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祝福、そして新たな日常

 妊娠発覚の翌日、何でも屋「フリーライフ」には多くの人が集まっていた。


 知人、友人、近所の人たち。いずれも顔馴染みの人々は、口々に「おめでとう!」「おめでとう!」と祝いの言葉を告げてくれる。中には土産を持参してくる者もいて、事務所の机の上は早くもそうした品で埋まりつつあった。


 ユミエルは自分の席に座って目を白黒させている。俺は俺で照れ笑いを浮かべ、どうにも落ち着かずに壁際辺りでそわそわしている。


 こんな展開は生まれて初めてのことだ。子どもができたことを祝ってくれる、その善意や優しさで心が満ちていくのを感じてしまう。


 戸惑いながらも明るい出来事に、俺とユミエルは顔を見合わせて緩やかに笑う。俺たちはいつの間にか、こんなに大きい輪の中に加わっていたんだ。そのありがたみに感謝しつつ、俺は改めて周りの人たちを眺めてから――。


 スッと腹に力を込め、ドスの効いた声でこう言った。


「なんで一晩で街中に噂が広まってるんですかね?」


「まあまあ」「まあまあ」「まあまあまあまあ」


 こめかみに青筋を立てる俺を、ご近所さんたちは笑顔で押し切るようになだめるのだった。






「ったく……王侯貴族のゴシップじゃないんだから」


 ぼやきながら、俺は祝いの品をリビングの方へと運んでいた。来客の半数以上は顔見せ程度の訪問だったのか、いまは事務所の方もすっかり落ち着きを取り戻している。


「まさかあんたに先を越されるなんてね……」


「まさかも何も、姉さんにはお相手がいないではないですか」


「はあ!? はあー!? あ、相手くらい、いくらでもいるんですけど!?」


「え~? いたの~? いつの間に~?」


「そ、そりゃあ、あんた。あんたらの知らない間によ!」


 若干名、ユミエルを囲んでガールズトークに花を咲かせているが――。


 まあ、あれくらいは許容範囲だろう。妖精っぽい三姉妹を横目で見つつ、俺はまた山積みの品物を運んでいった。


「ふう。こんなもんかな」


 運搬を終えて小さく息をつく。まだ場所を移しただけだけど、整理や収納は仕事が済んでからでも構いはしないだろう。


 一応、生ものとかはないはずだ。マークさんとこのリゾット鍋。カオルの両親のお手製ピクルス。ヴィタメールさんは軽くつまめる砂糖菓子で、エリックは育児に関する本のセットで、


「ミーシャさんのポーションは……封印で」


 軽く選別を済ませつつ、やはり生ものがないことを確認していった。ほとんどが年長者からの贈り物だからか、その辺りはみんなわきまえているみたいだ。


 いまさらながらに感謝しつつ、俺はまた新しい品物に手を伸ばして、


「……は?」


 そこで固まってしまった。


 いや、なんだろうか、これは。俺の目にはエロ本とか、そういった類のものにしか見えない。表紙では水着姿の女が煽情的なポーズでこちらを見ている。裏を返せばアダルト用品の店の広告、新商品の情報などが載っているのが分かる。


(これをどうしろと?)


 親になった俺たちに贈っていい品なんだろうか?


 ひょっとすると紛れ込んだのかもしれないが、それにしてはきっちりリボンがかけられていたなと思い、俺がひたすら首を傾げていると――。


「うっ、うっ、うううっ」


「いいっ!? イ、イヴェッタさん!?」


 事務所から繋がる自宅の廊下、そこからリビングをのぞき込むようにひとりの美女が姿を現していた。いや、正確にはこっそり様子をうかがっていたんだろうな。体の半分をいまも壁の向こうに隠しながら、美女、イヴェッタさんはこぼれる涙をハンカチで拭っていた。


