒドインダー、その侵略の魔の手を一瞬で払いのけたという実績を持っているのだ。
貴大と蓮華、ふたりの力を受けて生まれたというだけでも破格である。そこに世界樹という下地が加わって、おまけにメルヘンな世界のメルヘンな魔法を備えていて――。
(正直、何が起きるか分からない!)
経験を積んだ貴大でさえ、この先の展開は予想できなかった。
「あう♪」
「ひゃっ!?」
「あうー♪」
「うわっ!?」
「うっうー、うー♪」
「ひえええ……!?」
いつしか貴大たちは回転木馬のような様相を呈していた。ぐるぐると廻る流れの中、誰かと誰かがくっついては離れていき、またくっついては離れていく。
「な、何がしたいんだ、あの子は!?」
「多分だけど、これ、メィプルランドのなかよしの祭り~!」
「なにそれ!?」
「ハグとダンスを繰り返す友好の儀式~!」
「えええええ~!?」
戸惑う声もハグと回転に流されていく。おそらく蓮実は見様見真似で友好の儀式を行って、ここに集った人たちが仲良くなることを望んでいるのだろう。
もしくは単純にこの光景が楽しくてやっているかだ。あまりに無垢で純粋な力は、そうであるがために誰にもどうしようもできなかった。
「ああ~!?」
廻り回る大人たち。意外と楽しんでいる子どもたち。すべてを含んだ大回転は、そのまま何時間も続いていくように思われて――。
「……って、あれ?」
気がつくと地面に足がついていた。力の流れもいまは収まり、一同はきょとんと呆気に取られたような顔を見せている。
「あの子は?」
コミエルが蓮実の行方を探す。すると視線が一点に集まっていき、そこには貴大と蓮華、ふたりの間に収まる赤ちゃんの姿があった。
「……おねむなのでしょうか?」
「みたいだね」
ユミエルとカオルがひそひそ声で様子をうかがった。小さな乳児は見た目通りの年齢なのか、いまは疲れてあどけない顔で眠っていた。
「やれやれだな」
「一時はどうなることかと思ったぞ」
アルティとルートゥーも続けて言葉を口にしていた。それを皮切りにざわつき始める室内は、しかし、すぐにも音量が下がっていくのだった。
「はー……なんか大変だったなー……」
「そうね」
「この子、いつもこんな感じなの?」
「日本じゃおもちゃを浮かべるくらいなんだけどね」
「ふうん」
やはり小さな声で貴大と蓮華が赤ちゃんのことについて話していた。話題はもちろん先ほどの現象のことで、蓮華には何か心当たりがあるのだという。
「ほら、この子、ファンタジーな存在だからさ。魔法のある世界だと本領を発揮するんじゃないかな?」
「そんなもんか」
「それに、あと……タカヒロに会えて嬉しかったのかも」
「俺に?」
「そうよ。一応、あんた父親だから」
「あ、あー」
幼馴染に言われるとどうにも体がむずむずしてしまう。そんな貴大はこれも縁だと割り切って、笑顔で蓮華に声をかけていた。
「まあ、これから先も色々あるとは思うけどさ」
「…………」
「なるべく協力して、ちゃんとこの子を育ててやろうぜ?」
「……ふん」
あくまで意地を張る、ように見せかけている次元の魔女。そんな相手に苦笑しつつ、貴大は蓮実を抱っこして優しく撫でてあげるのだった。
「お、おとうさん」
「ん? ああ、イクスか。どうした?」
「あの、その。ちゃんとあいさつ、してないなって思って」
「そういやそうか。なんかバタバタしてたしな」
「えと、その、えと」
「うん」
「よ、よろしく、おねがいします!」
「こちらこそな。まあ、楽しくやろうや」
「はい!」
頭を撫でられた美少年が花のような笑顔を見せていた。こいつはこいつで恋愛トラブルを起こしそうだなと思いつつ、貴大はあえて黙っておいた。
もうそろそろ免疫がついてきたのだ。子どもの不始末は親の責任、進んで尻ぬぐいをするだけの度量がいまの彼には備わっていた。
(もう何でもドンと来いだな)
彼がそのようなことを考えていると、
ドーーーーーーーーーン!!!!
リビングの中央に大きな雷が落ちた。
「……は!?」
少し遅れて貴大が叫んだ。他の全員も呆気に取られ、落ちてきた雷、黄色い稲光を囲むようにして見ている。室内に落ちた不思議な雷は、何も焦がさず、誰も傷つけず、ただバリバリと音を立てていたかと思うと――。
卵のように割れ、中から人の姿が現れるのだった。
「えええええ……!?」
急転直下の展開にさしもの面子も思考が追いつかない。現れたのは12歳ほどの少女だろうか? 長い金髪が目にも鮮やかな少女は、片膝をついた状態からすっくと立ち上がって言った。
「時間遡行の成功を確認。現在時刻は標準時刻の二十年前」
「は?」
「時間遡行?」
「ええ。ここは何でも屋フリーライフ、そしてあなたたちはサヤマタカヒロの縁者ですね? どうやら座標も正しく設定されていたようです」
「え、ええと?」
ぴっちりとした白いスーツを着た少女、どこか未来人を思わせる彼女は、やけに大きい腕時計を確認してから挨拶を始めた。
「はじめまして。わたしの名前はララリエル。いまからちょうど二十年先の未来からやってきた者です」
「は、はあ」
「信じろと言われてもすぐには難しいでしょうね。しかし、わたしが未来人であるというのは事実なのです。わたしは時間をさかのぼり、今日、この日を目指してフリーライフへとやってきました」
「そうなんだ……?」
疑問符を無数に浮かべて貴大がつぶやく。そんな彼の様子に気分を害するでもなく、ララリエルなる少女はピッと姿勢を正して声を張った。
「時間がないので結論から言いましょう」
「ど、どうぞ」
「二十年後、この世界は滅亡の危機に瀕しています!」
「……えっ?」
「サヤマタカヒロさん! いえ、お父様! あなたの子どもたちが、世界に混乱をまき散らしているのです!!」
「えっ?」「ええっ?」
「「「えええええええええ~~~~……!?」」」
もういないと思われた子どもは未来から時をさかのぼってやってきた。そして彼女はとんでもないことを言い放ち、フリーライフはまたまた喧騒に包まれるのだった。




