いつも通りの日々
今日のグランフェリアは気持ちがいいほどに晴れ渡っていた。
四月の空には冒険者を乗せた飛竜が舞い、そよ吹く風は花の香りを街の隅々へと運んでいく。
国内でも北部に位置する関係上、まだ三寒四温の気はあったが、晴天の日中のみなら本格的に春が来たと言ってもいいだろう。そんな華やいだ季節の中で、少女たちが開いた何でもお手伝い屋はと言うと――。
どうしたことか、早くも閑古鳥が鳴いているのだった。
「なんで!?」
妖精種の少女、コミエルが叫んだ。
彼女は水色髪の頭を抱え、再度弾けるようにして大声を上げた。
「どうして!?」
コミエルの眼前、事務所の中には、今は七人の妹たちの姿しかなかった。
客の姿はひとりも見当たらない。開店から一時間、ずっとこの状態が続いている。
「おかしい……! これは絶対におかしいよ……!」
親指の爪を噛んでうろうろとし始める少女。可憐な見た目の割には随分と俗っぽい行動を取るものだ。外見は間違いなく母親似だと言われる彼女だが、その性格はどちらかと言えば父親似、もっと言えば一般庶民に近しいものがあった。
「ううう……! お客さんよ、来い……! 扉よ、開け……!」
今度は入り口に向かって念力を飛ばしている。放っておけば祈願の舞まで踊り始めそうだ。そんな未来がありありと目に浮かんだのか、次女のフィーニスはひとつため息をつくと、観念したように姉に向かって声をかけるのだった。
「姉よ。一体何をしているのだ」
「見て分からない? 千客万来のお祈りだよ!」
「私には怪しげな呪術にしか見えなかったのだが」
「そ、そんなことしないよ。お客さん来ないかなーって思ってただけで」
「客。お客さん、か」
「それはちょっと難しいんじゃないかな?」
「アーちゃん」
次女の後ろからひょっこりと三女が姿を見せた。
白を基調とした服をまとう少女。アリシアという名のちびっ子シスターは、飄々とした態度で姉の言動を否定しにかかる。
「初めのうちはご近所さんがいっぱい来たけど」
「……けど?」
「あれってほら、開店祝いみたいなものだから」
「ううっ……!?」
「一回頼んだら、あとはもういいかなー、ってことじゃないかな?」
「うわーーーっ!?」
話を聞いたコミエルは頭を抱えてうずくまってしまった。
自分でも薄々気がついていた真実だ。開店当初こそ満員御礼のにぎわいを見せていたが、あれは義理というか、あくまで善意によってもたらされた結果に過ぎない。
下駄を脱いでしまえば十歳児なんてこのようなもの。それを今さらながらに痛感し、コミエルは悶えるようにして部屋のすみへと近づいていく。
精神的なダメージは妹たちが思う以上に甚大なようだ。壁に手をつき、息も絶え絶えな姿を見せる長姉に対し、一部の少女たちは憐れむような顔でそっと声をかけるのだった。
「かわいそうなお姉さま。わたくしが助けになれれば良いのですが」
「お、おねーちゃん、大丈夫? いっしょに毛布の中、入る?」
「おひるね、する? おひるね、しよ?」
優しく手招きをする妹たち。その温かさ、姉妹の絆に触れ、コミエルはふらふらと子ども用ソファの方へと吸い寄せられていき――。
「って、ダメーーー!」
「「「わあっ!?」」」
直前になって我に返るコミエル。彼女はメラメラと闘志を燃やすと、大きな声を上げて悪魔、いや、天使の誘惑をはねのけにかかった。
「ここで甘えちゃうからわたしはダメなの! 自立した大人になる以上、こんな甘い気持ちは早く捨て去ってしまわないと……!」
「えー? いいじゃん、いまのままでもさー」
「そんなことを言われたら妹としては悲しいよ」
「う、ううう……!?」
七女のパルフェが不満そうに唇を尖らせている。五女のノエルは少しさびしそうな目で長姉のことを見つめている。六女のエリザベートが、四女のフウカが、そして末っ子のクルールがうるんだ目をコミエルに向けて――。
その視線に耐えかねた少女は、降参とばかりにソファの中心へと腰を下ろしていった。
「はあ~あ……結局、こうなるんだよね~……」
「まあまあ」「まあまあ」
深いため息をつく少女を妹たちがよしよしと慰めていく。寄ってたかってのなでなでは、しかし、姉妹にとってはいつもやっていることではあった。
長姉たるコミエルは、少し――というか、だいぶ――というか、少々おっちょこちょい、あるいは先走ってしまう少女であった。
普段は優しく面倒見のいい姉なのだが、たまに妙なことを思いつくとそれを即座に実行に移す癖がある。行動力があると言えば聞こえはいいが、その行動は大抵の場合が失敗に終わり、その度に妹たちは落ち込むコミエルのことを慰めてきた。
今回の件も慣れ親しんだパターンではある。ひとりで落ち込む姉に対し、妹たちはなるべく優しくしてあげようと思うのであった。
「もうちょっと、お客さんが来ると思ったのになー」
