約束のふたり
自宅のリビングは重たい空気に包まれていた。
妊娠発覚から二週間目の今日、俺の家には再び少女たちが集まってきている。
カオルやアルティ、フランソワからアストレアまで、みんなユミエルが心配になって来てくれたんだろう。エルゥとメリッサは老龍の診察についていき、俺のそばにはルートゥーとクルミア、ふたりの少女が付き添ってくれている。
まるで病院の待合室のようにも感じられた。俺たちは何もできずにただ待つばかりで、それが余計に不安と焦燥、ネガティブな感情を際限なしに膨らませていった。
(一体、なんで……どうしてこうなったんだ……)
頭を抱えて自問する。二週間前、誰がこうなると予想できただろう?
特に問題は見つからなかったはずだ。つわりも軽く、メニューを工夫すれば普通に食事を取ることもできていた。なのにユミエルは調子を崩し、今朝は自分で起き上がることさえできなくなってしまっていた。
(風邪でもない。流行り病でもない)
原因不明の症状だった。謎の病気はうかつに魔法で治すこともできないそうで、秘薬、霊薬の類は強すぎる効果がかえって悪影響を及ぼすという。
解熱剤や鎮静剤は処方することができるそうだが――。
そんなものは場凌ぎにしかならないと、この場にいる誰もが同じことを考えていた。
「タカヒロ……」
「ん……? なんだ……?」
「ユミィちゃん、大丈夫……?」
「……ああ」
「ユミィちゃん、助かるよね……?」
「……ああ」
懇願にも似たクルミアの問いかけに、俺は小さくふたつ、うなずいていた。
そうだ、きっと大丈夫だ。ユミエルはちゃんと助かるんだ。自分自身に言い聞かせながら、しかし、消せない憂いに、俺は底なしの恐怖さえ感じていた。
「待たせたね」
「……っ!」
「エルゥさん!」
リビングの扉が開いた。エルゥを先頭に老龍、メリッサが姿を見せ、それを俺たちは腰を浮かせて出迎えていた。
「そ、それで……」
「結果は?」
「結果はどうなんだよ!?」
俺のわきから少女たちがエルゥへと向かっていく。
メリッサ、老龍にも険しい視線が注がれていて、それだけ彼女らが真剣だということ、焦燥感に駆られているということをうかがわせた。
尻込みしているのは俺くらいのものだ。早く知りたい。真実を知りたい。だけどそれを怖がる気持ちも確かにあって、俺は立ち上がったまま、まだ一歩も動けずにいる。
それをエルゥたちはちらりと見たかと思うと――。
承諾を得るでもなく、淡々とした口調で話を始めた。
「ちょうど先ほど、すべての検査は終わったよ」
「ユミィちゃんもいまは薬で眠っているよ。症状は安定していると思う」
「すぐにどうこうなる恐れはないじゃろう。だがまあ、しかし……」
「……しかし?」
自分の声が震えていることに気がついた。
体が強張り、暑いのか、寒いのか、奇妙な感覚が俺の視界をゆらりと揺らした。
三人は言葉を止め、どうしたものかと硬い表情を見合わせている。だけどそれも長くは続かず、またエルゥが冷静な態度で、俺にこのようなことを告げてきた。
「いいかい、タカヒロ君。落ち着いて聞いてくれ」
「な……何をだよ?」
「ユミエル君の症状のことだ。彼女はいま、特殊な免疫不全を起こしているんだ」
「特殊な免疫不全……?」
「ああ。君は少々、変わった身の上だろう? そしてユミエル君は妖精種という実に希少な種族でもある」
「滅多にないことではあるんだけど……」
「妖精種が子を成した時、相手によってはまれに体調を崩すことがあっての」
「それが免疫不全という形でユミエル君の体をむしばんでいるんだ」
「そんな……!?」
