七女パルフェとの交流
五月初頭の涼やかな朝、俺は中級区にある冒険者ギルド本部を訪れていた。
どこか球場を思わせる建物に吸い込まれていく冒険者たち、その人の流れの端っこで俺は何やら懐かしい気分を味わっている。
(昔は俺もここに通ってたんだよな)
あれはもう十年以上前の話になるのか。親友ふたりとパーティーを組み、新進気鋭の若手冒険者としてそこそこ名前が知られていた頃のことだ。それから色々あって、最終的には「ネズミ」と蔑まれるようになったんだけど、
(それもまた昔の話だな)
苦笑をしながら本部の大門をくぐっていく。そう、ネズミと蔑まれたのもいまは昔、現在の俺は勤勉な何でも屋として知られていて、
「あっ、あの人っ」
「孕ませマンだわ……!」
「孕ませマンが来たぞっ……!」
「大事な人がいたら隠すんだ!」
「うっかり縁を持ったらおしまいだぞ!」
「……………………………………」
いや、その――。
孕ませマンってなんだよ。よりにもよって孕ませマンって! ちょっと前までは淫獣とか種馬とか、そんな感じの名前だっただろうに!
(全部同じ意味か)
はあと肩を落としてとぼとぼと歩く。俺の良すぎる耳にはなおも周りの声が届いていて、そこには俺に対する恐怖の念さえ含まれているように感じられた。
(まあ……仕方ないよな)
気がつけば8人も子どもができていたわけだ。しかも全員腹違い、つまりは多種多様な相手と片っ端から子作りをしたことになる。
この国は一夫多妻を禁じてはいないが、さすがに俺のようなケースは特殊な事例になってしまうのだろう。おかげで俺は新たなあだ名をつけられて、今日も冒険者たちから怯えたような目を向けられるのだった。
(さっさと合流して出ていくか)
また小さく息をついて辺りを見渡す。本部の1階、入ってすぐの大ホールは押すな押すなの混雑状態になってしまっている。ピーク時を過ぎればかなり本部も落ち着くんだが、さすがにそこまで待たせるのは娘にとってもかわいそうだ。
ただでさえ活発なあいつは飽きてどこかに行くかもしれない。そうなる前に合流しようと、俺はあの特徴的な赤毛を探し始めて、
「おっ」
本部の奥から違う赤毛がやってきた。引き締まった体に淡いチョコレートのような褐色の肌。当代随一とも言われる若手冒険者筆頭、アルティ・ブレイブ=スカーレット=カスティーリャが何やら怒り顔で近づいてきていた。
「よう、これから出発か?」
俺が軽く手を上げても何の言葉も返してこない。ただぶすっと不機嫌そうな顔で、俺に剣呑な視線をぶつけてきた。
「んだよ、何しにきたんだよ」
「何って、ほら。娘に会いに来たんだって」
「知ってんだよ、んなこと。オレもその場にいただろうが」
「いや、じゃあ……なんで聞いたんだ?」
「別にいいだろ! 何でもねえよ!」
アルティはいきなりキレて俺の腹を叩いてきた。なんだ喧嘩かと思えば、それきり肩を怒らせて飛竜の発着場へと向かってしまう。それを慌ててパーティーメンバーが追いかけようとして――。そのうちの何人かがくるりと振り返って言ってきた。
「ごめんなさいね、旦那さん」
「うちのボスはさびしくなると怒りっぽくなるんです」
「あ、ああ……うん。知ってる」
「もうちょっと家族の時間を作ってあげてくださいよ?」
「それじゃ!」
今度こそ女たちはアルティを追いかけて行ってしまった。残された俺はしばらく後姿を見送っていたが、すぐにも気を取り直して娘探しを再開した。
(家族の時間、なあ)
思えば家を空けてばかりいるよな。アルティは分かりやすいけど、他の家族も不満や鬱憤を溜めていることと思う。
