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交差点、アースティア

「ふ~、いい湯だった」


 大浴場でたっぷり一時間。途中、ベランダで涼んだりもしたが、俺は指先がふやけるまで温泉に浸かり続けた。


 おかげで体の芯からぽかぽかだ。絶妙に気だるくもある。きっとこのまま昼寝をしたら、それはもうぐっすりと寝れるんだろうなあ。


(っとと、いかんいかん)


 まずはユミエルと合流しないとな。


「……ご主人さま」


「ああ、お待たせ」


 待合室にはすでにユミエルの姿があった。


 と言っても、若干早く着いた程度なんだろう。こいつの頭からもほこほこと湯気が出ていて、白い肌はほんのり赤く染まっていた。


「どうだった、初めての温泉は?」


「……いいものでした。こう、お風呂とはまた違った温もりがあって」


「そうかそうか」


 こいつにしては饒舌な気がする。姿勢も心なしか前のめりのように見えた。


「このあとも色々回る予定だからな? 設備も違うし、効能も違うし、湯質だって色々あるみたいだ。端の方まで行ったら炭酸泉もあるみたいだぞ?」


「……炭酸泉。炭酸というと、あのしゅわしゅわの」


「そう、そのしゅわしゅわ。天然の炭酸風呂なんだとさ」


「……そのようなものが」


 ゆったりとした布の服、トーガのような部屋着の端をつかみ、どこか遠くを見るユミエル。


 きっとまだ見ぬ温泉を思い描いているんだろう。その顔は無表情なんだけど、どこかキラキラと輝いて見えるようだった。


「……それでしたら、のんびりしているヒマはありませんね」


「え?」


「……準備をしてきます」


「お、おい?」


 止める間もなく待合室を出て、部屋の方へと向かうユミエル。


 まさか、今から炭酸泉に向かうつもりなのか? あれは二日目の夜に行こうと思っていたんだが――。


 まあ、いいさ。ツアー旅行じゃないんだ、行きたいときに行けばいい。あいつにも散々苦労をかけたからな。この機会に存分に楽しんでもらって、心身をリフレッシュしてもらいたいものだ。


(おっ、来たな)


 思いのほか早かったな。よっぽど急いで来たんだろう。


 視界の端にメイド服がちらりと映り、俺は小さく苦笑する。そして乗り気な相棒に合わせるように、すぐにすっくと立ち上がった。


「それじゃ行くか、ユミィ……」


「…………」


「じゃない!?」


 誰だこいつ!?


 髪型や背格好はユミエルに似ているが、髪の色や目の色、顔の造りなんかがちょこちょこ違う! メイド服のデザインも微妙に違うし、まるでユミエルのパチモンみたいだ。


「ご、ごめんな。人違いだ」


 盛大に間違えて、どうも気恥ずかしい。


 それを気にしているのかいないのか、黒髪のメイドさんは澄ました顔で俺を見ると、その小さな口をそっと開いて――。


「ユミィですにゃん。ご主人たま」


「そんなキャラじゃねえんだよ!!」


 真面目くさった顔で何言ってんだ、こいつは――!


 思わずツッコんでしまったが、それもむべなるかなってやつだ。無表情のまま媚びたポーズを取るメイドに、俺は怒声を叩きつけた。


 しかしメイドは怯えるようなこともなく、やはり澄ました顔でこんなことを言う。


「ふう、まだまだですね。ツッコミ力はうちの旦那様に遠く及びません」


「いや、知らねえよ」


 誰だよ、旦那様。


「二重の意味で私の旦那様ですよ。あ、私、こう見えても既婚者なので。誘惑してはいけませんよ?」


「しねーよ!!」


 左手の結婚指輪を俺に見せ、諫めるように俺に言うメイド。


 な、なんか疲れる奴だな。ひょっとして茶化されているのか? それとも俺をからかって遊んでいるんだろうか。


「いえいえ、遊んでなどはおりません。ただ、思わぬ場所でお見かけしたものですから、ご挨拶でもと思いまして」


「心の声を読むな……!」


 しれっと地の文を拾わないで欲しい。


 読心術だか何だか知らないが、これだからファンタジー世界ってやつは――。


「それはそうと、十字軍討伐お疲れ様でした」


「え?」


「なんで知っているんだ? って顔をしていますね。もちろん、承知しておりますとも。こう見えて私、なかなか地獄耳ですので」


「いや、そういうことじゃなくて」


「そうですね。いくら情報通でも、普通は知り得ないことですものね。驚かれるのも無理はないと思います」


「そう……だけど」


 いかん、こいつのペースに巻き込まれている気がする。


 なんなんだ、こいつは。飄々としているようで、いたずらっ子のような茶目っ気もあり、おまけにメイドとかいう珍生物は。


「私ですか? 私は大魔王です」


「だから、心の声を読む……え?」


「この世界の魔物を統べる、大魔王なのです」


 瞬間、世界が凍りついた。


 薄闇に包まれた待合室で、メイドの赤い目が爛々と光っている。


 こいつが発する気配が異質過ぎるんだ。人間とはまったく違う、どちらかと言えば魔物に近い気配。それが俺の心臓を鷲掴みにして、呼吸さえも止めてしまう。


「……っ!」


 必死の思いで、震える手で腰をまさぐる。


 しまった、ナイフがない! スキルを使って生み出すのも、システムメニューを開くのも、どちらも数秒ほどの隙を生んでしまう。


 そしてそれは、こいつの前では致命的なように思えて――。


「…………」


「…………!」


「…………」


「…………!!」


「…………」


「…………?」


 何もしてこない?


