次世代勇者の福利厚生
強くなければならない。強くあらねばならない。
この弱肉強食の世界において、弱いというのは一つの罪だ。
いくら愛と平和を謳ったところで、力がなければどうしようもない。降りかかる火の粉を払えなければ、穏やかな暮らしも、大切な人たちも、何もかもが零れ落ちていってしまう。
現に僕がそうだった。あまりに若く、あまりに弱かった僕は、結果としてすべてを失ってしまった。
滅多にないことではあった。山から魔物が下りてきて、暇潰しのように村人を殺して回るだなんて、僕はそれまでに考えたこともなかった。
だけど現実は残酷なもので、力の足りなかった村人たちは、遊び半分のように皆殺しにされてしまった。両親の頭は砕かれ、妹はおもちゃのように振り回され、隣のおじさんは両腕をもがれて木にくくられて――そして僕は、藁の山の中で、ただただ震えていることしか出来なかった。
(あれから五年、か)
廃村となった生まれ故郷で、ひとり目を閉じ、亡き人たちを想う。
あれから五年。そう、あれから五年も経ったんだ。
その間、僕はひとりで生きてきた。あの猿のような魔物に復讐を誓い、そのためだけに自分をいじめて生きてきた。
毎日、毎日、体を鍛え、毎日、毎日、魔物と戦う。冒険者ギルドにも加入せず、父さんに教わった〈狩人〉の流儀で、山籠もりのような生活を続けて――。
その果てに仇を討てたのは、とても喜ばしいことだった。そのためだけに今の今まで生き続けてきたんだ。みんなもきっと、天国で喜んでくれていると思う。
だけど、
(虚しい)
僕の心は空っぽのままだった。
こんなことをしても何も戻ってこない。仇を討ったところで、みんなが帰ってくるわけじゃないんだ。
むしろ人生の目的を失って、僕はこの先、どうすればいいのか分からなくなった。街に行こう、冒険者にでもなろうと考えたけれど――。
結局、僕は故郷から出られずにいた。
今後のことなんて、まるで浮かんでこなかった。
だからだろう。突然の申し出をすんなり受け入れられて、それをむしろ「ありがたい」だなんて思ってしまったのは。
「少年よ、もういいのですか?」
「はい。お別れは済みました」
最後の墓に花を添えて、僕は振り返って言った。
そこに立っていたのは、ほのかに光る女神様。数日前、僕の前に現れて、僕に勇者にならないかと言ってくれた人だ。
なんでも彼女は、次代の勇者を探しているらしい。今の勇者が引退するそうで、代わりを務められる人材に声をかけているのだとか。
僕が首を縦に振れば、すぐにも勇者の力が授けられるらしい。これまで僕が身につけてきた力とは根本的に違う。一太刀で龍さえ葬れる力を、この僕に与えてくれるという。
代わりに多くの枷がつけられるらしい。私利私欲で力を使えず、特定の国家、勢力に肩入れするのも駄目。指定された魔物以外は、あまり倒してはいけないなど――。
聞いているだけで面倒臭そうな制約が、どうやら勇者にはあるようだった。
だけど僕は、結局、勇者になることを決意した。それはなぜか? 今よりもっと強くなりたかったからだ。
力だ。力さえあれば、今よりもっと多くのことができる。息を潜めてやり過ごすだけじゃない、村人みんなを救うことさえできるんだ。
僕の村はなくなってしまったけれど、みんなはもういなくなってしまったけれど、こうなるはずの誰かを、どこかで救えるかもしれない。そのことに気づいた瞬間、僕は女神様の差し出した手を握っていた。
「貴方が望むなら、私は何日でも待ちますが」
「いえ、もう心は決まっています。僕は、勇者になります」
「そうですか」
必要だったのはお別れの時間だけ。
みんなのお墓を綺麗にして、花を添えるためだけの時間だった。
(みんな、僕は勇者になるよ)
僕たちみたいな人をなくすために、この世から理不尽を減らすために、僕は勇者の力を手に入れる。
それは僕が考えている以上に大変なことなのかもしれないけれど、その道を進むことが正しいことなのだと、今の僕にはそう思えた。
「それでは、改めて説明をさせていただきます」
「あっ、はい!」
「前回は省略したことも説明しますので、よく聞いておいてくださいね?」
「はい!」
女神様はどこからともなく羊皮紙を取り出して、それを広げた。
きっとそこには、勇者の掟や心構えなんかが書いてあるんだ。厳かな顔をする女神様の前で、僕は緊張でごくりと唾を飲み込んだ。
「まずは勇者になってからの話ですが」
「はい!」
「試用期間は三ヶ月。うち一ヶ月は現担当者の下で実地研修を受けていただきます」
「はい! ……はい?」
試用期間? 実地研修? んん?
「試用期間が終わり、引継ぎが終わってからは、すぐにも業務に入っていただき」
「あ、あの!」
「なんでしょう?」
「その、僕にはよく分からないのですが……」
「ああ、福利厚生のことですね。ご安心ください」
「ええっ!?」
ますますよく分からない。フクリコウセイってなんだ!?
「まず保険代わりに不老不死の力が与えられます。これにより老いず、死なず、どんな病気にもかかりません。次に住居についてですが、郊外にメイド付きの屋敷を用意しましょう。食費補助も出ますので、多少は贅沢をしても構いません」
「い、いえ、あの」
「もちろん、有休もあります。初年度は十日ほどですが、勤めれば勤めただけ増えていきますので、ご安心ください」
「その」
「ボーナスも弾みますよ?」
駄目だ、話が通じない。
女神様は訳の分からないことを言い、それを説明と称してしゃべり続けている。
そしてその説明とやらが終わると、別の羊皮紙とインク壺、羽ペンを取り出し、それを置いて天上へと帰っていった。
「一週間後までに記名し、提出してくださいね」
女神様は最後にそう言っていたけれど――。
「僕、読み書きが出来ないんだけど……」
そもそもどこに提出すればいいのか。
どうすればこちらから連絡を取れるのか。
何ひとつ分からずに、僕はただただ立ち尽くすのだった。