(やっぱり出張はなるべく減らしてもらって)
(空いた時間で、もっと会う機会を増やして)
(うーーーーーーん……)
軽くない問題にうんうんと声を漏らして考え込む。そんな俺を周りの人間はますます避けて、辺りはぽっかりと穴が開いたようになっていき、
「どーーーーーーーーん!」
「うわああああああっ!?」
突然の襲撃に大声を上げて尻もちをついた。腹部に感じた重たい衝撃、どうやら誰かが俺に体当たりをしかけてきたようだ。
(いや……)
誰かなんて決まり切っているだろう。真っ赤な髪に褐色の肌、いつもほかほかと温かく感じる体温の持ち主は、
「パルフェか!」
「おう!」
そう答えてにかっと笑う幼女は、あのアルティと俺の娘、パルフェ・ブレイブ=スカーレット=カスティーリャだった。
うちの子どもたちはそれぞれ一言で表すことができる。
例えばフィーニスなら「バトルジャンキー」、ノエルなら「ちびっ子博士」、そしてエリザベートなら「悪役顔の天使」といった具合だな。それと同じように表現するなら、七女のパルフェは「わんぱくガール」となり、
(うーむ)
違うな。身内だからといって誤魔化すのは止めよう。
はっきり言うとうちのパルフェは「アホの子」だ。あまり難しいことを考えようとせず、何でも直感と行動力でガンガン突き進もうとしてしまう。
柵に鍵がかかっていたら、鍵を探すのではなく乗り越えようとするのがパルフェという少女なんだ。好奇心旺盛で高いところが好きなこともあり、俺たち家族、いや、周りの人間はどれほど肝を冷やしたか知れなかった。
それでもこの子がみんなに愛されているのは、屈託のない笑顔、それに裏表がないカラッとした性格のおかげだろう。聞くところによれば子ども同士でパーティーを組み、ギルドの児童クラブで冒険者ごっこを繰り広げているのだとか。
何度かそれらしい現場は見たことがあって、リーダーシップを発揮するパルフェはさすがキリングの孫、アルティの娘だと称えられていたんだが、
(やっぱりアホの子だよなあ)
歩きながら歯をいじる娘を見て、俺は改めてそう思うのだった。
「って、さっきからずっといじってんな? 抜けそうなのか?」
「んー……ぬけそうっていうかー……ぬけた!」
「いきなりだな!?」
「おう! いきなり上の歯、ゲットだぜ!」
そう言って歯を掲げてみせるパルフェ。歯抜けの顔を隠そうともせず、逆に見せつけるかのように笑う娘に、俺はなんだか呆気に取られたような気分になってしまう。
(まあ、これがパルフェか)
歯抜けを気にする者もいれば気にしない者もいるということだ。抜けた歯を嬉しそうにいじる娘の頭を撫で、俺はポーチから小さなハンカチを取り出してやった。
「ほら、ちゃんとしまっときな」
「ん? んー。いや、もうちょっと……」
「んなこと言って、前はどこかに失くしてただろうが」
「そだっけ?」
「そうだよ。だから、はい。ポーチの中にインだ」
「ちぇー」
パルフェは唇を尖らせたが、それもすぐに明るい笑顔へと変わっていった。その頭をごしごしと撫でてやり、俺はまた通りの先へと顔を向けるのだった。
(さて、と)
今日はどこに行くとしようか。パルフェはとにかく体を動かすのが好きだから、運動公園、あるいはスポーツジムという手もあるが、
「なーなー」
「ん?」
軽く服のすそを引っ張られるのを感じた。同時に声をかけてきた娘に、俺はまた腰を落として聞き返していた。
「なんだ、どうした?」
