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追跡! 好青年の素顔!

 うららかな春。暖かな日差し。陽気な声も相まって、今日も王都は大変な賑わいを見せていた。


 ここ数年、不可解な事件が続いたが、「それはそれ、これはこれ」と割り切るのが都会流だ。春という始まりの季節に、誰もが浮かれ、誰もがせかせかと足早に歩いている。


 そんな四月のグランフェリア、人に溢れた大通りの中で、貴大が何をしているのかというと――。


「…………」


 軽やかな足取りで雑踏を進む。人の波を縫うようにして大通りを歩く。


 彼が見つめているのは一台の馬車だ。子爵家の紋章が入った黒い箱型馬車クーペ、それを視界に捉えて貴大は進む。


 狙いはもちろん、サリス・ド・ティオールだ。あの黒髪の貴公子、絵に描いたような好青年を、貴大は密かに観察している。依頼を受けてからすでに三日、すでに貴大は彼の予定さえも掴んでいた。


(まずはニャディアに会いに行く。昼には王貴区に戻って昼食会に参加。午後は王城で公務を行い、夜はこれまたパーティーに参加か)


 典型的な貴族の生活だった。そこに不審なところはなく、夜のパーティーも社交場での懇親会だ。


(そつなくこなしてるって印象だけど)


 それがかえって怪しく感じる。


(大人の貴族なんて……ほら、ミケロッティみたいなもんだろ?)


 貴大の脳裏にかつての記憶がよみがえる。M豚ことミケロッティは、権力を笠に着て悪行の限りを尽くしていた。あの豚のような鳴き声、脂ぎった肌は忘れたくても忘れられない。その感触を思い出し、わずかに顔をしかめた貴大は、


「おっと」


 調査対象の移動に合わせ、通りの角を右へと曲がる。それだけで追いつけてしまうほど、向こうはちょっとした移動にも難儀しているようだった。


 そもそも下級区は貴族が来るような場所ではないのだ。正門から繋がる大通りならまだしも、こうした住宅街は馬車の通行には適していない。溢れんばかりの人ごみに呑まれ、サリスの馬車は立ち止まっては進み、立ち止まっては進みを繰り返している。


 馬車の壁面は子どもの手形と泥のような汚れでいっぱいだった。それを御者が困ったように見つめ、しかし、どうにもならないと馬の手綱を握り直している。


 遅々とした進み、そこには危険の匂いは感じられなかったが――。


「あっ!?」


 突然、馬車の扉に老人が倒れ込んだ!


 結構な衝撃だったのだろう。ガラスが割れて、通りは一時騒然となった。


(まずい……!)


 本当にまずい事故が起きてしまった。貴族の馬車を損なう行為、それはこの国では歴とした犯罪だからだ。偶然なのか故意なのか、そこはあまり問題にはならない。大事なのはガラスが割れてしまったことで、それをやったのがよりにもよって下級区の庶民だったということだ。


「お、お前……!!」


 御者は怒りのあまりに顔を赤く染めている。対照的に、老人やその周囲の人間、下町の人々の顔は真っ青だ。


『お前たちが無理に入ってきたから、こんな事故が起きたんだ!』


 下級区民同士であれば、そう言って抗うこともできただろう。しかし相手は由緒正しい貴族である。家名も持たないような人間が、とても口ごたえできるものではなかった。


「あ、あ、ああああ……!?」


 逆光の中、馬車の中からひとりの貴族が現れる。その表情は陰になってうかがうこともできない。老人は通りに尻もちをつき、ただ愕然と震えている。


 サリスの腰には鈍い銀色の杖が光っていた。魔法使いが使う杖、それも貴族が使うような一級品の代物だ。炎を生み出し、稲妻を放ち、どんな魔物も消し炭に変えるという杖。それが哀れな老人の前で、下町の人間たちの前で揺れている。


(これは……)


 貴大にも解決策は思いつかなかった。無理に助けても貴族のことだ、面子にかけて「罪深き老人」のことを捜し出すだろう。金を積んでもまったくの無駄だ。これは体面の問題であり、金貨を積めばどうこうなるような話でもない。


 つまりは手詰まり、誰であっても助けられない。迷う貴大の前で、サリスの右手は老人の方へと伸ばされて――。


「~~~~~~~~~~!!」


 老人と、その周囲の人間がギュッと目をつぶった瞬間。


 下級区の通りには――優しい声が柔らかく響いた。


「大丈夫ですか、おじいさん」


「へっ!? え、えっ!?」


「申し訳ないです。先日も思ったのですが、やはり馬車での移動は無理がありますね」


「あ、ああ、う、ううう……!?」


「壊れた窓のことは気にしないでください。この程度なら、魔法ですぐにも直せますから」


「え、えっと、えっと……」


「念のため、おじいさんにも回復魔法をかけておきますね。では、お気をつけて」


 そう言ってサリスは馬車の中へと戻っていった。周囲の人間が呆然とする中、人の波をかき分けるように子爵家の馬車は進んでいく。


 残されたのは尻もちをついたままの老人、そして立ち尽くす人々だ。一体、彼らは何を見たのか。謝る貴族? 優しい貴族? 物語の中にしか出てこない存在が、今、彼らの前にいたというのか。