明かされた事実に愕然となる。部屋中の視線が俺へと注がれ、そんな俺をエルゥたちは少し気の毒そうな顔で見守っていた。
「俺が……俺が、あいつを、抱いたから?」
「そ、それは違うよ!」
「一因ではあるがすべてではないね」
「こればかりは巡りが悪かったと言うしかあるまい」
ふらつく俺を三人はすぐにフォローしてくれた。しかし衝撃は収まらず、俺はいまにもへたり込みそうな気分になってしまった。
相手によってはまれに体調を崩すことがある――。
老龍の言葉が渦巻くように頭の中を行き交い始める。相手。相手によっては。その相手こそが原因であり、つまりは俺が諸悪の根源のようにも感じられた。
「い、いや、だけど!」
「なんだい?」
「病名が分かったってことは……治るんだよな!? 薬とか魔法とか、そういった治療で治せるんだよな!?」
混乱の中、それだけが唯一残った希望の光だった。学者に聖女に医学を極めた龍。これだけいれば、きっとユミエルの病気は治せるはずだ。
泣き笑いのような顔で三人の方を向く。ここに集まった少女たちも不安そうな顔で次の言葉を待っている。その重たい空気の中、エルゥたちは再び口を開いて告げ始めた。
「もちろん薬はあるさ」
「フェアリーテイル。月夜の晩、清らかな高原にひっそりと咲く草花」
「それって……!」
「知っておったか。そう、かつては存在自体が幻だと言われ」
「いまでも一般市場に出回ることがない薬草なんだが……」
「…………ッ!」
話の途中、俺は足場が失せたような感覚を味わった。幻の薬草、フェアリーテイル。それは「俺が知っている」くらいには入手困難な代物だった。
そんなものが手に入るのか? 果たしてユミエルは助かるのか? 再び暗いイメージが俺の意識を支配していきそうになる。
(……でも!)
諦めることはできない。諦めることなんてできないんだ!!
三人の話を断ち切るように、俺は足に力を込め、弾けるようにして自宅の外へと飛び出していく。
「あっ、タ、タカヒロ君!?」
「タカヒロ君! タカヒロ君!!」
俺を呼ぶ声はすぐに遠ざかり、風を切る音に消されていった。【コール】の着信も数度鳴ったきり自然と圏外へと抜け出ていった。
俺は走る。懸命になって走る。屋根の上を駆け、城壁を飛び越え、やがては街の外にたどり着いても速度を落とさずひたすら走る。
ごうごうと唸る風の中、俺はかつての情景を思い出していた。冒険者時代、仲間と旅をしていたこと。その中でフェアリーテイルという珍しい花を見かけたこと。物知りな優介が現地の図鑑を片手に語ってくれた。あれから何年も経ってしまったが、いま、あそこに行けばきっと見つかるという確信があった。
(そうでないと……!)
あまりにユミエルが報われない。あいつはこれから、もっともっと幸せになるはずの少女で……もっともっと多くのことを知り、多くを体験するはずの少女なんだ!
ここで死んでいいはずがない。お腹の中には赤ちゃんだっているんだ。それなのになんで、なんでこんなことに――。
直感的に、これは罰なんだと思った。
これまで人に迷惑をかけ、怠惰に生きてきた俺に対する天罰なんだと。
いい父親になる? いい店主になるだって? そんな調子のいいことを言っているから、一番大事なものに災いが降りかかることになるんだ。
きっとユミエルは助からない。きっと薬草は見つからない。俺は手ぶらで街へと戻り、その頃にはあの子の呼吸も止まってしまっていて――。
「……違う! 違う、違う、違うっ!!」
際限なく湧き上がる思考を振り払うように叫ぶ。
これは天罰じゃない。これは病気なんだ! 薬さえあればユミエルは助かるし、元の調子に戻ってもくれるんだ!