「いや、あのさー。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさー」
「うん」
「あのさー。父ちゃんさー」
「ああ」
「今日、なんでここにいんの?」
「そこからか!!」
たまらずその場でズッコケてしまった。ギルドからは少し離れた場所で、俺はまたも遠巻きに見られる羽目となる。しかしそれにくじけず、なんとか立ち上がった俺は、アホの子パルフェに今日のことを教えるのだった。
「ほら、前に休みのことについて話しただろ?」
「んなことあったっけ?」
「あった! ありました! そこをまず思い出してくれ……!」
「んー……あー、なんかあったかも!」
「そう! そこで色々話をしたんだけどさ」
「うん」
「一日ずつ、姉妹全員といっしょに過ごすって決めてさ」
「うんうん」
「今日がいよいよパルフェの番ってことになってな」
「おお!」
「だからこうして、朝から迎えに来たってわけだ」
「おおー!」
叫んだパルフェは目をキラキラさせながら動き始めた。ぴょんぴょんと小さく飛び跳ね、ウキウキと心を躍らせては拳を握っている。
「じゃあ父ちゃん、今日はずっといっしょなのか!?」
「そうだぞ」
「やったぜー♪」
とうとう万歳を始めたパルフェに苦笑する。大人っぽい姉妹もいる中、子どもらしい子どもの七女は何やら微笑ましい存在のようにも感じてしまう。ある意味では歳相応とも言え、やはりどうにも幼い少女に、俺はこれからのことについてたずねるのだった。
「よし。それじゃ、改めて……今日はどうする?」
「どうする? どうするって……決まってんだろ!?」
「あー、やっぱあれか? 冒険に行きたいのか?」
「おう! 父ちゃんとペアを組んで街の中を冒険だ!」
ビシッと前を指差すパルフェ。その先には遺跡も迷宮もなかったんだが、ちびっ子の目には未知の魔境、未踏破地域が映っているかのようだ。
「ほんとお前、冒険が好きだよなあ」
「とーぜんだろー? オレはなんたって冒険者だからな!」
そう言って胸を張る七歳児は、まだ新米ですらないんだが――。
まあ、これもごっこ遊びの一環のようなものだ。こいつは何でも冒険だと言い張るクセがあり、近所の散歩、公園での遊び、果ては道具屋での買い物でさえハラハラドキドキの大冒険へと変えてしまう。
さすがによその犬をケルベロス扱いするのは困るけど、
(それもパルフェのいいところかもな)
何事も全力で楽しめる娘は、いっしょに遊んでいてなかなか楽しい相手だと言えるのだった。
「んじゃ、早速冒険に出かけますか」
「おう!」
「走って通りに飛び出すなよ?」
「分かってるって!」
意外にも素直に従うパルフェは通りの角へと駆けていった。それに追いつくとまたもや駆け出し、俺たちはおかしな鬼ごっこをしているようにもなった。
「どっか行きたい場所とかあるのか?」
「ねえ! けど、探せばなんか見つかると思う!」
自信たっぷりに無計画な言葉を口にする幼女。つまりは行き当たりばったりということだが、それだけでは終わらない強さをうちのパルフェは持っていた。
「で、出た! ガーゴイルだ!」
「うおー!? 今度は魔女の隠れ家だー!?」
「ううう……! のっぽの巨人がこっちを見てる……!」
「やべーーーーー! マジもんの騎士がすっげーいるー!」
門柱の石像を見てはワーッと騒ぐ。裏通りの店に近づいてはヒャーと驚く。尖塔をのっぽの巨人に間違えたり、かと思えば本物の騎士団に驚いたりと、娘は実に様々かつにぎやかな反応を見せている。
