暗躍
電撃的な作戦だった。
業者に扮して学内に潜入、主要な生徒を人質に取り、わずか五分で王立学園を占拠する。あらかじめ見取り図を手に入れていたのだろう。今や警備員までもが武装を解かれ、教職員と共に講堂の中へと放り込まれていた。
(完全に意表を突かれたな)
こんなことは起こらない。犯罪者は上級区に来られない。学園が襲撃されるはずがない。貴族の子弟が人質に取られるはずがない。
常識的に考えれば、これは「あり得ないこと」の類だった。起こり得るはずがない、実現し得るはずがない、おとぎ話のような戯言の類。しかし現実にテロリストが現れて、王立学園は完全に占拠されてしまった。笑うに笑えないこの状況に、貴大は思わず奥歯を噛み締める。
(狙いはお仲間の解放か? それとも相応の身代金か?)
あるいはそのどちらもか。王侯貴族、有力な商人の子どもを人質に取ったのだ。実現可能な範囲であれば、親たちはどんな願いだって聞き入れるはずだ。先の事件で捕まったメンバーの解放、目も眩まんばかりの金銀財宝、貴重なアイテム、逃亡用の飛竜、果ては王家の秘宝まで。
子どもたちはそのための引換券だ。それだけの価値が彼らにはあり、それゆえに彼らは傷ひとつなく丁重に扱われていた。
しかし、それも犯人たちの気持ち次第、先方の出方次第だろう。三十余名の精鋭揃い、「カッとなって」生徒を殺すような輩は見当たらないが――。
見せしめとして指の一本、目玉のひとつ、平気で傷つけるような冷徹さは感じられた。
交渉が長引けば、そして目的が果たされなければ、見せしめとして生徒を殺すことも考えられる。そうなる前に動きたかったが、迂闊な動きをすることも躊躇われた。
(まだ情報収集の段階だな)
不確定要素をひとつひとつ潰していく。自分が動くとしたらそれからだ。貴大はそう結論づけて、旧校舎裏、物陰に隠れていたドロテアに声をかけようとしたのだが、
「なーんで俺が剣を向けられているんですかねぇ?」
「ふーっ! ふーっ!」
両手でしっかと剣の柄を握りしめ、その先を貴大の心臓辺りに向けているドロテア。
威嚇する猫、いや、虎のようだ。下手に動けば間違いなく刺す。それだけの覚悟と危険性を、貴大は今のドロテアから感じ取っていた。
「って、いやいやいや、なんでですか」
「近づかないで! この悪魔!」
「ええ……」
「これが狙いだったのね!? なんて狡猾な……!」
(う~む)
なぜか警戒されていて、なぜか偏見を持たれているとは思っていた。
その謎は先ほどのやり取りで明らかになったが、だからと言って事態が好転したわけでもない。むしろその逆、タイミングが悪すぎる襲撃のせいで、どうも彼女は貴大がこの件の首謀者だと考えているようで――。
「さぞ気分がいいでしょうね。お仲間は見事、生徒たちを人質に取ったわ」
「まさか、俺の手引きで忍び込んだんだと思ってます?」
「違うと言うの? 白々しい……!」
「ほんとに違うんですけどね」
貴大の経験上、こうなった相手には何を言っても無駄だった。
この場で説得することは不可能だろう。かと言って、そのまま放っておいていいものでもない。連れていくか先に逃がすか、手早くプランをまとめようとしたところで――。
「えっ……」
突然、貴大がドロテアに飛びかかった。
唖然とする彼女を羽交い絞めにし、口を塞いで茂みの中へと引きずり込んでいく。その予想外の行動に、そして想像以上の力強さに、ドロテアは思わず固まってしまう。それでも彼女は必死の抵抗をしようと、強張る体に喝を入れようとして、
(しっ!)
耳元で聞こえた鋭い声に、再びその動きを止めるのだった。
(何を……?)
