緊迫
※字数調整のため、1話分前にずらしました。
今日は始業式だった。特に使われる予定もなかった。おまけにあのテロ、人質騒ぎだ。普段は人でにぎわう学園迷宮も、今はひっそりと、静かに運動場の脇に佇んでいた。
「……よし。誰もいないな」
ドーム状の屋根、その採光窓から室内をうかがう。どんなスキルにも反応しない。隅から隅まで見ても不審なものは見当たらない。それを確認し終えた貴大は、ドロテアが待つ建物脇へと静かに下りた。
「ここまで手が回ってないみたいです。侵入された痕跡もありませんでした」
「でしょうね。見たところ少数部隊、余計なことをする余裕はないはずよ」
「人質集めて、警備部を押さえて……見回りもさせて、手一杯ってところでしょうね。こんな見るからに関係なさそうな場所、しかも立派な鍵がかかったところになんて来ませんよ」
「……その立派な鍵を、簡単に外しているように見えるのだけど?」
「あ、ああー……ご、ご内密にということで」
焦ったように愛想笑う貴大。彼の手には一体いつ外したのか、重厚な錠前がのせられていた。
(王城にあってもおかしくないほどの鍵に見えるが)
多分、ドロテアの気のせいなのだろう。無理にもそう割り切って、彼女は貴大に声をかけた。
「さて、目的地に着いたけれど」
「ええ、まあ、はい」
「ここで何をするつもりなの? 貴方の目的はなに?」
ここは学園迷宮。言わずと知れた訓練施設だ。
こんなところに籠ったところで、いずれは賊に炙り出されてしまう。「どこにいるんだ?」「早く出て来い」「出て来なければ人質を殺す」。脅し文句が頭に浮かんでくるようで、ドロテアはもどかしそうに、貴大の案とやらの続きを待つ。
しかし彼はそれに答えず、きょろきょろと辺りをうかがうと、
「ああ、いたいた」
どこかほっとしたように、軽く片手を上げていた。
「いた、って……」
貴大の視線を追うドロテア、その目がわずかに見開かれる。
一体いつからそこにいたのか、建物の奥には、どこか見覚えのある紳士の姿があった。
「初代学園長……?」
『や、やあ、ドロテアくん。しばらくぶりだね』
果たしてそこに立っていたのは、この迷宮の主、初代学園長その人だった。
死後もこの迷宮に宿り、子どもたちの成長を見守っていた彼は――。やはりこの事態に心を乱しているのだろう。恰幅のいい中年男は、そわそわと体を揺らして青ざめていた。
『サヤマくんも元気そうで……ああ、ああ、それどころじゃない。私の学園に恐ろしい賊が、乱暴で凶暴な悪漢たちが、かわいい生徒たちを人質に取って……!』
「そのことで相談があるんですけど……」
『なんてことだーっ! こんな醜態、とても世間には公表できないぞ! 栄えある王立学園が、国内最高の学びの園が、まさか無頼の輩に占領されるだなんてーっ!!』
「いや、あの」
『ひいぃーっ! 違うんです違うんですボンパドール夫人! これは不備や怠慢ではなく、誰であっても避けられない事態でーっ!!』
「聞けよ」
ハリセン一閃、貴大は初代の頭を叩いた。
このまま放っておいても良かったのだが、今となっては彼だけが頼みの綱だ。一刻も早く「あのこと」について確認できるよう、貴大は顔を寄せて初代に迫る。
「手短に聞くぞ。いいな?」
『あっ、ああ、うん。はい!』
「この学園、というかこの迷宮に、多分あれがあるんでしょう?」
『あれ? あれというと?』
「ごにょごにょごにょ」
『むっ!? な、なぜ君がそれを!?』
「いや、昔そういうのを見たことがあって」
『ううーっ!?』
貴大が耳打ちすると、なぜか初代は驚き慌て、終いには滝のような汗をかき始めた。
余程重要なことなのだろうか。いわゆる機密に分けられるもの、部外者が知っていいことではなさそうだった。しかし、初代の反応から、あれなるものがここにあるのは確かなようで――。
迷った末に、彼はうなだれるように頭を下げた。