やはりパルフェはどんなことでも楽しめる類の人間なんだろう。大人にとっては何でもない、街の些細な彫刻や石畳にさえ幼女は新鮮な感動を示している。
(しかも……)
パルフェが見つけたものの中には――。
実はとんでもないものがいくつか紛れていたりする。
先の例で言えば魔女の隠れ家がまさしくそうだ。王都に隠れ住む新緑の魔女、その表向きの棲み処が裏通りにあるあの店舗だった。
(他は……あの彫刻もそうか)
先ほどまで見ていた奇妙な彫刻、あれは俗に古代のルーンと呼ばれているもののひとつだ。正確なことは分からないし、すでに機能を失っているようだけど、それが貴重なものであることはこの俺にも分かった。
(あとでエルゥに知らせてやるかな)
つまりはそれほど珍しいものということになる。しかしパルフェはそれには気づかず、次から次へと普通のもの、すごいもの、実はすごいものなどを手当たり次第に見つけている。その姿は昨日の【鑑定眼】を思わせるようなものだったが、エリザのものとは明らかに違う、そんな素質を七女のパルフェは受け継いでいた。
(見つける力、【観察眼】か)
俺にとっても馴染み深いスキルだ。宝箱や罠を見つけ出す目、それは斥候職にとっては必須とも言える能力である。これを意識的に使おうとすると【スキャン】というスキルになるんだが、パルフェのそれは完全に無意識、常時発動のパッシブスキルとして身についてしまっている。
おかげで娘は色んなものを見つけて「しまう」わけなんだけど、言ってしまえばそこで終わり、ものの価値まではパルフェには分からないようだった。
(その方がいいけどな)
下手に気づいて深入りされると親としては困る。願わくはパルフェは今のまま、大人になるまでずっと無邪気なままでいて欲しかった。
「うぎゃー!? 馬のうんこ踏んだー!!」
(そうそう、これこれ)
こんな感じで、ちょっとおバカなままでいてだな。
「あ、そういえばさー」
「ん? なんだ?」
「父ちゃん、うらみちって知ってる?」
「裏道のことか? まあ、知ってるっちゃあ知ってるな」
グランフェリアは区画整理をされなかった場所がいくつかある。そういったところは大抵の場合入り組んでいて、よほど街の地理に詳しいか、あるいは探索スキルを持っているかじゃないとたちまち迷うようなところだった。
「子どもだけで行く場所じゃないぞ。大人がいてもちょい微妙だな」
「ビミョーなのかー? 大人がいてもダメなのかー?」
「うーん……ダメだな。やっぱ大人がいてもダメ」
「父ちゃんは? 父ちゃんならいっしょに行っても大丈夫?」
「うーーーん……俺ならいい、か? まあいいかもな」
「よっしゃー! じゃあ行こうぜ! うらみちに行こう!」
「今からか!? ちょっと遠いと思うぞ、あそこまではさ」
「へーきへーき! すぐ近くにあるから!」
「え? すぐ近くに……ある?」
「おう! ほら、向こうの通りの、あれだ!」
「あれって……ええええええええええええええええ!?」
示された場所を見て驚いた。なんとそこには「本来ないはずの路地」があって、そこには怪しげな影が、あるいは幻想的な光がちらついているのが見える。
あれこそは世界の裏側へと通じる入り口だ。超常的な存在が、隠れ家、あるいは近道として使っているような異空間である。常人には絶対に見えないし、俺自身、かつて悪神に手紙を届けるまでは「王都じゃない王都」があるだなんて予想さえしていなかった。
最近はニャディア共々、配達の仕事に使わせてもらうこともあるが、
(それを……パルフェが見つけた?)
