表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
342/375

偽りなのか本心なのか

「え? マジですか?」


「はい。本当です」


「じょ、冗談とか、そういうアレじゃなくて」


「本当に本当です。念のため、教会経由で照会も行いました」


「じゃあ、ニャディアは……」


「はい」


 あの子は、貴族のご落胤だったのです。


 翌日のフリーライフは、その一言から始まっていた。


(貴族と娼婦の逢瀬。思いがけず授かった子ども。立場上、認められない貴族。それを承知で身を引く娼婦。よくある話と言えば、そうなのかもしれないけれど)


 朝早くから来店した、孤児院院長のシスター・ルードス。彼女が語るところによると、あの黒猫獣人の少女は、王国貴族の私生児なのだという。


(ニャディア。いや、ナディアか。ティオール子爵家のナディア・ティオール。名前だけ見ればそれっぽく聞こえるけれど)


 しかし、彼女は貴族ではない。ティオール子爵は娼婦との子どもを認めなかったはずだ。だからこそニャディアの母は病没し、ニャディアはひとり、ブライト孤児院に引き取られてきたのだ。


 それから一年余り、ナディアはずっとニャディアだった。いや、それよりずっと前、生まれた時から彼女は娼婦の子どもだった。貴族の子では決してない。父親の名前も明かしてはならない。そうした立場に母子を捨て置いていたはずなのに――。


(なんで今さら、引き取りにきたんだ?)


 ティオール子爵は代替わりし、今は一人息子がその跡を継いでいるらしい。昨日、ブライト孤児院まで押しかけてきた男がそうだ。貴大はその場にいなかったが、ルードスによれば気の良い青年に見えるという。


 そんな絵に描いたような好青年が、腹違いの妹の存在を知り、自ら王都まで迎えに来た――。


 父親の火遊びとは違い、これまで聞いたこともないような話だった。


「いや、ルードスさん。怪しいですって、これ」


「タカヒロさんもそう思われますか?」


「そりゃそうですよ。貴族なんて体面第一、外面や風評を気にする生き物ですからね。他に跡取りがいないならまだしも、わざわざ私生児を引き取りにくるとか……」


 しかも娼婦の、獣人の子どもなのだ。そのことにはあえて触れず、代わりにルードスの様子をうかがい見る貴大。彼の意図を察したルードスは、頬に手を当てて深々と息を吐いた。


「聖職者である以上、人の善意を疑いたくはないのですが……」


「あまりに都合が良くて、逆に信じられないと?」


「恥ずかしながら……」


 わずかに、しかし確かにこくりとうなずくルードス。彼女も苦労に苦労を重ねてきた身だ。救いはある。希望はある。そこに疑いを持ってはいないが、それが滅多にないものだとも知っていた。だからこその逡巡、だからこその迷い。降って湧いたような朗報を、ルードスは素直に喜べずにいた。


「家族がいた。兄がいた。孤児にとっては何よりの話なのですが……」


「裏がなけりゃいいんですけどね。身内の汚点を消したいだとか、おかしな趣味を持ってるだとか、実は赤の他人だったとか」


「そう、それです!」


「え?」


「タカヒロさんにはですね。その、ティオール子爵の裏取りをお願いしようかと」


「つまり、素性調査をしろってことですか?」


「ええ、その。はい。タカヒロさんは貴族筋にも繋がりがあるようでしたので……」


 消え入りそうな声で、縮こまって言うルードス。彼女はれっきとした聖職者だ。「人を疑ってみてくれ」という依頼は、やはり抵抗感があるものなのだろう。


 しかし一方で、「これだけは調べなければならない」という強い想いも感じられた。それを受けた貴大は、胸を叩いてルードスに言った。


「任せてください。きっちり調べてきますんで」


「そ、そうですか。やってくださいますか?」


「ええ。なんてったってニャディアのことですからね。気合を入れて調査してきます」


 依頼がなくとも調べるつもりでいた。ティオール子爵とは何者なのか? 本当にニャディアを引き取りたいと思っているのか? そこにはどんな意図があるのか。それともないのか、隠しているのか。すべてを明らかにすることで、自分自身、安心できると貴大は思っていた。


「それじゃ早速、フランソワのとこでも訪ねてみます」


「お願いします。私は私で、ミケロッティさんから話を聞いてみますね」


「あー、あいつ……大丈夫ですか?」


「もう改心されていますよ。たまに孤児院でお茶を飲むこともありますよ?」


「マジですか」


 そんな話をしながらも、貴大はハンガーにかかったジャケットを引き寄せていた。


(まずは上級区で聞き込み調査)


 調査、追跡は斥候職のお手の物。ティオール子爵の裏の裏まで暴いてみせる。


 貴大は自信に満ちた顔で笑いながら、フリーライフの事務所から出ていった。






「ティオール子爵のことですか?」


「ああ。地方領主って話だから、多分、詳しくないとは思うけれど」


「いえ、存じておりますよ。サリスさんのことですよね?」


「えっ? 知ってんの?」


「はい。同じ学園に通っていましたから」


「マジか……!」


 意気揚々と出かけた貴大。彼を待っていたのは、あまりにあっけのない幕引きだった。


(いきなり答えを引き当てた……!)