『分かった。認めよう。あれは確かに備わっている』
「おお!」
『だが、確実に動作するとは限らない! あれを作ってから、もう何百年も経っているのだ! その間、一度も使うことがなかったから……念には念を入れないといけない』
「というと?」
『補助的な道具を使うべきだ。具体的には中継器、これを学内各所に配置して、あれにかかる負担を和らげなければならない』
「それさえあれば、あれが使えるんです?」
『うむ。とは言っても、とても万全な状態とは言い難い。きっと回路が焼き切れて、一度の使用で全ておしゃかになってしまうだろう。二度目はなく、一度限りの勝負となってしまう』
「十分ですって。というか、二度も三度もやってる余裕がない。人質のことも考えると、一度で全部済ませなきゃいけない」
『それはそうだが……ほ、本当に大丈夫かね? 上手くいくと思うかね?』
「そのために中継器まで用意したんでしょうが。俺がこっそり置いてくるから、いざとなったら頼みますよ」
『う、うむ』
初代は汗を拭き吹きうなずくと、サッとその手を横に振るった。
すると石畳が盛り上がり、そこからいくつもの水晶玉が溢れ出した。これが先の話の「中継器」というものだろうか? 二十個、いや三十個はあるそれを、貴大はひとつ残さずアイテム欄へと収めていく。
「腹ぁくくってくださいよ。それじゃ、今から置いてきます」
『頼むよ……』
蚊の鳴くような声を洩らし、初代は染み込むように壁の中へと消えていった。
その姿を確認し、ふうと小さく息を吐いた貴大は、どこか呆けていたドロテアに向かって笑いかけた。
「なんか置いてけぼりですんません。だけど説明してる暇がないんで、俺のことも含めて、終わってから色々と説明します」
「ええ。そこで渋るほど私も愚かではないわ」
「安心しました。それじゃ、行ってきます!」
そう言うや否や、貴大の姿は音も立てずに消えていった。
いや、わずかに床を蹴る音がしただろうか。まるで瞬間移動のような俊足に、ドロテアはもう、驚くという気持ちさえも浮かんではこなかった。
(きっと私が思うよりも)
あの男は理外の存在なのだ。
その彼が解決のために動き出したのだ。きっと日が沈むよりも早く、この事件は解決してしまうのではないかと――。
なぜかドロテアの中で、確信めいたものが浮かんでいた。
「ふうっ」
張り詰めていたものが緩む感覚。間違いなく、今、ドロテアは「ほっとしている」。
答えが出たような気がしたのだ。サヤマタカヒロは悪魔か否か。サヤマタカヒロは悪人か否か。わずかな時間、共に行動しただけだったが、そこから彼女は多くのことを読み取ることができた。
(あの男は……)
決して常人ではないが、しかし、悪人、悪漢の類でもない。
身につけた超常の技、それ自体は警戒すべきものではあったが――。
(それを誰かのために役立てようとしている)
先ほどはドロテアを守った。今は生徒たちを救おうとしている。そこには純粋な気持ちがあって、王族に恩を売ろうだとか、金持ちの子どもだから助けようだとか、そういった私欲めいたものは微塵たりとも感じられなかった。
聖人と言えば言い過ぎだが、いい人と言っても過言ではないだろう。あのサヤマタカヒロという男、要塞城に忍び込んだのにも理由があると言っていた。それをドロテアは理解できないとも言っていたが、それでも彼女はその話を、是非聞いてみたいという気持ちになって、
「へえ、こんなところにいたんだ」
「っ!?」
背筋がゾッと震える感覚。ドロテアは反射的に剣を抜き、振り向きざまに斬りかかった。
「はああっ!!」
斜め下へと振り下ろす斬撃、それは謎の人影へと吸い込まれていき――。
(……斬った!)
肉を切り裂く確かな感触。あの虚ろで暗い声の主は、血を噴き出してどうと倒れ、
「はは」
乾いた笑いが広間に響いた。
学園迷宮入口に、ひょろりとしたシルエットの男が立っている。
(……馬鹿なっ!?)