娘の【観察眼】は俺が考える以上の力なのかもしれなかった。
「妖精王女の依頼でそこに行ったのは知ってたけどさ」
「ああ、あれな! なんかすっげー楽しかったぜ!」
「いい笑顔してるけど……」
笑いごとじゃないんだよなあ。あれは仮にも異空間、子どもだけで出入りをするだなんてなかなかゾッとしない話ではある。
(一応、迷子を送り返す便利な仕組みもあるみたいだけど)
神隠しに遭うこともあるし、やはり裏道は禁止すべきだと思えた。
「なあ、パルフェ」
「なんだー、父ちゃん?」
「あの道、ひとりだけじゃ……っておいおいおい!?」
声をかけると同時にパルフェは裏道へと突き進んでしまっていた。誰も意識していない不思議な通路、そこに飛び込むようにして娘は異空間の中へと消えていく。
「待て! 待て、パルフェ! 待て!」
慌てて追いかけた俺も裏道の中へと入っていくが――。
その瞬間に空間が大きく捻じ曲がるのを感じた。振り返ってもそこに出口はなく、俺たちはここに閉じ込められたかのようだ。
「あああああ……!」
この手の曖昧な場所はすぐにこういったことが起きるから困る。空間自体が生きているというか、定期的に形を変えては訪れる者を惑わせるんだ。
慣れてしまえば気にならないし、他に出口はいくらでもあるんだけど、子連れの身ではなかなか面倒な道のりになりそうだった。
「あれ? なんか道が消えたなー?」
「うん、そうね……消えちゃったね」
「さては不思議のダンジョンか!?」
「まあ……似たようなもんだけどさ」
短く答えてため息をつく俺。対照的にパルフェは目をキラキラと輝かせ、これも冒険だと言わんばかりの笑顔で更に奥へと進もうとして、
「あー、だからちょっと待てって!」
「わわっ!?」
ひょいと抱えてくるりと回す。まだ何も分かってなさそうな娘に対し、俺はここでしっかりと注意をすることにした。
「いいか? ここはいつもの街とはかなり違うんだ。普通の人は入れないし、俺たちと違って入り口を見つけることもできないんだぞ?」
「そうなのかー? 母ちゃんや爺ちゃんも無理なのか?」
「多分無理だな。お前の姉ちゃんたちも無理だ。よっぽどの才能というか、目と勘がいいやつじゃないと見つけるのは不可能だ」
「え、でも、オレは見えたし……父ちゃんも見えてたよな?」
「ああ。だから、俺とパルフェは目と勘がいい方なんだ」
「ふーん?」
気のない声を出すパルフェ。この年頃の子は自他の区別がまだまだ甘く、自分がそうなら他の人も同じだと思い込むようなところがあった。
ただ、それは「言っても分からない」と同じ意味では決してない。他の決まり事を教えた時のように、俺は懇々と裏道に関する話を続けるのだった。
「他のやつらに見えないってことは、ここで迷っても誰も見つけてくれないってことになるんだ」
「それって……ヤバいんじゃねーか!?」
「ああ、ヤバい。だからひとりで入ったりしちゃダメだ」
「ええ……!? で、でも、もう入ってるし」
「俺がいたら大丈夫なんだよ。俺がついてたら入ってもいいんだ」
「そ、そうなのか?」
「そうなの」
ここで完全否定しないのがポイントだ。ダメだと言われたらこっそりやるのが子どもだが、条件をつければそれに従うのも子どもなんだ。
もちろん一概にそうだとは言えないが、少なくともうちの七女は決まりを守れる方の人間である。反射的に飛び出す否定の言葉、あるいは過剰な反骨精神など欠片も見せず、パルフェは素直に首を縦へと振るのだった。
「分かった。父ちゃんがいない時は入らねー」
「そう」
「オレひとりでこんな場所には近づかねえよ」
「そうだ」
にこりと笑って俺もうなずきを返してみせる。アホの子ではあるがバカじゃない、そんな娘に俺は愛おしさのようなものを感じていた。
「それじゃ……よいしょっと」
「わっ!? わーっ!?」
「いまは俺がいっしょだから、ちょっと冒険していくか?」
「いいのか!?」
「ああ」
パルフェを肩車にして前へと進む。急な提案に赤毛の幼女は大興奮、俺の頭にしがみついて何やら指示を出し始めた。
「よっしゃーーーー! 行くぜ、父ちゃん! 迷宮にゴーだ!」
「あいよー。んじゃまあ、微速前進ってとこで」
「全速前進だ! あの広場に突っ込めー!」
「ほーい」
「わーーーー!? あはははははは!!」
風を切るほどの全力疾走――というほどでもないが、俺の小走り程度でもパルフェは声を上げて喜んでくれる。元より今日の予定はこいつを十分に楽しませることなので、ここからは娘のしたいようにさせるつもりだった。