 貴大さえも唖然となって、彼は馬車の去っていった方を見つめ続けていた。善人だ、人格者だとは聞いていたが、まさかあれほどだったとは――。


「……あっ!?」


 しばらくして正気に返り、貴大は慌ててサリスのあとを追っていった。


 確かめなければならない。今の光景が真実なのかを。ひょっとするとあれは全部偽りのことで、人気取りのための演技だとか、群衆に対するアピールだとか、そういったことも考えられる。


 老獪な貴族は聖者でさえも騙してしまうという。もしかするとサリスはその域にあって、その演技によって老人たちを欺いたのだと――貴大は、そう考えていたのだが――。


「お腹が空いているのかい? じゃあ僕のおやつを分けてあげよう」


「もし、道に迷われたのですか? 良ければ通りまで案内しましょうか?」


「おや? 人懐っこいね? ふふっ、君はどこから来たんだい?」


(野郎、パーフェクト貴族かよ!!!!)


 食べ盛りの子どもを見ては、サリスはクッキーをその子たちに与えた。困り顔でうろつくご婦人を見ては、サリスは笑顔でこれを案内した。そして王宮のベンチに座れば、どこからともなく純白の小鳥が飛んできて――。


(なんなの!?)


 貴大は自分が見たものが信じられなかった。


 世の中、あれほど出来た人間がいるものなのか。貴公子という言葉がよく似合い、それ以上に善人という言葉がよく似合う。サリスは下級区、中級区、上級区、王貴区、そのすべてにおいて、申し分ないほどに「いい人」として振る舞っていた。


(ぐああ……! 自分が汚れた人間のように感じる……!)


 人の善意を疑うなんて、自分はなんてことをしたのだろうか。


 あんな人間いるはずがない。娼婦の子どもを引き取る貴族もいない。そう決めつけてかかって、今回の話を「怪しいことだ」と断じてしまっていた。


 サリスの光に照らされて、よこしまな貴大など浄化されてしまいそうだ。しかしそこをグッと耐えて、彼は引き続き調査と追跡を続けるのだった。






「てなわけで、あいつ、いい人だったんですよ……」


「はあ、いい人ですか」


 数日後、貴大は再びブライト孤児院を訪れていた。


 資料を携えての結果報告だ。小ぢんまりとした院長室で、彼はシスタールードスにサリスについての調査結果を伝える。


「なんかこう、類を見ないほどの善人で……庶民や獣人にも嫌悪感を持ってなくて……」


「え、ええ、そのようですね。何度かお会いした際、私もそのように思いました」


「信じがたいでしょうが、裏なんかもないんですよ? 知り合いの貴族に調べてもらったんですが、なんか領民にも慕われているし、従者の人たちもべた褒めみたいで……」


「そ、そうなのですか」


「はい……なんか疑ってすみませんって気分になりました……」


「お疲れ様です……」


 自己嫌悪感でぐったりとして、若干頬がこけてしまった貴大。そんな彼に手ずからお茶を淹れながら、シスタールードスは朗らかな笑みで「だけど」と返す。


「だけど、良かったですね。本当に安心しました。ニャディアの肉親が見つかったと思ったら、それが良臣、名君の類だったなんて」


 思ってもみない話だったが、蓋を開けてみればこれ以上ないほどの幸運だった。


「特にニャディアは辛い想いをしてきましたからね……それが帳消しになるまで、いっぱい幸せになってもらいたいです」


「……ですね」


 少し考えたのち、貴大も笑ってうなずいた。


 辛い想いとはなんなのか。ニャディアの過去とはなんなのか。それは今この場において、聞かなくてもいいことの類だ。これからあの少女は幸せに生きていくことができる。優しい兄に保護されて、何不自由ない生活を送ることができるのだ。