あれは先ほど切り伏せた男のはずだ。致命傷ではないにしろ、そう浅くない傷を彼はその身に受けたはずだ。なのに男は「何事もなかったかのように」へらへらと笑うと、その人差し指で自分の体をなぞり上げた。
「いいよなあ。はは。やっぱり材質からして違うんだろうな」
「何を……」
「高級品って感じがするよ」
ドロテアの剣、その感触を思い出すかのように、男はにんまりと口元を歪めた。
その表情、一見どこにでもいそうな男の顔に、ドロテアは底知れない恐怖と怖気を感じてしまう。この男は危険だ。この男は危険だ。彼女の本能が警鐘を鳴らして騒ぎ始める。
「そう。貴方が《アンダー・ザ・ローズ》の頭目なのね」
「へえ? よく分かったね」
「言われずとも分かるわ。貴方が『そういった類』の男だということは……!」
先ほどの賊とは比較にもならない、彼から感じる悪意と闇。
そばにいるだけで息が詰まりそうだ。心なしか建物の中が暗く感じる。足元から影が忍び寄ってくるようで、ドロテアはじりじりと後ずさりをする。
しかし男、《アンダー・ザ・ローズ》の頭目だけは、この中で自由に振る舞ってみせるのだ。彼はふらりふらりと辺りを歩くと、感心したようにくっとアゴを上へと向けた。
「ふうん、この中ってこうなっていたんだなあ。下見に来たことはあったけどさ。さすがにここには立ち寄れなかったんだよね」
「…………」
「はは。いや、まあ、独り言みたいなものなんだけどさ。無言で返されると、さすがの俺でも傷つくなあ」
「…………」
「そうにらんでばっかいないでさ。はは。あんた、帝国のお姫様なんだろう? 仲間の奴らは興味なさそうだったけどさ。俺はあんたに会いたかったんだよ」
「……私が狙いだったというの?」
「いや、そんな大げさに構えなくてもさ。大丈夫。何もしやしないって」
そう言ってひらひらと手を振るが、ドロテアは彼の言葉の一切が信用できなかった。
この男には真がない。全てが見せかけ、偽りのものだ。まるで虚飾の塊のようだとも思う。自分が見ているものは実体か幻か、それさえドロテアには分からなかった。
しかし、そんな彼女にもたったひとつだけ分かることがある。この男は敵だ。紛れもない悪だ。きっと彼もそう判断したのだろう。音もなく現れた彼は、男に背後から飛びかかっていき、そして鋭利なナイフで男の胸を貫いた。
今度こそ致命傷だ。助けを呼ぶ暇もなく、男は血の泡を噴いて絶命する。そのはずだ。「普通なら」そうなるはずだ。なのに男は「はは」と笑うと、刺さったナイフを引き抜いて、お返しとばかりに彼の胸へと突き刺した。
『馬鹿、な……!?』
カッと目を見開いて、初代学園長は再び姿を消してしまった。
彼はすでに霊体の身だ。この迷宮と一体化した主でもある。胸を刺された程度で死にはしないが、ならばなぜ煙のように消え失せたのか。そもそもナイフが霊体に刺さるのか? あの男の傷はどうなったのだろう? 致命傷だったはずだ。死んでなければおかしいはずだ。なのにあの男は縺セ縺?逕溘″縺ヲ縺?。生きて???C?Ȋ?ŏ??Ă???。
何かがおかしい。そして何がおかしいのかを、ドロテアはまだつかめずにいる。
「くっ……!」
いつの間にここまで下がっていたのか、彼女は背が壁に付くのを感じた。
入口にはあの男が立っている。へらへらと締まりのない表情を浮かべている。それがたまらなく恐ろしく、ドロテアは迷宮の奥へと駆け出しそうになってしまった。
しかし、寸でのところで踏みとどまる。この状態がいいのだ。このままの姿勢でいればいい。下手に逃げ出してしまえば、その分、彼が手間取ってしまう。目の前の男のように、どこか神がかった力を持つ男。彼ならすぐに戻ってこられる。彼ならすぐに戻ってきてくれる。それを信じて待つことが、今のドロテアにできる精いっぱいの抵抗だった。
ただ、それが正しいのか間違っているのかさえも、今のドロテアには分からなかった。男がゆらゆらと近づいてくる。暗闇が段々と辺りを包み込んでいく。その度に頭が痺れ、彼女は訳も分からず叫び出しそうになってしまった。
(私は今、正しいことを考えているの?)
それとも誤った判断をしたのだろうか。
必死になって考える。相手の目的、次の一手、痺れる頭で考え続ける。
(抵抗。逃亡。交渉。不意打ち。確率的には どれが 効果のほどは いけな 思考 止めては )
頭の中を小さな虫が食い散らかしていく。
そんなおぞましい感覚に、ドロテアの総身はとうとう震え出していた。体から力が抜けていき、頼りの剣は今にも取り落としてしまいそうだった。
壁際に追い詰められ、身をすくめて、顔を白いほどに青ざめさせている少女。それを見て男は、嬉しそうな顔でこう言うのだ。
「やっぱりお姫様はいいなあ」
「はは」
「手折るって言うのかな? その細い体を抱き寄せてさ」
「たくさん泣かせて、殺してあげたいなあ」
「~~~~~~~~~~っ!!」
今度こそ限界だった。あの幼い日に味わった恐怖、それ以上のものがドロテアの体を包み込んでいく。
この男は人間じゃない。この男こそが本当の悪魔だったのだ。自分はずっと見誤っていた。あの夜よりも深い闇を、これまで知らずに生きてきたのだ。
これが恐怖、これが悪意。粘りつくような視線の主は、今や手が届くところまで近づいてきていた。すぐにも首を絞められるのか。殴り倒され蹴られるのか。そのうえで凌辱されて、「その痕跡が分かるような」死体となって晒されるのか。
嫌だ。嫌だ。どれも嫌だ!!