「うおー!? なんかすげー噴水があるー!?」
「あるなー。ひょっとしたら妖精が住んでるかもな?」
「やべー! やべー! やっぱコインとか投げればいいのか!?」
「投げてみたら? なんかお礼が返ってくるかもよ?」
「よし……! お、おりゃー!?」
「……ん? お前、それ、抜けた歯なんじゃ」
「「って!」」
「「金の入れ歯が返ってきたーーーーっ!?」」
「今度はなんだ、ここー!?」
「キノコ畑、いや、キノコの森か……?」
「うげー。オレ、キノコは嫌いだなー」
「そうか? 俺は結構好きだけどな」
「マジかよー。なんかぐにゃぐにゃしてて気持ち悪いじゃん」
『そんなことないと思うんですけどねえ』
「なあ? ものによってはサクサクしてて美味いし」
「「……ん?」」
「「キノコがしゃべった!?」」
「あっ、父ちゃん、あれ! なんか変なお菓子の家!」
「まーたメルヘンチックな店が出てきたな」
「ちょっと寄ってこうぜー? オレ、なんか腹が減ったよ」
「まあ……食っていくか」
「やりー♪」
「どれどれ、どんなやつが店をやって……」
『いいい~ひっひっひっひっひっ!』
「「絵に描いたような魔女のババアが出てきた!?」」
少し進んでは一騒動、もうひとつ進んでは二騒動、俺とパルフェは裏の王都でドタバタな珍道中を繰り広げていた。
明らかに異質な区画やら、誰かの空想のような珍生物やら、とにかくここにはおかしな要素が溢れに溢れて氾濫している。まるで常識を塗り替えるような異空間に――。
しかし、パルフェは満足そうな声を上げるのだった。
「ひゃー、すげえな、父ちゃん! ここ、すげえよ!」
「なんだ、相当気に入ったみたいだな?」
「おう! なんか絵本の中の世界みてーだ!」
「ああ……言われてみたらそうかもな?」
「そうだよ! すっげー『ふぁんたじー』な感じ!」
「はは、ファンタジーか」
俺にとってはこの世界自体がファンタジーなんだけどな。最近は意識することもなかったけど、今日は久しぶりにそのことについて思い出していた。
(剣と魔法のファンタジー世界。もうひとつの地球、か)
なんでこんな世界があるのかは今の俺にも分かっていない。聞きかじった要素をまとめると、何やら創造神らしき者がいくつか世界を統括しているみたいだけど、
(壮大すぎていまいちよく分からんよな)
俺にとってはこの異空間でさえも理解の及ばないものだと言えた。
「なんかいいよなー、ここ。オレ、ここに住んでみてーよ」
「こらこら、ダメだぞパルフェ。ちゃんと家に帰らないと」
「でもさー。なんか毎日すげーことになりそうじゃん!」
「なりそうだけど……ここだとみんなに会えないぞ? それでいいのか?」
「うっ……! そ、それはやだ」
「だろ? だからまあ、遊びに来る程度にしとこうぜ」
「ちぇー」
道端のベンチで足をぶらぶらさせるパルフェ。その小さな頭をぐりぐりと撫でてから、俺は弾みをつけるかのように立ち上がった。
「よし! それじゃまた歩きますか!」
「んー? キューケーは終わりかー?」
「そうそう、終わり終わり。そろそろ昼だし飯でも食おうぜ?」
「だな! あのババアの菓子だけじゃ足りねーよ!」
「ババアって言うな。親切な魔女のお婆さんだ」
娘に注意しながら肩へと乗せる。あの甲高い笑い声、そして意外に優しい対応を思い出しながら、俺はまた前へと進むのだった。
「もうちょっと進めば元の街に戻れるぞ?」
「そうなのかー? 出口があんのかー?」
「多分な。俺の直感だと向こうの角の方にあるぞ」
「父ちゃんすげーな! そんなことも分かんのかー」
「お前も訓練したら分かるようになるって」
「マジで!? じゃあする! オレ、訓練するよ!」
「是非ともそうしてくれ」
少し笑いながらテクテクと歩く。【観察眼】以外も鍛えてくれれば言うことはないが、多分、飯を食べたらパルフェはおねむになってしまうだろう。そんな光景をありありと浮かべながら、まあ、急ぐこともないかと俺が悠長に構えていると、
「あっ」
「ん?」
不意に頭の後ろで声が上がった。振り返るような仕草を見せると、パルフェはスッと手を上げ、通りの先の方へと指差して言った。
「父ちゃん、あれなんだー?」
「あれ? あれってなんだよ?」
「や、分かんねーけどさー」
何かが近づいてくるのが見える――。
そんなことを言うと、娘はジッと前の方を見つめ始めた。
(何かって……なんだ?)
