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ゲイリーの悩み相談

 最近、物思いに耽ることが多くなってしまった。


 放牧の合間、水浴びの時間、そんな時にふっと意識が脇に逸れてしまう。


 それも仕方のないことだと思う。あまりに多くのことが起こり過ぎたのだ。


 弟が生きていて、悪神の眷属と化してることを知った。私は〈神聖戦士〉となってこれと戦い、決着は勇者にすべて持っていかれた。そして我らベイン一族は悪神の呪縛から解放されて――これからどうするかを話し合っている矢先に、十字軍が結成され、そして三日で滅んだ。


 またも勇者が大鉈を振るったようだ。その圧倒的な力を以って、法王に天誅を下したという。


 大陸に戦乱が巻き起こるかと思いきや、そうでもなかったわけだ。それは良いことであり、疑いようもなく正しいことのはずなのだが――。


 私は何やら、もやもやとした気持ちを晴らせずにいた。


「兄さん、どうしたの?」


「ケツ」


 丘の上で黄昏ていると、そっと隣に座る者がいた。


 ケツ。ケツ・ベイン。優秀な〈聖戦士〉にして、私のたったひとりの弟だ。


「このところ、考え事が多くなったね」


 ケツに言われるまでもない。私もそれを自覚していた。


「いや、なに。少しな。人生について考えていたんだ」


「人生について?」


「そうだ。私たちはなぜ生きているのか。この生に意味はあるのか。そういった下らないことばかりを考えているんだ」


「兄さん……」


 ケツが不安そうな目で私を見てくる。


 それも当然だ。身内がこのようなことを言い出せば、私でさえこのような目をするだろう。


 しかし、心配することはない。私は鬱屈しているのではなく、ただ考え込んでいるだけだ。考えて、考えて、考え続けて――。


 それでも出ない答えに、ただ惑わされているだけなんだ。


「なあ、ケツ」


「……なに、兄さん?」


「私とこの者らに差はあるのだろうか?」


「蟻のこと?」


「そうだ。上位者によって翻弄される、小さく非力な虫けら。きっと私も勇者や神から見れば……」


「違う! 違うよ! 兄さんはそんなにちっぽけな存在じゃない!」


「ケツ」


「あの勇者が余計なことをしただけなんだ! あの時、横やりが入らなければ、きっと兄さんにも同じことができていた!」


 激昂したケツは、毛先が赤く染まっていた。


 悪神の力がまだ残っているのだ。抜け切らない呪いが、今も弟の体を蝕んでいる。


「そう興奮するな。体に障る」


「だけど……!」


 立ち上がったケツをそっと座らせ、私はまた前を向いた。


 早春の放牧地、芽吹いたクローバーを羊たちが食んでいる。


 のどかな景色だ。そこに怒りの赤は似合わない。私は穏やかな心で、荒ぶるケツをなだめていく。


「お前が怒ることはないんだ。結果的に見れば、きっとあれでよかったんだろう。少なくとも、兄弟で殺し合うような事態は避けられた」


「兄さん……」


「喜ぼう、ケツ。この平和を。ようやく訪れた穏やかな時間を……」


 そうは言いながら、私の心が晴れることはなかった。


 それが顔に出てしまっているのだろう。弟は何か言いたそうにして――。


 結局、何も言えずにうつむく。


 そんなケツに、私もかける言葉を見つけられなくて――。


「やあやあ、ご兄弟。しばらくぶりだな」


「……?」


 誰だろう。場にそぐわぬ明るい声に、私たちふたりが振り返ると、


「あっ!? し、司祭さま!」


「聖ロガン様……!」


「おう~」


 そこにいたのは「解毒の聖人」、聖ロガン様だった。


 たくましい体に人懐っこい笑顔。浅いしわにそり上げた頭。またお一人で旅をされていたのだろう。背中のリュックには雑多なものが詰まっていて、革の靴は先端までがすり減っているように見えた。