「ううっ。ふたりとも、いつの間にか大人になっていたのね」


「お、おかげさまで……?」


「お姉さん、嬉しいわ。うれ、嬉し」


 そこで「ビーッ!」と大きく鼻をかむイヴェッタさん。


 豊満な体の淫魔娼婦も、いまばかりはどうにも締まらない「近所のお姉さん」だった。


「あ~……はあ。少し落ち着いたかも」


「そりゃ良かったですけど……イヴェッタさんも、お祝いに?」


「ああ、うん、そうそう! お祝いに来たんだけど……ダメね。思わず涙があふれてきちゃって」


「はあ」


 情に厚い人だとは思っていたが、まさかこれほどとは思わなかったな。だけど意外と悪い気はせず、彼女の訪問をいまは喜んでいる自分を感じた。


「まあ……ありがとうございます。わざわざ来ていただいて」


「気にしなくていいの。ずっと気にかけてたふたりだもの。お姉さん、自分のことのように嬉しいな」


「そ、そうですか。そりゃまあ、良かったって言うか」


「思い返せば数年前、タカヒロちゃんがお店に来た時からの付き合いだものね?」


「え?」


「いまでも鮮やかに思い出せるわ~♪ まだ十代だった頃のタカヒロちゃんが、初体験をしようと友だちと一緒に来てくれて……」


「この話、止めません?」


 割と真剣な顔でイヴェッタさんに迫った。人間、誰しも恥ずかしい過去はあるものだ……いや、俺はあの時、そんなつもりはなかったんだけど、


(って、ええい! 離れろ、俺!)


 思い出に向かおうとする意識を断ち切って、俺は改めてイヴェッタさんに向き合うのだった。


「とにかく、祝いの言葉、ありがとうございました。ユミィも喜ぶと思います」


「うん、そうだと嬉しいな。タカヒロちゃんも喜んでくれるともっと嬉しいけど」


「俺? 俺は……まあ、喜んでますよ。わざわざ祝っていただいて」


「ううん、そうじゃなくって……それそれ。それはもう読んだ?」


「それ? それって……って!?」


 さっきからずっとエロ本をつかんでいたことに気がついた。エロ本をつかんだまま、俺はイヴェッタさんと話をしていたんだ!


「いやっ、こ、これはっ!」


 言い訳をしようとしてはたと気づく。エロ本。淫魔の訪問。頭の中で瞬時に関係性が成り立って、俺は答えを言うより早く思いついていた。


「まさか、これって……!?」


「ぴんぽーん♪ 大正解! それが私の贈り物でーす♪」


 愕然とする俺の前でイヴェッタさんはいたずらっ子っぽい笑顔を見せた。そのままくるくると指先を躍らせながら、彼女、淫魔はプレゼントに関する種明かしをする。


「いい、タカヒロちゃん? これから何ヶ月も普段とは違う生活が続くけど」


「……………………」


「我慢はしなくていいからね? むしろ積極的に発散すべきだと思うの!」


「……………………」


「もちろん、夜のお店には行けないと思うから」


「……………………」


「切ない夜は、これを使って慰めて!」


 ビッと親指を立てて笑う淫魔。悪意のない、純粋な善意で輝く彼女の顔を見て――。


 俺は問答無用で淫魔の尻を蹴り上げていった!


「出 て い け !!!!」


『なんで~~~~……!?』


 ぼいんぼいんとケツを蹴り、そのまま店の外へと淫魔を追い出してしまった俺。返す刀で応接机に目を向けて、そこに居座ろうとしていた三姉妹をも追い出しにかかった。


「って、ちょっ!? なんでよ!?」


「お、横暴です! こんなことは許されませんよ!?」


「やかましい! 図々しくも茶菓子とティーセットを引っ張り出してくるな!」


「あ~ん! せめてクッキーだけでも~!」


「こっちはこれから仕事なんだ! 甘味が欲しけりゃノワゼットにでも行ってこい!」


「「「あ~~~~~~っ!?」」」


 三姉妹を団子のようにまとめ、俺はドシドシとそれを事務所の外に押し出していった。


 未練がましい顔、それに声が届いているが、そんなのに付き合っていたらいつまで経ってもキリがない! ノワゼットのサービス券だけドアの隙間からひらりと渡し、俺はカーテンを閉め、三姉妹の不平不満をシャットアウトにかかるのだった。