死にたくない、汚されたくない、母国に迷惑をかけたくない。この男の近くにいたくない。もっと明るい場所にいたい。
だから、だから助けて欲しい。この悪魔の手の内から、どうか私を救ってほしい。それができる人、あの男の顔を浮かべながら、ドロテアは必死の思いでか細い声を振り絞った。
「助けて……!」
果たしてそれは届いたのだろうか。
もしかすると暗闇に消え、誰の耳にも届かなかったのかもしれない。
しかし、それでも来るのがあの男であり――。サヤマタカヒロは矢よりも速く、広がる闇を切り裂いていった。
「てめええぇぇぇっ!! そっから離れろ!!」
「…………!」
初めて男の顔から余裕が消えた。
ドロテアに触れる寸前、伸ばしていた手をぴたりと止めて、すぐにもサッとその場を離れる。
「早かったね。さすが《フリーライフ》の斥候さんだ」
「知ったような口を利いてんじゃねえぞ! いいから離れろ!」
「はいはい。そうするよ」
お互いナイフを構えつつ、じりじりと距離を取っていくふたり。貴大はドロテアを背中に隠し、男の視線からも彼女を守ろうと動いていた。
「過保護だねえ。先生になると保護欲とか湧いてくるの?」
「黙れよ。今度はもう逃がさねえぞ。あの粉も使えると思うな」
「ああ、やっぱり警戒してた? はは。まあ、そうだろうね。前に会った時は頭からかぶってさ。全身痺れてひっくり返っちゃったもんね」
握った手をパッと開く男。そこには小瓶が隠されていて、その中には純白に見える、小麦粉にも似た細かな粉が詰め込まれていた。
「俺はこれを撒くだけでいい。逃亡用の煙幕にも使えるかな? 仮にあんたが痺れてしまえば、俺はすかさずのどを突くね」
「…………」
「はは。先生の方もだんまりか。沈黙は金って授業で教えてるんだろうな」
軽口を叩くほどに、男は調子を取り戻していくようだった。
逆に貴大は渋い顔で、男が振っている小瓶の中身を警戒している。
「あれが……何だというの? あの粉が何か?」
「少しでも触れたら動けなくなる。多分、新種の状態異常か何かだ」
「まさか、あれが貴方の言っていた?」
「ああ。例の粉だ」
敬語も忘れて話し合い、貴大はあの粉についてドロテアに伝える。
一方のドロテアも伝えるべきことがあった。先ほどの不可思議な現象についてだ。
「私は数分前、あの男を斬ったわ」
「ええっ?」
「確かに斬った。感触もあった。だけどあの男は生きている」
「傷が、ない」
「ええ。初代学園長にも胸を貫かれていたわ。なのにどうしてかその跡がないの」
「その学園長は?」
「返り討ちにあって姿を消したの。おそらく、無事だとは思うけれど」
彼は霊魂となって学園迷宮に宿った男だ。
ただ刺されただけ、ただ斬られただけでは、とても消滅するものとは思えない。
しかしドロテアは自信がなかった。あの男の周囲では、まるで現実が歪んでしまうかのようだ。常識が非常識となり、非常識は常識へと変えられる。もしかしてという思いと共に、再び彼女の中で不安の影が広がっていった。
「姫さん、そのまま剣を構えてろ。警戒だけは怠るなよ」
「ええ……!」
ぼそぼそと言葉を交わし、男を警戒し続ける貴大とドロテア。
それを男は面白そうに、にやにやと笑いながら眺めていたが、不意に小瓶をポケットにしまい、ふうっと息をついてへらりと笑った。
「いや、まあ、そろそろいいかな?」
「なに?」
「このままにらめっこしててもいいんだけどさ。お互い、このあとの予定ってやつがあるだろ? だから、もういいかなって」
「だから、なんだ!」
「俺の正体さ」
「正体?」
「そう、正体。俺はさ、こう見えて人間じゃないんだよね」
男は軽く「はは」と笑うと。
誰にも言わなかったこと。自分の正体について、初めて貴大たちに打ち明けた。
「俺は悪神M.Cだ」
「なっ……!?」
驚く貴大。すくむドロテア。その中でひとり、男だけがにやにやと面白そうに笑っていた。