 大魔王とやらはこちらを見たまま、特に何もしようとはしない。


 それどころか雰囲気も和らぎ、俺の体からも呪縛のような何かが抜けていき――。


「はい、ここでオンッ!」


「ふぐうっ!?」


「オンッ! オフッ! オンッ! オフッ!」


「うっ、がっ! おっ、ふぁっ!?」


「オンッ! オフッ! オンッ! オフッ!」


 パンパンスパパン! の手拍子に合わせ、大魔王の気配が出たり消えたり出たり消えたり――。


 いや、何がしたいんだよ、こいつはっ!! もうほんとに――何がしたいの!?


(あああああああ~~~~っ!!!)


「そこまでだ」


 繰り返される「いてつくはどう連打」の終わりは、意外な形で現れた。


 フードを被った年齢不詳の男が、大魔王にチョップを食らわせたんだ。結構軽めのそれを受けただけで、大魔王は動きを止めて、くるりと後ろに振り返った。


「旦那様。ここまで追って来られたのですか?」


「そりゃ追うさ。こんな書置きを残されたならな」


 そう言って男が懐から取り出したのは、「とっておきのプリンを食べられて怒り心頭です。温泉郷に家出します」と書かれた紙切れ。それを大魔王につきつけて、男は疲れたようにため息をつく。


「悪かったよ。お前のものとは思わなかったんだ。反省してる」


「そ、そんな殊勝な態度を見せたからって、ほいほい許す私じゃないんだからねっ!」


「取ってつけたようなツンデレは止めろ」


 カアッと頬を染めてツンツンした態度を見せる大魔王。


 演技なんだろうな。きっとあれも演技なんだ。それは分かるけど、それ以外はもうさっぱり俺には分からないよ。


「そこの人、ご迷惑をおかけしました」


「ん?」


「こいつはこう見えていたずら好きで、私も手を焼いているんです」


「は、はあ」


 ぺこりと頭を下げるフードの男。その顔は見えないけど、なんか誠実そうな人柄だ。


 こんな奥さんがいるってことは、苦労人でもあるんだろうなあ。家庭生活が容易に想像がつき、彼の苦労が偲ばれるようだった。


「こいつは私が責任を持って持ち帰ります。貴方はどうぞこのまま湯治を続けてください」


「あ、はい」


「それでは、失礼いたします……ほら、行くぞ、ルナ」


「あ~れ~」


 フードの男は大魔王を連れ、いずこかへと去ろうとしていた。


 あのメイドの言うことが本当なら魔王城なんだろうな。するとあの人もその関係者ってことなのか? メイドが大魔王で、その旦那さんってことは、ひょっとしてひょっとすると、神とか超魔王とか、そんな超常的な存在だったりして――。


 そんなことを考えているうちに、ふたりは空間に溶けて消えていった。きっと転移魔法を使ったんだろう。そうと感じさせない隙の無さ、なるほどやはり超常的な存在だった。


(しかし、驚いたな)


 まさかこんなところで大魔王に出会うなんてな。


 お釈迦様でも思うまいとはこのことで、ゲームで言えば宿屋にラスボスが紛れ込んでいるかのようなとんでも展開だった。


 でも、まあ、こんなことは二度も三度も続かないだろう。あのメイドのことはしっかり者の旦那に任せ、俺はまだまだ湯治を楽しんで――。




「ほらっ、虎太郎。次はプールに行くわよ」


「いや、待て。近くに岩盤浴なんてものもあるらしい」




「あれ? こんな近所に温泉なんてあったかな?」


「…………」


「竜巻号は知ってた?」




「……………………………………………」


 黒髪率、多くない?


 ふわふわ飛んでる女の子はいいとして、制服を着た男子高校生に、ビニール袋を片手に下げた男の子。柴犬もいるぞ。うわー、イースィンドなのに柴犬がいるぞ。


「あー、見えない。何も見えない」


 俺は何も見なかった。見なかったら見なかった。


 きっと疲れていたんだ。うん、そうだ、そうに違いない。それを癒すためにわざわざここまで来たんだもんな。そりゃ幻覚のひとつやふたつ、見たってしょうがないってもんだよ。


「……ご主人さま、お待たせしました」


「おお、ユミィ!」


「…………?」


 現れたユミエルの手をつかみ、頬ずりさえしそうになる。


 そうそう、これが普通、これが平常。これが俺にとっての日常だ。


 触らぬ神に祟りなしとも言うし、変な奴らには触らず近寄らず、この三日間はユミエルと一緒にまったり過ごそう。


「そうと決まれば、まずは炭酸泉だったな。よし、行こう行こう!」


「……はい」


 きょとんとした顔のユミエルを連れ、俺は宿を出ていった。


 ビバ、温泉! 厄介事など全スルーして、俺は温泉を満喫するぜぇー!

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