俺がいま走っているのは何のためか忘れちゃいけない。一心にあの子のことを想いながら、目的の薬草を可能な限り早く見つけ出すんだ。
後ろ向きな考えは捨て、ただひたすらに目的地へと走り続ける。それでも溢れる涙は抑えられず、俺はぼろぼろと泣きながら草原を駆けるのだった。
さて、これが今回の事件の顛末だ。あのあと俺はフェアリーテイルの採取に成功し、わずか一昼夜で王都に戻ることもできていた。
当然ながらユミエルは危機を脱することができた。煎じた薬草が特効薬となって彼女を苦しめた免疫不全、それを治すことができたんだ。
ただまあ、それが俺の手柄なのかというと少し違っていて――。
あまり言いたくないが、俺はただ、徒労に徒労を重ねただけなのだった。
「薬の手持ちがすでにあった!?!?!?」
開口一番、目をむいて叫んだ台詞がそれだった。
息せき切って駆け込んだユミエルの部屋、そこで老龍の説明を受け、俺は今度の今度こそ完全にフリーズしてしまっていた。
「い……いや、だけど、幻の薬草だって……」
かろうじて復活し、それだけを何とか口にする。
そんな俺にどう言っていいのか戸惑う様子を見せ、エルゥ、メリッサが慎重に言葉を選びながら話を続けてくれた。
「確かに希少な薬草ではあるんだけどね」
「き、近年、栽培技術が確立されたみたいで……」
「貴重は貴重なんじゃが、入手できないこともないんじゃよ」
「いや、でも、図鑑でも珍しい花だって……」
「だから、珍しいのは珍しいんだよ」
「天然物は、だけどね?」
その言葉を受け、俺はたまらずへなへなとその場に腰を落としてしまった。それでも釈然としない想いは残っていて、へたり込んだままこう叫んだ。
「だったら、最初からそう言えよぉぉぉ……!!」
「言おうとした瞬間、君が飛び出していったんじゃないか」
「まさか通信も全部無視して走り去るとは思わなかったぞ」
そこまで言われ、俺は「あああああ……!」と呻いて床へと這った。
もう駄目だ。ここ数年で最大の空回りだ。疲れと羞恥からダンゴムシのように丸まる俺に、三人はあくまで優しい態度で接してくれた。
「まあ、安心したまえ。すでに薬草は煎じて飲ませてある」
「難しく不安定な病ゆえ、どうなることかと心配してはおったが」
「ユミィちゃんには薬がよく効いたみたい。よかったね、タカヒロ君!」
「おおおおお……!!」
身悶えするようにぐるんぐるんと回転する。消えたい。この場から消えてしまいたい。そんな想いに占拠され、いよいよ俺が【蜃気楼】を使おうとしていると――。
「……ご主人さま」
「おお?」
「……わたしは嬉しいですよ、ご主人さま」
俺が来た時からベッドの上で身を起こしていたユミエル。寝間着姿の少女が微笑んで、俺を慈母のような目で見つめていた。
「……急に飛び出したと聞いて、初めは心配もしましたが」
そこで区切り、ユミエルは柔らかく話を続けた。
「……わたしのためにそこまで懸命になってくれたこと、やはりわたしは嬉しいです」
その言葉と微笑を受け、俺はよろよろとベッドサイドに近づいていった。そのまま、ひざをついただけの状態で、俺は改めてユミエルの顔色を確認する。
「もう、大丈夫なんだな?」
「……はい」
「もう、なんともないんだよな?」
「……ええ」
「だったら良かった……あああ……」
うなずくユミエルに、今度こそ力尽きてベッドにぐったりともたれかかる俺。そんな俺の頭を優しく撫でながら、ユミエルは三人に向かって静かな声で問いを投げる。
「……あの薬草は、健康な者が飲んでも平気なのですよね?」
「うん? ああ、まあ、その通りではあるがの」
「美容にいいハーブとしても使われているしね。お茶にして飲むくらいは構わないよ」
「……だったらわたし、それをいただきます」
「薬草茶を? ちょっと苦いと思うけど、大丈夫?」
「……はい。ご主人さまが取ってきてくれたものですから」
微笑むユミエルに釣られて三人が微笑んだ。気を利かせたのか、そのまま出ていく三人を見送りながら、ユミエルは今度は俺に向かって声を落とす。
「……ご主人さま」
「なんだ?」
「……これから先も、様々な出来事があるとは思いますが」
「……ああ」
見つめ合う俺たち。温かな日差しの中、ふわりとカーテンが揺れている。
頬を染めるユミエルは、少しだけ照れたように口ごもっていたが――。
すぐにも晴れやかな顔を見せ、俺に向かってこうささやいた。
「わたしたち、幸せになりましょうね?」
春も深まるイースィンド、花の都はますます盛大なにぎわいを見せている。
今日もどこかでお祭り騒ぎが繰り広げられているのだろう。ひょっとするとパレードなんかも出ているかもしれない。
そんな街の歓声を遠くに聞きながら――。
俺たちは微笑み合い、幸せな未来を誓い合っていた。