 彼としては、フランソワはあくまで窓口。彼女の伝手を頼って、件の子爵を調べようと思っていたのだが――。その窓口がよく知っているのだとのたまっている。斥候職の腕も何も、照会ひとつで済むような話であった。


「あー……それで? どういう人なの、サリスって奴は」


 王立学園のカフェ、そこで疲れたように椅子に座り、貴大はフランソワに声をかけた。そんな彼の向かいに座り、大公爵家のお嬢様はすらすらと答えてみせる。


「ティオール子爵。サリス・ド・ティオールさんは若き当主ですわね。昨年、お父様がお亡くなりになったので、二十歳という歳で爵位を継いだそうです」


「ああ、うん。そうらしいな。性格とかはどうなんだ?」


「人当たりがよく、誰からも好かれているようには見えました。先代、つまり彼のお父様は厳格な方でしたが、サリスさんは如才ない方のようでした」


「うーん、やっぱり好青年タイプか。いや、でもさ。そういう奴に限って裏があるもんじゃないのか?」


「特にそのような話は聞きませんわね。裏表のない、今どき珍しい方だと言われていました」


「うーーーーーーん。いや、でもさ。それが全部演技だったとか……」


「先生は何がおっしゃりたいのですか?」


 さすがに困惑顔のフランソワだった。


「いや、すまんすまん。実はこんなことがあってな」


「はい」


 貴大はフランソワに顔を寄せ、昨日、今日と起きた出来事を語った。


 孤児に兄がいたこと。それが貴族の青年だったこと。彼が妹を引き取りたいと言っていること。そこに裏はないのか、調査するように頼まれたこと。すべてを語り終えたところで、貴大はふっと息を吐いた。


「どうだ? お前はどう思う?」


 やはり裏があるのだろうか。問いかけるようにフランソワを見ると、


「うーーーーん……」


 先ほどの貴大のように、彼女も声を上げて考え込んでいた。


「え? や、やっぱりなんかあるのか?」


「いえ、直接的にこうとは言えませんが……」


「うん」


「貴族が庶子を迎え入れるのは、滅多にないことなので……」


「やはり、何かしらの事情があると」


「いえ、それが難しいのです。普段の私であれば、それを疑ってかかるのですが……とにかくティオール子爵はお人好しで、彼ならば無私無欲で迎え入れてもおかしくはないかと」


「は? え、いや、どんだけだよ」


「私も詳しくは知らないのですが……」


「う、うんうん」


「在学中、彼は道で轢かれている犬を助け……」


「はい」


「三日三晩寝ずの看病をして、高価な薬まで与えてその命を助けたそうです」


「はい」


「老犬だったそうですが、彼はその犬が亡くなるまで無償の愛を注いだとか」


「マジか……!」


 筋金入りのお人好しだった。表裏が存在せず、どちらも表のコインのようだ。


 演技でそこまでできる者はいないだろう。ましてや貴族、生き物の生き死にに関われば、思わず素が出るものだ。そしてそれを周囲の貴族が目聡く察し――そのうえで「裏がない」と判断されたのだ。


 サリス・ド・ティオールは好青年。貴族も認めるような彼ならば、たとえ妹が庶子でも迎えに来るはずだった。


「とはいえ、私も深い付き合いがあるわけではありませんので。世間的な評価を気にして、慈善活動に励む方も多いですからね。ティオール子爵もひょっとしたら、そうした類の輩かもしれません」


「本性は俗物かもしれないってことか」


「そうかもしれません。そうでないかもしれません。念のため、うちの者に探らせましょうか?」


「ああ、頼む。本人は俺が調べるからさ。領地での評判とか、そういったことを知らせてくれ」


「分かりました」


「すまないな。助かる」


「いえ。他ならぬ先生のためですから」


 そう言ってにっこりと微笑むフランソワ。かつては彼女も打算で動いていた。貴大を王国に取り込むため、偽りの笑顔で彼と接することもあった。


 そんな彼女も、今では貴大のことを慕っている。彼の喜びは自分の喜び。貴大の助けになれることを、彼女は本心から嬉しいことだと感じていた。


(サリスはどっちだ?)


 ニャディアに対するサリスの気持ちは、偽りなのか本心なのか。それを確かめることが、今回、貴大が受けた依頼だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