貴大は真剣な表情を見せていた。それを横目でうかがいながら、その真剣さが自分には向いていないことをドロテアは理解した。
では誰に向けているのか? どこへ向けているのか? その答えを知ろうと、ドロテアが貴大の視線を追ったところで――。
「……!!」
旧校舎の角、庭園の方から、胡乱げな目つきの男が顔を出した。
おそらくあれが《アンダー・ザ・ローズ》の構成員なのだろう。誰何の声もなくやってきた男は、どこか幽霊めいた存在感のなさで、しかし目だけをしっかと辺りに光らせていた。
黒く濁った油のような、無機質で底知れない魔物のような瞳。それがドロテアの方を向く度に、彼女は心臓が鷲掴みにされるような気持ちがした。
しかし、それも長くは続かず、構成員はくるりと踵を返したかと思うと、
「ああ。異常はない。人の気配もなかった」
そう誰かに【コール】で伝え、足元も立てずに去っていった。
それでも貴大は茂みから出ず、ドロテアも石像のように固まったままで、一分、二分と時間が流れるままにして――。
「……よし」
最後に短くつぶやくと、ようやく元の位置へと戻っていった。
「ふ~、ちょい焦りましたね。向こうも結構優秀な斥候職みたいですよ」
そう言って朗らかに笑う貴大。その顔を見ながら、ドロテアは躊躇いがちに口を開く。
「まさか、私を守ったというの……?」
「え? いや、そうなるんですかね」
「仲間なのでは……?」
「だから違いますって。あいつらとは無関係です」
「でも、我が国の王城には忍び込んだ……」
「そりゃそうですけども!」
結局のところ、ふたりの関係はその話に行き着くのだ。その結び目を解かなければ、どんな話も歪んだ形で受け止められてしまうのだろう。貴大としてもそこは正しておきたいところだったが――。
あいにくと今は時間がない。急転直下の学園占拠、何かが手遅れになってからでは遅いのだ。
だから貴大は荒療治だが――自分の秘密を明かすような形になるが――ドロテアと約束をして、彼女との問題は先送りすることにした。
「とにかく、今回の件と俺は無関係です! むしろ解決したいと思っている側です!」
「だけど……」
「昔のことは謝りますし、これが終わったら全部きちんと話します! 多分、理解できないような内容でしょうけど、知ってる限りのことを話しますから!」
「……分かったわ」
ドロテアは元々聡明な少女だ。自分の中に疑念とわだかまりがあるとはいえ、今は問答をしている場合ではないと分かってはいた。
それでも貴大を疑ってかかったのは、「彼が悪漢の仲間ではない」という確たる証拠がなかったからなのだが――。先ほどの彼の行動で、その疑念を一応は晴らすことができた。
(もしも本当に仲間であるなら、今ごろ私も虜囚の身であるはず)
隠れるまでもなく突き出され、人質のひとりとして教室のすみに転がされていたはずだ。そうでないというのなら、彼は信用できる人物ということになるが、
(……いえ)
「だが」や「しかし」ではないのだ。どうしてもつきまとう疑念を捨てて、ドロテアは改めて貴大に向かい合う。
サヤマタカヒロ。黒髪の悪魔。バルトロアが誇る要塞城に忍び込み、最強騎士からも見事逃げおおせてみせる実力の持ち主。たとえ彼が本物の悪魔でも、利害が一致するなら手を取ることに躊躇いはない。
(イースィンドにこれ以上の混乱はいらない)
まだ「侵攻未遂」の件も片付いてはいないのだ。交渉する相手、話をする相手は、出来得る限り正常な状態が望ましい。
かつては疑心暗鬼の末に戦火を交えたこともあると聞く。政情が不安定となり、なし崩しのように争いが起こったということも。そうした戦史が他人事のようには思えず、ドロテアは同じ轍を踏まないため、今この時は私情を捨て去ることにした。
(この国ではない。あくまで母国バルトロアのために……!)
まずはこのふざけた騒ぎに終止符を打とう。
ドロテアは決意を込めた目で、小さく貴大にうなずいてみせた。
王立グランフェリア学園。言わずと知れた名門校には、それ相応の防犯システムが備わっている。
大魔法さえ弾く結界。不審者を捕らえ痺れさせる罠。各所を見張る水晶の目。緊急時に動き出す頑強なゴーレムたち。その全てが支配下に置かれ、今や学園は要塞じみた性能を持ちつつある。警備員たちは必死の抵抗を見せているのだろう。しかし人質という盾は何よりも強く、彼らはひとつ、またひとつと、学園に備わった機能を開放しつつあった。
(高度な仕掛けがあるようだけど)
奇襲を受けただけで沈黙、逆に悪用されているのだから世話がない。
おそらくは「襲撃されること」を想定していなかったのだろう。防犯のために様々な仕掛けを施しながら、それが実際に働く場面を考えてはいなかったのだ。今回はその油断を突かれた形になってしまったが、それを成した《アンダー・ザ・ローズ》の手腕も見事と言えるものだった。
(気を抜いてはいけない。少なくとも、この窮地を脱するまでは)
校舎の陰に身を隠しながら、ドロテアは一層注意深く、辺りの気配を探るのだった。
「ところで、貴方」
「ん?」
「先ほどから何をしているの? こんなところで足を止めて」
確かに奇妙な行動だった。こそこそ移動したかと思うと、突然しゃがみ込み、校舎の壁に何度も手を這わせている。隠し通路でもあるのだろうか? ドロテアはいぶかしげにのぞき込むと、すぐにギョッとして思わず身をのけぞらせた。
「ちょっと、貴方、それ……!」
煉瓦の壁がわずかにズレて、そこから魔術的な装置がのぞいていた。間違いない、防犯システムの一部だ。一介の講師には知らされるはずもない、この学園の秘密のひとつを、彼はいともたやすく見つけ出してしまっている。
それだけではない。彼は装置に指を突き入れ、中のパーツを入れ替えているではないか。そんなことをすれば、通常、けたたましい警報が鳴り響くはずなのだが――。一向にその気配はなく、貴大は何事もなかったかのように防犯システムの蓋を閉じた。
「よし、これでこの辺りは大丈夫ですよ」
「大丈夫って……!」
「警報は鳴らないし、映像も誤魔化せるってことです。簡単には気づかれないですよ」
「ええ……!?」
当たり前のように語っているが、それが不可能であることをドロテアはよく知っていた。
(警報を止めた? 映像を誤魔化した? そんなことって……!)