「ふうっ、よっこいしょ」


「わっ、わわっ……!?」


「こーら、こら。取って食ったりはせんぞぉ?」


「え、えと、その」


 慌てて逃げようとしたケツを捕まえ、強引に隣に座らせるロガン師。


 ケツはいかにも居心地悪そうだが、私としては彼の来訪は嬉しい限りだ。


「いつこちらの地方へ?」


「先週着いたばかりだなぁ。南の方をぐるっと回ってきたんだ」


「だとすると、南方大陸へも?」


「おーう。行ってきた、行ってきた」


 焼けた肌、白い歯が、何とも言えず似合うお方だ。


 明るく笑うロガン師は、まだ戸惑っているケツの方を向き、ポーチの中から指輪を取り出して渡した。


「え、えっと? これは?」


「お土産だなぁ。南方の呪物だそうだ」


「ええええ……!?」


「なぁに、呪いで呪いを封じる代物だ。お前さんには、いいだろう」


 そこまで言って、ロガン師は水筒の水をグイっと煽った。


 いや、これは酒か? ほのかに香る酒精の匂いに、私は口元が緩んでくるのを感じた。


「ご存知だったのですね」


「ご存知も何も、聖職者界隈では有名な話だからなぁ。弟君が悪神の眷属になって、君が〈神聖戦士〉に覚醒して、そしてベインの一族が呪いから解放されたこと」


「要するに、すべて?」


「そぉう、すべて、すべて。よかったじゃないか」


「は、はひ」


 ロガン師に話しかけられたケツは、顔を真っ青にしてしまっていた。


 無理もない。悪神の眷属になったこと、相当気に病んでいたからな。


「ロガン様は責められないのですね」


「弟君のこと?」


「はい。てっきり、その件で立ち寄ったのかと」


「なぁに、なに。うちも相当、やらかしているからなぁ」


「……法王のことですか」


「そぉう」


 ロガン師はまたグイっと酒をあおった。


 明るいようで、その横顔はどこか真剣みを帯びている。


「アロウドマティス様はなぁ。我慢ができなかったんだなぁ」


「我慢?」


「世間に対する我慢さ。力があるのに評価されない! 先人のせいで窮屈な思いをしている! まさに弟君が感じていたようなことを、あのお方も感じていたんだねぇ」


「法王さまも……?」


 ケツが意外そうな目でロガン師を見た。


 そしてロガン師は、その視線を受け止めてゆっくりとうなずく。


「あぁ。法王とはいえ、アロウドマティス様もただの人間。聖職者の頂点に立っても……いや、立ったからこそ、力に溺れてしまったんだなぁ」


「ボクが言えたことじゃありませんけど……神の教えとやらはどこに行ったんですか?」


「あの方は力を神と崇めたのさぁ。力の中に神を見出し、思うがままに力を振るうことこそ、正しき聖職者の姿だと思った」


「だから十字軍を作った」


「そういうことだろうなぁ」


 ロガン師は穏やかに微笑んだ。


 苦悩や後悔といったものは超越した表情だ。これから先、聖職者は苦しい立場に置かれるというのに、それも甘んじて受け止める覚悟がひしひしと伝わってくる。


 でも、だからこそ、私は大きな疑問を抱いた。


 なぜ世の中はこのようにできているのか? それが不思議でならなかった。


「神とは……」


「んん~?」


「神とは、いったい何なのでしょうか?」


「…………」


「呪われた一族から〈神聖戦士〉が現れる。法王が邪心を抱いて世界征服に乗り出す。貴方は民草のために大陸各地を放浪する。聖都の俗物どもは今も保身に走っている」


「…………」


「もしも神がおられるとすれば、なぜ私たちはこうなのでしょうか?」


「兄さん……」


 それがずっと考えてきたことの正体だった。


 そうだ、私はそれが知りたかった。神はどうして人間を作ったのか? 神はどうして人間の愚かさを許すのか? なぜ私を〈神聖戦士〉に目覚めさせた? なぜアロウドマティスを法王に選んだ? すべては気まぐれなのか? 私たちは神に弄ばれるだけの駒に過ぎないのか?