「仕方なかろう。父とは違い、我らにはまだ実績がないからな」
「おとぅさんだって、昔は歩いて仕事を探してたって聞いたよー?」
「それは私も耳にしたね。なんでも、そうした日々の中で私の母と出会ったのだとか」
「で、出会いは図書館の中で、だっけ?」
「ロマンチックですわね……その光景が目に浮かぶようですわ」
うっとりするエリザベートだが、実際のところは薄暗い地下でのホラーじみた遭遇だった。彼はあの時のことを思い出すと今でも夜中に飛び起きてしまうという。そんな事情を知ることもなく、子どもたちはそれぞれに出会いの場面を想像するのであった。
「そーいや、うちの母ちゃんも父ちゃんのこと言ってたっけなー」
「な、なんて?」
「昔はぐーたらだったとか、どーしよーもないろくでなしだったとかさー」
「そうなの?」
「おう! もう、すっげーダメ人間だったんだってさ!」
「信じられんな。あの父がダメ人間だと?」
「それ、本当におとぅさんの話?」
「ほんとーだって! 母ちゃんから聞いたんだから! なんつーか、口を開けば『めんどくせー』『めんどくせー』って言うようなやつだったらしいぜ!」
「「「ええええええ……!?」」」
本人のあずかり知らぬところで娘たちの好感度が下がっていた。父に対するイメージにヒビが入り――しかし、その直後に絶妙な擁護がもたらされる。
「パルフェさん。その話には続きがあるでしょう?」
「続き? 続きなんてあったっけなー?」
「あるはずです。おそらく、お母さまはこうおっしゃっていたのではなくて? 『そんな彼も立派に成長していった』『そんな彼に私は惹かれていったのだ』、と」
「あーーーー……なんかそれっぽい話、してたな」
「何かと思えば……結局は惚気話だったか」
「パルちゃんとこもまだまだ熱いね~♪」
フィーニスが呆れ、アシリアが嬉しそうに茶々を入れている。
そんな妹たちに、コミエルが自然に微笑んでいると――。
くいくいと控えめに袖を引かれた。横を見ると毛布のお化け、引っ込み思案なフウカが自分に目を向けているのが見えた。
「どうしたの?」
慣れた調子でミノムシ少女に問いかけてみる。するとフウカは小さな声で、そっと姉にささやくように言葉を発した。
「お、おねーちゃんも、これからだね?」
「えっ?」
「おとーさんも、最初はダメダメだったみたいだから……」
もじもじと両手を合わせ、それでも頑張って、少女は続けた。
「おねーちゃんも……がんばって、ね?」
「フーちゃん……!」
コミエルの心がじいんと震える。胸いっぱいに温かな気持ちが広がっていく。
自分には姉妹がいるという心強さ、それを改めて強く感じる形となった。たまらず少女は両手を広げ、かわいい妹を抱きしめようとする。
「うんうん、お姉ちゃん、がんばるよ! 応援しててね、フーちゃん!」
「う、うん……応援するよ……応援するから……」
「から?」
「養って……ね?」
「え゛」
「や、養ってほしいの……」
そう言って「すすす」と身を寄せるミノムシ、いや、引きこもり。
長姉にひっついた四女は、一体、誰に似たというのか――将来の夢がダンゴムシ、何もせず、何も考えず、ただ引きこもっていたいという、あまりに特異過ぎる少女だった――。
「それはお父さんに頼めー!」
「ひっ……!?」
「あるいはわたしといっしょに成長を……!」
激昂するコミエル。しかし、彼女の前にはすでにフウカの姿はなかった。
隠密だ。それも高度なスキルによるもの。毛布だけを残して煙のように失せた少女は、まるで話に聞く東洋のニンジャのような存在だった。
「くっ……! まだ近くにいるはず! 探せーっ!」
「おっ、なんだ!? 冒険か!?」
「やれやれ。どうやら私の出番が来てしまったようだね」
「なになに? 今度はどんな道具を作ってきたの?」
「興味は尽きんが、私はこの身ひとつでやらせてもらう」
「ふふっ。楽しくなってきましたわね?」
「あふ……ふわ。かくれんぼ?」
事務所の中が突然にぎやかさを増していく。働く意欲はどこへやら、少女たちは消えたフウカを探しに家のあちこちへと散っていった。
控えていたシャドウドラゴンがくすりと笑う。待合用ソファには黒猫獣人が寝転び、気怠そうに大きなあくびを浮かべていた。
いつもとは違うようで、しかし、いつも通りのフリーライフ。何でもお手伝い屋は開店休業の様相を呈し、そのまま子どもたちの遊び場に化けると――。
そう思われていたのだが――。
数日後、コミエルたちは「小さな大事件」に遭遇することになるのだった。
※事務所内の家具に関して
貴大とユミエルの机(今はシャドウドラゴンが座っている)
応接セット(4人がけ。客はここで依頼をする)
壁際にある待合用のソファ(黒猫獣人が占拠中)
コの字型のコーナーソファと机(子ども用)