「はあ……」


 これでひと段落ついたといったところだろうか? 気がつけば開店から一時間以上も経っていて、そのくせ仕事の準備はまったくと言っていいほどできていなかった。


「なんか、また物が増えてるし……」


 またご近所さんが来ていたんだろうか? 積まれた品々にため息をつきつつ、俺は自分の席へと向かっていくのだった。


「……よろしかったのですか?」


「ん? なにが?」


「……フェアさんたちのことです。あのままでもよかったのでは」


「いや、休みの日なら別にいいけどさ。今日は平日、しかも週明けだぞ?」


 何時間も居座られたらたまらんと言いながら、俺は届いていた手紙に目を通した。


「ほら、そこそこの量、依頼が来てるだろ。ギルドからも仕事が回ってきそうだし、早め早めに動かないと週末また厳しくなるぞ?」


 ただでさえ土曜返上、あるいは半休になる日が続いているんだ。妊娠が分かった以上、休日はきっちり休ませてあげたい。いや、平日だってなるべく負担はかけたくないんだ。


 これまで以上に俺は仕事を頑張る必要がある。心機一転、より良い店主になるべく、今日から早速精を出そうと思っていたんだが――。


「……いや、なんだその顔」


 ユミエルがこれまた珍しい表情を見せていた。ギョッとした顔でこちらを見つめ、かと思えばおろおろとして体を揺らしている。


「……もしかして、また妙な薬でも飲まれましたか?」


「飲んでねーよ!!」


「……魔法や呪いをかけられた、とか」


「身に覚えがありませんー!」


 人の決意をなんだと思っているんだ! そりゃまあ、これまでがこれまでだったから仕方ないとは思うけど、この気持ち、頑張りたいという気持ちは本当のものなんだ!


「いいか、ユミエル。よく聞いてくれ」


「……はい」


「子どもができて、俺は責任感というものを覚えたんだ」


「……責任感、ですか」


「ああ、責任感だ。俺はこの店に対して責任がある。世間に対する責任もある。それに何より、お前に対しての責任があるんだ」


「……どういう、ことでしょう?」


「これまで散々ぐーたらしてきたけど、いい加減、俺は大人にならなくちゃいけない。ユミィが母親になるのなら、俺は立派な父親にならなくちゃいけないんだ」


「……それが責任ということですか?」


「そうだ。いまこそ俺は名実ともにフリーライフの店主となる。一家の大黒柱として、この家庭を支えていくんだ!」


 拳を握りしめての決意表明に、ユミエルは言葉もなくして聞き入っている。


「この人はいきなり何を言っているのだろう?」という表情にも見えなくはないが、その可能性はあえて無視して話を進めた。


「俺、精一杯頑張るよ。いい店主、いい父親になってみせる」


「……はい」


「最初はぎこちないと思うけど……いつか自然にできるようになってみせるさ」


「……はい」


「そのために、まずは今日から仕事をバリバリこなしていくぞ! ぐーたら店主の汚名返上を果たすんだ!」


「……応援しています」


 小さな国旗をひらひらと振って、ユミエルはこくりとひとつ、うなずいてくれた。


 少なくとも俺の意図は伝わったのだろう。仕事を頑張るという俺の言葉、これもまた素直に信じてくれたはずだ。


 そうとなればあとはひらすら働くのみ! 過保護になるのはかえって母体に良くないらしいが、家事だってなんだって、ユミエルの負担はなるべく少なくしていくつもりだ!


「よし!」


 大きくうなずき、俺は早速仕事の振り分けにかかっていく。


 依頼書の確認をする俺を、ユミエルは安心した表情で見守っていて――。


「……ですが」


「ん? なんだ?」


「……もしもの話、なのですが」


「うん」


「……無理があるようなら、いつでも元に戻ってくださいね?」


「信用ないな、俺!?」


 ユミエルの優しい配慮に、大きなショックを受ける俺であった。






 まあ、結果から言えば俺の熱意は空回りするようなこともなかった。


 以前、似たような理由であれこれ頑張った経験も活きたんだろう。ユミエルの仕事を必要以上に奪うこともせず、俺たちは適度なバランスで新しい日常を過ごすことができていた。


 自分で言うのもなんだが、順風満帆な人生になってきたように思う。帆に風を受けてグンと進んでいく感覚、それを肌で感じることができていたんだ。


 このままいけば、きっと幸せな未来が待っているはず。元気な赤ん坊が生まれ、ますます俺たちはにぎやかな毎日を送ることができるはずだ。


 俺はそう思っていたし、間違いなくそうなると確信してもいたんだが――。




 一体、何が悪かったのか――。




 日々が進むにつれ、ユミエルは体調を崩して寝込むことが多くなっていった。


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― 新着の感想 ―
[一言] ユミエルってレベル200くらいあったよね……地球人より遥かに頑丈なはずのユミエルが体調崩すって結構やばいやつなのでは。
[気になる点] 結婚は?
[一言] こ、これはお仕事できないストレスによって倒れてしまったのか!?
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