 そこに暗い過去など持ち込むべきではない。そう思ったからこそ貴大はそれ以上何も聞かず、ルードスもまたそれ以上何かを言うこともなかった。


「さて、それじゃ今回の仕事はこれまでですかね」


「あっ、はい。そうですね。ありがとうございます」


「また何かありましたらいつでも言ってくださいね」


「その時はまたお世話になります。今回は本当にありがとうございました」


 ルードスが深々と頭を下げたところで、今回の話はお開きとなった。


 あとは彼女からニャディアの行く末を聞くだけだ。ほんの少しさびしいような気もしたが、貴大はその想いを断ち切って、別れの時は笑顔で見送ろうと思い、


「おかあさ~ん!」


「……ん?」


「わう~! 手紙! お手紙がきたよ~!」


「うわっ!?」


 部屋を出ていこうとした瞬間、そこでクルミアと鉢合わせとなった。


 彼女の大きな体にぶつかる貴大。それを見て、当のクルミアはぶんぶんと尻尾を振り始めた。


「あっ、タカヒロだ! タカヒロタカヒロ! うちに来てたの?」


「おかあさんとお話ししてたの? おわった? これから帰るとこ?」


「いっしょにお昼寝しよ~。わうわう! わんわん! うう~! うう~!」


 思いがけない遭遇に、クルミアのテンションは一気に最高潮にまで上り詰めていた。


 貴大を抱きかかえてのぺろぺろだ。首や耳まで甘噛みされて、貴大はたまらずクルミアの拘束から逃れようとする。しかしわんこはそれを許さず、追いかけてまでぺろぺろをしようとして、


「こ~ら。タカヒロさんを困らせないの」


「あう」


 頼りになる院長先生に、その首根っこをつかまれてしまっていた。


「まったく、もう。いつまで経っても大きな子どもね」


「ごめんなさ~い」


「ほら、手紙が届いたんでしょう? それはどこなの?」


「あっ! これ!」


「はい、ありがとう……あら?」


「どうしたんですか、ルードスさん」


「これ、サリスさんからだわ。どうしたのかしら?」


 首を傾げたルードスが、その細い指で封蝋をはがす。


 そして中にあった手紙に目を通し――少し困ったように頬に手を当てる。


「まあ……」


「え? 何か良くないことでも?」


「い、いえ。内容自体は晩餐会へのお誘いなのですが」


「はい」


「保護者同伴というところに、少し問題がありまして……」


「問題?」


「この日の夜は、私の都合がつかないのです。街の大きな教会で、これからの方針、活動内容などを話し合う会があるのですよ」


「ええと……それってあれですか? あの法王が起こした事件の」


「はい……余波のようなものです……」


 恥ずかしそうにシスタールードスは顔を伏せた。


 あの時代錯誤の法王による十字軍事件。その際、多くの聖職者たちはマインドコントロールを受けて教会の尖兵になり果てていた。幸いにして事件はすぐに終息したが、その余波は大きく、教会への信頼も大きく損なわれていたという。


 聖職者はこれまで以上の奉仕と献身が必要だった。汚名を返上すべく頑張る時期であり、この会合もルードスにとっては欠かせない集会だ。


 たとえ大事なニャディアのためでも、これを欠席することはできはしない。しかし貴族の予定を動かすわけにもいかず、彼女は八方ふさがりのような心境を味わっていて、


「そ、そうだ!」


「え?」


「あ、あの? タカヒロさん? 大変不躾な話ではあるのですが……」


「ええっと……はい」


「私の代わりに、この晩餐会に出てはもらえませんか? タカヒロさんならニャディアとも仲がいいですし、保護者として申し分ありませんし……」


「そ、そうですかね?」


「そうですよ! あ、ああっ、いえいえ! 都合がついたらでよろしいのですが」


 どうか子爵家の晩餐会に出てはもらえませんか?


 再度の依頼だった。いや、延長戦とでも言うべきか。貴大はニャディアの保護者役として、貴族の晩餐会に出ることを求められている。


 正直、ああいった堅苦しい場所は嫌いだった。自由を貴ぶ貴大にとって、マナーだとか、しきたりだとか、雁字搦めの状況は性に合わないのだ。


(しかし)


 これはニャディアのためでもある。


 実際に顔を合わせ、言葉を交わすことで見えてくる側面もあると聞く。そうした何かを探るべく、貴大はしばらくの逡巡ののちに、


「分かりました。行きます」


 そう言って頭を縦に振るのだった。


(まあ、あの善人貴族なら問題もないんだろうけど)


 自分が行った方がニャディアも安心するはずだ。そう思った貴大は、窓の外へと声をかけた。


「お前もそれでいいな?」


「……………………ッ!!」


 瞬間、見え隠れしていた耳が引っ込んだ。同時に遠ざかっていくパタパタという足音。


 やはり彼女も気になっていたのだろう。盗み聞きをしていたニャディアを、しかし、貴大はかわいらしくも思った。


(幸せになってもらいたいよな)


 そのために調査も追跡も行ったのだ。どうか晩餐会もつつがなく終わるよう、貴大は空に向かって祈っていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 大満足のニャディア回だった [一言] 人物紹介読んで気がついたけどいつのまにな貴大より年取っちまった
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