路地の先は霞がかかったようにぼやけて見えない。何かの気配は感じるものの、それはこの空間の中では当たり前のことのように思えた。
(殺意や悪意は感じないけど)
何かが――。何かがゆっくりと近づいてくる――。
そしてそれは次第に輪郭を結び始め、最後には音さえ伴って飛び出してくるのだった。
「賢帝リンガリングス様のおなーーーーりーーーーー!!!!」
「!?!?!?」
「わーーーーっはっはっはっ! わーーーーーっはっはっはっ!!」
突如として前方の霧からパレードのような何かが現れ出でた。ブンブンと高らかに鳴り響く楽器の音、それに象やライオン、兵隊たちの行進が続き、見上げるような神輿の上には天を突くような筋骨隆々の巨漢の姿があった。
あれが賢帝リンガリングスという男なのだろうか? それにしては賢さのかの字も感じられず、どちらかと言えば脳みそまで筋肉でできているような、
「って、そんな場合じゃねー!!」
「お、おお!?」
「逃げるぞパルフェ! ここにいたらあれに巻き込まれる!」
考えるよりも先に動き出す方が肝要だった。あのマッスルパレードに流されないよう、俺は元来た道を全速力で戻り始めた。
しかし、
「わーーーーっはっはっはっ! わーーーーーっはっはっはっ!!」
(振り切れない……!?)
一体何がどうなっているのか、あのマッチョの声は俺を追いかけるようにして伝わってきていた。いや、事態はそれだけに収まらず、裏の王都は更なる混沌を見せるようになっていく。
「あ、街の中にジャングルだ」
「おおー! あっちは結晶の洞窟だ!」
「やべー! なんかピクシーみたいなおっさんがいたぞ!?」
「わー!? 見るな見るな! それ以上何かを見つけるなー!」
まるでパルフェが見つける度に摩訶不思議なものが増えていくみたいだ。それに合わせて出口の予感は遠ざかっていき、後ろからはなおもパレードの声が近づいてきている。
(これはなんだ!? なんなんだ!?)
子どもと異空間は相性がいいというあれだろうか? 妄想と現実をごちゃ混ぜにしたかのような裏の王都、それはアリスのワンダーランドのようにも感じられた。
「すげーーーー! 父ちゃん、はえーーーー!!」
パルフェはこれ以上ないほどに喜んでいるが――。
いやいや! ダメだダメだ! そんな理由でわけの分からない空間にいてはいけない! そう自分に言い聞かせ、なおも必死に駆け続けるも、
「っっっはあっ!!」
「ひいいい!? 筋肉に追いつかれた!?」
てかる肉体、輝く白い歯、リンガリングスは行く手を遮るようにポーズを決めている。いや、それどころか、ぽっかりと空いた空間には様々な珍生物が集まってきていて――!
「なんだこれ……なんだこれ!?」
とうとうミュージカルを始めた異空間の住人に、俺は愕然、パルフェは大爆笑をするのだった――。
次回はいよいよ末っ子のクルール回。お楽しみに!