 それを、ただそれだけを――。


 私はずっと、知りたかった。


「ゲイリー君」


「…………」


「ゲイリー君は、真面目なんだねぇ」


「ロガン様……!」


「ああ、いや。君をからかったんじゃない。感心したんだ」


「感心?」


「ああ、そうとも。神について考えること。これがなかなか、できるようでできないんだなぁ」


 ロガン師は懐から紙巻きたばこを取り出した。


 そしてそれに火をつけて、少し吸ってから紫煙を吐く。


「神とはね」


「……?」


「神とは祈る心なんだと、私は思うけどねぇ」


「祈る心?」


「ああ、そうとも。姿は見えない。声も聞こえない。だけどこの世に神はいる。そう信じ、祈る心こそ尊いんじゃないかって」


「神とは力ではなく、祈りの中に宿るものだと?」


「そうともさぁ。スキル神インフォ様じゃない。聖杯神ガ・チャーポ様でもない。そういった具体的な形ではなく、何かに祈ったとき、その心の先にあるものが神。そういうことじゃないかと、私は思うんだけどねぇ」


 つまり、神とは実在するようで実在しないものなのだ。


 私たちを翻弄するような神はいない。私たちを弄ぶような神もいない。


 ただ、祈る心の中には、温かくて尊い何かがある。ロガン師はそのことについて言っているんだ。


「もちろん、聖典には我らが神の名前もあるけどねぇ」


「……そういうことではないのですよね」


「ああ、そうさぁ。神はいるけどいない。それが私の持論なんだぁ」


 そう言って、呵々と笑うロガン師。


 その顔を見ていると、私は何だか肩の荷が下りたような気がしてくる。


(そうか、そうだったのか)


 すべては人間のしたことだったのだ。


 自分の弱さに負けたのも人間。自分自身に打ち克ったのも人間。


 この世は突拍子もないようで、実は因果関係で繋がっているんだ。あの勇者でさえ、フン爺が呼ばなければあの場所には来なかった。


(無意味なことでは……ないのだな)


 すべての運命は決まっているのと思い込んでいた。


 私が何をしても、それはすべて決められていて――。


 たとえそうでなくとも、私はこの世に影響力など持たない。そう思い込んでしまっていたが、実はそうではなかったのだ。


(私は自分の足で歩いている。操り糸など、腕にも足にもついていない)


 これまでの足跡も残っているし、これからの人生も自分の手で変えていける。


 たとえ大きな嵐に巻き込まれても、それに抗う術さえ持っているのだ。これで人生に意味などあるのか、人生とは何なのかと考えていたなど――。


 まったく、我ながら愚かしいことだった。


「神はいるけどいない。まったくその通りですね」


 私は久しぶりに笑ってみせた。


 それを受けて、ロガン師やケツも微笑んでくれた。


 心はとても晴れやかだった。目には見えない神こそ神。それに気づかされた私は、既存の意識からも解放されて――。


「え~、やだぁ~。ちゃんといますよぅ、ぷんぷん!」


「「「…………」」」


「これからも応援頼みますよ? それじゃ、はれるや~☆」


「「「…………………………………………」」」


 いま――。


 なにか――。


 女神様? 的なものが――。


 いきなり現れて、いきなり消えたような――?


「ゲイリー君」


「は、はい」


「夕焼けが綺麗だねぇ」


 ロガン師は遠い目で夕焼け空を見ていた。


 もうすぐ日が暮れる。遠くでは子羊たちの鳴き声が聞こえていた。


 でも、私たちは――。


 私たち三人はいつまでも動けず、ただ茫然と山の稜線を見つめていた。

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