専門職でも出来ないことだ。名門校に配備されるほどの防犯システム、それは王城に備わるものと同じと見て間違いないだろう。
それを指先ひとつ、小手先ひとつで操作してしまうなど――。
(……いや)
前例はある。この男、母国の要塞城に忍び込んだ男だ。
あの時も防犯システムは役に立たなかった。古典的なものから最新鋭のものまで、その一切が無効化されてしまったのだ。あの時は「一体どうやったのか」と、大人たちが困惑顔で話し込んでいたが――。
(まさか素手だなんて)
魔法の杖も悪魔のマントも必要ない。
身につけた技のみで、彼は王族の寝所にも「気軽に立ち寄れる」人物だった。
(あまりに危険だけど……)
今はその技が頼もしい。状況は未だ予断を許さないが、その中にあって非常に頼もしい要素であった。
「だけどどうするの? それだけでは決め手に欠けるわ」
「そう、ですね。防犯システムを全部誤魔化して、騎士団の人らに突入してもらうことも考えたんですけど……」
「敷地を覆う結界が見えるでしょう? あれを破壊すればけたたましいほどの音が響くの」
「そうなんですよねえ。それで犯人を刺激したら元も子もありませんし……」
「かと言って私たちだけでは手が足りない。貴方も実力者なのでしょうけど、こうも分散されていては、一網打尽などとても望めないわ」
「向こうもプロですから。一網打尽なんて許さないし、定時連絡が途絶えたとか何とかでも、多分、人質が何人か殺されます」
「う~ん……」
やはり「人の盾」が最大のネックなのだ。
それさえなければあの程度の賊、今ごろ床を這いつくばっているだろう。それを十分承知したうえで、《アンダー・ザ・ローズ》の構成員たちは、人質という盾を最大限に活用することができていた。
「駄目。やはり【コール】も通じないわ」
「【ジャミング】がかかってるんですよ。通信機を使わないと無理です」
敵には無敵の盾がある。敵には自由に振る舞う権利がある。
それに比べれば貴大など、少し小器用なネズミかモグラ程度でしかない。まともに立ち向かっても相手にならず、ただ「人の盾」がふたり分増えてしまうだけだ。
「それに、あの粉……」
「え?」
「いや、あいつらって妙な状態異常を使うんですよ。状態異常というか何というか、白い粉を振りかけられたら、全身痺れて動けなくなって」
「それは【麻痺】とは違うの?」
「まったく別物でしたね。耐性や無効化も貫通してくる感じでした」
「厄介ね……」
思わず歯噛みするドロテア。
突破口があるようでない。答えが見えそうで見つからない。もやもやした気持ちのところに、未知の状態異常の話ときた。
(もしかすると)
今回の件、彼女が思った以上にこじれるのかもしれない。
最悪の更に下、混迷、破局、恐ろしい未来に繋がるのかもしれない。
それを覚悟すべきだろうか。いや、覚悟しなければならないのだ。歴史に残るような惨事、それさえドロテアは想像し、それでも最善を尽くそうとしたが――。
「こうなったらあれしかないな」
ぽつりと貴大がつぶやいた。
あれ? あれとは一体なんだろうか。問うような視線をドロテアが投げかけると、貴大はそれに答えず、彼女の背中をそっと押した。
「少し移動しますよ」
「どこへ?」
「この件がどうにかなりそうなところです」
「もしかして、まだ奥の手が残っているの?」
「いや、まあ、説明を受けたわけじゃないんですけどね。多分あるかなっていうか、ないとおかしいなっていうか、なけりゃ作らしゃいいっていうか」
「はっきりしないわね。どこへ向かうの?」
「姫様も馴染みのところですよ」
前方を指し示す貴大。彼が指す先には、ドーム状の屋根の建物が、運動場の脇にぽつんと立っているのが見える。
「あれは……」
「ええ。学園迷宮です」
そう言って笑うと、貴大は【インビジブル】のスキルを発動した。




